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April 30, 2005
書きかけの言葉
冷え切った大陸
理想を見せつけた荒野で
一筋の風が通りすぎる
空へと伸びた雲
遥かの勝利を背負い飛び立つ
in 1957 4 October
I found yourself winning the war
It was not the end of the hot days
It was the begning of the cold game
in 1957 4 October
A globe was on orbit of the globe
止まらない時間の針
確実に近付く結末さえ
通り越し時代はまた
未聞の朝を迎え
歓喜と悲観が世界を駆け巡る
in 1961 12 April
You became the satellite itself
It was not the goal of fight
It was the beginning of the new days
in 1966 4 October
A country gained independence
in 1969 20
投稿者 POE : 12:36 FM | コメント (0) | トラックバック
April 29, 2005
春眠
なぜ春眠は暁を覚えないのだろう。
いや、暁とかそんな生易しいレベルではなくて、
目覚めると空がかなり傾いてしまった後なので困ります。
今日もたくさん夢を見ました。
人を殺してしまった話と、それがゲームでのことだったという続編と、日本にもう一度黒船が来る話と、国の合併に盛り上がる話と、ひたすら二文字熟語について考える話でした。
昨日寝る前に読んだ本が、もろ夢に影響していてなんだかなあ。
今日は、もっと春らしい夢を見たいのですが、さっき読んだ本が「魂の殺害~虐待された子供の心理学」、「パスワード」(ボードリヤールのぬめぬめした文体全快)なので、あまり期待できそうにありません。げんなり。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
憲法改正の議論を見ていると、日本を近代以前に戻したい人が多いのかもという気がしてくる。前文で自国の文化や伝統をうたったり、北朝鮮みたいなことをするかと思えば、憲法に国民の義務を明記するなんて、近代憲法には有り得ない方針まで叫ばれる始末。(いまの憲法のたとえば「納税の義務」は、国民の義務ではなくて、国に国民からきちんと税金をとるように定めた国の義務。)
まあ、どうなるんだろう。まさかバカじゃないんだから、さすがにそこまで復古的で前近代的な憲法になるってことはないだろうけど。何もないのに、何かあるように声高に叫んでるのって恥ずかしいからやめて欲しいんだけどな。いや、それが弱者のカタルシスのための役割演技としてならいいんだけど、本気で日本には固有の伝統があって、固有の言語があって、戦前の日本は素晴らしくて、だとか本気で一枚岩的に思っている人がいるとしたら、怖い。被害妄想だといいんだけどね。
投稿者 POE : 11:25 FM | コメント (0) | トラックバック
April 26, 2005
牧場主の氾濫
細胞の安売り。
投稿者 POE : 04:05 EM | コメント (0) | トラックバック
April 25, 2005
最後かも知れない。
授業のフィールドワークで、とある場所に行ってきたんだけど、すごく楽しかった。
誤解されそうな場所だけどね。
認知学習論でいう、文脈化された学習の効果というものの威力を実感した。
同い年なのに、すごく大人で頭のいい人がいた。
+
今期はどの授業も楽しい。
一週間がすごく充実している。
今月に入って、何をしたのか思い出せない日がない。
これで最後かも知れないと思うからかな。
もう、こんな素敵な朝や、輝いた昼下がりはないのかも知れない。
