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Desember 31, 2004

1231


2004年が終わっちゃう!
2004年って字面が未来っぽかったので少し気に入ってたんだけど2005年はどうだろう。
オレンジっぽい感じかな。なんだか1983年みたいで、あんまり期待感は感じられない気がする。まあどうせ2004年も未来じゃなかったからいいんだけど。

もう一度、1998年とか2003年が来ないかな。

++++++++++++++++++++

欹てても聞こえない
悲しみはいくつかの時代
流されたまま
世界のふちから零れそうになっている

一緒に泣くとか
一緒に笑うとか
誰もが簡単に出来るわけじゃない

だけど優しい人は
あまりにも多くて
呆気なくも何もかも
わかちあえる気がしてしまう


一人きり生きられない
僕たちが生きていることはきっと
誰かに許されているからだよと
君はいつか教えてくれたけどね

こんな街で
どうやって持ちこたえていけばいい?

夜が終わったら
空が明けてしまう

凍えそうな夜ならそれいい
凍えたままならそれでいい

暖かい場所がこの世界にあるなんて
気付いてしまった僕たちは
幸せなのか 不幸せなのか
よくわからない

だけど今度こそうまく
立ち振る舞えるかな

そんな期待だけなら
明日またもてるかな

明日まで持ちこたえられるかな

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Desember 30, 2004

年賀状

年賀状を何枚か書いていた。
鶏って卵なんですね。
書きおわってから気付きました。

そのことをもう少しはやく気付いていれば
痛さの無い年賀状を時流にのせることが出来たかも知れません。

どうしようもないほど脆い塔が
崩れそうな気配は聞こえていた

だけど幸せな僕らは気付けない
気付きたくない 気付く必要もない
きっとそんな未来や過去のこと

たとえば空が東から裂けるほど
たとえば街が今ここで終わるほど
たとえばそれ以上のこぼれそうな奇跡を
全て乗り越えてここに僕がいること

僕がいないことの方が
有り得そうなのに
何故かここに有り得てしまったことに
大きな理由を与えて遊ぶことさえ
もう疲れかけているのかな

そんな時代は過ぎたよねと
何もなかったように平然と
寂しくも嬉しくもなく街を歩ける
人ごみに紛れられる

僕は僕だなんて
今じゃ子供か哲学者しか使わなくなった言葉
考える場所は失くしてしまったまま

難しいことは簡単なまま
こころに溶けてしまったまま

いつか戻れるかな
いつか再び手に入れる日もあるかな

風はとうにやんでしまった
三角州の続く悲しみは
今じゃ置き忘れの合図


足元はさっきから
見ることが出来ない

歩いている
それだけで充分だと思ってしまったから

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Desember 29, 2004

あと三日

思わず苦笑してしまうのだけど、今年もあと三日らしい。夏休みの終わりもそうだけど、ついつい過剰にカウントダウンとかしてしまう。あと32日しかなーい!と建前ではカウントダウンをはじめながら内心まだまだ余裕がある7月からはじまり、8月29日からは冬休みのカウントダウンでもして心を慰めたりしていた。

いっそ突然通告されたほうが良いのかなとも思ってしまう。朝起きたらいきなりニュースで「今日から2005年になりました!明けましておめでとうございます!」

会社に行こうとしていたホワイトワーカーもビックリ。極秘に通告を受けていた一部コンビ二などのみがオセチをちゃっかり販売。大衆は何事かわからないまま、なし崩し的に2005年を迎えながら、「ああそうか、昨日が2004年最後の日だったのか。色々あったなあ。」と過去形で振りかえる。

どうですか?牛の解体現場も、なんとなく進んでいったら解体されちゃったみたいな感じだし、精神的な負担が少なくて、だけどどこかスリリングで面白そうじゃないですか?

