女のくせに
 
序論
1. 前提という制約
2. 欲望としての仕事か、仕事の制度化か
3. 男らしい仕事、なにが
4. 女たちの”じりつ”神話
5. 組織、という罠
6. 子供たちの、におい
7. ”おんな”のレッテルの常識 
8. ”HANAKO”と『ぱなな』
9. 近代の超克:冗談っぽく、真面目に
10. 女のくせが交響させる、さまざまな顔
4.女たちの”じりつ”神話

制度化された仕事の世界で 《あがきもがく》 男たちと、欲望としての仕事に自由と遊びを見つけようと 《あせりじれる》 女たちとの間には、それが同じ仕事なのだろうか、といってもよいほどの溝があります。仕事の生き甲斐なんて、恥ずかしくてとても口に出しては言えそうもない男の仕事と、素直に生き甲斐のある仕事を求めようとアピールできる”とらばーゆ”的な女の仕事とでは、<男と女という深い文化>による制約を感じざるを得ません。
そこで、ある女の仕事をみせます。

3) ここに”自立する女”がいます。
彼女は、仕事を楽しんでいます。フリーな立場にあり大規模な組織には属していません。ですから、地位に関心はなく、仕事の内容を大切にします。好きな仕事ならば、徹夜をすることもあります。でも基本的にはアフター5を重視してます。報酬は自分の生活ができる程度で満足し、あえてお金の為には働きたくはない、と思っています。さて、いま恋愛中ですが、仕事は将来も続けるつもりです。
こんな仕事をする女性を、あなたはどう思いますか。
(A−Jまで、それぞれにかんしてどちらかをチェック)

A) これが自立する女のいやらしさです
B) 若い一瞬に、可能なことにすぎません
C) これは選ばれた女だけのものです
D) 所詮大きな組織の下請けの仕事です
E) こんな自立は結婚までの話です
F) 現状の報酬に満足するようではダメだ
G) 仕事の将来的な発展がみられない
H) この程度の仕事に生甲斐はないはず
I) 金の為に働かないなんて、甘すぎる
J) 働く女にとっての理想です

(A)自立する女の、仕事観

自立する女の仕事が、どのような評価を受けているかを確認していこう。
ここでもジェンダーによる差はない。10項目にかんして1%水準で有意な相関は性別についてみられない。男(ただし大学生)であれ女であれ、自立する女らしい仕事にたいする評価は同じ、という予想とは若干異なった結果になっている。

1.理想的な仕事です。 :質問J 《働く女にとっての理想です》


これが女にとっての理想的な仕事のあり方だ、と支持する人が女性で59.2%(男性で52.3%)もいる。その理由は、たぶんつぎのような要因から選択されるものであろう。

a) 仕事は、たとえ苦しくても、楽しいものだ。

b) 組織に帰属するのではなく、フリーなのがよい。

c) どの地位にあるかではなく、仕事の内容が問題なのだ。

d) 徹夜好きの仕事人間ではなく、アフター5を大切にする。

e) 報酬のために働くのではなく、働くから報酬が得られるのだ。

f) 腰掛けの仕事ではなく、結婚後も続けられる仕事だ。

<常識的>にみて、つまり制度化された仕事に従事する<男という立場>からみて理想的な仕事を想定するとしたら、それは上記の女の理想的な条件とはどこが違っているのであろうか。

(a)仕事は、楽しい。
これは、男の場合も理想である。当然ここでの楽しさは、気軽に誰でも遊び気分でできるイージィーな仕事、といったミーハー的な意味ではない。やや嫌味なフレーズを使えば、<クリエイティプな仕事は楽しいものだ>ということである。女にとっての理想も、これと同様の意味であろうから、この点にかんしては共通した仕事観といえよう。仕事の楽しさは、目的−手段関係における「手段としての労働」ではなく、仕事することそれ自体に意味(価値)の創出ができる行動によって、感得されるものである。とすると、仕事の楽しさには、苦しさが表裏の関係としてつきまとうことは自明である。あっけらかんとした楽しさは、ここでの理想ではない。なぜならば、そのような楽しさは、一瞬に消費されてしまう楽しさであり、時間を超えた継続性を秘めた仕事ではないからである。反復する価値に乏しく、すぐに飽きられてしまう仕事にあるのは、苦しさを伴わない単純な快感であり、それはここでの理想的な快感原則ではない。理想的な快感には、苦と楽が同居しながら、なお楽しいと評価されるメカニズムが隠されているのである。