普通、振り返った時にものごとは綺麗に見えるものだけど、
最近は今まさにここにいることが、どうしようもなく愛しい。
まるで思い出の中を生きているみたいだ。
帰りたくて帰りたくて仕方なくて、でも決して戻れない日々を生きているみたいだ。
最後かも知れない。
そう思えることで、本気になれること。
それはハイデガーのいう本来的な存在に近づけるということかな(たぶん違う)。
死刑囚になってはじめて生を実感できるように、
終わりを意識してはじめて、その場所を主体的に歩けるようになる。
でも、本当は誰もが、やがて死にゆく存在である以上、
別に小菅拘置所の0番地区にいる人々だけが死刑囚なわけじゃない。
人は誰でもいつともわからない死を待つ死刑囚だ。
問題は、それに気付けたか、気付けないか。
最後になる前に気付けて、良かったのかな。
++++++++++++++++++++++++++++++++
加害者を非難する声が
今日も画面を埋めてゆく
無責任な怒りが
無関心な横顔を通り過ぎる
あなたの
主語は誰なの
あなたは
誰の想いを伝えているの
淋しさを救うのは
強さなんかじゃない
たとえば隣にいてくれる
いつまでも隣にいてくれる淋しさでいい
繕いのことばも
謝罪を促す罵倒も
宙をたゆたうだけ
こたえを
欲しがる魁の夢
もう
あなたは帰ったのに
投稿者 POE : 10:30 EM | コメント (0) | トラックバック
April 23, 2005
地平が軌道
通り過ぎる世界を背に
抱え込んだ想いは
誰に見せるともなく
歴史に埋もれてゆく
地平の側まで
続いた空の垣根
にび色に光る未来の反射は
音もなく万博の夢に飲まれた
一人で進む
放射の線路
たどり着けない明日を抱え
それでも走り続ける車窓に
後悔はないと強く言い聞かせた
ふいに浮かんだ不安は
通り過ぎた風景に残してゆこう
空白の広がるフィールドで
闘い続けた人々の
ささやかな願いを継ぐように
終着駅を前に途切れる道に
伝うべきは悲しみじゃなく
たとえ無機的でも構わない
最後の言葉
誰かへ宛てた最後の言葉
そして今
明日は白やんだ
投稿者 POE : 08:58 EM | コメント (0) | トラックバック
April 21, 2005
今朝読んだ本
朝からこんな爽やかだと、ついつい自分まで爽やかなんじゃないかという気がしてきて危険です。なので、どろどろした本でも読もうかと思ったのだけど、電車の中に入っている本も爽やかで困りました。
今のタウン誌とは違う、新聞としての地方紙。戦後発刊して約10年くらい続いたリベラル調の石見タイムス、それを時系列順に記述したドキュメンタリー風の本。プロジェクトXみたいだ。
こころにとまったのは本論とは関係ないところで二点。
ひとつめは、戦後すぐの教育現場のリベラルさ。戦後の学校教育というと成績順に席を決める!とか、割れ窓理論にのっとった徹底した管理教育!みたいなものを浮かべがちだけど、この本でひかれていた地域では、だいぶ違ったらしい。
「自分で問題を理解し、解決できる人間の育成」みたいなものを掲げていたようです。どこかの大学がさも急先鋒みたいに連呼している言葉ですが、60年前にこんなことを言っている学校もあったんですね。
もっとも当時は戦争の反動で、今よりもずっと民主主義的な動きが盛んだった(おかしな日本語。そういう民主主義とか語る語彙がないから、なんていったらいいかわからない)ようなので、うなずける話ではあるけれど。
そして2点目は、自衛隊の誘致に反対して高校生がハンガリーストライキを断行したという記述。高校生がハンスト!時代を感じさせてわくわくしてしまいました。この高校生という文字とハンストという響きとはまるで、ラーメンにヨーグルトぐらいの隔たりがあるように感じます。このラーメンとヨーグルトの隔たりは即ち、時代の隔たりでもあるわけで、いろいろ思うところがありました。やっぱり、ラーメンには麺ですよね。
春は恩田陸が読みたくなります。この本も爽やかでした。ほのかな爽やかさ?
