羊をめぐる冒険をめぐる解釈
僕=村上書樹のモダニティをめぐるシンボリック・アナリシス
 
1. 登場人物紹介
2 登場人物のおりなす関係
  -1 僕をめぐる性的な関係:排他性と完結性
  -2 僕をめぐる男友達(=青春)の関係:共存性と曖昧性
-3 羊をめぐる権力:“ゲーム”と“物語”
  -4 羊をめぐる交霊者の悲劇:権力と弱者
  -5 メディアとしての<物語環境>
  -6 コミュニタス・トラッドの世界
-7 ロンリークラウドの世界
  -8 とまどうハッピー・クエスターズの世界
  -9 メディアとしてのゲーム環境
3. 構造分析
2ー4《関係4》羊をめぐる交霊者の悲劇

権力と弱者


背中に星形の波紋をもつ羊と<交霊する関係>をもった3人の弱者の物語は、羊をめぐる冒険の重要なサブテーマである。

1935年の夏、羊博士が満州国境近くで放牧の調査中に道に迷い、偶然目についた洞窟で一夜を過ごしたとき、夢の中に羊が現れ、「わたし(羊博士)の中に入ってもいいか」と尋ね、そこから<羊の冒険>がはじまる。

羊の目的は、人間と人間の世界を一変させてしまうような巨大な計画(=アナーキーな観念の王国の建設)であった。羊はその目的のために、羊博士を輸送機関として利用して日本に上陸し、そこで利用価植のなくなった羊博士を捨て(博士は『羊抜け』になる)、すぐに獄中の右翼の青年の体内に入り、かれに今度は巨大な組織を築き上げさせた。その結果かれは右翼の大物として財政界に強い情報ネットワークをもち、闇の権力者の地位を獲得した。しかしかれの使命はそこまでであった。羊は巨大な権力機構が完成したところで、右翼の大物か『羊抜け』をし、大物は死の瀬戸際にたたされてしまった。最後に、羊はその権力機構を操る人間を探した。それが鼠である。羊は、鼠を利用して、あらゆる対立が一体化し、その中心に羊と鼠がいる完全にアナーキーな観念の王国を完成しようとした。しがし羊の野望は、鼠の自殺によって最後のところで挫折する。

なぜ鼠は自殺したのか。「キーポイントは弱さなんだ。道徳的な弱さ、意識の弱さ、存在そのものの弱さ、全ての弱さ。本当の弱さというものは本当の強さと同じぐらい稀なものなんだ。たえまなく暗闇にひきづりこまれていく弱さが実際に世の中に存在するのさ。俺は俺の弱さが好きなんだ。夏の光や風の匂いや蝉の声や、そんなものが好きなんだ」と鼠は言った。鼠は、羊によって、自分の弱さが権力に一体化してしまうアナーキーな世界を恐れて、羊に完全に支配されるる直前に、羊が寝込むのを待ってから台所のはりにロープを結んで首を吊った。それは鼠に残された最後のチャンスだった。

「君はもう死んでいるんだろう?」
「そうだよ」と鼠は静かに言った。「僕は死んだよ」


羊をめぐる冒険は、表では僕の冒険であるが、裏では羊の目的を破壊する鼠のアドベンチャー・ゲームでもある。鼠は、僕と同じように、弱者であるにもかかわらず、権力ゲームの土壇場で逆転して勝者になる。そのときゲームはドラマになる。逆転ホームランがゲームを超えた感動を与えるように、鼠は自爆することで冷静な権力ケームを感動的なドラマに仕立て上げる。その瞬間、羊博士と右翼の大物にみられた交霊者の羊抜けの負けのゲーム、哀しい悲劇として完成する。鼠は舞台裏の主役である。