SFCの最近のブログ記事
食事のことではなく、本のこと。
本の背表紙を裁断し、スキャナーにかけて自分で電子化してしまうことを「自炊系」というらしい。
SFCだと玉村さんが有名。『整理HACKS!』でも紹介されていた。
そんな馬鹿なことをするもんかと思っていたが、スペース問題が深刻。片付かない研究室をどうにかするためには何らかの方法でため込んだものを捨てるしかない。
いきなり捨てろといわれるとプレッシャーが高いが、スキャンしてとっておけるならまあなんとかという気がする。そういう気持ちで候補の本や雑誌をテーブルの上に並べるとけっこうな数になる。
まずは、いらないというより、いつもパソコンに入れておきたいと思う本を選び、裁断機で背表紙をざっくり落とす。すばらしい切れ味で爽快感すらある。それを、少し前から使っているScanSnapで一気に読み込む。
ばんばん裁断はできるのだが、ScanSnapにつないでいるパソコンの性能がいまいちで、本一冊や雑誌一冊を読み込もうとするとメモリが不安定になるようだ。馬力のあるものに変えたほうが良さそう。
思ったほど一気には進まないことがわかったが、やり方は簡単だ。年度末までにはテーブルの上を一掃したい。研究室が片付いたら自宅を片付ける。とにかくすべてをシンプルに。
先週の金曜日の昼過ぎ、研究所の同僚の一人が、「今度はロシアと戦争かな」とぼそっと言った。私は論文のデータ処理をずっとやっていたので何のことかよく分からなかったが、ロシアとグルジアに関する報道が始まっていた。アフガニスタンとイラクを抱えていてアメリカがすぐ参戦するとは考えられないが、今のうちからそういう可能性を考えておくのが東部エスタブリッシュメントの頭の中なのだろう。グルジアとアメリカは近年関係が密になっているので、戦争の可能性が全くないわけではない。
ちょうどその晩、オリンピックの開会式の録画がNBCで放送された。アメリカ時間だと金曜日の朝に行われたことになるが、朝のニュースではスタジアムの中は見せず、録画を午後7時半から夜12時まで流した。インターネット時代に録画放送はないだろうと思ったが、視聴率を稼ぐためには仕方ないのかな。
マスゲームを見ていたアナウンサーが驚いて「あごが落ちちゃう(jaw dropping)」と言っていたのには笑った。中国に秩序があるところを見せたかった中国の気持ちも分かるけど、アメリカ人は多様な個性を称賛するから、アメリカ人はたぶん違う受け止め方をしてしまったと思う。その辺の感覚のずれを感じるなあ。
この日、小島朋之先生の最後の著書が届いた。国分良成先生の巻頭言を読み、小島先生の圧倒的執筆量に改めて驚く。きっとオリンピックもごらんになりたかっただろうな。先月末の偲ぶ会に出席したかったが、諸事情あって東京には戻れなかった。今書いている論文が終わったらこの本を読もう。
小島朋之『和諧をめざす中国』(芦書房、2008年)。
ケンブリッジ(ボストン)は雨ばかり。気温も上がらず、このまま秋になってしまいそうだ。今日は冷房も止まり、薄手のコートを着ている人もいた。暑そうな北京とはずいぶんなちがいだ。
自分で決めてしまった、あるいは誰かに決められてしまった境界を越えて探検するのは、しんどいものでもあるが、楽しいものでもある。SFCにいると、「自分は○○学者です」と名乗るのはけっこう恥ずかしくなってくる。聞かれると私は「国際政治学者です」と答えているが、他人から見るとそうは見えないかもしれない(総務省関連の仕事が多いし)。最近は大学院のインターリアリティ・プロジェクトで社会学をかじってみたりした(ウェブは全然更新されていないけどね)。
今週末、ボストンで全米社会学会(ASA)が開かれている。二度と全米社会学会に参加する機会なんてなさそうだからと思って参加している。おもしろいことに、「私は社会学者ではありません」と自己申告すると参加料が割引になる。全米政治学会(APSA)並に大きな学会だ(こちらも今月末にボストンで開かれる)。