どうでもいいのだけど、上からリンクをはったamazonの感想に、何の断りもなくネタバレを書いている人がいて、なえました。なのでこの本を読む人はぜひ、上のページを見てください。
投稿者 POE : 10:54 FM | コメント (0) | トラックバック
April 20, 2005
真実
真実は一つなんだろう。
でも、真実の見え方は一つじゃないんだろう。
ということは、「真実はひとつ」なんていう真実には何の意味もないわけで。
それでも多くがまだ真実はひとつだと信じているみたいだから、
真実はひとつなんだろう。
だから中立や客観なんてものが存在する。
たったひとつの真実という仮定にのみたいして
中立や客観は意味をもつ。
存在と現れは等しいと言ったのはハンナアレント。
つまり、見られることによって、そのものは存在する。
幻かそうじゃないかはどうでもいい。
みんながそう信じたならば、それは存在する。
真実がひとつも存在する。
真実がひとつじゃないも存在する。
相対主義の独裁なんていう言葉で片付けずに、
ひとつじゃない世界を、信じられるかな。
投稿者 POE : 10:28 EM | コメント (0) | トラックバック
宇宙軍艦ニッポリ
映画のために戦艦大和を原寸再現したらしい。
てっきり宇宙戦艦ヤマトの映画化かと思ってたから、
「昔、これに乗って戦った人たちのおかげで今の平和がある」
みたいなことを主演の俳優が言ってて、「やばいこの人、宇宙戦艦と現実を混同してる」とワクワクしてしまったのですが、杞憂でした。
宇宙戦艦ではなく、第二次世界大戦時のふつうの戦艦大和の映画でもんね。
でも、それにしても歴史誤認というか無自覚な発言だけどさ。
戦艦大和に乗っていた人と、今の平和な日本は何の関係もない。
マクロに見た時、彼らは大日本帝国の被害者とは言えるかも知れないけど、敗戦国の軍艦に乗っていた人なんて結局無駄に戦って、無駄に死んだだけ。
製作総指揮者の言葉も謎。
「日本人の誇りを文化として表現」
「戦争が忘れ去られている今、現代の10、20代に熱いメッセージを送りたい」
「誇りを文化として表現」?大和魂とか、圧戦の勇士とかを表現したいのかな。戦争の忘れられている時代に贈る熱いメッセージって何だ?もう一度戦争しようぜ!みたいな?
ただのエンタテイメントなんだから、文化とか熱いメッセージとか、こっちが恥ずかしくなってしまう言葉なんて使わずに、単純に楽しい映画を作ればいいだけの話だと思うのだけど.....
投稿者 POE : 12:07 FM | コメント (3) | トラックバック
April 18, 2005
解決法
「こんなに悩むくらいなら、いっそ時間をとめたい(死にたい)!」と昨日まで、まるで「年金問題を解消するには、年金制度を廃止してしまえばいい!」みたいなラディカルな自由主義者みたいなことを言っていたわけですが、今はとても爽やかです。
結局、答えを決めるのを先延ばししました。
断るわけじゃなくて、今必要なものはとりあえずこなす。
あきらめること、断念することは最後の最後でできるものだから。
選択肢は多いほうがいい。
問題の先延ばし。
年金と一緒かよ、という話ですがそれもまた一計ですね。
先延ばしし続けることが理想。
何の決断もしないでうやむやに時流に飲み込まれてゆくという。
年金じゃまずいですけど、
個人の問題なんで大丈夫そうです。
どうやら僕に将来の年金制度の設計などを任せないほうが良さそうです。
みなさん、気をつけて下さい。
投稿者 POE : 10:56 EM | コメント (0) | トラックバック
レシートについて。
感熱紙の耐用年数は十年前後程度と言われている。保存状態が悪ければ、数年ですっかりと印字があせてしまうことも多い。ワープロ時代こそ、そこかしこで感熱紙を目にすることが出来たが、最近はパソコンとプリンターの普及によってあまりお目にかかれなくなった。と、思っていたら間違いである。僕たちは普段、誰でも一日に数回はこの感熱紙を手に取り、目にし、肌で感じている。もしかしたら匂いを嗅ぐ人もいるかも知れない。レシートである。