って、別に新年明けたからって普通の人にとってそれは、なんでもない、せいぜい飲み会のネタに過ぎないくらいの出来事であるわけで、オセチを売らなきゃいけない、特に個人商店がハラハラするぐらいでしょうか。

ただ個人的には、事前に大々的に通告されるよりも、こっそり秘密裏に運ばれたほうが好きな気がします。「30分で店を出ろ」と言われるよりも椅子が硬くて自分で席を立ってしまうほうが、本人にとっては優しいと思ってしまうくらいなので。だから、本当は世界中でこっそり新年が明けて欲しいね。それはそれは巧妙に、誰にも気付かれずに2005年や2017年になっていて欲しい。せめて自分から気づかせて欲しい。

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Desember 28, 2004

マグロ丼 in Cafe


マグロにとろろと卵のかかった丼からどんな風景を想像しますか?居酒屋?ファミレス?和食亭?

実は少しおしゃれっぽいカフェらしいところのメニューにあったのだけど、おしゃれっぽい照明や雰囲気の下におかれるとこのマグロ丼さえも、おしゃれっぽい雰囲気になっていました。混ぜて食べたり、箸で食べたり、それを食べている人を切り取れば間違いなくお洒落ではないと思います。

マグロ丼が、ですよ。メニューにはなかったのですが、おそらくカツオのたたきやカツ丼くらいなら大丈夫だった気がします。

環境やコンテクストって大事ですね、という当たり前のことをいまさら実感しました。マグロ丼さえもお洒落に変えてしまう場のチカラですね。

でも、カツオ丼くらいならいいとして、たとえばふりかけご飯だったらどうでしょう。いや、ふりかけなら大丈夫だとしても、ただのおにぎりだったら?おにぎりでもすらないただの茶碗にのせられたご飯だったら?

実際、おにぎりでもすらないただの茶碗にのせられたご飯なんてメニューになかったのですが、近くの席で大学生の合コンテンションでの忘年会が行われていて、明らかにその人たちはおしゃれなライトと音楽と場の中にいても、おしゃれではなかったです。むしろおしゃれな雰囲気を少しずつ侵食し、壊し始めていました。

環境を壊してしまうほどの何かもあるようです。でも、環境に少し影響を与えつつも脅かしつつも、環境側に踏みとどまっているマグロ丼。そこにカフェの戦略的なにおいを感じずにはいられませんでした。ちなみに、普通のマグロ丼でした。

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Desember 23, 2004

S


夜を留める
虚空の月が伝わる

その傍らを進む
懐かしい汽車の影

壊れた願いを
燃やす炎が
祈りを運ぶ

窓際に一人
大きすぎる袋も
とうに役立たず

君を信じられるほど
優しい人はもうあまりない


それでも旅を続けた君はまだ
覚えているかな

真夜中にひとり
泣いていたあの子を救った日を

姿をかえて一人
歴史に耐えた日を

どこにでも行くよと
赤い服で笑っていたよね


今はもう
寂しさは武器にならない

時代は全てを振り落とし
科学は全てを見透かして

こころやそらまで
摩擦と同じ数式で描いてゆく


だからせめて
微笑みを頼りに歩いてみたい

「たとえそれが盾にならず
 撃ち落されも
 笑ってあげよう」

祈りは舞い上がるだけ


ねえ、誰もがその姿を
忘れてしまい

消えてしまうその日まで
笑っていて欲しい

列車がやがて
空を飛べなくなるその日まで
笑っていて欲しい

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Desember 22, 2004

腫れ


今日で今年の学校も終わり。
今日はいいんだけどね。終わる日だから。
でも明日は少し困る。終わりがはじまる日だから。

はじまってしまったら終わるのを待つだけ。
終わりゆく瞬間がすき。
でもはじまってしまうものが怖い。

せっかくここまできてやっと終わりそうなのに、なんとかがんばってきて、ついに終わるのに、またなんで始まってしまうのかな?

境界線なんて人為的なものだから無視できればいいのだけど、日や年や冬休みや学期や学年という境界線を無視したら今度は、生死なんていうとてつもなく長い長い区切りに向かい合わなくちゃいけなくなる。もちろん、生死も概念のひとつだからそれを無視してもいいんだけど、そうしたら宇宙とか永遠とかいかがわしいものの中で生きなくちゃいけなくなる。

なので、仕方がないので、結局、冬や年というみんなで共有できる概念をもって終わりやはじまりを嘆いている。「あの人も同じ時間をすごしているのが救い」なんていう幻想にすがってみる。

でも共有は結局あまり救いにならなくて、途方もなくちっぽけな存在としてまた行く年を悲しむ。いい加減に止まってほしいと願う。そして自分だけが止まって、世界が動いてしまったりして、また悲しむ。


++++++++++++++++++++++++

青すぎた空が
隠した雲の隙間

言いそびれた未来が
気になりだしている

もう会うつもりなんてなかった
過去の自分を発見してしまう

ぼろぼろになったバトンなんて
受け取ったりもしてしまう

この場所を諦めてしまった僕が
どんな顔でそれを携えていけばいい?

