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Januar 31, 2005
思いきって
大学から帰ろうと思ったら、下校時間が高校生に当たってしまいました。バス停の前に並んでいる数から言って、3回ぐらい待てばバスに乗れそうな感じではあったのですが、問題は人数比です。
いつもはもっと大学生も多いのですが、授業やテストが基本的に終わってしまった今日、バス停にいるのはほとんどが高校生。高校生の中で、うまくバスに乗れる自信がなかったので、
今日はちょっと思いきりました。多分、1年ぶりくらいかも知れません。強い風と青すぎた空が背中を優しく押してくれました。大学から駅まで歩いてしまいました。
背の低い場所なので、空が切り開かれていて、やけに青の密度が濃い気がしました。風が、強くて、うれしくて、ついついほくそえんだりもしていました。気分は、ハンガリーストライキをする学生みたいな。ベトナム戦争反対!みたいな。
とか、そんなちょっとしたハイキング気分に浮かれていたのははじめの10分くらいで、もうそこからは疲れて、歩きたくなくなって、でもまだ遠藤で、通りすぎていくバスには高校生ばっかりで、だから歩くしかなくて、でも駅は遠くて、やけに風が強くて、なのに空が青くて、青すぎて、足は痛くなって、色んなことを考えてはまたやめて、これからを考えて悲しくなって、ときをとめたくなって、でも駅には着きたくて、もう立ち止まることさえ出来なくて、結局駅まで1時間かかりました。
思いきってみる瞬間と、そのあとは少し楽しいけれど、結局そのあとには圧倒的な現実が待っていることを再確認させられた一日でした。
投稿者 POE : 09:59 EM | コメント (0) | トラックバック
Januar 30, 2005
永遠に繰り返されてもいい一日
え、もう1月も終わり?
困ったな。別にどう困るというわけではないけれど、何となく「もう1月も終わり」という語感とその意味内容が嫌になる。だってもう1月も終わりだよ!?
変わらないことを求めて、変わらないということにこだわろうとすることはあまり好きじゃないはずなんだけど、もし全てが今のこの時点で止まってしまったならば、それもいいかも知れない。
そういえば、昔からずっと、「今日の一日なら永遠に繰り返されてもいいな」と思える日を探し続けていた。
きっと全ての願いをつめこめば、時の流れを止めることが出来ると信じて、なんとかその日をやりすごそうとしていたり。今日はまだだめだ、だから明日こそは、みたいな。
でも結局そんな日には出会わずにここまで来てしまったことは、欲が出てしまったからかな。
投稿者 POE : 06:53 EM | コメント (0) | トラックバック
Januar 29, 2005
テスト勉強
前日の夜から2教科は少し大変だなあということに気付きました。
またいつものように、赤と緑のチェックシートで受験生のような勉強をしたのだけど、どうもこうもはじめて「範囲が終わらない」という想いに襲われました。
ひたすら暗記の教科だから、残りの覚えるべき量もわかっているわけで、なのにもうすぐ朝が訪れてしまうという状況。
少しわくわくしました。
投稿者 POE : 06:43 EM | コメント (0) | トラックバック
Januar 27, 2005
121
待ち焦がれていた季節が訪れるたびに
失う怖さは増えていくばかり
こころの描く明日だけで
生きていけるのに
どうして目前に明日は
有りのまま描かれてしまうのだろう
答えや終わりばかり見えていたのは
立っていた場所があまりにも狭かったから
今日も部屋の片隅で誰かの訪れに怯えてる
席を立つ誰かを数えてる
いつかは一人きりになってしまう日がくるのは当たり前だと
どれくらい言い聞かせてみれば
笑って全てを捨てることが出来るのだろう
投稿者 POE : 12:30 FM | コメント (0) | トラックバック