昨日は、社会学の成果が軍事政策にどうやって応用されているかというテーマのワークショップに参加した。「ミリタリー・ソシオロジー(軍事社会学?)」という言葉は初めて聞いた。国防総省はいろいろな形で社会学者を雇っているようで、軍隊という一つの社会で起きる問題についてアドバイスをしているらしい。しかし、そうした研究成果は敵を利することになる可能性があるということで公開されない。そうした社会学者たちの研究成果は軍の中だけで消化されている。
このワークショップで一番驚いたのは「social network analysis(社会ネットワーク分析)がサダム・フセインを捕まえるのに使われた」という話。なるほど、彼がどこに隠れているかを探すために彼の持っていた社会的ネットワークを分析すれば、誰がかくまっているのかが推測できたのかもしれない。政治学より社会学は役に立っているではないか。
現在のアフガニスタンとイラクでの作戦では、1976年と2006年に発表された社会学の研究が応用されているという。越境するとおもしろい風景を見ることができる。
(考えてみると、SFCでも自衛隊の社会学的研究がけっこう行われている。防衛研究や政治学の研究として自衛隊を取り上げるのもおもしろいが、社会学から見るのもおもしろいだろう。SFCでの先駆的なものとしては、今は一橋大学にいらっしゃる佐藤文香先生の研究だろう。)
またもや訃報である。内山秀夫先生が亡くなった。慶應の法学部政治学科に入ったとき、面接試験があった(今もあるのだろうか)。その面接官二人のうちの一人が内山先生だった。どんな本を読んだかとか、尊敬する人は誰かなんてことを聞かれた気がする。
勢い込んで入学したものの、日吉キャンパスは遊ぶところになっていて、まじめに勉強したいと思ってもあまりできなかった。必然的に勉強以外のことにのめり込むことになるのだが、一年生の授業で一番おもしろかったのが内山先生の政治学だった。同期のほとんどの人たちは、並行して開設されていた別の先生の政治学を履修していたが、私は大教室にまばらにしか人のいない内山先生の政治学が好きだった。
授業はほとんど内容が分からなかった。教科書が一冊指定されているが、毎回2~3ページしか進まない。教科書の行間に書かれていることを解説しながら、内山先生の話は大きく脱線していく。その脱線具合があまりにも大きくて、受験勉強に慣れ親しんだ頭にはさっぱり入らない。
それでも毎回、頭の中をぐるぐるかき回される思いだった。なんだかよく分からないけど、授業に出ていって聞いていた。履修者が少なく、さらに出席してくる学生も少ないのだが、出てきている学生も時々退屈しておしゃべりを始めてしまう。すると内山先生は突然話を中断して、「たのしーかい、おじょーちゃん」と軽い調子で声をかける。みんなびくっとして教室が静まりかえる。内山先生は、そこに学生なんかいないかのような調子で、時に退屈そうに、時に興奮しながら独演していく。(これはもしかしたら私の記憶違いかもしれないけど)日吉の大教室の「禁煙」と書かれている張り紙の下で、内山先生はおもむろにホープ缶からたばこを出してを吸っていた。「キース・リチャーズみたいだな」と思った記憶がある(ホープではなくて、たばこを吸っている姿の話)。
どうやら内山先生は、だんだんおとなしくなりつつあった学生たちに不満を持っていたらしい。学生運動の時代へのノスタルジーもあったのかもしれない。内山先生なりのやり方で、学生を挑発しようとしていたのだと思う。本当は、「先生、禁煙て書いてあるじゃないですか。何でたばこを吸うんですか」と言って欲しかったのだろう。でもそんな勇気は私にはなかった。