レシートは感熱紙に印刷されることが多いのである。この事実は実は驚くべきことではないだろうか。ぼくたちは普段「ああ、感熱紙だな」とさえ思いもせずに、レシートを受け取りがちである。しかし、財布にレシートをむげに突っ込んでしまう前に考えてみてほしい。感熱紙に印刷された「レシートはやがて消えてしまう」という衝撃の事実を。
もちろん、紙時代が分解されるまでにはさらに数百年を要するのだろうが、印字が消えてしまうということは、もはやそれはレシートではない。ただのかつてレシートだった感熱紙もどきである。
「確定申告まで保存しておけばすむのだから、レシートは一年以上保存する意義などない」という話ではない。もっと心情的で感動的で衝動的な次元での話である。ものを買ったときに、その証拠として渡されるレシートというものが、この社会から消滅してしまうということだ。しかも、感熱紙を使うのなら消えるという点は前提として自明のことだから、消滅ではなく抹殺と言い換えてもよいのかも知れない。笑顔の店は、このレシートがやがて消えてしまうことを知っているのである。やがて消えてしまうものを、ものを買った証として僕たちに手渡しているのである。
そしてレシートに重ね合わせて見えてくるのは、やはり永久ではない商品のはかなさでもある。そもそもバナナチョコなら数分で消費されてしまうのだから、レシートの耐用年数の十年という期間はバナナチョコにとっては永遠にも見えるのかも知れない。しかし、バナナチョコの問題ではない。バナナチョコを買ったという証さえも消えてしまうのだ。そのとき誰がぼくがバナナチョコを買ったということを認めてくれるのだろうか。
だからこれからは、レシートを見たときに少しだけを思いを馳せてみてはどうだろうか。やがて消えてゆく文字と、社会的に抹殺されてしまうレシートのはかなさを。褪せた感熱紙の侘しさを。機械的であったはずのかつての感熱紙の面影と、セピア色という人間的な温かみ(これもやはり過ぎ去ったものとしての、だが)を同時に併せ持った寂寥感は壮絶でさえもあろう。
++++++++++++++++++++++++++++++++++
どうしよう、ほかに考えるべきことはたくさんあるのに。
レシートじゃなくて、もっと・・・・
逃げてばっかだ。
とりあえず、寝ちゃったりね。
おきたら別の朝を迎えているほんのわずかな可能性に賭けてみたり。
世界がまるで変わってしまうことを願ってみたり。
自分を主語として考えたとき、
誰も傷つけない選択肢が、
世界の終わりや
世界のねじれだなんて
欺瞞も妄想もいいところだというのはわかってるんだけど。
++++++++++++++++++++++++++++++++++
やさしい風がいたぶる
幸せな傷口
あまい未来をつんざく
いとしい季節
茜を渡る空の粒に
残した言葉は
鉛色の季節を
越えられたのだろうか
かなしい声がささやく
あいまいなはけ口
つらい未来を引き止める
素直な答え
孤独をつなぐ人の縫目
ほつれた明日を
結び直す指さえ
失くしたままでいた
指先が
ただ少し触れただけで
悲しみが
ただ少しぶれただけで
壊れてしまうほどの夢ならば
いっそなければ良かったのかな
夢見たことを幸せと呼ぶ人もあるけれど
夢の後にはささくればかり目立つ
やさしい風がいたぶる
幸せな傷口
投稿者 POE : 11:49 FM | コメント (0) | トラックバック
April 17, 2005
ドラえもん
保守主義や復古主義者の気持ちがわからないでもなくなっちゃうよ。
声優も絵柄もまるで変わったドラえもん。テンションもテンポも、何もかも違う。
まるで悪い夢を見ているようだ。来週になれば、すべてが元通りになっているような気さえする。
もちろん、先月までのドラえもんと今月からのドラえもんの、どちらが良いとかいう話でもない。事実、声はともかく先月までのドラえもんの話や構成のレベルは高いとはいえなかった。どうせ、今度の声もやがて慣れてしまう日がくる。だけど、なんだよなあ。
理性ではわかる。
