社会ヴィジョンの変容と世代の多様化
 
序論
1. 20世紀の「拡大」ヴィジョン
-1 拡大ヴィジョン実現への5つのモメンタム
  -2 時代の変化と拡大ヴィジョンの変遷
  -3 今後の拡大ヴィジョンへの期待
2 カルチャー・コーホートと社会ヴィジョン
  -1 カルチャー・コーホートの構成
  -2 年代別の生活=文化情報の解釈
-3 カルチャー・コーホート(C・C)別の期待と関心
3. 21世紀の「創出」ヴィジョン
  -1 「創出」という社会ヴィジョンへの期待
  -2 創出ヴィジョン実現への5つの社会的モメンタム
2−2年代別の生活=文化情報の解釈

ここでは、戦後から今日まで、どのような生活状況にあったかを、年代別に考察する。これは、個別のC・Cを解釈するさいに大きな制約条件となるものである。

(1)1945ー1954;貧しさの生活と自由化の実感
この時代に特徴的なことは、つぎの3点である。

1>絶対的な貧しさのリアリティ
この時代を生きた人は、誰でも、「生活の貧しさ」を身体感覚として実感させられた。この時代に誕生した赤子でさえ、言葉以上に身体として、欠乏していることの意味を体得したはずである。それほど、この時代の特徴は、後の時代と比較においてはもちろんのこと、絶対的な意味においても、貧しさを実感した時代である。であるから、この時代を共有する世代にとっては、その後の時代を生きる場合でも、ここでの経験はぬぐい去れない大きな痕跡として残るはずである。

2>自由化の期待とその実現
軍事的な拡大の夢は敗戦によって挫折し、その挫折が絶対的な貧しさのリアリティとして、生活実感をおおったのであるが、この時代は、その挫折から立ち直る為の時間でもあり、次の時代の拡大ヴィジョンを招くための準備の時代でもあった。この時代は、貧しさのなかに埋もれることなく、貧しさから積極的に離脱するための行動が活発に実行された時代でもあった。過去のざまざまな規制が緩和され(統制撤廃)、新しい社会を迎えるために、多くの自由化の気分のなかで、人々は、活発に自己の能力を発揮しようとした時代であった。

3>ヒーローと自信の回復
この新しい夢をみるには、過去を清算してくれるヒーローが不可欠であった。できれば、それが日本の中だけはなく、世界に通じる何かが必要であった。古橋の世界新、湯川秀樹のノーベル賞受賞そして白井義男の世界チャンピオンは、その意味で重要であったし、さらに力道山が与えた影響力は絶大であったといえよう。とくに、力道山が街頭テレビという新しいメディアとともに登場してきたことは、重要な意味をもつ。

(2)1955ー1964;アメリカ文化への憧れと普通の生活の普及

この時代に特徴的なことは、つぎの3点である。

1>アメリカ文化への憧れ
アメリカが、この時代になると、文化・生活のレベルでの理想的なモデル(距離がありすぎて、憧れるだけで、眺めるだけのモデル)として、大きな魅力をもって認知されるようになった。前の時代が、敗戦と占領という時代における政治的・軍事的に強いアメリカであったのにたいして、この時代には、アメリカの生活様式が、まぶしいまでに魅力的なものとして、とくにテレビという新しいメディアを通して、ストレートに家庭に浸透してきた。テレビの時代の到来は、そのままアメリカン・ウェイ・オブ・ライフへの憧れが喚起された時代であった。あんな明るい楽しい生活がしたい、これがこの時代の気分(憧れ)である。

2>普通の生活の普及
戦後が終わったと発言されたように、戦後の軍事的拡大の挫折を拭う時代から、新しい経済的な発展を期待する状況への変化の兆しがここになってみえてきた。それが、みんなが秩序ある普通の生活をなんとか送れるまでになった、という実感である。3種の神器が普及し、どの家庭でも、そこそこの生活水準が確保できて、将来の生活への明るい見通しがみえ、経済的な豊かさの獲得に強いドライブがかかり、憧れのアメリカのミドルクラスを目的に、夫は仕事に励み、妻はきれいな家庭の形成に向けてしっかりものになり、子供は勉強に頑張る、という核家族のパターンの理想化がおこる。核家族が普通の生活を維持する家族形態として支持されるようになった。

3>マス化への共感
マスは、大量というものの意味でも、また大衆というひとの意味でも、その両方を含むものとして、この時代を表現する重要なキーワードになった。みんなが同じ物を同じように所有し、同じような考えを共有し、それで、新しい生活が始まったと感じたのがこの時代である。3種の神器がそうであるし、都市化が浸透しはじめ、都市的なライフスタイルにすべての生活が収斂しはじめ、そのなかで「追いつけ、追い越せに邁進する日本人」というナショナル・アイデンティティも形成され、すべての国民が経済的な拡大に無心に向かっていった。東京オリンピックは、その頂点にたったナショナル・イベントであった。

