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2009年02月25日

都市を編むための道具

City Compilerはハードな都市にソフトなアーキテクチャを編み込むための開発環境:道具である。

(現在の日本の)都市は計画するものではなくなり編集するものへと変わりつつある、という認識を持っておられる方々の書籍としては、
 大野 秀敏, JA 63, TOKYO2050 fiber city 縮小する東京のための都市戦略, 新建築社(2007)
 小林 重敬, 都市計画はどう変わるか, 学芸出版社(2008)
などがある。

計画する都市から、編集する都市へ。最適から冗長性へ。都市を設計すること自体を再定義するにあたり、設計の対象+設計のモデルとするもの+設計のプロセスも同時に変わっていく必要がある。それぞれの書籍で、これまでの都市計画の考え方との対比がなされている。

さらに設計する対象が、ソフト/ハードやリアル/デジタルと分け隔てられることなく、複数のスケールにまたがりながらひとつのシステムとして編集しようとすれば、設計のプロセスだけでなくその前段階であるリサーチの方法も変わることになるだろう。

房総の馬場さんの家でおこなったアイデアキャンプでは、房総のまちに対するアイデアを色々と出してみる、がお題だった。
http://www.ideacamp.jp/archives/559

ひとつの試みとして、ひねり出されたお題に対する答えは
・10cmのアイデア
・10mのアイデア
・10kmのアイデア
と、3つのスケールでアイデアを出して下さい、というようにしてみた。

なので、事前にお願いしていたリサーチでも、
・市役所が公表しているような客観的なデータ
・ビデオを使ったインタビューと定点観測の映像というヒューマンスケールな主観的なデータ
を、メンバーで共有した。

国や都市を意識して建築を設計した丹下研究室では、日本地図を土台にしてさまざまな専門家の情報共有を行っていた。メガスケールの建築と日本という国家への志向が強かった当時では、そこで意識されていた共有されていた情報のスケールも大きかった。

ソフト/ハード*リアル/デジタルでマルチスケールなメディアを都市の中に編み込んでいくには、その調査方法もさまざまなスケールにまたがっていくに違いないだろうし、小さなスケールの情報から大きなスケールの情報までを一緒に取り扱えるような方法が求められると思っている。

ワークショップと個と組織と

アイデアキャンプでは複数の人間でアイデアを出していくんです、という説明をすると、個人の才能は要らないということですか?とか、自分はデザイナーとしての資質もあるからワークショップなんて興味ないな、いったことを言われる場合がある。

個か組織か。

サッカーのお題として常に語られる話題である。そんな話題がちょうど本屋に並んでいるNumberで語られている。

 西部謙司 「個」で勝つか、「組織」で勝つか。, Number, No.723, pp. 63-65, 文藝春秋社 (2009/02).
では、個(たとえばペレやマラドーナ)と組織(ミランやバルセロナ)の歴史がつづられていて、「個を生かす組織と組織を生かす個。現在は協調の時代になっている。」と結ばれている。

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マンUのベルバトフに関する記事もおもしろい。

C. ロナウド、ルーニー、テベスという爆発的なFWに肩をならべるFWでありながらも、キープ力に優れ攻撃リズムをコントロールしながらタメをつくれる選手である。ベルバトフの加入によって、周囲の個の輝きはいっそう増し組織としてもより安定するようになったと思う。

ワークショップでアイデアを複数の人で出すにしても、もちろん個の力は必要だ。個人技で突破しなければいけない局面では果敢に仕掛けなければならない。中盤でパスを回していても、ゴールを決められないからだ。しかし後ろからボールを追い越す仲間やディフェンスを引きつけてくれる仲間がいれば、個と組織が同時に光り輝くことができる。

なので最初の質問への答えは、個でもあり組織でもある、ということになるだろう。

そんな記事を幾つか読んでいる際に、ふと関連づいたのが
 豊川斎赫,丹下健三研究室の設計論:『サイエンスアプローチ』とは何か,建築ノート, No. 6, pp. 104 - 105, 誠文堂新光社(2009/02).
である。

