羊をめぐる冒険をめぐる解釈
僕=村上書樹のモダニティをめぐるシンボリック・アナリシス
 
1. 登場人物紹介
2 登場人物のおりなす関係
  -1 僕をめぐる性的な関係:排他性と完結性
  -2 僕をめぐる男友達(=青春)の関係:共存性と曖昧性
-3 羊をめぐる権力:“ゲーム”と“物語”
  -4 羊をめぐる交霊者の悲劇:権力と弱者
  -5 メディアとしての<物語環境>
  -6 コミュニタス・トラッドの世界
-7 ロンリークラウドの世界
  -8 とまどうハッピー・クエスターズの世界
  -9 メディアとしてのゲーム環境
3. 構造分析
2ー1《関係1》僕をめぐる性的な関係

排他性と完結性


物語のプロローグでは、僕をめぐる性的な関係が語られている。女性との身体的な間というもっとも<濃厚でリアル>な関係が告白されている。それゆえに、この関係は<排他的>にならざるをえず、ある女性との関係が維持されるがぎリ、他の女性との関係は成立しない、という原理がみられる。その結果、最初は『誰とでも寝る女の子』との間係が語られ、つぎに彼女の死とオーバーラップして『離婚した妻』とのセックスが暴露され、最後には離婚を契機にして『耳のモデル』との性的関係が成立する、という時間的な経過のなかで排他性の克服が成立するようになっている。

さらにこの3人との関係は、僕との関係ではすべて終焉を迎えている。死と離婚と逃走という形態の違いはあっても、僕と女性の<性と愛の関係>は明確な終りを示している。ここでは性的関係の始まりと終りが明示されており、この関係が<完結>したものであることを示唆している。

男と女の<性と愛>をめぐる関係には、(近代的)所有する観念が強く浸透せざるをえない。『所有』は排他的で完結的な関係を強要するものである。男がある女を愛した(=その女性を所有する)ならば、彼は他のいかなる女性をも愛すことはタブー(ルール違反)であリ、また他のいがなる男もその女性を愛すことはタブーである。そして愛が崩壊すれば、また新たな所有をめぐるゲームが展開されるのである。


『ノルウェイの森』では所有から距離をとった純愛が語られます。
だからこそ、性的関係は歪んでいますし、排他的でもありません。
ワタナベ君は、直子さんと緑さんとレイコさんとセックスします。
『羊をめぐる冒険』よりも、ラディ力ルな関係に移行しています。
希薄で虚構的で曖昧な共存できる、男と女の性的関係がみえます。