Januar 26, 2005
死んでも生きかえる
というか設問の意図がよくわからないあたりが、教育委員会の調査っぽくてよい。小学生に「人は死んでも生きかえると思いますか?」って聞くなんて、「核はこの世界に必要ですか?」という質問を小学生に聞くのと同じレベルじゃん。
一方での、小中学生の、生きかえる理由に「リセットすればよいから」が多いことなど、大人の趣旨を理解しているようで、今の時代の子供っぽくてよい。空気をよめる子供には好感が持てる。
ところで、個人的にこのアンケートをうけたとして、大人受けを一切気にしないとしても「生きかえる」と答えると思います。
だってこの数万年の歴史のなかで一度くらいは生き返った人がいるかも知れないうえに、今までたまたま誰も生き返っていなかっただけで、明日からは生き返ることが日常茶飯事になってしまうかも知れない。
生き返るの定義はわからないけれど、科学がそれを可能にすることは別に荒唐無稽でもないように思う。(本人と寸分たがわぬ人工知能みたいなものとクローンの組みあわせとか;この安っぽさが荒唐無稽ではあるけど)
まあ、二択を「生きかえり得ない」と「生き返り得る」と読み替えてしまうことになるけれども、そのときどっちが科学的な態度かといえば後者だよね。
何かの理論を自分で確かめないで盲目的に信じてしまう(そうせざるを得ない)という点で、宗教と科学は違いがないはずで、それでもそれを個人レベルで差別化出来るとするならば、それは疑う態度と絶対を忌避する心持のはずだから。
投稿者 POE : 05:39 EM | コメント (0) | トラックバック
Januar 24, 2005
動き出すちから
何だか、やる気が起きない。
テストの準備やレポートやそれなりにやるべきことはあるはずなのだけど、「さあ。やるぞ★」みたいなレベルまで自分を持っていけない。
確かにテストやレポートといっても、それほど量が多いわけではないし、「一回も授業出てないんだけど、大丈夫かな!?この単位取らないと留年なんだけど」みたいな事態でもない。
悲壮感や切実さのきっかけとなる土壌がない。まあ別に悲壮感なんて欲しくないんだけど、こういうちょっと頑張りたいんだけど、なんだか頑張れないなあってときはどうすればいいんだろう。
認知学習論とか内発的な動機付けがまず必要とか、もっともらしいこと言うんだけど、今のこの状況で何が内発的な動機になりうるんだろう。
明日のテストがよく出来たら何かを自分に買うとか?いや、いつも欲しいものは(明日日本がなくなるときのために)すぐに買うことにしているし。
明日のテストがよくなかったら、ついでに他の単位も切ってしまうとか?いや、なんかちょっと楽しそうな上にそこまでの勇気ややる気があったなら、もうとっくにそうしている授業がいくつかあるし。
もっと他の軸を導入しないとだめかな。
明日、壊れた万年筆一本でテストに臨むとかね。書きなおせない上に、書きづらく、しかもいつまでもつかもわからない。そんな、たとえて言うなら、傷付き汚れてもう力がどれほども残されていないように見えて、それでも闘う戦士みたいな。それでも、結局、ただのツナギにしかならなくて、死んでしまうという(先週からドラゴンボールを見ているのです)。結局、サイヤ人には勝てないんですか?
投稿者 POE : 11:00 EM | コメント (0) | トラックバック
Januar 23, 2005
ここで。
止まっていたい。
変わりたくない。
でも周りは否応無しに変わっていってしまう。
なら、変わらなくてもすむ場所へ行くしかないのかな。
守りたいのは
この場所や、ここにいる誰かじゃなくて、
この自分。
それとも、まだ
受け入れる力はまだ残っているかな?
投稿者 POE : 10:01 EM | コメント (0) | トラックバック
なんかちょっと。
犯罪者の人権は守られて、被害者の人権が守られていない。
↓
もっと厳罰化するべきだ!