走れないし笑えないし愛せないし
壊せないしだからもう作れない

希望も痛手も時間に侵された後では
同じものにしか見えない

憎しみで別れてゆく人たちすら
最後には「別れる」を共有できるのに
過去の自分と今の自分じゃ
それすら分け合えないから


立ち尽くしてしまえばいい?
笑っておどけていればいい?
もう一度あきらめなおせばいい?

なのに空は青すぎて
青以外の空が見当たらない

街の果てなんて
どこまで走っても辿り着けはしないのに
空は見渡す限り
区切られて果てばかり

そんな空がなぜか青すぎて
腫れたままの傷をなぞってしまう

見えなかった空白を
浮かび上がらせてしまう

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Desember 20, 2004

金八先生

今やっている金八先生って、全てが自己否定・皮肉ですかというくらいに上滑りしていて面白い。製作者側もある程度意図しているようなふしもあり、そこまでドキドキはしないのだけど。

でもそれでも壊れそうでも、ドラマとして成立している。一方で、実際の学校じゃ壊れっぱなしになっているところもたくさんある。

だからいっそ、普通の教室にも台本や効果音を導入してみたら、面白く学級崩壊がどうにかなるんじゃないかなあ、と妄想してみたり。

生徒のせりふは全部台本に書いてあって、教師が何を言うかも決まっていて、きちんと悲しげや嬉しげな効果音が響いてくれて。。。。。ほら、タレントがドラマで感情移入して実際に好きになったり嫌いになったりってよくあるじゃん。だから、生徒は生徒役に、先生も先生役に感情移入して、やがてはドラマみたいな素敵な教室になったりするかも知れない。

台本は誰に書いてもらおう。いやあ、見学したいなあ。楽しそうだなあ。

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Desember 18, 2004

ピーターパン死人説

ピーターパン死人説はぼくにとっては大発見だったのですが、意外と受けが悪かったです。でも少し検索してみたら、ぼくと同じ説をとっている人が3人くらいいたので良かったです。

やっぱり、ネバーランドにいきたいくなる。はやくしないと大人になっちゃう!助けて、ピーターパン!(っていう無邪気な言葉もピーターパン死人説をとるなら「やっぱり死にたくなる。早く僕を迎えに来て!死の世界へつれていって!」となるあたりが、素敵だと思うのですが如何でしょう)


もうついに12月も終わりそうになってきました。この年末のエッジ感はとても好きです。終わる間際のものはかっこいいです。ただ、悲しいことに終わった後にはまた年は始まってしまうのです。

お正月は一年間で一番嫌いな日です。あの、あらゆる日曜日の午後をあわせもつまったりした雰囲気。のどかすぎて、殺伐さが少しも感じられません。願わくば、2005年は雷や強風の元旦であって欲しいです。せめて、この世界が少しでも、ネバーランドに近付くことを期待しながら。

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Desember 17, 2004

レンタル

いつもは家じゃ映画なんて見られないと思っていたけれど2つ、レンタルしてきた映画を見ました。買ってしまうといつでも見られるから、と結局見ないままの心を痛めるDVDが部屋に積まれているのだけど、レンタルだと返さなくてはいけないという強制力のおかげで、どうやら見られたようです。

勿論、返さなくちゃいけないというのは、レポートの提出くらいドキドキする締め切りなのだけど、まあ見られたので良かったです。実はまだ2本見ていない映画もあるのだけど、まあ4本中2本は僕としては上出来です。


■ピーターパン
102年目のはじめての実写化らしいです。街や月や雲がきれいでした。飛ぶシーンはCG合成のはずなのに、どうしても韓国映画のせいでワイヤーアクションに見えてしまいます。(でもメイキングを見たらワイヤーアクションと変わらなかったです。むしろCGマジックは撮影中に20cmも身長が伸びた主人公に使われていたようです。)