でも、感覚ではわからない。
慣れ親しんだものを、簡単に手放せるほど強くない。
受け入れるには、強さがいる。
仕方ないんだろうけどね。
寿命は耐用年数のないものはない。
時流には相応しいものがある。
ビデオやDVDの膨大なストックがある。
それを見て、いくらでも想いは紛らすことができる。
ということで、
こうしてドラえもんファンも譲歩して頑張っているので、
復古主義の人も、適当に雑誌でも読んで
自分を慰めていて欲しいです。
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くずれそうな指先
こぼれそうな約束
それを守る
頼りない言葉
信じることに必要なのは
強さなのか
鈍さなのか
それともただの
優しさなのか
だけどどれひとつとして
足りない今日は
あの日を思い出して
振り返ることしかできない
約束より前の日に
培えた気持ちを
よるべにするしかできない
こころは消えそうで
明日までもたなくても
明日は訪れてしまうのものだから
投稿者 POE : 01:30 EM | コメント (0) | トラックバック
April 16, 2005
方策として。
時の流れを止めるただ一つの方法は
時の流れを降りてしまうこと
++++++++++++++++++++++++++++++++++++
水底に浮かんでいた笑顔を
ひとつひとつ絞めるように
水泡が揺れる月を乱してゆく
ただ背中合わせに
話を続けていた僕たちは
別れる時にも
何も見せずに離れてゆける
まるで出会ったことさえも
間違いだったというように
そのまま足を踏み出してゆける
空は虹
風を越えて
街は滲み
空は破れた
うまくは語れなくなった
きらめく未来の海の話
素朴な日常のことばかり
明日へと積み重なってゆく
それでも今も
振り切れない
明日がある
届かぬ夢の眩しさが
まやかしだったとしても
それを確かめることができるのは
夢に届いた人だけだから
まやかしだと嘲りながら
まやかしかどうかもわからずに生きるのは
夢に届かなかった人だから
測れはしない
幸せの重みや痛み
錆び付いたドアの向こうに
何があったのなんて
ある日思い出すかもわからない
たとえドアの向こうに
何もなくても
ある日悔やみだすかも知れない
たとえドアの向こうに
終わりが広がっていても
広がるばかりの傷口
それを防ぐ唯一の答えが
終わりなのかも知れない
雲のように
薄れてゆけない
月のように
流れてゆけない
いるかいないか
覚えているか忘れてしまうか
現実的な答えが
現実には溢れている
入り混じっている奇跡さえも
いるかいないかの前では同じ
空のように
広がってゆけない
ただ1か2を知らせる
狼煙のように
投稿者 POE : 09:28 EM | コメント (0) | トラックバック
April 15, 2005
今週
今週は色々あって、楽しかった。
色んな授業を受けて、悩んだり、迷ったり。
もう全部いい思い出です。
はじまりの日々は新鮮で。
なのにやがて日常性の壁に囲まれて。
だから延々と今週をやり続けていたい。
投稿者 POE : 12:34 FM | コメント (0) | トラックバック
April 14, 2005
旅
帰れる場所があるやつほど
旅立つことに不器用で
それでもしきりに
旅の支度ばかりを続けている
帰る場所さえないやつは
旅をすることに疲れ果て
それでも留まることを
知らずに彷徨いやめない
季節がまた終わるなんて
冬を怯えていた誰が信じられるだろう
どこにもない永遠を探して
延々と廻ってゆく歳月は
まるで寄る辺のない旅人
帰る場所と
帰れない場所を
うまく使い分けて
寂しさと強ささえ
うまく演じ分けるのは
時流を泳ぐ人々
千切れてしまったさよならを
どうにか引き止めるように
微笑みをまた
旅に紛れ込ませてみる
投稿者 POE : 01:13 FM | コメント (27) | トラックバック
April 13, 2005
岐路
いやあ、岐路ですよ!岐路!
迷う!本当に迷う!
いいのか!本当に!