なんか、このいう最近の流れを見ていると気持ち悪くなる。
少年法厳罰化を見ていても、こういう問題の解決でいったい誰が救われるの?って感じがする。犯罪者の罰を厳しくしても、被害者が救われるわけでもない。
「犯罪者の人権は守られて、被害者の人権が守られていない」のなら、まずすべきことは、被害者の人権を守ってゆくことじゃないのかな。犯罪被害者法自体は20年くらい前からあるけれど、制度的に不充分。
「犯罪者の人権は守られて、被害者の人権が守られていない」のなら、犯罪者の人権をさらにそぎ落とすべきだっていう発想が、なんだか余裕がなくて気持ち悪い。
そもそも犯罪者の人権自体、他の国と比べて日本は全然守られていない。
アムネスティから毎年勧告を受けているくらい、その待遇は名古屋刑務所の事件で少しだけ明らかになったように、よくない。
なんか、つまんない寝言書いちゃった。
やっぱり、最近思うんだけど、真面目なことって書きたくないな。真面目なこと書くと、知識の量とか、頭の具合とかばれちゃうじゃん。
ずっとふざけていたいです。
投稿者 POE : 03:01 FM | コメント (0) | トラックバック
Januar 22, 2005
自律訓練法
体育の自律訓練法という体育の授業に出てきました。
常連の話だと今日のは、いつもとは趣向とは違うらしいのだけど、散々でした。だって、あるある大辞典のビデオ見せて終わりだよ!?時間も40分たらずで終わってしまうし。ここまで楽な(教師側が)授業は久しぶりでした。
ちなみに、内容は精神年齢。そのあるある大辞典の精神年齢のテストによると20代前半でした。年相応なのはリアクションが出来なくて困ります。
ついでなので他の精神年齢鑑定でもやってみました。また、微妙な結果に。
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鑑定結果
あなたの精神年齢は35歳です
あなたの精神は『中年』になりかけています。一人前の大人です。若々しさはほどんどなくなりましたが、代わりに大人としての風格が目立つようになってきました。しかし、そろそろ年を考えなければならなくなりそうです。
実際の年齢との差15歳
あなたは実際の年齢より大人びています。同年代の人よりしっかりした性格の持ち主で、周りの人々に頼られてお兄さん(お姉さん)役を努めてしまうこともあるでしょう。そこがあなたのよいところです。
幼稚度56%
あなたは小学校低学年並みの幼稚さを持っています。まだまだ保護者が必要です。友達とケンカしても泣かないくらいの勇気を持ちましょう。
大人度61%
あなたはなかなかたいした大人です。精神もかなり発達しています。
ご老人度44%
あなたは既に『初老』の段階に入ってます。もはや止めることは誰にもできません。おじいちゃんに急接近です。
あなたとお友達になれそうな人
ビートたけし
所ジョージ
久本雅美
星一徹
クレヨンしんちゃん
総合的な精神年齢を詳しく見てみると、幼稚度、大人度、ご老人度にわけることができます。例えば、幼稚度と大人度がともに高かったりすることがあります。これは、幼さも持ち合わせていてしかも大人っぽい一面もある人、ということになります。精神年齢は年寄りなのに幼稚度が高いということもあります。これは頑固でワガママなおじいちゃんに当てはまります。大人度は高ければ高いほどよく、逆にご老人度は低ければ低いほどよく、幼稚度は15%前後なのが、活発で頼りになる理想的な人です。
また、『お友達になれそうな人』とは、精神年齢や幼稚度などがあなたと似ている人です。
これを期に、自分を見直してみてはいかがでしょうか?
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精神年齢チェック少し、困る。
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あなたの精神年齢は【82歳】ぐらいで【まだらボケの老人】レベルです。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり……。
熟した果実があとは落ちるのを待つばかりであるように、あなたの精神年齢も佳境を過ぎて、桃源郷に向かおうとしているようです。
もしあなたが70歳以下であるならば、あなたの精神年齢は熟しすぎて老成しているといえるでしょう。
これ以上、おのれの精神年齢を引き上げるには、昇仙して仙人になるしかありません。
危険ですので、一般人は避けたほうが良いでしょう。
あなたが学ぶべきことは、もうこの世にはないようです。
あとは黙って、自分のささやかな楽しみを追求しながら余生を過ごしましょう。
今のあなたに必要なもの:ボケ防止に小学生用の計算ドリルをやってみるといいかも知れません
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新EQテスト
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新EQテスト結果
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あなたの精神年齢です
生活年齢(実際の年齢) 19歳
精神年齢 32歳