映画を見た後に原作を軽き流し読んだのだけど、だいぶ原作に忠実みたいです。
ちなみに原作にはこの前日談もあり、ピーターパンがいかにピーターパンになったかという話もありました。

どうやらはじめは大人になりたかったみたいです。だけど永遠のこどもを選んだピーターパン。永遠はいつも、悲しいことの枕詞な気がします。変わらないことは憧れだけど、周りの何もかもは変わってしまうわけで、その中で変わらないことは、結局何もかもから離れていってしまうこと。なので、ピーターパン症候群とか笑わずに、その変わらない強さを認めてあげてください!と弁護したくなってしまいました。ネバーランドに行きたい。

■天国の本屋

原作絵本は全く記憶に残らないほど他愛がないものだったのだけれど、きちんとうまく脚色されていました。北海道(天国)の空が綺麗でした。それ以外は、まあ別に特に普通の話でした。セカチューやいま会いに行きますなど、映画の泣けるサプリ化が続いていますが、この映画もサプリと思ってみればいいのかも知れません。


ちょっと考えたのだけど、ピーターパンって死人?そしてネバーランドは死の国?
年もとらず、永遠に子供でいられる。しかも、そのいきさつが、まだちゃんと読んでいないのでわからないけど、生後まもなく家を出てそれ以来帰れなくなったみたいなことが書いてある。

そしてピーターパンの仲間は、これは映画でもいっていたけど、乳母車から落ちてしまった子供たち。そして子供は当然、死にとても近い存在である。

「また会えるよね」という別れの言葉は、死んだらまた会えるって意味だったのかな。永遠に大人にならないのは、子供のときに死んでしまったからなのかな。

どうしよう、もう一度見たくなってきた。もう2時なのに。。。
DVD買おうかな。でもそうしたらきっと見ないだろうし。。。

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Desember 14, 2004

まもるもの、てき


自分の外部に何かがあるとそれは強さだったり、求心力になったりする。

たとえば守るべきものが、自分以外の大切な人だったり、明確な経済水準だったりする場合、そのために闘える。
「親のためにと入ってくる力士はドロップアウトしないね」と今日の体育の授業でも聞きました。

逆に、外部に設定した敵も求心力を発揮します。
朝鮮学校と大検の問題や、右と左の対立も、とりあえず北朝鮮(やアメリカ)が敵っていう結論にしておけば、おさまりどころにおさまる。

ということで世界から嫌われる最低の国をひとつ作りましょう。
ハリウッドなど世界中の映画技術を駆使した世界中をだます一大フィクションです。
核、内部抗争、大量殺戮、いじめ、悪口などとりあえず皆から嫌われそうなことをCGや群集心理学を駆使して一通り世界にアピールします。もうイラクどころじゃないですよ。核実験をはじめたかと思えば、他国の首相や芸能人の悪口まで流す国営放送。うまくみんなのムカつくポイントにあたってきます。タネを知っているのは一部のえらい人たちだけ。もう映画みたいな世界なんだから、映画みたいな仮想の国をそろそろ作ってもいいんじゃないでしょうか。


......くだらねぇ。

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Desember 13, 2004

男性コーラス

友達の男声コーラスの発表会に行ってきました。笑いなど期待せずにいったのに、そこはポエトリーリーディングのような(行った事ないけど)穏やかな微笑みの世界でした。

まあ、まずタイトルにやられました。合唱って言うから「聖なる道の調べ」だとか「悲しきマリアと薔薇の聖堂」だとか思うでしょ?甘いです。

「浦島太郎の身の上話」「あるラクダの身の上話」「南京事件」

タイトルの一部です。歌詞も負けずにすごいのですが、興味を持った方は是非自分の耳で確かめてください。もうシュールとか言ってる場合じゃないです。芸術の世界はすごいものです。

微笑みの提供は曲だけではありませんでした。パンフレットには内部の不和を思わせる言い訳や悲しさを帯びた団員の挨拶。不平を投げかけるOB会の言葉。いやあ、総合エンターテイメントですね。二重の意味で楽しめるんですから。