++++++++++++++++++++++++++
歩んでゆく場所には
道があるのだと
信じて疑ったことはなかった
分かれ道には
いつでも標識があって
やさしく未来を教えてくれるのだと
信じて歩き続けていた
どんな秤を探しても
どんな度量衡を駆使しても
うまくわかりそうにはない
たとえばこの道が薄れてゆく日に泣くのと
今すぐこの道を降りて 戸惑うことはどちらがいいのか
誰もが欲しがるものを嫌う時代なら
誰もが目にも止めないものは好かれ得るのか
ほどけてゆくのは
硬かった夢だけじゃない
投稿者 POE : 01:28 FM | コメント (1) | トラックバック
April 09, 2005
まぶしさ
笑うべき場所で笑えていたなら
つくべき嘘をついていられたなら
風景はどれほどのはやさで
流れて往くことが出来たのだろう
曖昧な微笑みで
つなぐだけの空気に
いつのまにか
飲まれきってしまっている
寂しさを
わずらわす
昨日の嘘と
空しさを
続かせる
今日の真実
どちらかを決めてしまえば
良かったのにと
今はうまくも笑えない
見なれた空に
突き放されて
遠く青だけが伸びてゆく
はしゃぐ子供が過ぎる
桜色が空間を遡る
光線がまぶしい
投稿者 POE : 04:46 EM | コメント (0) | トラックバック
April 07, 2005
茶色という色は存在しない
物理現象として茶色という光線は存在しない。
スペクトル光からみれば、茶色は黄色ということになる。
ではどのようなスペクトルが茶色を作り出すかといえば、
黄色が多いがそれはあらかじめ決まっているわけではない。
つまり、茶色を作り出すのは
僕たちの視覚野らしい。
(参考文献;「知覚と生活世界」村田純一,1995)
というわけで、「茶髪禁止」というのは
少なくとも科学的、還元学的態度にはなりえない。
そして髪を染めるなっていう発想は、
差別を肯定している可能性がある。
生まれたままの姿を受け入れろってことでしょ。
それは貧乏に生まれたら貧乏でいろ、
田舎に生まれたら、田舎にいろっていう
前近代の発想方法じゃない?
個人ではどう思おうが勝手だけど、
たとえば公立の学校でそれは許されることなのか。
といういちゃもんを、色々考えてました。
昨日、夢で中学教師と喧嘩したんです。
今日、夢の続きがあったら少し困らせてやります。
投稿者 POE : 01:32 FM | コメント (0) | トラックバック
April 06, 2005
今やりたいこと
オフィスアワー巡り。
http://vu2.sfc.keio.ac.jp/course/view/kenkyukai.cgi
便利な一覧も出来たことだし。
まあ正確には在室・意欲確認だけどね。在室率はどれくらいだろう。
投稿者 POE : 11:07 EM | コメント (0) | トラックバック
アレンジくらい
マンション。集合住宅。
同じ間取りが組み合わさっただけの建造物が、
何百、何千もの人生を抱えている。
最近じゃ、間取りを選べたり、自分でアレンジ程度はできるマンションも
多いと聞くけれど、所詮その程度。
それは一戸建てでも同じこと。
同じような家が、果てしなく地続きで広がっている。
地下に住む人や、洞穴型の家に住む人は
あまり最近は見かけない。
それは街も同じこと。
横浜も新宿も大宮も神戸も、
都市や地名はもう規模とパターンの組み合わせ順の
違いくらいしか意味を持たない。
そして、どんな郊外まで車を走らせても、
そこに見える風景はピースの組み合わせ。
ヤマダ電機、ジャスコ、マクドナルド、片側2車線の国道.....
ならば、そこに生きる人も同じこと。
色々な人の、色々な人生というけど、
うわべのアレンジや種類の違うだけの器に
ほとんどの人が例外なくはまることが出来る。
もう「特別」や「固有」や「らしさ」を叫ぶことに、
どれほどの意味もないのかも知れない。
なのに、だからこそ、
特別や、格差や、個性という言葉が
こんなにも氾濫しているのかな。
投稿者 POE : 02:10 EM | コメント (0) | トラックバック
April 05, 2005
二隻(そう)の舟
最近、ずっと聞いている歌があります。
中島みゆきの二隻の舟。
はたちが中島みゆきってどうなの?って感じもするけど、まあいい。
で、この歌はCDでは2バージョン出ているのだけど、
その他に10パターンぐらいある。
夜会という歌の劇みたいなものをしていて、それがもう十年以上続いてるのだけど、二隻の舟はそのテーマソングになっているんです。
というわけで毎年、バージョンを変えて歌われるわけなのだけど、
この歌が好きな人間としては全部聞きたいところ。
DVD一枚8000円くらい。
どうしよう。集めちゃおうかな。
他に買うべきものがあった気がするけど、どうしようかな。
(もう半分くらいは買っちゃったんだけど。)
でも、二隻の舟、本当にいいんです!