知能年齢 38歳
変化対応年齢 30歳
コミュニケーション年齢 22歳
自我年齢 38歳
元気・やる気年齢 35歳
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やっぱり今年もACでいいです。
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Januar 19, 2005
耳鳴り
夜、静かな部屋に響くやけに高いキーンという音。耳鳴り。
更年期障害かなとあせって、医学書を見てみたら、静かな場所で耳鳴りが聞こえるということは誰にでも起こることで別に問題はないらしい。よかった、よかった。
ただ、そのとき「どこまでが確かにどこまでが耳鳴りかってわからないよね。だって、ぼーっとすると頭の中で誰かの会話とか声とか聞こえるわけだし」って言ったら、まわりにひかれました。これは医学書によると幻聴というらしいです。
え、誰でも聞こえるよね?ぼーっとすると、頭の中で会話のひとつふたつ。
投稿者 POE : 11:19 EM | コメント (3) | トラックバック
Januar 18, 2005
呆気なさ
テストって呆気ない。期末テストの呆気なさとか気になりませんか?一学期間やってきてテストが1時間とかって。どれだけの準備期間だったんだよ、と。テスト勉強に対する時間と本番の時間を単純に対比でもさせてしまったものなら、その格差に自分への後悔や憐憫さえも感じる。
せめてもう少し、テストにおいて、名残惜しさや密度の濃さを演出してほしい。
たとえば、テスト用紙を越前和紙にして、教師が行って一枚一枚作ってくるとか。
採点を赤い糸で行うことにして、問題ひとつひとつに糸で○や×を縫っていくとか。
それくらいしてくれれば、お互いに頑張ったんだなあ(無駄なことを)と、少しは心安らげると思います。
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腫れ上がった空が
零れ落ちそうで
一人怯えるのには広すぎるこの場所で
ただ懐かしい影を探していた
間違いじゃないすれ違いを
何度繰り返しただろう
誰が他人だと決めたわけでもなく
ただの迷いさえもなく
交差点は傍若無人な動線を今日も受け入れてゆく
どこまで行ったらいいのなんて
今じゃ誰も聞かないけれどね
きっとそれは答えを知ったわけじゃなくて
問いを忘れてしまっただけかも知れない
たとえ仮に永遠や普遍があったとして
永遠でも普遍でもない僕たちに
それが何になるのだというのだろう?
この道がどこまで続こうと
今わかるのは
ただこの道を降りてしまったときに
路頭に迷うことくらい
空だけじゃ
今は生きられないのだから
腫れ上がった夢を
ぶり返しそうで
瘡蓋を今は守ることでしか
たとえ明日を繋げなくても
こんなやさしい記憶の下で
倒れてゆくのなら
それもいいだろう
空なしじゃ
今は生きられないとしても
+++++++++++++++++++++++++++
投稿者 POE : 11:40 FM | コメント (0) | トラックバック
Januar 17, 2005
好きな言葉
「それでも」
「だけどなお」
投稿者 POE : 10:07 FM | コメント (0) | トラックバック
Januar 15, 2005
センター試験
ついに今年もセンター試験の時期がやってきました。
再来年から英語にリスニング試験を導入するようです。しかし、はじめは冗談だと思っていたのだけど、実施方法が「個別音源機器を各受験者に1台ずつ配布」。模試やTOEICのように、教室で音を流すわけじゃないということです。
i-podまではいかなくても、最近はやりの小型MP3でも配るのかなとか思っていたら、そういうわけではないらしいです。こんなもの、試験にしか使えないけど、いったい何がしたいのだろう。。。。。
リスニングについては賛成だけど(日本語に関しても韓国の共通試験のようにリスニングを導入した方が良いとも思う)、このどうにもかっこよくない個別音源機器はどうしたものかなあ。ていうか、普通にいっせいに教室中に音を流せばいいよね。二次試験のリスニングもそうしているわけだし。
この個別音源機器を見て、受験のことを思い出していけばいいのかな。「そうそう、この問2でおじいちゃんは間違っちゃったんだよ」とか、孫に聞かせたりして。「あれ、おじいちゃん、これ何も聞こえないよ」「ああ、ついに壊れちゃったのか。あれから50年だもんなあ」とか。「でもね、この問2がおじいちゃんとおばあちゃんが知り合うきっかけだったんだ.....あれ?聞こえるじゃないか。」「えー?聞こえないよ。」「女の人の声が聞こえるだろう?」「おじいちゃん、これ、もしかして.....」みたいな。
あ、それとも回収して毎年使うのかな。なんか、機器によっては積年の怨念がつまっていそうでそれも怖いな。突然、壊れたり、突然、恨みのメッセージが流れて来たりね。「あれ、これはもう使わないんですか?」「毎年、だめになるのが1割くらいあるんだよ。」「この機械ってそんな簡単に壊れちゃうんですか?」「違うよ。じゃあ、これは神社がもうすぐとりにくるから。」
投稿者 POE : 07:10 EM | コメント (0) | トラックバック
Januar 14, 2005
20!