多様な職種のきらめく才能を生かしながら、建築を日本の国土や都市を構成する重要な要素とみなすスタイルを定着させたリサーチと設計の方法論が語られている。

丹下健三先生が創設に深くコミットした社会学、経済学、地理学、土木工学、建築学、都市計画の専門家が集う日本地域開発センターでは、社会構造をリサーチによってダイアグラム化するにあたって、オットー・ノイラートが描いていたような情報が視覚化された日本地図を多くつくっていた。これは、さまざまな職種の人間がスムーズに議論するための結節点としての役割を持たせるためだったそうだ。

しかも、丹下先生は自らの巨匠スケッチをスタッフに押しつけるようなことはしておらず、複数のスタッフのアイデアを競わせながらブラッシュアップしていたという。

丹下先生はC. ロナウドやベルバトフでもなく、ファーガソン監督だったのかもしれない。

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2009年02月12日

POST-OFFICEとアイデアキャンプの関係

IDEA CAMP(アイデアキャンプ)はPOST-OFFICEで考えていたことを実践してるんです、なんて説明をするのだけれど、

久保田晃弘 消えゆくコンピュータ 岩波書店

「形(フォーム)と空間(スペース)」から、「過程(プロセス)と場(フィールド)」へと、デザインのベースがシフトしている。その代表がインターネットである。

この文にあるような違いがあるかもしれない。

そして、ワークショップって何?という本を今書いているという西村佳哲さんによれば、「ワークショップが、工場(ファクトリー)でも教室でもなく文字通り「工房」であり、お互いを活かし合ってなにかをつくり出す試みの場」であると。

オフィスもそうした場であるべきなのだけれど、すでに何をやるか?は決まっていることを効率的に行うファクトリーとしての要素も大きく、オフィスの中にファクトリーとワークショップというある意味で矛盾した行為を同居させなければいけないという課題がある。

もちろん両者がアウフヘーベンされた場がオフィスであるのが理想だけれど、もちろんそう簡単ではない。であれば、いったんは外の場所でやったワークショップの結果を、ファクトリーとしてのオフィスに持ち帰ることで、矛盾を解消する。
さらに、それを繰り返すことで、ワークショップとファクトリーがアウフヘーベンされたオフィスに変えていけるかもしれない。

そんな説明だと分かりやすいでしょうか?

2009年02月09日

建築や都市における(オランダ)構造主義

一般に構造主義といえばクロード・レヴィ・ストロースによって有名になった概念であり、その後にギー・ドゥボールに流れてゆくような現代思想のイデオロギーとして捉えられることもある。
先のエントリーで丹下健三氏が構造主義ということばを使っているが、イデオロギーではなく方法論としての構造主義であると言っていいだろう。

● Wikipediaより転載
構造主義(こうぞうしゅぎ)とは、あらゆる現象に対して、その現象に潜在する構造を抽出し、その構造によって現象を理解し、場合によっては制御するための方法論である(構造主義という名称から、イデオロギーの一種と誤解されがちであるが、あくまで方法論である)。数学、言語学、精神分析学、文芸批評、生物学、文化人類学などの分野で構造主義が応用されている。

建築で構造主義といえば、アルド・ファン・アイクらによるオランダ構造主義がある。アイクはチームXのメンバーであり、建築や都市を要求される機能に従って機械的に構成した(コルビュジェらによる)CIAMを乗り越え、変化や成長のプロセスを許容しうるダイナミックな構造を模索しようとした。

スミッソン夫妻は、木の幹(変わらないもの:空中街路網)と枝葉(変わるもの:建築群)の関係に例えられる複合的な骨格を提案し、既存市街地の上部・空中街路網(歩行者用歩廊)を重ねてアクセスを多層化することで建築群の活性化を図ろうとした。
アルド・ファン・エイクは、プエブロ・インディアンの集落などを範例に基本と成る構成単位を設定し、それを積み重ねることで複合的かつ秩序だった全体性をつくり出そうとした。