(b)仕事は、フリーがいい。
これは、男の理想ではない。男は、組織を活用することを積極的に支持する。組織なくしては、男の仕事の理想は追求できない、と男たちは断言する。だからフリーは女々しいことであって、男らしい理想の追求ではなく、ドロップアウトした男のあり方だ、ということになる。このような認識がすでに古くさいことなのかどうか、はここでは問題ではない。
男にとって、理想的な仕事は<大きいもの>でなければならない、という前提がある以上、組織のなかで生きることは男らしいことなのである。一人のカを超越した組織の力を発揮してはじめて獲得できる仕事に情熱を賭けるのが男らしい仕事であり、それはフリーといった弱小の個人プレーでは不可能な芸当なのである。したがって、男たちは決してフリーに憧れることはない。理由は、フリーでは男の理想は実現できないからである。

(c)地位ではなく、仕事そのものが問題なのだ。
男だって、仕事それ自体が重要であることを否定しない。でもここでは「しかし」というエクスキューズがつかざるをえない。それは、男の理想の追求には組織が不可欠であることと強く関連する。男にとって、《仕事のおもしろさは、地位に高さと相関する》という揺らぐことのない確信が存在する。組織の上に立たない限り、男の理想は絶対に追求できない、という信念がある。だから、女の場合のように、今の仕事がつまらないから、といって、すぐに転職するようなわけにはいかない。男は、その意味では、いつも長期的な展望に基づいて仕事の理想を追い求めざるをえない。それは、女が短期決戦で勝負を挑むのと対照的である。
この長期的な展望と、”いま”の仕事は楽しいものだという条件は、素直に解釈すると矛盾する。この矛盾は確かである。男は、だから理想を追求することにいつもジレンマを感じる。組織というシステムにコミットするかぎり、いまの楽しさと地位との矛盾は調和しえない。つまり低い地位にあっては、仕事はつまらないものなのである。にもかかわらず、男はその仕事に耐え、いつか楽しい仕事ができること(つまり地位の上昇)を夢みて、現実の仕事に我慢する。男は「時間」の流れに期待することでジレンマを克服してみせる。
ただし歪んだ形態での矛盾の昇華の方法もありえる。手段としての労働であっても、その手段の目的化が生じた瞬間から、たとえ手段であっても、強い快感が走る場合がある。それはマゾ的な快感といったらいいだろう。なぜ男が仕事においてあれだけモーレツになれるのか、といえば、彼の仕事では手段の目的化が生じているからである。このようなハイの状態にはいると、地位がどんなに低くて、なんらクリエイティプでなくても、がむしゃらに頑張って仕事ができる。なぜかといえば、仕事が楽しいからである。こういったトリックが隠されているから、男は仕事がやめられないのである。
そしてそのトリックから醒めるとき、偶然にも地位が上昇していた、という夢が実現されるとき、かれは本物のサクセスを手にする。そこでは、組織のトップとして楽しい仕事が待っているのである。
『管理(意思決定)という仕事』が、これである。組織における最大の仕事は「管理」である。管理できる地位を獲得したとき、かれは楽しい仕事を掌中に収めるのである。男が組繊に求める楽しい仕事とは「管理」である。管理者の地位は、組織に生きるものが求める最大の理想的な仕事である。
これにたいして、女は、組繊を媒介せずにストレートに理想の実現に向かおうとする。そこでは、今の仕事の楽しさだけが追求され、将来的な展望との関係で今の仕事を評価する視点はない。したがってここでは地位の高低が仕事の苦楽を規定する関係はみられず、仕事の内容の楽しさだけが問題になる。このような仕事の典型が『制作(編集)という仕事』である。ここでは組織とそこでの地位の力は無用である。必要なのは、意思決定の力ではなく、地位を離れた個人の編集能力である。