誕生日。
20になるのが怖くて、昨日から寝ていなかったのですが、ついつい授業中に寝てしまいました。
その間に中身が変わって、今記憶だけを受け継いだ新しい人間になってしまっているかも知れません。
ところで、今日はタイタンに探査機が突入した日。5年くらい楽しみにしていたので、他に5年くらい対耐久する楽しみなことをまた見つけないといけません。
++++++++++++++++++++
そして舞い上がる
空は今、
風の中
膜を注ぐように
ひとり
取り戻すように
足跡の意味を
ここから捕らえなおすように
君へ向かい
歩いていた
いつか
光る夢を
頼りに歩ける時代は
もう過ぎて
だから
今日はまだ
置き忘れた
あの日々や傷を
抱きしめたまま
不十分なまま
抱えたまま
ここから行こう
どんなささやかな
空を望み
それなりの
明日を
それなりの
意味を
ここで
探していよう
ここで
世界を
受け入れていよう
それなりに
受け入れていよう
青がまだ
裂けることなく
朝を
掲げていられる
瞬間だから
季節だから
ここから
世界を
++++++++++++++++
投稿者 POE : 11:19 EM | コメント (2) | トラックバック
Januar 13, 2005
さいご。
意味なんてないから
きっと意味を探して
文字を残して絵を描いて誰かに会って
なんとか意味を携えて
歩いてきて歩いていける。
投稿者 POE : 11:46 EM | コメント (0) | トラックバック
歩く場所。
最近、学校正面の悪名高いあの階段を使わずに、芝生をななめに突っ切っることにしています。時折感じる学生の目線が気にならないことも無いけれど、時間も短縮できる上にあの階段を使わなくて良いので快適。しかも、中程度攪乱説(全く手を加えない自然よりも、ある程度人間が踏み入ったほうが自然にとってもよいという考え方。例;定期的な間伐など)を信じているので少し自然と一体化した気さえしてしまいます。優先席を誰かに譲る感覚でしょうか。
ところで、今日は少し歩きすぎた気がします。歩くというと屋外や田舎というイメージがあるのですが、街って実は(という程でもないけれど)かなり歩かざるをあえませんよね。たとえば都内の地下鉄は、地下9Fというのもあるくらいの深さをはじめ、駅から駅への距離などその歩かなきゃいけない場所は途方もない距離になってしまいます。
山の中なら「ああ、今日は歩いたな」とか納得できるけれど、なんで駅の中くらいしか歩いていないのに足が疲れないといけないんですか?とうまく体と心が重なりません。なので、駅ももう少し「ここから西口出口まで300歩」や「消費カロリー20」などと書いてくれたらいい気がします。
+++++++++++++++++++++
夜の膜が幾重にも降り注ぐ頃
ささやかな足跡は今離れてゆく
まだ空気や夜が二人を繋いでいるはずなのに
それがうまく分からない
熱狂が押さえきれない時代を
いつまで君は憧れてゆくの
そんなものどこにもないさと
笑う余裕も今はとてもないけれど
どこへ行けば?
なにを望めば?
そんなことはどうでもいいさよ
どうやって君に納得させよう
どこへ行けば
なにを望めば
投稿者 POE : 12:13 FM | コメント (0) | トラックバック
Januar 11, 2005
さらに成人式
知り合いから、全く知らない人のブログまでいくつかの昨日の成人式体験記を読んだのだけど、おおかたみんな楽しそうだった。
なんか、主観なんだけど、思い出を作っているという感じの人が多かった。「そうかこれが成人式か」という、自分の知っている成人式像を追体験して納得・満足しているみたいですね。
そういえば膨大な数の写真をみんなとってた。思い出は今の20歳だとやっぱり、作るものって感覚なのかなあ。
投稿者 POE : 11:34 EM | コメント (0) | トラックバック
Januar 10, 2005
実際に、成人式
久しぶりにかなり落ち込みました。
1 式に対する不満
進行がぐたぐたでした。もっと騒ぐかと思ったらざわめき程度の新成人だったのにも関わらず。確かに一応、恙無くは進行したけれども、本当にそれだけ。もっと頭使って式を構成したほうがいいんじゃないか、と少し不安になりました。もしくは、前提に欠陥があって、成人式の式としての構造的な成功は有り得ないのかも知れません。