二年生が終わる頃、ゼミを選ばなくてはいけなくなったとき、内山ゼミに入ろうと思っていた。しかし、内山先生は新潟国際情報大学の初代学長として転出されることになり、ゼミは開講されなくなってしまった。私は行き場が無くなり、迷いに迷って、新任の薬師寺泰蔵先生のところへ行くことにした。結果的に私の人生にはこれで良かったのだと思うけれども、あのとき、内山先生のゼミに入っていたら、ぜんぜん違う人生になったような気がする。
薬師寺ゼミに入ったとき、意外にも内山先生に興味があるゼミ友が何人かいたので、一緒に内山先生を誘って、新宿の居酒屋で飲んだことがある。内山先生は、熱燗ではなく、「ぬる燗」にこだわっていた。居酒屋チェーンのお店だから、ぬる燗なんてものは作れない。店員さんが困って、いったん作った熱燗に冷たいお酒を足していたらしい。内山先生はぜんぜん食べなくて、お通しで出てきた小皿のもやししか手を付けなかった。それなのにぬる燗をがぶがぶ飲むものだから、帰る頃にはフラフラで、われわれより酔っぱらってしまっている。軍国少年だった頃に覚えた敬礼の仕方をわれわれに教えてくださったのだが、いくら真似してもダメ出しされてしまったのが懐かしい。
大学はどんどんサービス産業化しつつあり、内山先生のような人間くさい授業はもうやりにくい。私がSFCで内山先生のような授業をやったら、授業評価でどんなコメントが学生から来るのだろうか。予備校的な授業になれてしまっている学生は、すぐに要点を教えてもらおうとする。しかし、答えなんてそんな簡単には見つからないし、テストのために覚えた知識はほとんど役に立たない。私にとっては内山先生の授業が原点のような気がする。あの授業を聞いていて、自分がたくさん知らなくてはいけないことがあるということを自覚して、学問をちゃんとやろうと思い直した。どうせやらなくちゃいけないなら、ああいう授業をやってみたい。
内山先生の名講義(復活!慶應義塾の名講義:2006年6月24日)
痛々しいお姿の上に、声が聞き取れないのが残念だ。
毎年の恒例行事ですが、ORFに参加します。六本木ヒルズで11月22日(木)と23日(休)です。
今年はまじめに「 通信と放送の融合をデザインする」というセッションを担当します。 22日(木)11:50〜13:20です。
http://orf.sfc.keio.ac.jp/program/session/s007.html
イギリスと韓国からゲストを招き(同時通訳付き)、総務省でも議論になっている通信と放送の融合に関する法制度を考えます。中村伊知哉さん、金正勲さんたちも参加の予定です。
「高校生のためのSFC案内」というのにも顔を出します。
23日(休)の16:30−17:30です。
http://orf.sfc.keio.ac.jp/program/session/s024.html
「高校生のためのSFC案内」には出られなくなりました。ごめんなさい。
久しぶりにアメリカに行ってきた。ワシントンDCは2005年9月以来だろうか。前職のときはしょっちゅう行っていたが、最近は海外出張に行く時間がなくなってきたのがさびしい。
しかし、ワシントンは東京以上に蒸し暑くて大変だった。いろいろ聞いて回ったが、イラク戦争一色で、議会が民主党主導になってしまったために、イラク戦争以外のアジェンダは大統領選挙の結果待ちになっているという。それにしたって大統領選挙まで16カ月もあるだろうに。
今回一番おもしろかったのは、日帰りで行ってきたボストンのMIT(マサチューセッツ工科大学)。MITの卒業生でもある教授が案内してくれた。左の写真は、かつてハックのひとつとして消防車が乗っていたことのあるドームだ。