以下、矢代真己, 浜崎良実, 田所辰之助 マトリクスで読む20世紀の空間デザイン 彰国社 を抜粋。
・機能主義という一元的な論理からこぼれ落ちてしまった、あいまいで多義的な空間の性格の回復を図る作業が、さまざまに模索される
・そのひとつが、文化人類学の成果を取入れた「構造主義」
・アルド・ファン・エイクが提唱し、ヘルツベルハーやブロムによりオランダを中心に展開される
・「部分から全体へ」という微視的な視点が重要視される
・場所(部分)に応じた機能の相互的な関係を、造形・構造体・利用形態・スケールなどさまざまなレベルから複合的に関係づける
・「閾」「両義的空間」:あいまいに重ねあわせていくこと
・「カスバ」:非均質的な空間、非合理に見えながらも有機的で組織的
・「迷宮的透明性」:こうした環境のあり方を言い換えた言葉
・ユーザが設計者の思惑を超えてさまざまに使いこなしていく手がかり=解釈の多様性を与えようとした
・コンピテンス(内発的学習意欲)を誘発する仕組み=ユーザが環境と相互作用する能力を発動させる仕掛けづくり(文化人類学の発見した「感性的表現による世界の組織化と活用」に基づく「具体の科学」を誘う環境を導く)

こうした動向に呼応するようにメタボリズムが生命の新陳代謝をメタファーとした建築や都市のデザインを提案した。ベルナルド・チュミはポスト構造主義の作家であるとも言われ、調和や全体性を拒否した脱構築の建築家であるが、シチュアシオニストに影響を受けている。その弟子でもあるレム・コールハースはシークエンスとしてのシナリオを重ね合わせる方法論を用いており、オランダ構造主義の影響は少なくないだろう。

ファン・アイクは、技術の優位を承認する発展主義的ではなく、フィールドワークをつうじた人間の初源的要求から出発しようとする立場だったようだ。シチュアシオニストである彫刻家のコンスタントの活動が大きな示唆を与えたとも(http://www.isolationunit.info/squatter/item/05/index.html)。

その思想を引き継いだヘルツベルハーは、オフィスの設計でも著名であり、その著書は今もって輝きを失っていない。

思想としての構造主義と建築・都市における構造主義の関連については、
五十嵐太郎,一九六八年 - パリの五月革命をめぐる思想と建築,pp.149-185, 都市・建築の現在,東京大学出版(2006)
が詳しい。


プロセスプランニングと海市展

先のエントリーに書いた、東工大の世界文明センターで行われた「アーキテクチャと思考の場所」という講演会では磯崎新氏が登壇されていた。http://www.cswc.jp/lecture/lecture.php?id=60

磯崎さんの展覧会であり自分もお手伝いをしたICCのオープニング展覧会「海市」。展示はほとんどカオスだった。参加した建築家も鑑賞者もきっと理解していなかったに違いないのだが、展覧会の意図はこう説明されている。

http://www.ntticc.or.jp/Archive/1997/Utopia/index_j.html

Mirage City


この展示/イヴェントは,情報社会化してゆく21世紀にむかって,ひとつのユートピア都市を構想し,具体化するための実験モデルとして組みたてられます.それは,近代社会を支えた唯一の普遍性,単線的な進歩,および垂直の序列性の原理に対する根本的な疑問に発しています.変換の手がかりは,各種のinter-(間,相,交)です.すなわち

inter-activity (相互操作性)
inter-communality(間共同体性)
inter-textuality(間テクスト性)
inter-subjectivity(間主体性)
inter-communicativity(交互通信性)

さしあたり,マカオ沖の南支那海上に構想されている「海市」を舞台にし,その上に,4つの異なったモデルの上演(パフォーマンス)を行います.