ただ好感が持てたのは、市長が小学生に語りかけるように絶叫調で、語彙も少しで、非常に単純な祝辞を述べたこと。今の20歳像を象徴していて、その開き直りが気持ちよかったです
でも紅白でさえ進行がうまくいかない昨今、これは式全体を使った「大人になんてならなくてもいいんだよ。大人とか言ってもこんなもんだよ。ごめんね、ぐたぐたで。」というメッセージだったのかも知れません。これからも安心して堂々ととACを標榜したいと思います。
2 人ごみ
これも主催者側に原因があるんだけど、出身中学校別の部屋や場所が用意されていなかったために、懐かしい友達を探しまわったり、待ち伏せたりで人がおかしな込みあい方をしていました。所詮、成人式の意味は同窓会程度でしかないのだから、肝であるそこを疎かにするあたりが、致命的でした。
(成人式が同窓会になっている以上、もしまだ地域にちからがあるのならば、小学校や中学校を会場に学区単位で行うのが理想な気がする。)
3 なつかしい顔
でも、久しぶりに会う人たちに、ただの立ち話だからかも知れないけれど、あまり魅力を感じませんでした。いや、変わってしまったのがどっちか、変わらなかったのがどっちか、そういうことはわからないけれど、軽く優しい思い出を壊されました。みんな、もっと面白かった気がするんだけどなあ。
4 自分の痛さ
SFCにいたら、別に許容されるような言動も、普通の20歳的にはかなり痛いみたいです。しかも中学校の頃からこのキャラだったようで、みんなの一歩ひいた目線が印象的でした。やっぱりあのキャンパスは居心地が良すぎて、いつの間にか甘えてしまっていたようです。
やっぱり成人式とか向いてないのかな。
どよーん。
++++++++++++++++++++++
こんな悲しい場所が
世界の中にあることを
忘れていたのかも知れない
どこまでこの人々を
通り過ぎれば
それともどこかに
埋もれることが
出来たのならば
一人は消えてしまうのかな
一人を消さず
誰かと生きる
そんなことも
この場所じゃ無理なのかもね
遠く離れる空の下で
訪れてしまった積み重ねは
わかりあえるはずもなく
欠落の後の突然の再開は
青を幾重にも乱反射させてしまう
こんな悲しい時間が
こんな街にあることさえ
忘れていた代償ならば
笑ってまた全てを振り下ろそう
笑ってまた全てをあきらめよう
++++++++++++++++++++++++
投稿者 POE : 11:39 EM | コメント (0) | トラックバック
Januar 09, 2005
成人式
行こうかどうか迷ってる。
まあね、お正月よりは好感が持てる。
人為的に決めた区切りのくせに、さも自然現象のような祝いっぷりがお正月は生理的に嫌なんだけど、成人式は歴史的裏づけが薄いことを誰でも知っているせいか、昨今騒がれる壊れっぷりが良い。
だから誰かが何かをしてくれるなら明日もちょっと覗きに行きたいんだけど、もし何もない静かなバカみたいな空間だったらどうしよう。
+++++++++++++++++
この道はまだ続いてゆくね
これほど歩いても
こんなに歩いても
旅立ちの場が翳むばかりで
行き先はまだわからないまま
ねえここには何もかもがあるように見える
進むことに意味はあるの?
幾つもの区切りだけを勝手に並べ
数え切れない終わりとはじまりを
繰り返しているだけかも知れない
もうすぐ朝は訪れるでしょう
光が街を暖かく染める
もうすぐ誰か動き出す頃
一人の時間は終わるけれども
誰かに会えばいいとか
夜が終わればいいとか
そんな優しい答えは
悲しみには用意されていない
どこまで行けばいいのだろう
一体何が欲しいと言えば
何もかもはわかちあえるの
いつになっても明けない夜を
僕たちはきっと探し続けているのかも知れない
それはいつ訪れるのだろう?
もしかしたらここが夜なのかな?
そんな甘えはもうやめたい?
投稿者 POE : 10:20 EM | コメント (2) | トラックバック
Januar 08, 2005
ウェルネス
補講。ついでに体育のウェルネスも受けてくる。
rorschach testをやる。
影絵を見てそれが何の形であるかを言う心理テスト。
http://rossbender.org/rorschachriffs.html
このPlate IVの絵を2人の墓堀りに見えるといって、少し痛い子扱いされました。
2人で真ん中の死体(太腿辺り?)を運んでいるように見えますよね?