(3)1965ー1974;若者の発見と生活視野の多様化

この時代を特徴づけるものは、つぎの3点である。

1>若者の発見
この時代は、経済的な拡大のヴィジョンにかげりがみえはじめ、多くのカウンター・カルチャーが登場する時代である。その最大の文化が、若者文化である。この時代になると、若者が自己の「若者としての正当性」と求めて、社会に大きな反抗を開始する。大学紛争とかべ平連という政治的な発言ばかりでなく、新しい文化の発信者としての地位を獲得しようと多くの若者文化が社会的な影響力を発揮し始める。ビートルズへの熱狂、アイビールックといったファッションへの支持、マンガを読むことへの正当化、ヒッピーへの共感など、いままでの社会・生活現象には考えられなかった現象が若者を中心に登場してきた。ここには、若者は子供から大人へと成長するための通過点にすぎない、という従来の考えを書き換える主張がみられた。

2>生活視野の多様化
すべてが「追いつけ、追い越せ」で頑張っていたことへの、疑問が噴出しはじめるのがこの時期である。消費者運動・住民運動・ウーマンリブ・環境保護・自然保護など、多くの社会運動がいろいろの方面から発生し、大きな社会的な影響力を発揮し始める。公害に象徴される経済的拡大ヴィジョンの負の現実に直面して、いままでの生活のスタイルそのものへの疑問が、拡大ヴィジョンに最大の貢献をした組織人(夫・父親)をのぞいたすべての社会層から、さまざまな形で不満の声があがってきた。ここには、経済的拡大のヴィジョンを支えた生活スタイルを根本から変革する声が、社会的弱者の立場から唱えられ、日本的な真面目な核家族生活を自明としてきた考えに変更が加えられる時期にきたことを意味しよう。生活のスタイルはもっと多様なのだ、という認識が芽生えた。

3>豊かさの意味の分裂
「モーレツからビューティフルへ」「気軽にいこうよ、のんびりいこうよ」のコピーが流行したように、ここには豊かさの意味を問いかける兆しが出始めた。そもそも豊かさそのものが多様な表現をもつものだとしたら、やっと豊かさが現実的なものになってきた、といえよう。しかし高度な経済成長にかげりがみえ、オイルショックにいたる過程で、人々は、新しい豊かさの意味を、メディアからのメッセージ(企業CM)として受けとめ、気分として共感を示すにすぎなかった。しかし現実には、列島改造論への期待にみられるように、組織人のレベルでは、相変わらず拡大のヴィジョンの枠から社会の主導権を実行することに、大きな期待がかけられていたことも事実である。

(4)1975ー1984;都市の快楽と所有の快感

この時代の特徴は、つぎの3点にある。

1>都市の感受性
都市化の進展によって、都市のライフスタイルがすべての人にとって標準のライフスタイルになっていくことに平行して、モデルである都市・東京は、政治・経済の中心地であるばかりか、日々ダイナミックに変容するカルチャー。シーンとして重要になり、そのことで若者の都市としての特色を強めていく。ここでは、東京にシンボライズされる都市は、人々の快楽をすべて飲み込むメディアとしての都市環境であり、新しい豊かさを表現する場としての意味をもつようになっていた。カタログ文化(タウン誌)にとりあげられる東京を走るカーライフの幻想は、東京の快楽そのもののイメージであった。

2>財所有の快感
経済的な拡大の時期が、まずは貯めることに力点がおかれたのにたいして、この時期になると、生活財として所有することに、強調点が置かれ始めた。自家用車の所有は、ここでの重要なシンボルである。またメディア関連の財、カラーテレビから始まり、ステレオ・システムコンポ・ビデオ・ポケットカメラ・ワープロといったメディアがところ狭しと家庭に所有されていった。人々は、このような財を所有することに快感を覚え、消費する人になることに過去の憧れの実現をみたのであった。これが幸福(豊かさ)だ、と実感できる何かが、そこにはあった。

3>核家族の後退
しかしその豊かさの快感に酔いながら、一方では、いままでのような核家族が普遍の家族のモデルだ、という認識が徐々に崩れつつあったこともこの時期の特徴である。しかもそれが女性からの 新しいライフスタイルとして、あたかも自明のことのように提示されはじめた。結婚しない女、仕事に生き甲斐を求める女性、専業主婦であることへの不安と不満、さまざまなところから、女の既存の生き方への否定と、そこからの離脱が過去のような男との対立なしに、あっさりと実行されるようになった。あきらかに核家族の理想は、ひとつの理想(男性の理想)にすぎないことが証明されはじめた。

