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3.男らしい仕事、なにが
ほとんどの男が背負っている仕事の現状は、生活の重荷と会社からの圧力にはさまれて、もがきあがき、そして必死に耐えている姿です。”仕事の生き甲斐”という言葉を空虚としてしか聞けない<”やけ”と”さもしさ”>のなかで、どこまでも現実を直視することだけを強要されて生きていくこと、それ自体が男の仕事なのです。仕事の制度化とは、ここまでの決断を働く主体に強要するものであり、欲望としての自由を留保していられる女の仕事とは次元を異にする仕事なのです。だから男はつらいのです。限りない制約と拘束のなかで一点の光を見つけようとする努力だけが、男に残された唯一の自由なのである。それを生き甲斐と呼ぶには、あまりにも軽すぎます。
そこで、ある男の仕事をみせます。
2)ここに、ある男がいます。
彼には『仕事は生活のための手段だ』という、ある潔い諦めがあります。家族を背負って生きなければならない男のつらさが、男の仕事に染み込みます。だから仕事が楽しいなんて、口が裂けてもいえません。つまらない仕事と分かっていて、それにじっと耐え、たとえ窓際に座らきれても、黙々と仕事をします。家庭をもつ男はそう簡単に転職など決意できるものではありません。
こんな仕事をする男を、あなたはどう思いますか。
(A−Jまで、それぞれにかんしてどちらかをチェック)
A) |
生甲斐のある仕事を見つけるべきだ |
B) |
潔い諦めなんて男のずるさだ |
C) |
単に能力のない男の戯言である |
D) |
給料さえ高ければ、これでも良い |
E) |
家族の為なんて、言い訳にすぎない |
F) |
こんな弱い男の生き方に共感する |
G) |
現実の仕事はこのように辛いものだ |
H) |
家族の為に頑張る姿に、男を感じる |
I) |
仕事に逃げている卑怯な生き方だ |
J) |
こんな仕事をさせる会社は嫌いだ |
(A)仕事は生活の手段だ、という仕事観
こんな男の仕事が、どのような評価を受けているか、を確認します。
まず、ここでの10項目にかんして、ジェンターの差異はほとんどありません。つまり1%水準での有意な相関は、男の仕事の10項目と性別との間にみられません。その意味では、男の仕事をどのように評価するかにかんして、男であろうと女であろうと、同じような傾向を示していることになります。
1.男の仕事は、つらい。 :質問G 《現実の仕事はこのように辛いものだ》
10項目にかんして、最も強く「そう思う」という反応がでているのが、「現実の仕事はこのように辛いものだ」で、女性で87.8%(男性で91.4%)という高い支持率になっている。男の仕事にかんする現状認識について、ここにはかなり優しい眼差しがみられる。なんやかんやいっても、やはり男の仕事は辛い、という同情的な認識が共有されている。
朝は早くから出勤し、最初のハードルの通勤電車で揉みくちゃにされ、それでもじっと耐えながらしっかりと日経新聞を読み、会社につけば、いっぱいのお茶を飲んでからただ黙々とルーティンの仕事に励み、やっと夜かと気づいても、まだ解放される時間にはほど遠く、残業か得意先ご接待の飲み歩きという本格的な仕事が待っており、それが終わると、へとへとになって午前さまにやっと帰宅する、というパターンになっています。そんなお父さんはやはり同情されるのでしよう。家は、ただ寝るだけの館にすぎません。にもかかわらず、ローンだけがお父さんの肩に重たくのしかかってきます。こんな仕事ならば、誰だって、男は辛いよ、と叫んでくれるでしよう。
2. 生き甲斐のある仕事を見つける。 :質問A 《生き甲斐のある仕事を見つけるべきだ》
男は辛いね、と同情的な現実論と対照的に、「生き甲斐のある仕事を見つけるべきだ」という声もかなりの支持率(女性82.0%;男性75.7%)を獲得しています。これは、男の仕事の現状が辛いことは分かっているが、それを簡単に正当化するわけにはいかない、というきびしい評価なのでしょう。本当に辛いのならば、そんな仕事はやめて、もっと生き甲斐のある仕事を見つければよいではないか、というかなり冷静なアドパイス(現実主義者からみればあまりにも理想主義的な空論)が素直に提示されています。この傾向が男性でも同じなのは、かれらがまだ大学生であって、社会人としての経験がないからなのかもしれません。