追記
道路標識と人の流れをこれからは少し尊重しようと思いました。最寄り駅から明らかに僕と同じ場所へ行く人の流れがあったのですが、どうも自分らしいルートを漫然と模索したくなり、他の人々とは違う道へ踏み出しました。

なのにその意志をおるような「***会館へはこの道Uターン」という標識。これはもう自分は試されているのだな、と勝手に思い込みその標識を無視してさらに前進を続けます。しかし、罠ははじめからもうそこに罠として存在していたようです。

あっけなく袋小路にはまり、結局もとの道まで戻ることになりました。


追記2
意外と良かったです。

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Desember 11, 2004

The Last Wind


もう崩れてしまった街を
組み立てるその指先は
誰を探していたのかな

緩やかに世界を絞めるロープは
あと誰を壊してしまうんだろう

幾重にも重なった闇に
降り注ぐ黒い雨は誰の目にも見えない

白い花や 七色の丘や 銀の金網は
もう何の意味も持たないだろう

その先に誰かが与えた
希望や 未来や ユートピアは
もう誰の心にも留まらないのだろう


足跡は消えてしまったかな
風はまだ吹いているかな

もしも誰も切れ端を拾ってしまわないように
終わってしまった夢を見てしまわないように

それだけを祈りながら
優しい旅人は倒れた

風はまだ吹いていたけど
色はかすかに残ってしまった

そんな街角の風景
そっとノイズが隠した

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Desember 10, 2004

午後2時

最近、休みの日は決まって午後2時に起きます。

昨日は早々とDの嵐も見ずに(恥ずかしいので見ていることはそっとしておいてください。でも面白いと思うので来週の水曜の夜中の日テレでやってますので、恥ずかしながらでも見てみてもいいのじゃないでしょうか)、やっとアマゾンから届いた地球防衛家のヒトビトも読みかけで(朝日新聞の夕刊の4コマ。これだけをメディアセンターで1時間くらい朝日の夕刊を見つづけたことがあります)寝てしまったのにも関わらず、です。

いったい、体内時計はどうなってしまったのでしょうか。どうにかして欲しいものです。でも、寝てるって無駄に見えて、スリリングや夢を見たり、難しい世界とは別の次元で進んでいる感じが好きなので、致命的に後悔したりは出来ません。

ただやっぱり午後2時なら、午前10時でもいいかなという気もしてきます。願わくば、午前7時くらいで夢を切り上げられたら、、、、もうすこし前向きな一日を送れたかなという気さえします。

でもまあ午前2時に起きたあとにやったことといえば、チョコを食べたり、チョコの袋をあけたり、毎日新聞を読んだり、地球防衛家の続きを見たり、その程度なので寝ていても起きていても、どうせ無為には変わりないので、これでいいのかも知れません。

ただ、同じチョコを食べて漫画を読む休日だったとしても「今日は朝から雨。チョコを食べながら読書。たまにはこういう休日もいいな★」みたいな日記も書けるような荒んでいないこころを持つには、午後2時よりもはやく起きる気持ちも必要かなと思ってみたり。

この日記の脈絡のなさもきっと午後2時のせいかも知れません。みなさんも午後2時には気をつけてください。

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Desember 08, 2004

もう

いつの間にか12月8日と気づいて驚きました。
つい先週12月ということに驚いたばかりなのに。。。
このままだと来週も12月12日あたりでまた驚きそうです。
さらに、12月20日あたりでも驚きを通り越して落ち込みそうです。

驚いてばかりの12月。
驚かせるのはもういいので、そろそろ西暦も止まってほしいです。
いや、別に核戦争とかを熱望しているわけじゃなく、たとえば2004年を2回繰り返すような優しい配慮を世界に期待してしまいます。

「あれ、まだ2004年だったの?」
「しかもまだ1月だよ。」
「まあ、2004年はあと12ヶ月も続くのね。」
「しかも今年は12月が12回もあるんだよ!」
「ということは2005年は2年後というわけね!」