とりあえず歌詞だけ。
投稿者 POE : 01:23 FM | コメント (0) | トラックバック
April 03, 2005
もうすぐまもなく
「新入生の方ですか?」と聞かれたので「はい!」って答えようとしたのに
その前に「違いますよね」って言われてしまった。
別に夢くらい見せてくれてもいいじゃん。。。
3年生で、二十歳だなんて少しくらい忘れてみたいよ。
新学期!はじまってしまえば、はじまってしまったで楽しいんです。
でもそれが今度こそ終わってしまうのが怖い。新学期。
+
今日は、現実逃避しかしなかった。
ほとんど見る人もないサイトのデザインを変えて見たり、むかしのゲームをしてみたり。
でも、むなしさが消えるわけじゃない。
焦燥はつのるばかり。
投稿者 POE : 09:30 EM | コメント (2) | トラックバック
April 02, 2005
REVIEWを見て思ったこと
SFC REVIEWいわく去年のSFCは改革の年だったそうです。
一年間学校に通っていたくせにそんなことには全然気が付きませんでした。
+
SFCは実験するキャンパスを自称します。SFCは走り続けるとも言います。走りながら実験すること。それは普通、迷走と呼ばれます。SFCは迷走するキャンパスだと自ら名乗っているようなものです。すごい!
でも、迷走は悪いことではありません。共通規範も道徳も未来も滲んだ時代において、正しさや名誉や輝きなんて、過去は担保してくれない以上、迷走が実は正しかったなんてことが有り得ます。
だけど、実験というのは「わあ!赤い水が出来た!」と喜ぶためにするものじゃありません。赤い水が出来た、それが未来をどう変えうるのか、おいしいのか、飲めるのか、危険じゃないのか、意味はあるのか。実験結果にたいする考察こそが大事なはずです。
去年、色々な「改革」がキャンパスで起こっていたことにも気付かない不肖の学生のたわごとですが、SFCには内からの批判が足りない気がします。外からの批判は少なくないにも関わらず。外からの批判に対して、内で誉めあって悦にはいりあうことは、違う気がします。
好きだからこそ、嫌いな点も言う。それってすごく大事だと思う。国と違って容易く逸脱可能だし、自分で選んでここにいるわけだけど、それでも、だからこそ不満は拾われていくべきじゃないかな。
REVIEWということばの含意には「批判」や「評価」もあるのだから、ただの「レポート」で終わらせて欲しくないな。
と、SFC REVIEWが好きだから思ってしまいます(本棚に立て掛けるくらい好き)。
学校(学生)の予算で行われていることを考えると難しいのかも知れないけれど、批判や評価もまた実験の一部である以上、その部分の役割を担うものが保障されるべきだと感じます。
学生側の授業評価や個人のブログや、学校側の調査書や評価書はあるのだろうけど、それを束ねたり形にしたりする役割を期待するのは、期待のし過ぎでしょうか。
でも、ひとつの雑誌で立場を重複させてしまうことは難しいのかな。外からの中傷とも、内からの(自己)満足とも違うSFC批判雑誌みたいなものはないのかなあ。ありそうだけどね。めちゃくちゃ嫌われてんのかな。
++++++++++++++++++++++++
明るくなってゆく街に
揺れていた夜の面影は
誰かの名のもとで
今も終わらない悲しみを
紡いでいるのだろうか
南へと沈んでいった
馴染みの風のように
縦横無尽に海を往けたのならばと
心ならずも願ってしまう
滲んだ行く先表示には
意味のない文字が並ぶ
停車場もないこの列車を
誰が見送るというの
冷めた空には
子供が浮かぶ
戻る頃に
同じ言葉を聞かせてほしいと
先立つ不幸を引き受けて
幾度もひとは交換・補充されていった
海峡に響く転轍機の音
波へと広がる振動の余韻
戻ることも降りることもない旅は
今日もただ海を往くばかり
滲んだ行く先表示には
意味のない文字が並ぶ
どんな乗客も
それを見ることは出来ない