通勤電車に乗るだけが男の仕事ではあるまい、という発想は重要です。リゾート・オフィスでのんびりとしかしクリエイティプな仕事をする、といったリッチな仕事観をもうもつべきだ、という意見は賛成です。辛いと口走っていれば安心していられる、という貧乏な発想でしか男の仕事を想像することができないことの方が、辛いことではないでしょうか。
3. 家族を背負うことは、重たい。 :質問H 《家族の為に頑張る姿に、男を感じる》
男の仕事は家族のためのものだ、という関連性を突きつけると、かなりの人はうろたえます(女性は58.8%が支持;男性は52.6%)。こんな男の仕事なんてくだらないと思っていても、それが家族のみんなが生きていくためにはどうしても避けられないことだ、と愚痴られると、ついつい同情してしまって、「生き甲斐よりも、家族を養うことはもっと大切なことだ」と妥協し、男の仕事を正当化してしまいます。これが、お父さんの戦略だ、と知りながら、みんな知らん顔をします。これが”やさしさ”というものです。家族という重たい荷物を背負うには、優しさしかありません。これがあるから、お父さんたちはせっせと馬車馬のように働くのです。
4. <ずるい/戯言/言い訳/卑怯>とは、口が裂けても言えない。 :
こんな男の仕事を素直に「すばらしい仕事だ」とは評価できないが、しかし他方、だからといって、「男のずるさだ」(女性39.6%;男性38.4%)とか、「能力のない男の戯言だ」(女性38.0%;男性31.3%)とか、「家族のためなんて、言い訳」(女性38.8%;男性33.8%)とか、「仕事に逃げている卑怯な生き方」(女性29.0%;男性30.3%)といった強烈なレッテルを貼るほどの勇気はないようだ。ここでは、このような男の仕事も一つの仕事として支持されており、「そこまで言っては、男がかわいそうじやない、男の面子だってあるんだから」ということなのだろう。その結果、「お父さんだって、好きでこんな仕事をやっているじゃないんだから」という正当化の根拠に基づいて救いの手が差しのばされる。家族の重たさを思えば、口が裂けても、<ずるい/戯言/言い訳/卑怯>というフレーズはまだ発言できないようである。
質問B 《潔い諦めなんて男のずるさだ》
質問C 《単に能力のない男の戯言である》
質問E 《家族の為なんて、言い訳にすぎない》
質問I 《仕事に逃げている卑怯な生き方だ》
5.金で解決がつけば、苦労しない。 :質問D 《給料さえ高ければ、これでも良い》
こんな男の仕事は、「給料さえ高ければ、それでいいのだ、生き甲斐なんていらない」と割り切ることができたならば、男の仕事にかんしてこんなに悩む必要はないはずです。しかしここの結果にもあるように、割り切った考えをもてる人は、女性では38.7%(男性では38.0%)にすぎません。報酬さえ良ければ、仕事の内容は問わない、という仕事観には、どこか疑問を感じているようです。その疑問の背景には、報酬は仕事の質に強く規定されなければならない、という仕事観があるからでしょう。仕事の内容がすばらしいからこそ、高い報酬を獲得する正当性が付与されるのだ、という仕事観に支配されているかぎり、簡単に割り切った仕事観をもつことはできません。
6.こんな弱い男に共感はできない。 :質問F 《こんな弱い男の生き方に共感する》
ずるいとか、卑怯とか、戯言といった非難めいたことは言えないが、だからといって、そんな弱い男に共感を示すといった、甘い評価をするわけにはいかない。どこまでもこのような仕事は弱い男の仕事にすぎない、という現実の厳しさにかんする評価は必要である。安易な非難はしないが、現実の厳しさから逃避しようとする姿勢には甘い態度をとってはいけない、という判断がここにはみられる。したがって「こんな弱い男の生き方に共感する」の支持率は、10の質問項目中最低で、女性で28・4%(男性で29・3%)である。