(d)アフター5は、大切にしたい。
男だって、できればアフター5を大切にしたい、というはずである.その意味では、この条件にかんしても男はイエスと発言するはずである。でもまた、ここでも「しかし」と言うでしょう。組織は「アフター5をご自由に」とは積極的に言わないものである。男が根性を示して、アフター5を大切にしても、組織は彼を評価しないだろう。彼は、窓際に机をもっていくことを覚悟すべきである。とすると、文化にあこがれる男であるほど、いゆわる男の理想(地位の獲得=楽しい仕事)は放棄すべきである。組織は、男を機能的な部分に分解し、そのかぎりでの活用を考えるシステムである。その結果、仕事は仕事、遊びは遊び、そしてアフター5に憧れるならば、ローランクに位置することを甘受せよ、というメカニズムが作動するのである。
女は、そのへんのラインひきを曖昧にする勇気をもっている。アフター5をしっかりとったと思ったら、つぎの日は徹夜(?)で仕事に頑張ります。そして彼女たちは「だって、仕事が生き甲斐なんだもん」と平然と言います。このようなツッコミが男にはできません。男はいつも真面目にしか生きられないのです。組織にすぐに妥協してしまうので、男にとってのアフター5の理想は、とこまでも夢物語であり、ユートピアにすぎません。女がその実現に大胆に直進するのと対照的です。
ここでも再度「ただし」が必要です。このように言っておいて、男は陰で快感をむさぼります。アフター5に興味を示さないのは、カルチャーセンター程度の文化ならば、仕事での歪んだ快感の方が数段楽しいという認識が頭の隅の方にあるからだ。これだけは、女なんかには渡せない、と男は秘かに思っているのである。しかしもしもこれが本当だとしたら、女もアフター5を放棄するはずである。にもかかわらず、そうしないのは、男の快楽なんて歪んだ幻想にすぎない、という命題が見破られているからなのかもしれない。このあたりの駆け引きが重要なゲームのコツなのである。

(e)働くから、報酬がくる。
これは、男の場合も同様である。報酬に踊らされて、仕事をするのではなく、仕事を順調にこなし、地位が上昇し、そして知らずに報酬がくっついてきた、ということは組織人であっても可能なことである。男の理想も、この点にかんしては、比較的実現可能のようである。女との違いは、時間のスケールが全く違うことである。女はいまの仕事に報酬を求め、男は<将来の地位に付属した報酬>に期待を賭ける。
問題は、将来的な展望として地位の上昇が期待できない組織人はどうすればよいのか、である。組織に働くことは、組織人に<我慢・地道な努力・強い忍耐>を強要することである。にもかかわらず将来的な展望として地位の上昇が見込めない組織人にとって、そのような強要は将来的な報酬を保証しない。とすると、そのような組織人はなにゆえ我慢や努力をしなければならないか。ここから、我慢や努力を強要するには、その代償として経済的な報酬しかない、という論理が導出される。それが「目的が報酬(その背後にあるレジャー)で、仕事をすることは報酬のための手段だ」という意味での手段的な仕事である。組繊という男の世界における手段的な仕事には、「報酬のために働く」という意味と、「働くから、報酬がくる」という意味が混在している。その差異は地位を獲得するゲームの勝負によってきまるのである。

(f)結婚後も(一生?)、働きたい。
女性にとって一生働くことは偉大なことかもしれないが、男性にとっては自明なことである。組織に棲息する男たちは、自分たちには仕事しか残されていないと確信しているから、よぼよぼになっても、会社にでていきたい、と願望している。定年は組織に生きる男にとって生命の死以上に残酷な死の宣告である。かれらは「ゲートボールなんて、くそくらえだ」と思っているはずです。毎日の出社は、男たちの秘かな生き甲斐の儀式なのである。
これにたいして、女性は、腰掛けではなく結婚しても仕事を続けたい、という程度の願望しかもちあわせていない。それは一生働かなければならないという男の重たさと比較すると、なんと軽いことであろうか。しかしその軽さが男の組織一辺倒を無視する強さになっているのだろう。組織は、いま新しい展開を求められている。女性の進出は、旧来の組織システムを変革するパワーになろはずである。
このように、理想的な仕事観は、組織に迎合する男と組織を無視する女とでは、全く方向性を異にしている。その違いを前提として、女性は新しい仕事のあり方を模索しているようだ。

2.選ばれた女だけの特権です。 :質問C 《これは選ばれた女だけのものです》


45.9%の女性(男性は37.1%)が、自立する女は選ばれた女の特権だ、と思っている。これは、上記の質問に次いで支持率の高い項目である。しかも界性に比べて女性は若干高い数字を示している(これは、5%水準では有意な相関であり、ここでの10項目のなかで2番目に性別との相違が明確にみられる質問項目である)。つまり男性以上に、女性は「選ばれた女」に敏感になっていることが推測される。
自立する女は、すでに階層分化の危機をはらんでいる。
学歴を中心にして、できる女とできない女の分化がみられる。できる女は自立する女をめざし、できない女は自立できない女のまま(男に依存する弱い女)である、という階層分化が進行中である。女全員の共闘は幻想であり、すでに崩壊の危機の兆候がはっきりと見えてきている。自立する女のイメージは、過去の女のイメージ(涙が似合う弱くて脆くて儚い女)を払拭するものではなく、その弱い女を置き去りにして、だからこそその涙する女たちに妬まれ、羨ましがれ、そして尊敬されることもなく、ただ独りひっそりと暗闇から逃げ出すエゴイストである。とすれば、ここに残るのは、女の敵は女だ、という命題でしかない。
自立というキーワードが女たちにとって価値をもつものであるほど、階層分化は厳しい女の戦いを強いるはずである。この階層性を超越する視点を生成しないかぎり、男の組織世界における地位による階層性と同様の問題が、自立する女にもまとわりついてくるはずである。女の自立には、まだまだ乗り越えなければならないハードルがたくさんある。

