“デート”(糸井重里)をめぐる社会学的想像力:1991.3
 
1. 構造分析
2. 長嶋さんからの模範回答
3. ゲームの達人からの回答
-1 状況分析
-2 戦略:知性の差別化戦略
-3 戦略:美貌の痴呆化戦略
-4 戦略:“やさしさ”の戦略
-5 長時間プレイへの回答
4. 山口さんちのマサオ君からの回答
-1 モデルとしての「蒲田行進曲」
-2 長時間プレイへの回答
5. code99からの回答
6. code99:期末レポート"date"
1.構造分析

A 》まず、彼女が好むデートのスタイルは何か、を確定します。
B 》最初に『動物園』です。
C 》同伴喫茶でのババヌキ
D 》どしゃ降りの雨の日の、ひとりだけの傘さし
E 》愛する人の美点を語る
F 》マスカットの皮むき
G 》今後一切逢わないでいるっていう、長時間プレイ

A 》まず、彼女が好むデートのスタイルは何か、を確定します。

1)動物園に行ってオランウータンにジャムパンを与える
2)同伴喫茶でババヌキをして遊ぶ
3)どしゃ降りの雨の日に、ひとりだけが傘をさして歩く
4)それぞれ愛する人の美点をできるだけ多く語り合う
5)マスカットの皮むきを楽しむ
6)今後一切逢わないでいるっていう、長時間プレイ

つぎに、各デートの構造をみましょう。

B 》最初に『動物園』です。


動物園でオランウータンに餌をやることにかんして、僕が「できるか/できないか」という問題と、それが倫理的に「いけないか/かまわないか」という問題がここにはあります。彼女の望みは、倫理的にはどんなに非難されてもいいから、僕が餌をやることに成功すればいい、というものです。悪魔のような仕掛け(ゲーム)を僕にしてきます。

僕は常識的なので、そんなことはいけないことだと思ってますし、しかもそんなこと達成不可能だと思っています。でも、やらないと、彼女に馬鹿にされ、最初のデートが悲惨なものになってしまうので、常識的な倫理には後ろめたさを感じながらも、ただ“できる”ことだけを願って必死のアタックをしました。それがチンパンジーに賄賂をつかませることでした。賄賂はインチキな手段ですが、彼女の命令を守るにはこれしかありません。でも、その気転がデートを大成功に導きました。彼女はこのデートに満足してくれました。彼女の喜んだ顔をみると、僕の苦労は一気にふっ飛んでしまいました。

すでにご承知のように、彼女は飛びきりの美人で、僕はどこにでも転がっている男です。この落差が恨めしいのですが、惚れた弱みで何でも言いなりになります。それでもって彼女が満足してくれるならば、僕は何でもします。僕は、彼女という神の足元で戯れる<道化>ですし、それが似合っています。


C 》同伴喫茶でのババヌキ


同伴喫茶に入ったならば、やることは決まっていて、Hなことをするしかないのに、なんと彼女は、そこでババヌキをすると言うではありまませんか。僕が唖然としたのは誰でも理解できると確信します。美人でなかったら、ピンタが飛んで、暴力的なH行為に突入したことでしょう。

しつこいですが、ここは同伴喫茶なのです。しかし不幸にも彼女があまりに美人のために、手も足もでません。そこで要求通りババヌキを始めました。とはいえ、彼女だって、同伴喫茶でのババヌキには違和感を感じているはずです。ですから、そのいやーな雰囲気を払拭するためにも、僕は期待される以上の努力に励まなければなりません。そうしないと、彼女はしらけて帰ると言うに決まっています。

ここでもインチキをしました。ババを隠すことで、ゲームをスリルに満ちたものにしました。インチキだけがその場を盛り上げる唯一の手段だったのです。もちろん冷静に考えてみれば、僕がピエロであることは分かっています。これまでして、彼女の愛がほしいのか、と思いますし、そんな愛は歪んでいる、と言われれば、その通りだとも思います。ですが、どんなに歪んでいようと、“努力”することがすべてを救ってくれるはずだ、と思い直します。彼女の好きなゲームをすれば、それが僕の喜びになってくることも真実なんです。<道化>には、矛盾する自分を救ってくれる何かが潜んでいます。

D 》どしゃ降りの雨の日の、ひとりだけの傘さし


デートの望ましいスタイルは、ある晴れた日にふたりで手でもつないで街中を楽しくおしゃべりしながらぶらつく、というパターンではないでしょうか。僕の望みは、この程度のことであって、ごく常識的な願いにすぎないと思います。でも、彼女は、このような安易なパターンを許してくれません。どうしてもどしゃ降りの雨の日がいいと言い張ります。しかもどちらか一方だけが傘をさせるゲームにしようというのです。

そうしたら、僕が傘なしでどしゃ降りの中を歩き、彼女が勝ち誇りながら傘をさすのは、もう最初から決まっています。僕が傘をさせるのは室内に入った時(これは晴れの日に傘をさすことと同じ)だけですから、ここでも僕は全くの<道化>です。彼女はどこまで僕を虐待すれば気がすむというのでしょうか。でも、幸か不幸か、最近そんな虐待にも馴れ、いじめられるほど、道化で頑張るぞ、と自分に言い聞かせている自分に気づき、少しギョッとします。しかもそんな道化が自分らしいと確信するようになってきているのです。僕はもしかしたら異常人格なのでしょうか。