年齢を気にする人に優しい制度だと思うのですがどうでしょうか。
むしろ個人的に西暦固定制を導入しようかとも思ってきます。

「もう2012年かあ。全然想像してた未来と違うね。」
「何言ってるの?まだ2004年じゃん。2012年かあ。どんな未来になってるんだろうな。」

人に驚かれて軽蔑されて同情されそうですが、いかがですか。一緒に2004年にとどまってみませんか。


+++++++++++++++++

空が落ち込むころ
影は遠ざかってゆく

今までなぞってきたすべてを
洗い流すような朝焼けの街

信号機が無造作に
赤や青を繰り返すだけの国道

いっそ行き先まで
標識が決めてくれたら

歩いて、たとえ手ぶらでも、本の一冊さえなくても
どこへででも歩いていけそうな気がする


出口や入口が無数に巧妙に隠された街を
どれだけ通り抜けたなら

すごく大切だった一緒の景色
もう一度見られるだろう

一向に変わらない世界と
あっけなく崩れ去ってゆく自分を

うまくつなぎとめるやり方を
なぜか忘れてしまって

その場だけの意味や会話や繋がりが
あふれ出して仕方がない


優しさにさえ傷つくこころなら
いっそ壊してしまえばいいのかな

いっそ壊れてしまえばいいのかな

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Desember 06, 2004

歌詞自動生成プログラムを作って下さい。

安倍なつみの盗作がそういえば先週話題になっていました。確かに、盗作というよりも引用です。でも見慣れたフレーズが溢れているのが歌詞です。

特にJ-POP的の歌詞は非常に限られた語彙で作られています。さらに「あれからいくつの季節が」「明日を信じている」などフレーズとして多用されるものも多くあります。

多分、今回も言葉の並び方を逆にするか、3つを組み合わせていたらそれは今回のような騒動にはならなかったでしょう。だってそんなことは盗作かたまたまか判断しようがないから。限られた語彙の世界で、しかも同じようなことを言いたくて、想定するお客さんが似ている市場で、似たようなものが溢れてしまうのは仕方が無いことです。

で、ちょっと真剣に誰かにつくってほしいのが、J-POPの詞を勝手に作ってくれるプログラム。多分、出来ると思うんだけどな。BOAやdreamが歌うようなよくわからないけれど、職業作詞家が書いた「好き!」とか「頑張ろう!」とか「寂しい!」って歌詞は、多分プログラムで作れると思うんだけどなあ。

まあこの問題はもちろん歌詞だけじゃなくて、大塚英志やバベルの塔がいう小説や、他の分野でも当てはまる話なんだけど。もうこれだけモノが出揃ってしまった世界でオリジナルなんてあるのか?ってことになってくる。所詮、組み合わせや表現手段の巧みさが問われてくるのだ、という。どうなんだろう。

まあ、歌詞自動生成プログラムでも誰か作ってくれないかなあ。ちょっとした卒論代わりになりそうじゃん。

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Desember 04, 2004

重層化する歴史

処理能力のなさか、郷愁への無意識の帰依かはわかりませんが、部屋に時代を超えた色々なものが溢れています。時代を超えたといっても歴史あるマグカップや弥生式土器ではなく、小学校時代の給食表や中学校時代の時間割の話です。

机のすぐ側のボードには中学校3年間の時間割や、高校3年生の予定表が当たり前のように貼り付けたままになっています。隣のホワイトボードは2年前の12月の予定がそのまま書き付けてあります。期末テストまであと1週間らしいです。

本棚にはさすがに全部ではないけれど、さりげなく中学校の教科書なんかが並んでいます。さらに目を凝らせば95年くらいの雑誌があっさりと並べられたりしています。

でも、考えてみればこのように部屋が歴史を重ねていってしまうのは別に不思議なことじゃありません。CDを捨ててゆく人でもない限りCDは増えてゆくし、ペン立てに並ぶペンもその購入時期はそれぞれ違うはずだし、

じゃあ何が問題かといえば、教科書や学級通信のような明らかに期間限定のものがそのまま残ってしまっていることでしょう。どうすればいいのか。捨てればいい話です。もう4年前のが級通信が僕に伝えたいことはないはずで、小学校時代の給食表を見ても明日給食のおばさんが給食を届けてくれるわけでじゃないからです。