7.会社の貴任で解決できるわけがない。 :質問J 《こんな仕事をさせる会社は嫌いだ》
こんなつまらない仕事をさせる会社が悪いのか、というと、それほどでもない。「こんな仕事をさせる会社は嫌いだ」の支持率は女性で38.6%(男性で39.5%)にすぎない。多くの人は、こんな仕事しかできない個人の責任を追求しているようです。ここにも安直な甘えを許さない厳しい姿勢がみられます。どのような仕事をするのか、は自分の能力によって決定されるものであり、仕事が嫌ならば、会社をやめて次の会社を探せばいいのだ、という意見が体勢のようです。会社が仕事にあまり責任をもたなくてすみそうなので、会社はこの結果に喜びます。
(B)”おとこ”をめぐる3つのスケール
以上10項目がどのような関連性を示しているか、を数量化V類によってみると、つぎの3つのスケールを探すことができる。
1.男の妥協スケール
2.駄目男スケール
3.男の辛さスケール
A) |
生甲斐のある仕事を見つけるべきだ。 |
A) |
そう思う |
A2) |
そう思わない |
B) |
潔い諦めなんて男のずるさだ。 |
B) |
そう思う |
B2) |
そう思わない |
C) |
単に能力のない男の戯言である。 |
C) |
そう思う |
C2) |
そう思わない |
D) |
給料さえ高ければ、これでも良い。 |
D) |
そう思う |
D2) |
そう思わない |
E) |
家族の為なんて、言い訳にすぎない。 |
E) |
そう思う |
E2) |
そう思わない |
F) |
こんな弱い男の生き方に共感する。 |
F) |
そう思う |
F2) |
そう思わない |
G) |
現実の仕事はこのように辛いものだ。 |
G) |
そう思う |
G2) |
そう思わない |
H) |
家族の為に頑張る姿に、男を感じる。 |
H) |
そう思う |
H2) |
そう思わない |
I) |
仕事に逃げている卑怯な生き方だ。 |
I) |
そう思う |
I2) |
そう思わない |
J) |
こんな仕事をさせる会社は嫌いだ。 |
J) |
そう思う |
J2) |
そう思わない |
1.男の妥協スケール
これは、つぎの2つの質問から設定されるスケールである。
A)「生き甲斐のある仕事を見つけるべきだ」★
D)「給料さえ高ければ、これでも良い」
この2つの質問項目の関連性をみると、「給料さえ高ければいいじゃない(D)、という意見をもつ人は、生き甲斐のある仕事を見つけろとは主張しない(A2)」。対照的に「仕事に生き甲斐を追求する人(A)は、報酬問題にたいしてやや冷たい態度をとる(D2)」。前者は現実的で経済志向的な『妥協派』であり、後者は仕事に理想的な何かを求める『精神派』である。
「妥協派」は、男の仕事にたいして、かなり覚めた現実的な眼差しをおくっている。男の仕事といっても、すべてがクリエイティブであるはずはないから、このような妥協的な仕事があっても当然であり、とすれば、このような仕事には割り切りが必要なんだ、という声が妥協派からは聞こえます。その場合に期待されるのは、経済的な報酬がどれだけ獲得できるか、という問題であり、仕事の生き甲斐といった、仕事それ自体に喜びを求めることは、最初から断念されている。ここには、みんながクリエイティブな仕事をしなければならない、という幻想への潔い諦めがあり、もっと気楽に仕事との関係を考えればいいではないか、という姿勢がみられる。
「レジャーのために働く」という発想を支えるのが、妥協派の仕事観である。妥協派は、仕事とレジャーを分化させ、レジャーという目的のために仕事を手段として位置づける考えをもっている。レジャーが喜びであり、手段である仕事はつまらない。しかし仕事は我慢しなければならない。たとえつまらなくても、我慢することで豊かなレジャーが享受できるならば、それで十分である、というコンセプトを明確にもっている。
