羊をめぐる冒険をめぐる解釈
僕=村上書樹のモダニティをめぐるシンボリック・アナリシス
 
1. 登場人物紹介
2 登場人物のおりなす関係
  -1 僕をめぐる性的な関係:排他性と完結性
  -2 僕をめぐる男友達(=青春)の関係:共存性と曖昧性
-3 羊をめぐる権力:“ゲーム”と“物語”
  -4 羊をめぐる交霊者の悲劇:権力と弱者
  -5 メディアとしての<物語環境>
  -6 コミュニタス・トラッドの世界
-7 ロンリークラウドの世界
  -8 とまどうハッピー・クエスターズの世界
  -9 メディアとしてのゲーム環境
3. 構造分析
2ー3《関係3》羊をめぐる権力

“ゲーム”と“物語”

この冒険の最大のテーマは、黒服の男と僕のゲームである。この冒険では、僕は黒服の男とのゲームに勝ったのか、負けたのが、が一つのテーマである。そして、僕は勝った。


僕は黒服の男にたいして弱者である。僕は黒服の男によって否定なしに羊探しの冒険に出発させられ、羊を探し当てるところまで黒服の男に操られていた点で、最終局面まで彼の誘導策に翻弄されており、このかぎりでは僕はまさに弱者そのものである。だがら権力ゲームである。黒服の男は、「もしも私の言うことを聞かないと、君の命はどうなるか分からないよ」と言うだけで、僕を思いどうりに操作する権力者である。

しかし最後の場面で、僕が黒服の男の策略の意図を理解しえた時、幸運(不運?)にも(羊<最高の権力者>である鼠<典型的な弱者>が、羊を殺すために自殺をする)、どんでんがえしが起こる。その結果、黒服の男は念願の羊を獲得することなく、しかも鼠(&僕)によって殺されてしまうのにたいして、僕ほ黒服の男から高額の小切手を獲得し、またゲーム中に預けておいた猫の“いわし”を丸々と太らせてもらって返して貰う。僕は、鼠の支援を受けて権力ゲームの勝者になる。

弱者が強者に勝つ、という僕の権力ゲームでの幸運が発生した瞬間から、この権力ゲームは反権力物語に転換する。つまり確率として黒服の男が簡単に勝つはずの権力ゲームから、<最後は、善なる弱者が勝利すべきだ>という反権力物語への移行が行われる。だからこそ、それは基本的には冒険ゲームではなく、冒険物語なのである。さらに弱者が勝利するには、それなりの代償が必要であり、それが友人の鼠を永遠に失うという僕の青春物語の不幸(犠牲)である。この不幸・犠牲・代償を提示することで、<弱者がゲームに勝つ>というゲームの原則が正当化され、その結果ゲームと物語がもつ<ねじれ>(強者が勝つはず、しがし弱者が勝つべきだ)にたいして、バランスがとられるのである。僕と黒服の男のゲームに、【羊=鼠】が示す両義的な役割が重要である。