だけど考えて下さい。今更むげに懐かしいあの人がつくった学級通信や、小学校時代の給食を思い出させるチャンスとなる給食表や、10年前の世相がリアルにわかる雑誌を捨てられますか?年月がそれ本体とは別の価値を与えてしまったんです。もはや思い出となってしまった学級通信。思い出を今日のコンビニのレシートと一緒にゴミ箱に入れることをどうしても躊躇ってしまいます。

ここで今日欲しいものの発表です。消える紙が欲しいです。1年くらいで気付けばなかったことになっている紙で学級通信など作って欲しいです。新聞もそうです。どうせ捨てるんだから、いっそ消えるプログラムをはじめから埋め込んでおけば捨てる手間がはぶけます。思い出なんかになってしまう前に、ひそやかに消えていってくれたらと願わずにはいられません。

ただ問題はこの部屋に重なってしまった学級通信や雑誌やらは勝手に消えないのでどうするか悩みどころです。(ばかですか?いっそ海にでもいって供養のキャンプファイヤーでもやろうかな)

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ことば


壊れたこころを
必死に守るその腕はいつか傷付いて
それでも手放さずに守り抜いた

今日もまた終わってしまう
明日へつながる石さえも投げられぬまま

いつか願ったままの未来を
笑顔の裏に人は隠している


なくした言葉を
それでも探すこの腕はいつか疲れ果て
名付ける痛みだけを持て余した

ふいに訪れる悲しみ
隠さずに打ち明けられる日はいつだろう

あの日 出会ったままの気持ちを
意味もつけずに僕は持っている

君に伝える言葉さえ
見つけられずに僕は壊れたまま

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Desember 03, 2004

ディズニーランド

ディズニーランドについてのレポートを書いていました。想像以上に楽しかったです。
でも、シュミラークルとか既存の言葉を使いすぎて、どこにでもありそうなレポートに。。。

もう本読むのを一切やめて引きこもったほうがオリジナルティは保てるのでしょうか。
上野千鶴子は情報の真空地帯にオリジナルティは存在しないといいましたが(これも本の知識です。ちぇっ)、壊れそうな梯子に支えられたオリジナリティも相当あやしいものです。

ディズニーランドは文字通り魔法の世界です。しかも魔法をかけてくれるだけでなく、きちんと有効期限のついた魔法をかけてくれる点が巧みなところです。って、何もう一度レポートを書こうとしてるんだろう。疲れてるのかな。

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Desember 02, 2004

霜月、師走

ついに師走です。師走はどうも漢字が露骨すぎて好きではないのですが、年末ということで12月は大好きです。ついこの間までノストラダムスがどうとか騒いでいたのが、いつの間にか2004年も終わり。だんだんあの未来の象徴だった2000年が所帯じみてきました。

2005年はまあ許容できるとして、2006年とかもう字面として現実的すぎると思うんです。ただ2014年とかになるとまた未来っぽくなる気もするので、2014年の未来を想像してこれからも生きていこうと思います。


●さよなら11月記念、11月30日の日記

○体育ソフトコース
楽しかった!ソフトコースというだけあって、老人用のスポーツなどをやるわけだけど、適度に体を動かせて、まさか体育で楽しいなんて感想を持つなんてという感慨でどきどきします。
小学校からソフトコース、もしくは習熟度別の体育があったら今もう少し健康だった気がします。高校で体育全欠席なんていう暴挙に出ずにすんだはずです。

○研究会。カント。
いかにも教養という知識を勉強するきっかけは嬉しいのだけど、高校教科書よりも簡単な内容でいいのかな。きっといいのでしょう。

○ハウルの動く城
映画館という強制装置の力を借りて、はじめて宮崎駿をきちんと最後まで見ることが出来ました。有名で人気すぎて敬遠してたけど、思ったよりも面白かったです。唐突で、伏線は捨てられ、話はそれたまま終わり。。。好きかも。

○通学風景
地理柄、東京を縦断して通学しているのだけど、風景を見ていて感じるのは普通の街角が神奈川でも東京でも埼玉でも同じということ。コンビニとマンションと交番などのパーツを組み合わせれば、簡単に街が出来てしまう感じ。でも、なぜか僕の家の周りは植木と路地というパーツだけで構成されています。

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