妥協派にとって、仕事の価値は、仕事の内容ではなく、報酬によって決定される。だから、かれらは報酬にこだわり、そして高い報酬を求める。報酬が高いほど、レジャーは豊かになる、という幻想を、妥協派は大切にする。
反対に、「精神派」は、仕事と遊びの融合を求める。彼等は、レジャーを余暇ではなく、”遊び”という意味で捉えようとする。ここでは仕事と遊びは、目的−手段の関係にはない。仕事は遊びでもあり、遊びは仕事である、という境界の不明瞭性が積極的に支持される。生き甲斐とは、そのような仕事と遊びの融合した状況にあって初めて感受されるものだ、と認識されている。
そこで、上記2つの項目から『男の妥協スケール』を作成する。
(A)「生き甲斐のある仕事を見つけるべきだ」では、「A2)思わない」と回答し、(D)「給料さえ高ければ、これでも良い」では、「D)そう思う」と回答した数をカウントし、<0から2>までのスケールを作成する。0に近いほど精神派の志向をもち、2に近づくほど妥協派になっていく。そこで、これを『男の妥協スケール』と呼ぶ。
結果は、つぎのとおりである。
まず、ジェンダーの相違が全くない、という事実の確認が重要である。常識的な思い込みだと、女性が精神派に特化し、男性は妥協派に特化する、となるはずだが、結果はそのような思い込みが幻想であることを示している。女性もけっこう妥協派に目覚めているし、男性も意外に理想を抱いている。「妥協か理想か」の選択は、ジェンダーではなく、何か別のことによって規定されるようだ。
スコア0は、一応マジョリティ(女性54.1%;男性51.3%)である。かれらは仕事と遊びの融合に生き甲斐を見つけようとする精神志向の人である。これにたいして、スコア2はマイナー(女性9.3%;男性11.2%)である。純粋な妥協志向の人は非常に少ない。
「金さえもらえば、生き甲斐はいらない」と割り切ることは、現実ではともかく、このような調査での協力者(という役割期待)としては、難しいことなのだろうか。また、現役のお父さんたちがこの調査の協力者になっていない、という事実も、妥協志向の考え方をこのようなマイナーな地位に甘んじざるをえない結果をもたらしているのだろう。きっと、お父さんたちは、この結果をみて、苦笑するはずである。「女子供は、甘くて困るよ」というぼやきが今にも聞こえてきそうである。
純粋の妥協志向(スコア2)ほどきっぱりと現実的にはなれないが、精神志向(スコア0)とは違って妥協することを少しは知っている中間派(スコア1)もいます。この人々は女性ならば36.7%(男性37.5%)にも達しています.中間派は、「給料の高さで妥協するのもよし」あるいはそのような条件をつけないまま、「仕事に生き甲斐なんて邪魔だ」と割り切ってしまうのもよし、とどちらかの条件で現実に妥協する人々である。このような意味で中間派を位置づけるならば、妥協志向と中間派は男の手段的な仕事にかんして近似した考え方を所有している、といえよう。そこで以下では中間派(スコア1)と妥協志向(スコア2)をまとめて『妥協派』と呼び、スコア0の精神志向を『精神派』と呼ぶことにする。
2.駄目男スケール
これは、つぎの5つの質問項目によって設定されるスケールである。
B)潔い諦めなんて男のずるさだ
C)単に能力のない男の戯言である
E)家族の為なんて、言い訳にすぎない
G)現実の仕事はこのように辛いものだ ★
I)仕事に逃げている卑怯な生き方だ
上記5項目のうち<ずるい(B)/戯言(C)/言い訳くE)/卑怯(I)>の4項目にかんしては正の相関がみられる。ここでは、男の仕事へのきついレッテル貼りがなされている。
さらに(G)の「仕事は辛いものだ」は、他の4つの項目との間に有意な負の相関を示している。つまりきついレッテルを男の仕事に貼る人は、現実の男の仕事なんて辛いわけがない(G2)と確信している。「この程度の仕事で、辛いとかきついとか、ごちゃごちゃ偉そうなことを言うな、男の仕事なんてたいしたことない癖に」という恐い声が聞こえます。
そこで、上記5つの項目から、『駄目男スケール』を作成する。