マスタープランをもたない都市のプランの構想は可能か。それはすでに30年前に死を宣告されている近代の目的性をもったユートピアに替わって、もうひとつのユートピアが自己組織的に生成していくかどうか、その可能性を見定めようというところにこの上演の意図がある。

壇上では、プロセスプランニングと切断の話を振られてのコメントをされていたのだが、2chやニコニコ動画の説明を(事前に)した上で、海市の話を振ってもよかったのではと思う。

2009年02月08日

アーキテクチャとシステム論的な都市計画

先日、東工大の世界文明センターで行われた「アーキテクチャと思考の場所」という講演会を聴講してきた。http://www.cswc.jp/lecture/lecture.php?id=60

その告知の中に

建築、社会設計、そしてコンピュータ・システムの3つの意味をあわせもつ言葉「アーキテクチャ」。それは、現代社会で、多様なニーズに答え、人間を無意識のうちに管理する工学的で匿名的な権力の総称になりつつある。

とある。これらが多元的な系として環境を構築しつつある中で、特にコンピュータ・システムが影響力を増していること、個人が作ったようなサービスが事後的に公共性を帯びてゆく可能性があることにどう応対してゆくべきか、ということが議論の焦点のひとつだった。

この中で浅田彰氏は、マクルーハンのメディア論の頃とあんまり言ってること変わってないよね、といったようなことをさらっと言っていた(w)。

歴史は繰り返すし、異なる極を振り子のように行き来するものだ。都市も造形デザイン、システム論的なアプローチ、造形デザイン+市民参加、という大きな変遷の歴史がある。

日端康雄 都市計画の世界史 講談社現代新書
p.308より

二〇世紀の前半の都市計画家の仕事は、プランを実際につくり、プランを実施する法律制度などを整備し、それを実行することであった。それに対応して、都市計画教育では必要なデザイン技法と都市計画制度の知識が教えられた。
五〇年頃から、一九世紀末からの社会改良主義の都市計画は次第に影をひそめ、システム理論を取り入れた計画技術に重点が置かれるようになっていった。
科学的都市計画の発想は先程触れたP・ゲデスに始まる。彼は、都市計画における継続的調査の必要性を訴え、計画の目標、予測、点検、評価などの一連の循環的プロセスを都市計画の根本に据えようとした。これはシステム論的都市計画のはしりであり、各国の都市計画制度にもこのプロセスは反映している。
W・アイザードの立地理論や、活動と土地利用の交通システム論、N・ウィナーのサイバネティックスなどの科学的成果が、人口爆発、高度消費社会、工業技術の発展などによって、大都市化が進む都市計画の重要な理論となった。とくに、政府部門に交通、防災、環境管理、危機管理などの課題への対応が求められるようになった。
巨大な都市全体をコントロールするには、専門的な調査データやシミュレーションが必要である。そこでは、さまざまな科学技術とシステム科学を活用して管理するようになった。また、全体の都市計画に必要な膨大な調査データや複雑な仕組みを市民に理解してもらうために、都市の骨格的要素やその構造をとらえ、ダイアグラムのようなわかりやすい図で表現されるようになった。
都市空間の造形デザインから離れて、システム科学を応用した都市計画へ重点が移った。都市計画はコントロールとモニタリングの継続的プロセスになったのである。
その結果、次第に市民の関心からかけ離れたところで都市計画が動いていくようになった。また都市システムは自然システムのように、一元的で決定論的なものではなく、多元的で確率論的なものなので、システム・アプローチの限界も見え始めた。
七〇年代になると、都市計画の現場では、開発や、道路などの都市施設の計画を巡って政治的対立が頻発するようになった。また、地域の問題は地域で決めるというような、都市計画の意思決定に関する政治的、組織的アプローチが多様化していった。そしてもはや市民の感覚でとらえられない都市計画から、人々は市民参加のまちづくりや造形的な都市デザインに関心が移っていくようになった。
市場主義の工業社会のもとで巨大化し広域化した近代都市は、都市全体を一体的にコントロールする領域と、建築的な街区レベルの都市デザインを考える領域と、市民が共同的に決めていくまちづくりの領域が分化してきた。これは現在の先進各国の都市計画制度そのものである。

人の不可視なものに対する不安感は今も昔も同じである、ということだろうか。

そして、この次に文章をついでゆくとすると、様々なアプローチが列挙され得る。コンパクトシティやクリエイティブシティ、シティマネジメント、タウンマネジメント、サステナブルシティ、エコシティ。

City MashUpやCity Compileも?トップダウンな計画ではないところからすると、↑で議論されたひとつであるローカルでボトムアップな実践をお上の計画とどう共存させてゆくのか?という課題を抱える場合もあるだろう。