3.自立は、女が抱く一瞬の夢か。

:質問B 《若い一瞬に、可能なことにすぎません》
若い一瞬に、可能なことにすぎません」という質問では、女性の43.3%(男性48.7%)が支持を表明している。


:質問E 《こんな自立は結婚までの話です》
つぎに「こんな自立は結婚までの話だ」の支持率は女性で41.5%(男性45.3%)になっている。


ここでの女の自立は、階層性(できる女/できない女)がテーマではなく、年齢構成上の分化(若い=未婚/若くない=既婚)がテーマであり、その結果《通過儀礼として自立する女》がいるだけだ、ということが問題になる。
「女の自立なんて若いうちだけの特権なんだから、せいぜい頑張ればいいのよ」という自立観は、あっけらかんとしていて、ある意味ではとても健全で、しかもかなり現実的な解釈だともいえよう。「自立をそんなに重たく考えなくでもいいじゃない」という発想がここにはある。もっと軽いノリで、自立する女のイメージを考えればいいではないか、という意見がみえる。『弱い(あるいは軽い)自立』という言葉は矛盾しているのかもしれないが、これが今の女たちの自立のイメージだ、といわれれば、そんな気もします。
かつてのガチガチのウ一マンリブは、このような軽い自立にはもうついていけないのかもしれない。逆に今の女性は、かつてのリブたちがわき目も振らずにただ真正面だけを見つめてきた女の自立には、疲れてしまって首を振るのであろう。「いいんです、軽いおんなで。でも、ちょっといい女になりたくて、自立しようとポーズをとっているんです」といった程度のノリが期待されているようである。
もちろんこのような軽いノリで満足するのが、40%台の少数派であることは事実である。女性の過半数は、まだ軽い自立に文句をつけてはいる。

4.女の自立に、将来はないのか。:質問G 《仕事の将架的な発展がみられない》


自立をめざす女の仕事には「将来的な発展はみられない」という意見は女性で36.4%の支持率(男性は30.5%)である。このスコアをどう読むのか、は難しい。常識的には、大半の人が将来性はあると確信している、と解釈するのであろうが、ここでは、もう少し意地悪く解釈して、「女の自立の将来性には、まだ不安な材料がいっぱいあるようだ」と理解する方を重視したい。
まだ組繊が厳然として力を維持している現状では、女の自立はまだ飾りものでしかありえない。フリーアルバイターというキマッタ言葉だけは獲得しても、その実態はコピーとりにすぎない。コピー鳥は、ピーチクさえずるだけで何もしないし、できない。
というと、文句がきそうです。「わたし、ワープロだってできます」という抗議です。「そうでしょう、コピー鳥ではなく、ワープロ嬢でしよう、失礼、失言でした、鳥ではなく嬢でした。でも、それだけでしょう」。この程度の認識しか、組織に生きる男にはありません。
フリーであることは、男ならば、蔑視の対象でしかありえないのが現状である。オーガニゼイションマンには、フリーの意味が分からない。かれらにとって、フリーであることは、許容された社会的な逸脱者にすぎず、自分では絶対になりたくないことである。逸脱者のレッテルを貼られたら、男は組織では生きていけないのである。
しかし男の組織論の立場から離れたら、フリーアルバイターのイメージが大切なのだ、という主張も、それなりに理解されるのではなかろうか。だから男たちも、フリーアルバイターがそれなりのカッコ良さを示し始めたことを無視するわけではない。男たちも、組織の境界を崩す兆候が意外とこんなところにあるのではないか、と薄々感づいてはいるのです。ここには新しい組織論に発展する萌芽が隠されていることも事実である。
ネットワーキング論は、こんなところにも気配りをする必要があるはずだ。
女の自立の将来性は、組織論をめぐる大きな論争のテーマになるはずである。とはいえ、軽いノリで自立したがる女たちには、どのような組織論が似合っているのか、さっぱり分かりません。

5.女の自立に、おカネヘのこだわりは似合わない。
:質問F 《現状の報酬に満足するようではダメだ》
「現状の報酬に満足するようではダメだ」の支持率が女性で26.4%(男性で32.2%)である。