(G)「現実の仕事はこのように辛いものだ」では、「G2)思わない」と回答し、その他の4質問項目にかんしては、「そう思う」と回答した数をカウントし、<0から5>までのスケールを作成する。
結果は、つぎのとおりである。
『ダメ男スケール』では、スコアが高い(スコア5)ほど、男の仕事について厳しい評価がなされており、ここでの男は完全に<駄目男>というレッテルが貼られている。「ぐたぐたいうだけで、何もしないのが、こんな男の癖なのよ」という一言ですべてが決ってしまうのが、このような高いスコアの場合である。
救われているのは、スコア5が女性では2.8%しかいないことである。ただし男性はたった1.3%しかいない。
スコア4でも女性で11.7%(男性11.8)ですから、スコア4+5でも女性で14.5%(男性13.1%)にすぎない。全体の傾向としては、まだ「男の癖に、駄目男なんだから」というレッテル貼りはマイナーである。
これにたいして、スコアが低い場合(0)は、「男の仕事を、そんな簡単に切り捨ててはあまりにもひどいし、かわいそうである。それなりに大変なのが、男の仕事というものである」という同情的な評価を意味する。男は黙って働くからといって、それだけで<駄目男>のレッテルを貼っては、あまりにも男の仕事の尊厳を無視したことにはならないか、という声がここでの評価である。女性の38.5%(男性の34.9%)がスコア0であることは、男の仕事にかなり優しい眼差しを送っていることが分かる。スコア1が女性で20.1%(男性25.7%)なので、足すと56.8%(男性は80.8%)にも達しており、全体的には男の仕事にたいする優しい理解がえられているといえよう。
駄目男スケールでは、男の仕事にたいする「眼差し」が問題になってくる。<冷たいのか、それとも温かいのか><厳しいのか、それとも優しいのか><現状変革的なのか、それとも現状肯定的なのか>といった眼差しが、男の仕事を、「所詮はダメ男の愚痴」とするのか、「それなりに頑張っている男らしい仕事」とするのか、を規定している。
では、その眼差しの違いは、どこからくるのだろうか。ここでも、ジェンダーは有効な説明要因ではない。男が駄目男に優しく、女は駄目男に批判的というわけでもない。とすると、何がこのような相違を説明するのだろうか。
上記の6段階のスケールでは、駄目男の分析と解釈が困難なので、つぎのようにまとめる。
3.男の辛さスケール
これは、つぎの3つの質問項目によって設定されるスケールである。
F)こんな弱い男の生き方に共感する
H)家族の為に頭張る姿に、男を感じる
J)こんな仕事をさせる会社は嫌いだ
この3つの質問項目にかんしては、<弱い男の生き方に共感し>、<家族の為に生きる男らしさを認め>、<しかしこのような仕事を強いる全社には批判的である>、という意味の相関がみられる。仕事は生活の手段だ、と割り切って生きる『男の辛さ』がここには滲んでいる。この仕事の辛さは、仕事をしない女、あるいはしても「欲望としての仕事」でしかない女なんかには分かるはずがない、という男の強い拒絶感が伝わってきそうです。
そこで、この3つの項目にかんして、「そう思う」と回答した数をカウントすることで、<0から3>までの『男の辛きスケール』を作成する。
結果は、つぎのとおりである。
スコア3の最大値は女性では9.6%(男性は11.2%)にすぎず、男の辛さを十分に理解してくれる人が少ないことが分かる。かれらにすれば、「そんな素直には、男の辛さに共感はできない」ということなのだろう。「生活のためだ」という自己正当化の根拠だけで、会社までを悪者にして、自分だけよい子になるのは、ちょっとやり過ぎではないか、という評価が共有された理解のようである。
このことは、スコア0が女性で25.7%(男性23.0%)にも達している事実からも推測される。つまり四人に一人は、男の辛さをまったく認めようとはしない。「弱い男になんで共感なんかしなければならないのだ、何が家族のためだ、そんな男にきまって、競輪競馬に凝って家庭崩壊をもたらす奴に決まっている。そもそも仕事は自分の能力によって決まるもので、会社のせいにするものではない」という厳しい主張が聞こえてきます。