なんだか先生からやけに優しい言葉をかけられました。
投稿者 POE : 09:36 EM | コメント (2) | トラックバック
Januar 06, 2005
心理学のレポート
書く前はぐたぐた言ってた心理学のレポートだけと書いてみると楽しかった。なんか、それなりに自己分析できた気になっちゃうんだもん。
心理学科の人気がわかったような気がしました。でも、心理学もいいけどその不可能性や限界も授業で積極的に教えるべきだと思った。確かに自己分析とか、こころがもののように扱えるものだとか魅力的ではあるけど、当然万能であるはずはないわけで、それを勘違いしちゃう人が多いと怖い気がする。
実はAはBだとかAとBは関係しているなんて、一見それらしく説明するのは全然難しいことじゃない。中学生でも作文かかせればおそらくそういうふうに書くくらい、むしろAだからBなんていう思考方法は誰にでも出来ることで、別にそれ自体はいいんだけど、その考えどおりに当然現実が動くわけじゃない。現実がそんな簡単に説明できるわけがない。もちろん、簡単に見せかけることや、簡単な世界だけを生きてゆくことは出来るけど。
(課題内容)
自分自身の乳幼児期を振り返り、乳幼児期の養育環境や、周囲の人々との相互交流と、現在の自分自身のパーソナリティー傾向との関係について、講義で取り上げた、Freud, Bowlby, Mahler, Klein, Winnicott, Emde, Sternの考え方、いずれか一つ以上を用いて考察しなさい。
だからやっぱりこの課題ってのはどうなの?って気がするけどねえ。勘違いしそうになるじゃん。自分が分析できちゃうって。まあ、たかが学部の授業だから適当に流せばいいのかも知れないけど。。。。
投稿者 POE : 11:25 EM | コメント (0) | トラックバック
Januar 05, 2005
こころ
「あなたの言葉が何にもわからない
あなたに心があるのか不安になる」
最近よく聴く歌の歌詞なんだけど、最近他人の心というか、自分の心があるのか不安になる。物語を読んでも誰かと話しても街を歩いても、「楽しい」や「悲しい」や「やばい」や「面白い」はわかるんだけど、それはこころを使っている気がしない。比喩的に言えば、こころからはそう思えないで、自分で「楽しい」を追体験しているというか、遠くから「ああ、これが<楽しい>なんだね」って眺めている感じ。
昔は「楽しい」とか「悲しい」をこころから感じることが出来たのかな?それとも「嬉しい」や「寂しい」はこれでいいのかな?大人になってしまったってことかな?(この痛い疑問は少なくとも世間的に大人ではないけど)
いや、毎日楽しいんだけど、幸せなんだろうけど、それは主観に徹した内発的な楽しいじゃない気がする。自分の言葉がうまくわからないような。なんか、つねに「あ、そっかー」って発見しているような。「楽しい」ってこれか!みたいな。
まあ、何が言いたいかというと、心理学の課題なんてやりたくない。こころってよくわからないんで、それをどうこう分析しろって言われても困りますよー。
投稿者 POE : 11:41 EM | コメント (0) | トラックバック
お題作文?
蘇我入鹿は645年、中臣鎌足と中大兄皇子に殺された。
それは史実として間違いなさそうなのだけど、残っている国史は天皇家編纂のものばかりだから当然、入鹿は悪者として描かれるしそうせざるをえない。誰にとって悪者かといえば中臣鎌足一派の役人にとってであって、勿論悪政を理由に悪と決めることも出来るけど、その彼を殺した基準というのは当時の善悪に基づくものでしかない。
だからそれが正しいか間違いかなんてわからない。ただしもしも判断基準が歴史にあるとして、その判断をするのが今の時代に生きる誰かだったとしたら、その事件がないと困ったことになる。歴史のもしもを考えるのは、小説家にとっては無駄じゃないだろうけれど、その事件がなかったとなると自分の存在が脅かされてしまう。そしてもしも、もしもを考えられたとして、価値判断をするとして、その価値判断は当然、今という時代や価値観を逃れられない。どちらにつくかで、どこにつくかで、簡単に善悪なんて変わってしまう。911のテロリストがヒーローとして神格化される時代が繰るかも知れない。普遍主義なんて簡単じゃない。
というわけで、今日ヴァンパイアカフェに行ってきた。もっとディズニーランドを見習って物語を徹底して欲しいです。だっていきなり門松。店員も少しそれっぽい服を着ているだけで普通の言葉。食品もわずかに奇抜な名前がついているだけで、何のアトラクションも食品自体の独創性はとぼしい。
勿論、「ほどほど」にして窓口を広げているのかも知れないけれど、それなら「ほどほど」を積極的に明示すべきであって、どうも中途半端にしか見えなかった。
善悪の価値さえも、既存の価値を全て取り払ってしまうくらいの、そんな環境であって欲しかった。日常の価値観なんて、意味ないと思わせるような物語を構築して欲しかった。
ていうか、それってドラッグのパーティーとかがきっとそうだよね。トリップすればいいってもんじゃないね。
そして、きっと売り上げ的には成功しているみたいなので、こんな文句は意味ないですね。一見さんが多いのか、それとも固定客がついているのか。。。
*とはいえそこまで悪かったわけではなかったです。ドトールみたいな?違う?