:質問I 《金の為に働かないなんて、甘すぎる》
「金の為に働かないなんて、甘すぎる」の支持率が女性で28.4%(男性で29.8%)です。


ともに、経済的報酬にかんしては控え目な態度が優位である。「経済的な報酬は仕事の能力と強く相関する」という組織の存立命題にかんして果敢に挑戦しているのか、それとも日本的女性の美徳としての反応なのか、報酬にこだわることには消極的な態度が示されている。
組繊に生きる男たちとしては、経済的な報酬にはこだわらざるをえません。経済的な報酬の高さが組織における地位の反映だからです。「能力は地位によって発揮され、その結果は経済的な報酬として表現される」という命題に生きる組織人にとって、報酬の高さを競うことは経済人として不可欠な行為であり、積極的に支持されることである。経済的な報酬は、仕事に生きる男らしさの証明である。
なのに、女の自立を求める人々は、報酬へのこだわりを拒否することで、仕事の意味を発見しようとします。でもそれは本当に可能なことなのでしょうか。男らしさは経済的な報酬で表現されるのにたいして、女が仕事で自立する姿は何で表現すればいいのでしょうか。仕事の成果の評価基準として、経済的な報酬の高さほどすっきりしたものはありません。それを拒否するとき、女の自立は何によって評価されるのだろうか。「それは、仕事をする行為それ自体にある」という声が聞こえてきそうだが、本当にそれで満足できるのだろうか。これは非常に難しい問題である。
経済的な報酬は、それによって何かを買うという「手段」としての意味をもつが、それ以上に「仕事の成果にたいする社会的な評価」という意味をもつ。「仕事ができる」ことを社会的に評価するには、「経済的な報酬と地位の付与」しかない。組織人にとっては、その両方が評価基準として採用されており、「仕事ができる/できない」の明確な基準として作動している。これにたいして、組織を拒否する自立する女性は、地位の付与の評価基準を無視し、さらに残った経済的な報酬すら放棄しようとする。それでは、自立する女の能力は何によって評価されればよいのだろうか。
「仕事自体が満足できるものならば、それでいい」という心理的な基準は、社会的な評価基準と連動するとき、はじめて有効な基準として効力を発揮するものである。単独では慰めの機能しかないはずである。とすると、自立する女のイメージには、甘さが目立つといっていいのかもしれない。
ただこのような断定は、あまりにも旧来の組織論に毒されてる、といえないこともない。新しい評価基準を模索する時期に、組織論も突入すべきなのかもしれない。地位が管理と密接な関係をもち、しかもすでに組織にあっては「意思決定と管理機構」の幻想が暴かれそうになっている現在、相変らず「地位と報酬」が社会的な評価基準だと主張することは矛盾なのかもしれない。そろそろ別の社会的な基準を生成すべき時期に来ているのだろう。

6.女の自立に、組織的ハイアラーキーは似合わない。:質問D 《所詮大きな組織の下請けの仕事です》


ここでは、「組織の下請けだ」と考えている女性は28.0%(25.8%)程度である。ほとんどの人が、組織の下請けといった発想を拒否している。それは、組織論への大胆な挑戦である。
組織の規模は、男らしさの表現にとって重要な意味をもっている。男が帰属する組織が大企業であるほど、そこでは高い価値が男に付与されてくる。なぜならば、大きな組織であるほど、大きな仕事ができる、という仕事の階層性が確立されているからである。<男らしい仕事の軽重は、最初にかれが帰属する組織の規模によって規定される>という命題が組織論にはみられる。つまり大きな組繊にいるほど、おいしい(=男らしい)仕事ができ、規模が小さくなるにしたがって、男らしい仕事は消滅していかざるをえない。だから、男は大きな組繊にあこがれるのである。そうしないかぎり、かれは”男”になれない。
大企業の社員が大きな顔をし、下請け企業の社員が卑屈な顔をみせるのは、男たち全員が組織の階層性を信奉しているからである。「下請け」という言葉の背後に、組織論がもつ異様な光景が浮かんできます。
対照的に、女たちは組織を嫌い、簡単に組織を放棄しよぅとします。そのせいか、彼女らには、組織の下請けといった組織のハイアラーキーの発想がありません。「スモール・イズ・ビューティフル」の発想で堂々と勝負してきます。羨ましいかぎりです。この発想には、今までの組織論を根底から崩す力が潜んでいますし、ネットワーキング論にリンクするおもしろさがあります。
どこまでこの発想で、女の自立ができるのか、楽しみです。
男たちが組織の上下関係のなかで地位獲得ゲームに熱中しているうちに、女たちは組織そのものを解体する作業をゲリラ的に進行させています。組織の幻想を暴露される日が刻々と追ってきます。

