羊をめぐる冒険をめぐる解釈
僕=村上書樹のモダニティをめぐるシンボリック・アナリシス
 
1. 登場人物紹介
2 登場人物のおりなす関係
  -1 僕をめぐる性的な関係:排他性と完結性
  -2 僕をめぐる男友達(=青春)の関係:共存性と曖昧性
-3 羊をめぐる権力:“ゲーム”と“物語”
  -4 羊をめぐる交霊者の悲劇:権力と弱者
  -5 メディアとしての<物語環境>
  -6 コミュニタス・トラッドの世界
-7 ロンリークラウドの世界
  -8 とまどうハッピー・クエスターズの世界
  -9 メディアとしてのゲーム環境
3. 構造分析
2ー5《関係5》メディアとしての<物語環境>

物語には、脇役がいなければなりません。主役だけでは、ドラマにふくらみがでません。この物語では、運転手と羊男とジェイが、大切な人です。

僕は、冒険を始めるにあたって、運転手に猫を預けます。獲は、僕がこだわる唯一の所有物ですから、猫の世話をみてくれる人がいないかぎり、僕は冒険に旅立つことはできません。そのとき運転手が登場します。運転手ほ、羊をめぐる冒険物語をはじめる前提条件を整備する上で不可欠な存在です。

運転手は、黒幕の先生を尊敬し、黒服の男の下で実直に働きます。ここでは、支配と服従の政治的関係と畏敬と甘えの情緒的関係がステレオタイプ的に表現されておリ、伝統的な世界が鮮明に描かれています。羊男は、物語のクライマックスで僕が鼠に出会うメディアとして重要な役割を果たします。鼠は羊男のふりを借用して、僕に会います。羊男は羊男であリながら、鼠であることで、僕にとってももっとも重要な脇役を演じます。羊男は両義的な存在をなさけなく演じることで、新しい世界の到来を暗示します。

最後に、ジェイです。かれは、60年代のモダンを体現した人です。僕がもっとも安らぎを感じることができる関係がそこでは成立しています。無理することなく、自然に自分の身体に馴染む世界を提供するのがジェイです。物語の最後に、僕はジェイのところに戻り、鼠と3人の友情を確認する儀式を済ませ、そしてそこから去ってゆきます。それが僕の青春の完結なのです。ジェイは、この物語それ自体を操る司祭です。僕は、ジェイにつながる時に“さよなら”を言うために、鼠にこだわり、鼠を失ったのです。これは、だがら徹底したレトロな青春物語です。

運転手・羊男そしてジェイは僕の物語を誘導するメディアです。僕ほ、この3人との間で生成される<環境>のなかで、物語を展開させていきます。トラッドな運転手の世界と、モダンなジェイの世界と、そして奇妙な動きを示す羊男のややポストモダン的な世界という、3つの世界の重層的な共鳴関係のもとで、僕は「鼠を追い掛ける猫=僕」の関係を物語に仕立て上げます。