投稿者 POE : 01:55 FM | コメント (0) | トラックバック
Januar 04, 2005
いちにち
嬉しかったこと ひとつ
(恥ずかしいので公言できない)
悲しかったこと ひとつ
(9時に奇跡的に起きられたのに二度寝。気付くと3時)
憂鬱なこと ひとつ
(今書いている3つのレポートや課題がそれほど満足いくものにならないかも知れないこと。最低限、自己満足はしたいのに。大好きな科目だから、むしろはじめてきるかも。)
迷っていること ひとつ
(久しぶりに会う人たちと、しかも場所が行きたかったところなんだけど、課題との天秤をかけたときにどうするかと未だにどちらかに傾かない)
想っていること ひとつ
(誰かの世界のことまではわからないけど、この世界ひとつどうかうまく幸せになって欲しい。功利主義かも知れないけれど、今はそれでいい)
いまのまとめ
(色々あるけど、うれしいことひとつで今、幾分と優しくなれた。あきらめていたけど、良かった。またはじめられる。)
投稿者 POE : 02:21 FM | コメント (0) | トラックバック
Januar 02, 2005
まだの先端
今週から学校らしい。。。。。。
もう2005年だし。。。。。。
窓際からそっと
物語が離れてゆく
優しく並べすぎて
時間まで薄められた空間で
あの時何を期待していたんだろう
明日の自分や
明日の世界に
過剰な夢を被せないって
何度も立ち止まった度
言い聞かせてきたはずなのに
少しうまく笑えても
今はなんとか歩けても
そのうちあっけなく壊れてしまうかも知れない?
今夜は悪戯な不安だと片付けられない
力強く呆然と決然として
どんな態度だったとして
一人きりいつまでもなんて
立ち止まっていられない
君も同じ時間を過ごしているだなんて
今は何の慰めにもならずに
何度も聞いた言葉がただ頭の中通り過ぎてゆく
どうしてこんな場所まで来ないと
気付けなかったのだろう
空ろな星がざわめいたまま
街は少しだけ僕たちを遠ざける
大好きな物語でさえ
あの場所じゃなかったら
抱きしめられない
別の場所で別の時間に
出会えたらだなんて
別の場所で別の時間だったら
出会えるわけもなかった
もうすぐ零れてゆく
世界が
この場所へ届くまで
飛んでいられるかな
優しい期待
壊すだけの絶望に
出会えたならばと
一瞬浮かぶけど
本当は絶望に
耐えるだけの優しさなどない
空はゆっくりと
地上を離れる
窓はかすかに
地上を揺らす
投稿者 POE : 11:12 EM | コメント (0) | トラックバック
Januar 01, 2005
2005
ついに2005年らしいです。臆さずに「2003年おめでとう!」とか言えればいいのですが、若年性痴呆や素人心理学者も流行の昨今、軽々しく恥ずかしいことはいえません。
世論調査とか見ていると、日本をときどき脱出したくもなるけれど、他に行きたい国も無いので、今年は生きたい場所を少し探したいです。もしもそれが24世紀のTOKYOだったり19世紀のイギリスとかだったら、自殺でもして輪廻転生を願わないといけないんでしょうか。新年早々自殺はないですね。
*2005
人や街を
薙ぎ倒した波は
やがて海へ戻ったけれど
人や思想を
洗い流した時は
いつか過ぎてしまうけれど
微笑みの価値や
闘うことの意味や
殺し合いの規則も
2005年前と大した違いはない
君が頑なに守った操縦桿は
もう壊れてしまったまま
縦横に詰め込んだ軌跡の行方は
凍えそうな空の果てへと続く
針の上の楽園でその場所は見えない
風は穏やかに悲しみを拭ってゆく