7.女の自立は、生き甲斐をアピールします。
:質問H 《この程度の仕事に生甲斐はないはず》


「この程度の仕事に生き甲斐はないはず」には、女性は17.4%の支持率(男性は13.2%)しか示していない。
:質問A 《これが自立する女のいやらしさです》


「これが自立する女のいやらしさです」には、女性は,15.4%の支持率(男性は23.8%)しか示していない。この質問項目は10の質問項目の中で、性別による差異がもっとも大きい(つまり2.5%水準で有意な相関がみられる)。
ほとんとの女性は、自立する女の仕事をトータルとして積極的に支持している。組織の世界にどっぷりと浸っている男からすれば、これほと素直にはなれません。嫌味に、つい「女のいやらしさそのものです」といいそうになるし、まして「生き甲斐です」なんて吐きそうになって、素面ではとてもいえません。せめてアルコールでもはいれば、少しポーズをとって「仕事には生き甲斐が大切です」とでも言い切る元気がでましょう。そうでないかぎり、組織に生きる男たちは、つい本音を言いそびれます。本音を言えるのは、男気をもって窓際に座ることができる者だけの特権であり、組織の地位と階層にあくせくする男たちには、無理な注文である。
対照的に、女は自由です。組織からの拘束に縛られないので、彼女たちは自由に仕事をすることができます。でも、おいしそうなところは組繊が占領してしまっていることが問題です。今後、自由に生きる女が組織を食いつぶしていくか、それとも食いつぶされるか、興味津々です。組織論は、新しい展開を待っています。自立する女がみせる顔がどこまで生き生きとしていられるか、組織に縛られる男たちは、救世主を待つ気持で、彼女たちの顔をみつめています。

(B)女の自立スケール、登場

このような10項目がどのような相関を示しているか、を数量化V類によって分析すると、つぎのようになる。


A) これが自立する女のいやらしさです A) そう思う A2) そう思わない
B) 若い一瞬に、可能なことにすぎません B) そう思う B2) そう思わない
C) これは選ばれた女だけのものです C) そう思う C2) そう思わない
D) 所詮大きな組織の下請けの仕事です D) そう思う D2) そう思わない
E) こんな自立は結婚までの話です E) そう思う E2) そう思わない
F) 現状の報酬に満足するようではダメだ F) そう思う F2) そう思わない
G) 仕事の将来的な発展がみられない G) そう思う G2) そう思わない
H) この程度の仕事に生甲斐はないはず H) そう思う H2) そう思わない
I) 金の為に鋤かないなんて、甘すぎる I) そう思う I2) そう思わない
J) 働く女にとつての理想です J) そう思う J2) そう思わない

ここでは、6つのクラスターを発見することができ、それらはつぎの2つの紬によって位置づけられる。

1.”あたたかさ”と”ひややかさ”

第一の紬は、自立する女の仕事にかんして、「あたたかな視点」で支持するのか、それとも「ひややかな視点」で拒否するのか、である。女の自立を評価する視点として、支持か拒否か、という問題が第一の軸の意味である。
2.”まぶしさ”(イメージ)と”つれなさ”(リアリティ)

第二の軸は、女の自立にたいして、現実的な視線(つれなさ)を投げかけているのか、それともやや夢想的な視線(まぶしさ)を投げかけているのか、である。ここでは、女の自立を支持するにしろ拒否するにしろ、自立の現実を見つめる立場を重視するのか、それとも自立のイメージを大切にする立場を重視するのか、というリアリティとイメージの対照性が弁別の軸を構成している。

3.クラスター1:組織クラスター

『組織クラスター』は、女の自立を拒否する「ひややかな視点」に特化しているクラスターであり、つぎの4つの項目から成立する。

(A) これが自立する女のいやらしさです

(D) 所詮大きな組織の下請けの仕事です

(G) 仕事の将来的な発展がみられない

(H) この程度の仕事に生甲斐はないはず

これは自立を表現する女性の仕事それ自体を拒否するクラスターである。つまり『組織にコミットする立場』から女の仕事を評価すると、基本的にはこのような否定的な評価になるはずである。「組繊に生きる男のきぴしい仕事と比べたら、こんな女のチャラチャラした仕事は、仕事といえるわけがない。お嬢さんたちの単なる気紛れのお遊びにすぎない!」とレッテルを貼りたがるのが、このクラスターである。
仕事は組織を媒介としてはじめて価値を発生させるはずだ、という組織信仰を強く抱いているのがこのクラスターである。このクラスターに帰属する人は、「組繊人であることが仕事をする前提条件であり、組織を無視した仕事などありえず、組織における地位の獲得こそがサクセスの証明であり、自己のアイデンティティの証明である」、という確固たる信念をもっている。近代社会を支えたビューロクラシーとそこでの職業倫理は、このクラスターを強く支持するはずである。男らしい仕事とは、組織のなかでこそ生き生きとし、そこでのゲームに勝ち抜いてサクセス・ストーリーを創れる人に似合っているはずである。