(5)1985ー1994;家庭のメディア環境化とバブルの豊かさの享受

この時期を特徴づけるものは、つぎの3点である。

1>メディア環境(アンビエンス)の生活化
ファミコンが家庭に浸透してから、家電ではなく、新しいメディア環境が生活の中に浸透しはじめた。テレビもCATVとつながり、電話も携帯電話・親子電話のように移動性をもったメディアになり、ステレオといった言葉は死語化し、ウォークマンもテープからCDへと、携帯するメディアが標準になった。ざまざな情報機器がつながりはじめ、さらにはパソコンを介してネットワーク化されるメディア環境の基盤もはじめてつくられ始めた。そこでは、メディア・キッズが家庭の中で重要な役割をもつようになった。ここには、いままでにない新しい子供たちが育ちつつあった。

2>バブルの豊かさ(アバンダンス)の享受
バブルの時期に、豊かさは使うことだ、ということを実践してみせたのが、若い女性たちである。世界の一流のものを買いあさり、世界の一番といわれる場所を観光してまわり、いいものを身体感覚で体得してきたのが彼女たちである。彼女たちは、おとなたちのルールを無視して、みずからの欲望にしたがって、さまざまな経験をつんできた。ここには、はじめて豊かさは表現することなのだ、ということを実感できる世代が登場してきた。バブルの狂乱のなかで、その狂乱を素直に享受してきた世代がいたことは、バブルの残した貴重な遺産である。

3>とまどうミドル
最後は、自らのアイデンティティの源泉である会社から、リストラという厳しい風にさらされ、新たな出発を迫られるミドルのライフスタイルへの固執と変容が重要であろう。家庭にあっても、会社にあっても、新しい適応が迫られ、とまどうミドルがここでのもうひとつの顔である。社会をリードするはずだったのに、その必要性の根拠が問われる事態におかれて、ミドルは悩みつづける。核家族と大企業を支えてきたミドルには、家庭と会社の変化は、あまりのも勝手な裏切りにうつるであろう。バブルの狂乱は、ミドルが夢見れた最後のものであったのだろう。


(6)1995ー2014;アンビエンスとアバンダンスへの期待

情報化の拡大ヴィジョンの時代に期待される生活の特徴は、「アンビエンス」というメディア環境と「アンビエンス」という豊かさの問題にある。
情報化が社会を圧倒的なパワーで浸透する過程で、その影響力は生活状況にも及び、さまざまな変容がみられよう。それを、ここでは、「アンビエンス」という言葉で表現しておく。すでにその兆候はファミコンの登場あたりから現れているが、その傾向はここ10年間で一気にすすみ、家庭生活に大きな変化がもたらされよう。それは、仕事と余暇、親子関係、男と女の役割関係、経済的な扶養、家庭内の意志決定、など、いままでの家族にあって自明(制約)であったさまざまな関係が、情報化のよって、根本から問い直される可能性がでてこよう。単なるメディア環境が家庭に入るという以上に、そのメディア環境にあることで、既存の家庭内の関係が変化せざるをえないのである。家族のありかたが、その新しいメディア環境での関係のありかたによって、大きく多様化することは、十分に予感されるところである。
もうひとつの特徴は、「アバンダンス」という豊かさの問題である。これは、21世紀に期待される新しい社会ヴィジョンの形成に大きな影響力をもつと予感されるものである。すでに拡大ヴィジョンに相当する生活上の期待や関心は、ミドルに保有され維持されるだけで、新しい世代にはすでに時代遅れの生活期待にすぎない。より若い世代は、バブルで経験した豊かさを含めて、この新しい情報化の時代にあって、新しい豊かさの意味を追求しようとする。しかしその追求の仕方は、かつてのバブル期での行動と違って、情報化の影響をうけたところで発生する豊かさの表現である。それは、ジェンダーの視点と仕事と余暇の変容の視点から予感される豊かさの表現であろう。
このような情報化に直接は関連しないで、しかし新しい社会の到来に大きな影響力をもつのが高齢化である。この問題は、いままでのライフスタイルと維持しながら、にもかかわらず高齢化によって、必然的にそのスタイルの変更を迫られる社会層がおおきな勢力をして存在することを意味する。

この問題は、現状のままの延長でいけば、社会の不安要因になるものであり、豊かさの社会的な実現も、新しいメディア環境への適応にも、大きな障害となるだけであろう。問題は、高齢化をいかに、豊かさと情報環境に適応させるか、である。この観点から高齢化を政策提案しないかぎり、新しい社会の到来は危機に陥るであろう。その意味で、高齢化は非常に重要な社会的テーマである。