このスケールでの最頻値はスコア1です.女性の37.%(男性42.8%)が、少しならば男の辛さを理解してあげてもいいかな、と思っているようです。「家族を背負ったお父さんの後ろ姿には、なんやかや言っても共感するものが溢れている」と嘘でもいいから言ってほしい、というのがお父さんたちの本音でしょう。
(C)男らしい仕事の招待状
『男の仕事は生活のための手段だ』という仕事観にたいして、3つのスケールが創出された。
1.「男の妥協スケール」では、生活のための仕事(手段的な仕事)には「報酬」が重要な問題であり、「生き甲斐」は二次的な問題である、という仕事観が明確にされた。
ここでは「妥協派」と「精神派」のタイプが作成された。
|
妥協派 |
精神派 |
おんな |
54.1% |
45.9% |
おとこ |
51.3% |
48.7% |
2.「駄目男スケール」では、生活のための仕事とは「駄目な男の言い訳であり、戯言であり、ずるくて卑怯な逃げでしかなく、現実の仕事はそんなに辛いものではない」と厳しいレッテルを貼る仕事観が明確になった。ここでは、つぎの3タイプを作成した。
<a>駄目男(−) : 駄目男スケールのスコアが低い;つまり手段的な仕事をするお父さんを、”駄目男ではない”と認識・評価しているタイプ
<b>駄目努(±) : 駄目男スケールのスコアが中程度;(−)と(+)の中間
<c>駄目男(+) : 駄目男スケールのスコアが高い;つまり手段的な仕事をお父さんを、”駄目男だ”と厳しくレッテルを貼るタイプ
|
駄目男(−) |
駄目努(±) |
駄目男(+) |
おんな |
36.5% |
35.2% |
28.3% |
おとこ |
34.9% |
41.5% |
23.6% |
3.「男の辛さスケール」では、手段的な仕事とは家族のために頑張る辛い仕事であり、だからこそ「そんな我慢をする弱いお父さんに共感すると同時に男らしさを感じるし」、しかし半面「そんな仕事をさせる会社には反発したい」というカの辛さを理解する仕事観が明確になった。
ここでは、つぎの3タイプを作成した。
<a>男の辛さ(−) : 男の辛さスケールのスコアが低い;つまり家族のために頑張るお父さんの姿に共感も男らしさも感じず、またそんな仕事をさせる会社が嫌いでもない、と認識・評価しているタイプ
<b>男の辛さ(±) : 男の辛さスケールのスコアが中程度;(−)と(+)の中間
<c>男の辛さ(+) : 男の辛さスケールのスコアが高い;つまり家族のために頑張るお父さんの姿に共感し男らしさを感じ、あるいはそのような手段的な仕事をさせる会社に反発を示すタイプ
|
男の辛さ(−) |
男の辛さ(± |
男の辛さ(+) |
おんな |
25.7% |
37.0% |
37.3% |
おとこ |
23.0% |
42.8% |
34.2% |
4.この3つのスケールは、数量化V類の図に示されているように、「熱い/冷めた視線」と「きびしい/やさしい視点」によって、位置づけられている。
『男の妥協スケール』は「冷めた視線」を中心に手段的な仕事を認識・評価するスケールであり、『駄目男スケール』は「きびしい視点」を中心に手段的な仕事を認識・評価するスケールであり、『男の辛さスケール』は「やさしい視点」にもとづいて「熱い視線」を投げかけることで手段的な仕事を認識し評価しようとするスケールである。
上表にあるように、『男の妥協スケール』では、「妥協派」は「冷めた視線」をもち、「精神派」は「熱い視線」を手段的な仕事に投げかける。『駄目男スケール』では、男の妥協スケールとは対照的に、「駄目男(+)」は「きぴしい視点」に固執し、「駄目男(−)」は「やさしい視点」をもって手段的な仕事をみつめている。そして『男の辛さスケール』では、「男の辛さ(+)」は「やさしい視点と熱い視線」をもち、反対に「男の辛さ(−)」は「きびしい視点と冷めた視線」でもって手段的な仕事を糾弾しようとする。
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