4.クラスター2:夢想クラスター

『夢想クラスター』は、女の自立にたいして「まぶしい視線」を投げかけるクラスターであり、つぎの2つの項目から構成される。

(C) これは選ばれた女だけのものです

(J) 働く女にとっての理想です

これは、女の自立を、《理想化されたイメージ》として想い描いたもので、すべての女性ではなく、ある特定の女性にしか許されない自立のあり方だと評価するパターンである。
前述したように、『仕事が楽しく、組織から離れてフリーで働き、しっかりと仕事の内容を選ぶことができ、しかもアフター5を大切にできる余裕があって、さらに報酬のために働くような必要はなく、仕事を楽しんだ結果として高い報酬が入り込み、そして結婚しても続けられる仕事である』といった理想を絵に書いたような仕事が、女の自立をもたらす仕事であるべきだ、と信じるのがこのクラスターである。「勝手にしてくれ」と言いたくなるけれども、確かに「理想的な仕事ではあるな」と共感するものがないわけではない。当然このような理想的な仕事ができるのは、ある一部の階層であることも事実だな、と納得できる。<イメージとしての女の自立>とその陰にある<幻想としての階層化された女の自立>が表裏一体になっているのが、このクラスターである。

5.クラスター3:現実クラスター

『現実クラスター』は、夢想クラスターの対極にあり、女の自立にたいして「つれない視線」を投げかける、非常に現実的な認識をするクラスターである。これは、つぎの2つの項目から構成される。

(C2) これは選ばれた女だけのもの、ではない

(J2) 働く女にとって理想、というわけではない

これは、女の自立を、現実的な視点で解釈しているクラスターである。自立する女の仕事といっても、そのイメージはともかく、現実的には多くの男たちと同じように、血と汗と涙を流して懸命に働くことであり、それ以上のものでも以下のものでもなかろう、というつれない評価をするのが、このクラスターである。なにも自立する女などとアピールしなくても、働く女性は誰でもみんな自立している、といったシンプルな判断が表明される。
当然ここでの自立する女は、けっして一部の特殊な階層ではなく、パートで働くおばちゃんも自立する女とレッテルが貼られるまでに、幅広い解釈が許容されるコンセプトである。所詮、女の自立といっても、この程度のものだ、という硯実的な視点からの切り口をしっかりと固定しているのがこのクラスターの特徴である。

6.クラスター4:未婚クラスター

『未婚クラスター』は、「組繊クラスター」と「夢想クラスター」の中間に位置するクラスターで、「ひややかな視点」をもちながら「まぶしい視線」を女の自立にたいして投げかけるクラスターである。これは、つぎの2つの項目から構成される。

(B) 若い一瞬に、可能なことにすぎません

(E) こんな自立は結婚までの話です

これは、女の自立には否定的ではあっても、「結婚するまでは」という条件付きで自立する女のイメージにまぶしい視線を浴びせているパターンである。女の自立が輝きをもてるのは、若くて未婚で、怖いことなど何も知らないでやっていける度胸と美しさをもった一瞬の時である、という認識がここにはある。
女が輝くとき、その一瞬にしか自立の華は咲かない、という幻想を信じるのが「未婚クラスター」である。夢想クラスターのように、女の自立が永続するものとは思えず、一瞬に輝くからこそ、自立する女のイメージが価値を発揮するのだ、という信念を抱くのである。ここには、単純に女の自立を拒否するのでもなく、また素直に女の自立を夢想するのでもない、複雑な感情の発露がみられる。それを融合させて自立の華を咲かせるのが、若さという幻想がもつパワーなのである。

7.クラスター5:報酬クラスター

『報酬クラスター』は、「組織クラスター」と「現実クラスター」の中間に位置するクラスターであり、「ひややかな視点」で「つれない視線」を女の自立に役げかけるパターンである。これは、つぎの2つの項目から構成される。