表玄関の中のホールに「Established for Advancement and Development of Science its Application to Industry the Arts Agriculture and Commerce」と書かれている(ちなみに昔はUをVと表記したそうで、INDUSTRYがINDVSTRYになっている)。これが建学の精神なのだそうだ。ハーバード大学が真実の探究をモットーにしているのに対し、MITは応用科学をモットーにしている。写真にある「APPLICATION」が重要なのだ。わがSFCはなぜかハーバード関係者が多いのだが、慶應の実学の精神やSFCの総合政策学という視点から言えば、MITのほうが近いのではないかと思う。SFCの将来について議論をするとき、リベラル・アーツ・カレッジにしたい人と、リサーチ・ユニバーシティにしたい人との間で常に議論がある。私はどちらかというと後者だが、新学部長は前者だ。
教授に案内してもらった後、今度は一人で有名なところを探しに行った。ハッカー誕生の地である。スティーブン・レビーが『ハッカーズ』でハッカー誕生の地としたのはMITのTech Model Railroad Club (TMRC) という鉄ちゃんたちのサークルだ(左の写真にあるドアの右側にある部屋)。見学の予約をしていなかったし、ミーティング時間とも外れていたので中は見られなかったが、なかなか感慨深いものがあった。SFCの教員にやたらと鉄ちゃんが多いこともMITとの共通性を感じさせる。
MITは理工系大学として誕生したのに、経済学や政治学もやたらと強い。理工系の研究者が2/3なんだそうだが、それでもノーベル経済学賞をとった人がたくさんいるし、国際政治も強い。日本の国際政治学者でも、猪口孝、田中明彦、薬師寺泰蔵、山影進といった先生たちがMIT出身だ。その辺のところを先述の教授に聞いてみると、「科学技術の研究だけでは社会への応用を考えるにあたって不十分だから、社会科学や人文科学にも力を入れることにした結果だ」という返事だった。実にいいねえ。
土曜日、日帰りで大阪に出かける。朝7時20分の新幹線に乗り、用事の前に適塾を見に行く。言うまでもなく福澤諭吉先生が蘭学を学んだところだ。地下鉄御堂筋線の淀屋橋駅から5分ぐらいのところで、日本生命のビルに囲まれている。今は大阪大学が所有している。
受付を入ってすぐのところに福澤先生の軸が飾ってある。
適々豈唯風月耳。
渺茫塵芥自天真。
世情休説不如意。
無意人乃如意人。
「適を適とする、すなわち自分の心に適することを適とする、言い換えると自分の心に適うことをたのしむ生活、それは何も自然の風月をたのしむだけのものではない。むしろ広くて見定めがたい俗世間に天の理にかなった真実があるというものだ。世の中が自分の思い通りにならなくても、何も不満をこぼすことはないではないか。ことさらたくらむことなく真実に生きる人こそ、自分の思いを達する人なのだ。」(展示解説より)
いいなあ。
二階にはヅーフ辞書(蘭和辞書)が置かれていたというヅーフ部屋がある。『福翁自伝』から想像していたよりも小さい。
「会読の準備のために、適塾内に一揃えしかないヅーフ辞書のまわりには多くの塾生たちが入れかわり立ちかわり押しよせて、この辞書を手にとることも容易でなく、ヅーフ部屋には燈火が一晩中たえなかったといわれています。塾生たちはむつかしい原書を読み解くのに、面目にかけても他の塾生から教えてもらうことはなく、完全に自分で考え工夫をして説をつけ、それで塾生同士おたがいに学力をたたかわすことを誇りにしていました。」(展示解説より)
ヅーフ部屋を抜けたところに塾生大部屋がある。ここも想像していたよりもはるかに狭い。
「適塾には、常時百人をこえる塾生がいて、外から適塾へ通ってくる外塾生と、適塾内で起居する内塾生とがありました。内塾生はこの塾生大部屋を中心に、一人当たりたたみ一畳分だけの広さが割り当てられ、その中に机や夜具をおき、学習したり寝起きしたりしたのです。毎月末には、この割り当ての場所の席換えが行われ、その月の会読での成績順に上位の者から好みの場所を占有することができました。悪い場所に当った者は、みんなの通りみちになって夜間に踏み起こされたり、勉強するのに昼間もあかりをともしたりしなければなりませんでした。」(展示解説より)