岡本裕一朗 ポストモダンの思想的根拠-9・11と管理社会 ナカニシヤ出版  も参考になる。


2009年02月04日

「こんにちは世界」とCity Compiler

研究としてすすめているCity Compilerは、さきの「こんにちは世界」のエントリーで挙げた

1) いまの世界を拡張するもの
 ・仮設的な空間を設える
 ・デジタルな情報をオーバーレイする
 ・その場所に意味を加える

3) 新しい世界を構築するもの
 ・意味を蓄積させていく
 ・汎用的なシステムがその場所固有の意味を徐々に帯びていく

ような情報システムをつくるための道具だと位置づけている。かつCompile=編集するという意味では先のエントリー「City MashUp」のための道具でもある。

City Compiler : http://naka.sfc.keio.ac.jp/cc/

City Compiler

Google SketchUpとProcessingを一緒に使いながら、考える・つくる・使う(3Dビューワで仮想的に)のサイクルを回して、実際にインストールするための道具。

こんにちは世界。

考える・つくる・つかう の分断と回復

インターナショナル・デザイン・シンポジウム 2009 Creative Synergy -デザインの相乗効果- でのLiving Worldの西村佳哲さんのお話をちょっと復習。


「考える・つくる・つかう」というデザインor設計に必要なサイクル。

農耕化(分業化・効率化)にともなって、考える・つくる | つかう のあたりに分断が。都市国家の成立や産業革命・工業化の進歩にともない、考える | つくる | つかう に分断がおき、もともとは円環的なサイクルであったものが、単線的なシークエンスになりしかも分断されている。

分断され単線的な状態はファクトリー的であり、そこではディレクターやマネージャーが求められた。円環的なサイクルはワークショップ的であり、そこではミディエイターやファシリテーターが求められるだろう。この人たちの資質はなんだろう?

そして、円環的なサイクルを個人の中だけでなくグループの中でサイクルが広がっていくスパイラルにするために、重要なことってなんだろう?

といった内容でした。

そうしたサイクルを廻しやすくする道具や環境の提案が「POST-OFFICE」だったり「IDEA CAMP」だったり。

1月の連休に行われた西村さんがファシリテーターをつとめたワークショップにも参加させていただいた。「自分の仕事」を考える3日間

個人的には「半農半X」にはっ!とした気づきがあった。
あわせてまた勉強になりました、どうもありがとうございます。>西村さん

こんにちは世界

Hello, World.

CやJavaを習う時に、最初の例題の多くがHello Worldである。
まずは
 printf("Hello, World\n");
 System.out.println("Hello, World!");
などと打ち込んでみてくださいと言われ、最初に打ち込むコードだ。なぜこの例題なのか、プログラミングを初めて勉強する人は必ず頭にひっかかることだろう。質問してみても、「まぁお約束だから!」という答えが返ってきて、ふーんと思い、if文やfor文の例に進む。

Wikipediaによると「ブライアン・カーニハンとデニス・リッチーによる著書「プログラミング言語C」(The C Programming Language) の影響であるとも言われている(ただし、同書では "hello, world" とすべて小文字で感嘆符もない。また歴史的にはカーニハンの前著「A Tutorial Introduction to the Language B」(1973) が初出とされる。」とある。http://ja.wikipedia.org/wiki/Hello_world

こんにちは世界。

実は深いことなんじゃないか。そう思ってみる。
昨年にアーバンコンピューティングシンポジウムで「都市とアートのつながり」というお題で話をさせていただいた。
アルスエレクトロニカ2008で展示されていた空間的な作品と都市的な作品を幾つか紹介して、3つの分類をした。

1) いまの世界を拡張するもの
 ・仮設的な空間を設える
 ・デジタルな情報をオーバーレイする
 ・その場所に意味を加える

2) いまの世界の見方を変えるもの
 ・あるの場所の意味を伝え直す
 ・蓄積された意味を異なる文脈に置く

3) 新しい世界を構築するもの
 ・意味を蓄積させていく
 ・汎用的なシステムがその場所固有の意味を徐々に帯びていく

「プログラムを書く」という行為は必ずこのどれかに当てはまるのだと思うと、「こんにちは世界」ということばが、今から新しい世界を自分は切り開くのだという意志を軽くでも自分で宣言しているようにも思える。