(F) 現状の報酬に満足するようではダメだ

(I) 金の為に働かないなんて、甘すぎる

これは、女の自立に否定的で、しかも経済的な意識の低さを強く糾弾しているクラスターである。女の自立は、そのイメージにかんしては望ましいものが描かれているかもしれないが、地に足をつけた現実的な対応を考えるならば、まずは経済的な地盤を固めなければならない、そうしないかぎり、自立する女の将来的な展望は開けない、という立場がここでは鮮明にされている。
男の組繊に対抗する力を発揮するまでに女の自立を考えるならば、経済的な問題をこのように安易に扱っていてはならない。自立する女の仕事であっても、経済的な現実を踏まえないかぎり、そこでの成功はありえないであろう。金を無視しては、仕事は何もできないのである。がむしゃらに金を求める動きをして、仕事は成就するものである。それは、組織であろうとフリーであろうと、男であろうと女であろうと、変りのないことである。「報酬クラスター」は、このような経済的な現実をとくに重視する。

8.クラスター6:女の自立クラスタ山

最後のクラスターは『女の自立クラスター』である。これは、自立する女を「あたたかな視点」でみつめるもので、「組織クラスター」ばかりか「未婚クラスター」と「報酬クラスター」の3つのクラスターの対極に位置するクラスターである。これは、つぎの8つの項目から成立する。

(A2) これが自立する女のいやらしさ、とは思わない

(B2) 若い一瞬に、可能なことにすぎない、とは思わない

(D2) 所詮大きな組織の下請けの仕事だ、とは思わない

(E2) こんな自立は結婚までの話だ、とは思わない

(F2) 現状の報酬に満足するようではダメだ、とは思わない

(G2) 仕事の将釆的な発展がみられない、とは思わない

(H2) この程度の仕事に生甲斐はない、とは思わない

(I2) 金の為に働かないなんて、甘すぎる、とは思わない

これは、女の自立にたいする皮肉まじりの否定的な見解をすべて拒否し、まずは「あたたかく」女の自立を応援することが大切である、ことを訴えている。
結婚した後も仕事を続けることが難しいことは自明である。だからといって、そこで止めたら何のための自立なのか分からなくなるではないか、というアピールがある。
報酬にこだわらないような仕事はダメだ、と言われて、「はいそうですか」とこたえて、男と同じことをやったとしたら、何のために組繊からの逃走を意図したのだろうか、という思いもある。報酬へのこだわりを排除するからこそ、新しい仕事のあり方が模索できるのではなかろうか。それがどんなに非現実的なアピールであろうと。
組繊という境界の中に入るかぎり、女だとしても、男たちとの苛酷なゲームにあくせくしなければならない。アフター5などといったら、窓際にいく覚悟が必要である。でも、そんな仕事をしたくないし、それは仕事のあるべき姿からは逸脱していると、そろそろ大きな声で叫んでもいいのではないか、という思いがここにはある。
男の世界を前提とすれば、すべての点で、甘いし、夢物語的だし、ままごと的な世界にしか見えないはずである。「だから、女はいいよ!」という、組織に心酔する男たちの軽蔑と揶揄には、充分すぎる説得力があるような気がします。
男たちが近代という時代とともに築き上げてきた「組織」の原理に抵抗し、年齢のもつ深い文化的な制約に逆らい、経済的な魅力に痩せ我慢をしてそっぽを向くことで、女たちはどのような自立をしようとするのだろうか。自立したい、という気持は分かるし、自立しないかぎり、どんなに男女雇用機会均等法に守られても、男にへつらうことでしか生きていけない、という思いにも、共感できる何かがあります。でも、女が自立してみせる仕事とは何なのか。組織にコミットする男たちには、夢にしかみえません。

(C)女の自立スケール

9.女の自立クラスターを構成する8つの項目をもとに、『女の自立スケール』を作成します。


ここでは、スコア8が、女性で23.8%(男性25.0%)にも達している。女性の場合は、ここからスコアが小さくなるほど、支持率が低下しており、女性がいかに女の自立をすでに自明なものと解釈しているか、がよく分かる。
男性の場合も、傾向としては女性とほぼ同一の傾向を示している。スコア4と5の辺りで、一つの山を作っており、男らしい主張がそこに若干みいだせる程度で、全体的には、かれらも女の自立には文句は言わない、という態度を示している。
このスケールを3つの段階に区分する。スコア0から5までを統合して、「女の自立(−)」とする。これは、組織・未婚・報酬クラスターになんらかの共感を示す人々である。これにたいして、スコア8を「女の自立(+)」とし、スコア6と7をまとめて「女の自立(±)」とする。かれらは、女の自立への共感度が高い。