社会ヴィジョンの変容と世代の多様化
 
序論
1. 20世紀の「拡大」ヴィジョン
-1 拡大ヴィジョン実現への5つのモメンタム
  -2 時代の変化と拡大ヴィジョンの変遷
  -3 今後の拡大ヴィジョンへの期待
2 カルチャー・コーホートと社会ヴィジョン
  -1 カルチャー・コーホートの構成
  -2 年代別の生活=文化情報の解釈
-3 カルチャー・コーホート(C・C)別の期待と関心
3. 21世紀の「創出」ヴィジョン
  -1 「創出」という社会ヴィジョンへの期待
  -2 創出ヴィジョン実現への5つの社会的モメンタム
3−1「創出」という社会ヴィジョンへの期待

21世紀に期待される社会ヴィジョンを「創出」と呼ぶ。拡大のヴィジョンが、「みんな、同じように、豊かさを獲得しよう」という貧しさからの離脱を価値としたのにたいして、新しいヴィジョンは、「みんな、それぞれの豊かさの意味を享受しよう」という豊かさの表出を価値とする。ここには「まじめに、むだなく、がまんして、おおきく」というモダンの発想はなく、「たのしく、ゆとりをもって、いまをいきて、じぶんらしく」という新しい生き方の発想がみられる。拡大のヴィジョンが、自己の手段化(道具化)による自己の超越と社会(国家=ナショナリズム)への貢献という姿勢を強くみせるのにたいして、この創出ヴィジョンは、自己充足とその充足のありかたを多様な方法で表現しようとする姿勢を明確にもつ。
豊かさは、獲得することに目的が設定されているかぎり、経済的な豊かさのようなスケールではかられる豊かさにすぎない。だから、どこまでも豊かさの追求がおこなわれ、満足することがなく、無限の拡大のなかで豊かさを競うことになってしまうのである。いままでの豊かさは、この意味での豊かさにすぎなかった。しかしそのような豊かさを、目的ー手段の関係で生きた世代ではなく、うまれながらの環境として受容した世代になると、豊かさは獲得するものではなく、その環境のなかで自己の豊かさとして享受するものになる。どんなに稚拙であっても、どんなに高度に専門的であっても、その豊かさの表現において、どちらも創造的なのである。
豊かさは、そこで獲得している豊かさが多いほど、さらなる獲得への価値は低下しよう。拡大のプロセスが、軍事的な拡大から、経済(所得)的そして金融資産的、さらに情報的な拡大を経験し、豊かさをより多く獲得するほど、豊かさの獲得への価値はあきらかに逓減しよう。豊かさの実現は、さらなる無限の獲得プロセスよりも、そろそろ安定し成熟した豊かさを享受する方向へと舵を取るのである。それが創出のヴィジョンである。
さらに情報化が、単に拡大のヴィジョンを実現する以上に、拡大ヴィジョンを支える社会システムを崩壊に導くものである時、拡大のヴィジョンはその勢力を足下からすくわれ、それに代わって、新しい創出のヴィジョンが勢力をもつのである。しかも創出のヴィジョンは、新しい社会システムに強く共振する関係にある。自立分散的であると同時にネットワーク的である社会は、創出のヴィジョンを実現する社会システムにふさわしい社会である。
21世紀は、あきらかに新しい歴史をつくる時代である。いままでの延長戦では描けないまったく質の異なった社会への突入が予感される時代である。その時代に期待されるヴィジョンは、拡大ヴィジョンとは違った「創出」のヴィジョンであり、そのヴィジョンへの期待が新しい情報化によって誘導される新しい社会システムの実現を実行可能にするのである。