まぁ誤読かも(w)。

2009年02月03日

都市の構造に「衝撃を与える」

東京計画 - 1960はメガストラクチャーが実現可能になり自動車が交通システムの主役になろうとする時代に提案された、新しい都市の構造であった。
東京湾を横断するメガストラクチャーに目が行きがちであるが、これまでの古い東京を活かしながらも拡張するように四谷から銀座を経て東京湾へと伸びる交通網が提案されていた。

丹下健三先生の偉大な功績のひとつに広島平和記念公園および広島平和記念館がある。

中谷礼仁氏による「場所と空間 先行形態論」の七節「都市の転用」の中で、広島平和記念公園および広島平和記念館が「都市転用のプロセスを、社会的計画として推進し、成功した希有な例」として紹介されている。

中谷礼仁, 場所と空間 先行形態論, 都市とは何か, 岩波書店, pp. 67-99 (2005).
● 96頁より

丹下は同時期、都市に対して以下のような意味深い言葉を述べている。

「都市は焼け野原になってしまいましても、決して白紙ではないということであります。都市はいつでも元に帰ろうとする生きた力をもっております。白紙の上に理想的な都市の姿を描いても、そこからは決して新しい明日の都市は生まれてこないということであります。いつでももとの古い都市、私たちが精算し、克服してゆこうと思っているような昔のままの都市が、そのまま再び生き返ろうとしております(13)」。

そしてまた彼らによる計画の提案に対しては以下のように述べている。

「都市は構造を持っている。計画は、その構造の因果的な関連の分析である。それは、その構造に何らかの衝撃を与えるとき、そこから生まれる効果の因果的な関連を測定するおとである。そうして、その有効な衝撃の具体的な方式を発見することである(14)」。

 ここで丹下が、構造を改造するのではなく、構造に「衝撃を与える」と表現していることに注意したい。白紙の上に都市を思い描いても、そこからは決して新しい都市、場所は生まれないのだ。丹下はこの計画においてとうとう「有効な衝撃の具体的な方法」、つまりは先行形態に衝撃を与え、転用し、新しい場所を生み出すことに成功したのだった。その営為に対して私たちが称賛を惜しむ必要はないのである。

編集する対象のスケールや並べる要素のスケールの大小の違いはあるが、これは先のエントリーの、馬場さんによる「すでにある都市を使うこと」と変わらない。と思う。

原爆ドーム・慰霊碑・資料館を結ぶ南北軸と、資料館を中心とする3棟の建物による東西軸からなる公園の計画は、当時の若手建築家・丹下健三の設計による。資料館と慰霊碑も丹下の設計。
Wikipediaより

東京計画 - 1960には、サブタイトルとして「その構造改革の提案」と書かれてある。
新建築, 36卷, 3号, pp.79-120 (1961) の最初の頁。

TangeTokyo1960Cover.jpg

● http://www.ktaweb.com/works/tmp.html より転載
もはや東京は「都心」という求心的な構造の概念にとらわれていてはこれ以上の発展は望めない。そこで都心から東京湾にスパインを伸ばした場合にどういうことが起こるか提案してみたのである。これを「シビック・アクシス」と名付け、具体的な構想を練った。

こうした私の構想は、単に東京という一つの都市の未来像を描いたというわけでなく、「構造主義」という新しい概念として受け入れられた。それはひとつひとつの機能を如何に働かせるかということだけではなく、それぞれを如何に結びつけ、全体を構造づけて行くかという考え方である。

ここで言われている構造こそが都市の「アーキテクチャ」であって、広島平和記念公園および記念館は、建築としてのアーキテクチャを作ることで、それを内包する都市のアーキテクチャに「衝撃を与え」より明確にしようとしたと言えるだろう。

アーキテクチャの上でアプリケーションを作るも良いし、あるアプリケーションが動きやすいようにアーキテクチャをバージョンアップしても良い。あるアーキテクチャの上にアーキテクチャを整えて、アプリケーションを動かしても良い。