E 》愛する人の美点を語る

これは僕にとってつらいゲームだったので、最初から弱みをみせてしまいました。お互いのことは除こうという提案は、いま考えてみても屈辱だったなと思います。でも、僕には美点なんか皆無で、彼女の美点は∞ですから、冷静な判断ではあったなと、その時の自分には感心もしています。まあ、些々やかな慰めです。

さて問題は愛する人に誰をあげるかです。彼女は大胆にも、僕以外の男性、あの歴史研究部長で野球部の副主将の話を始めました。彼女が彼に夢中なのは、学校中のみんなが知っている事実です。なぜか、彼女はあいつに対しては優しくて、しおらしいのです。僕と一緒の時とはすべてが対照的で、二重人格なのかな、と怖くなることがあります。でも、そんな時の彼女の優しい顔を遠くからみていると、僕もうれしくなります。僕も変ですね。


そんな彼女にたいして、僕は母の話をしました。もしも僕が別の女の子の話ができる勇気をもっていたら、こんな惨めなことにはならないのでしょうが、そんなゲームを仕掛ける度胸はありません。最初から負けゲームは覚悟の上なのです。僕の母が、もしもスリムで料理上手だったら、母の話は彼女にとってはタブーになるでしょうが、幸運にことに、母は完璧なデブなので、料理なんてできない彼女との間にゲームを発生させずに、別の次元でコミュニケーションを展開することができました。母には感謝しないといけません。彼女にとっては、まだ料理の腕よりも、腕の太さのほうが重要なテーマなのです。だから、母は<道化>になってくれました。僕が愛する彼女以上に価値ある料理の腕をもちながら、母はデブのもつ道化性によって、彼女のすべて(わがまま)をつつみ込む優しさを示してくれたのです。

本来ならば、デートでのあるべき姿は、二人が親の愛を語るべきなのでしょうが、僕達の場合は奇妙なことになっています。その現実を見据える目が必要なのです。

そんなわけで、この時のデートは、ゲームとしては厳しい現実を見せつけられることになりましたが、母の愛を使うことで、僕の存在理由を彼女に理解させることができたのではないか、と秘かに思っています。デートで彼女からあいつの話をはっきりとされた時には、確かに僕の道化性は瀕死の重傷を負うところまでいきましたが、母のデブの道化性は僕を越えたパワーを見せ、負けゲームではあっても、彼女とのデートを盛り上げることには大成功を収めたのではないか、と確信しています。彼女もそれなりにこのデートには満足しているのではないでしょうか。

F 》マスカットの皮むき


このデートは、彼女に不満が残りました。なぜでしょうか。今の時代の気分を考慮すると、彼女の不満の理由が分かるような気がします。昔、『私(女)つくる人、僕(男)たべる人』というコマーシャルがあって、進歩的(懐かしい言葉ですね!)な女性が女性蔑視のCFだといって話題を提供してくれたことがありました。

今、このCFが流れたら、女性でさえ、『昔はよかった。男らしさと女らしさが生きていた健康的な時代だったな』と思うことでしょう。

いま、男が作り、女が食べることをしても、誰もびっくりしません。そんな関係もあるな、で終わりです。みんな素直に納得してしまうのです。貧しい時代ならば、食べることの価値は作ることよりも大きいでしょうが、飽食の時代にあっては、食べることはさしたる価値をもちません。むしろ、作る過程に関与することの方が価値があるとされています。とすると、作ることが弱者であり、食べることが強者である、という図式がすでに意味を失っていることが分かります。

このような前提にもとづいて、マスカット・デートを考えてみると、強者であることの喜びをもたらすルールがすでに消滅しているところで、彼女が懸命になって強者になろうとするほど、彼女の方が道化になっていくことが分かるでしょう。彼女は、どんなことをやっても、このデートでは強者にはなれないのです。ゲームを成立させるルールがそもそも失われていれば、勝負がつかないのは自明のことです。だから、彼女は苛立ち、不満を表明します。

では僕の方はどうなのか、というと、『男=作る人』はいまではカッコイイことなので、彼女の不満とは対照的に、喜びを噛みしめることになってしまいました。自分でも意外な展開になってしまったな、と思いました。結果としては、僕が勝者のような気分を味わうことになりました。

確かにこのかぎりでは楽しいのですが、どうも落ち着きません。彼女が予想もしなかった<道化>に入っていくほど、僕は焦り、涙がでそうになりました。彼女が懸命に勝者のふりにこだわるほど、僕には彼女がピエロにしかみえません。だから、彼女が『今日はもう帰る』と言った時には、ホッとしました。これでいいんだ、こんなデートは早く止めよう、そう思いました。



G 》今後一切逢わないでいるっていう、長時間プレイ

やはりマスカット事件の影響でしょうか、ついに彼女は強烈なゲームを仕掛けてきました。僕は、どうすればいいのでしょうか。読者のみなさんのアドバイスを期待します。

どうか、よろしくお願いします。

<戦術A>彼女に泣いてすがって、このゲームだけは止めて、と訴える
<戦術B>このゲームをやることには賛成するふりをして、打ち合わせに持ち込み、時間を稼ぎ、彼女の気が変わることに賭ける
<戦術C>この長時間プレイに挑戦する

僕としては、いまのところ上の3つの戦術しかないかな、と思っています。そしてこの中では、戦術Bがいいのではないか、と考えていますが、賢明な読者のみなさんの中には、もっといいアイディアをお持ちの方もいらっしゃると思います。僕の青春のすべてがここにかかっていますので、ひやかさないで真面目で建設的で具体的な助言を、よろしくお願いします