畳一畳分とは実に狭い。しかし、仲間がいるから良い勉強になったのだろうな。今は途方もなく大きくなってしまったけれど、慶應義塾の原点はやはりこの適塾なのだろう。
土曜日、キャンパスで熊坂研、井庭研と合同研究発表会をした後、みやじ豚のBBQをする。寒かったけど、うまかった。普段違うことをやっている人たちと研究について議論できるのはいいね。広い意味での社会学つながりだけど、それぞれのアプローチや手法が全然違うことが分かって刺激になった。写真はこちら。
松永安左衛門が慶應義塾に入学してまもなくのこと、校庭で教師を見かけて、すれ違いざまあわててお辞儀をした。ところが、それが終わるか終わらないうちに、後からポンポンと背中をたたく者がある。だれだかわからない、まったく知らぬおじいさんであった。
「お前さん、今、そこで何をしていたんだね。」
「先生にお辞儀をしました。」
「それはいかん。うちでは、教える人に途中で会ったぐらいでいちいちお辞儀をせんでもいいんだ。そんなことをはじめてもらっちゃ困る。」
あっけにとられて、あらためてその老人を見たら、それが福沢先生であった。
「お前さんは入ったばかりだから言っとくが、うちではお前さん方を教えているのは生徒の古い方で、お前さん方の仲間、いわば同格だ。ただ少し早よう入って年も上、勉強もちっとは進んどるだけなんだ。つまり、お前さん方の先に立って少し難しいことを覚えて、そこでいっしょに臨講していてくれるにすぎんのじゃ。ここで先生といえば、まあこの私だけなんじゃが、この私にもいちいち用もないのにお辞儀なぞせんでいい。ごく自然な会釈だけでたくさんだ。」
加藤寛『なぜ、今、「学問のすすめ」なのか?—福沢諭吉の2001年・日本の診断—』PHP研究所、1983年、260〜261ページ。
古本屋で見つけた本の一節。この本が出た頃はSFCの構想すらなかったのだろうな。
学生の卒論を読みながら学んだり、反省したりしているうちに、「半学半教」の話を思い出す。
大学教員にはあまりきっちりとした「休み」の制度がない。裁量労働といえばそうだし、過少労働の人も過剰労働の人もいる。私は要領が悪いのでダラダラと仕事をして過剰労働気味である(無論、パフォーマンスがどうかは別の話)。
しかし、外でしなければいけない仕事は昨日で終わり。某所の勉強会で急場しのぎの発表をして、懇親会で楽しいお酒を飲んできた。大学の事務室も今日で終わりなので、一応の仕事納めだ。無論、休みに入っても原稿を書いたり、卒論、修論、博論を読まなくてはいけないからほとんど休みにはならない。外で拘束される時間がなくなるというだけだ。
ポロポロと外国からクリスマス・カードが届くのだけど、12月の忙しい時期によく書けるなと思う。日本は年末がやたらと忙しいけど、たぶん、アメリカではそれが少し早く来て、感謝祭あけからは休みめがけて猛烈モードに入るんだろうな。私は相変わらず年賀状を書いていない。こちらからあまり出さないから届く年賀状は減り続けている気がするが、初めて会った人から来てしまうので無くなるわけでもない。来年は仕事始めが実質的に9日(火)だから、大学に届いている年賀状を見て、申し訳ない思いをするような気がする。
私は忙しくなると新聞を読まなくなる。今日になって読もうと思ったら12月10日からたまっていた。毎日メールやウェブは見ているから、大事件を知らないということはもちろんない。しかし、やはり見落としている記事にへえっと思ったり、あの人が言っていたのはこの話かと思うこともある。つまり、インターネットも従来のマスコミもそれなりに居場所があるはず。
今年は通信と放送の融合がずいぶんと議論になったが、あんまり「融合」は進まないのではないかなあと思う。せいぜい「混合」ぐらいじゃないだろうか。この話は12月15日のコンテンツ政策研究会でも話したが、賛否両論あった。来年のバズワードは何なのだろう。