今の言葉で言うと「プラットフォーム」の方が分かりやすいかもしれない。

(追記)
このエントリーを書いた一週間後に山口のYCAMに行ったので、これも縁だと思い(?)広島に行って平和記念公園に行ってきました。原爆で焼け野原になった都市に公園をnewすること、その強い意志を感じる軸線でした。

2009年02月02日

City MashUp

先日のシンポジウムにて、博報堂の田村さんと岩嵜さん・Open Aの馬場さん・関心空間の前田さん・Living Worldの西村さんとお話させていただいた。
インターナショナル・デザイン・シンポジウム 2009 Creative Synergy -デザインの相乗効果-

その時に、馬場さんが編集長をやっていた『A』のNo.8とNo.9でやった特集 東京計画2000 #1, #2での馬場さんの巻頭言をちょっと紹介した。
http://www.open-a.co.jp/avol1vol13/

(No.8 巻頭言より一部抜粋)

東京も日本も、そして建築も都市もずいぶん変わった。
僕らの世代はメガストラクチャーを東京湾につくることを、時代からは求められてはいない。求められているのは60年代のように、壮大な構想を描くことではなく、例えば、ささやかでも実効性のあること。

成長だけではなく、維持に対応できるもの。
リアルで等身大のスケールを持ったもの。
減ってゆく人口に対応したもの。
ヘビーではなくライトなもの…。

その動きは、東京のさまざまな場所で、さまざまなかたちで、既に始まっている。
現代の都市計画は、ちょっと前の概念では、とてもそう呼べないようなものも含まれる。
例えばそれは、ネットワークのなかで進められている。
小さな家具のなかにも潜んでいる。
かたちさえ、もたないかもしれない。

今までとまったく違う方法論や、クライアントや、メディアによる、現代には現代なりのやりかたの都市計画があるはずだ。

これらの行為やプロジェクトを編集することが、現代の都市計画なのではないか、そういう仮説から、この特集は始まった。

今まで、この言葉はいくつかの場所で紹介してきたが、ふと「City MashUp」とでも呼べるのではないかと思った。ヘビーでメガなシステムではなくて、既存のさまざまなスケールの要素を組み合わせてできあがるシステム。メインフレームのような都市計画とWebアプリケーションのような都市計画の違い。

シンポジウムの中では、馬場さんは
・デザイン領域を再定義すること
・すでにある都市を使うこと
・新しいサイトを探すこと
を自分のデザインの方法として説明。場所の価値を発見して、新たな要素と組み合わせ編集することで新たな価値を生み出す。MashUpもやや流行り終えた言葉かもしれないけれど、ソフトウェアの概念を実空間へと輸出するものとしてはCity CompilerやCity Debuggingの仲間としたい。

馬場さんをほめる→抽象化することで、これからのデザイナーのあり方?について話をした。このスタイルもアジャイル的+MashUp的だと言っていいだろう。

・デザイナ視点 * 編集者的視点
 ・デザイン=固定概念を崩す:その対象がひとつの領域に留まらない
 ・手段が目的となっていない:領域の枠組みも含めてデザイン

・ブリコラージュ的発見とデザイン
 ・新しい価値を見出す * 見出すきっかけを提供する
 ・アシストでも良い・ゴールするのは他のデザイナやユーザでも良い

・メディアがある/になっている + 届ける相手の想定
 ・いろんな人が活躍できる状況やプラットフォームを作っている?
 ・プラットフォームを作る + その中で自分も走る
 ・参与的観察者ならぬ参与的デザイナー?(調べて+作って+自分も使って+伝える)

・実践 * 実験: アジャイル的
 ・試行錯誤・ ムダ走りをいとわない
 ・走ってはセンタリングの繰り返し?

・やってみるエネルギーが素晴らしい
 ・オフサイドぎりぎりで裏を狙っている
 ・パスを引き出す感じも
 ・ビジネス × 儲からないこと(合理主義と非合理主義)のバランス

・肩肘張ってない
 ・不完全でもいい・反応をみつつバージョンアップ
 ・社長なのに威張ってない