Main

2008年04月04日

さらに引っ越し

こちらに移動しています。

http://web.sfc.keio.ac.jp/~taiyo/weblog/

2006年08月30日

ウェブログを引っ越し

Movable Typeが重くなってきたので、安直にココログに引っ越し。ココログも以前よりだいぶ使いやすくなっている。

http://taiyo.way-nifty.com/e304/

2006年03月05日

プリンストン大学

プリンストン大学を訪問。アインシュタインジョン・ナッシュがいたところ。村上春樹江藤淳も滞在したことがある。

国際関係論でいえば、ウッドロー・ウイルソン大統領がかつて学長を務めていた。写真はWoodrow Wilson School of Public and International Affairsの外観。

20060304wws.jpg

下は、ウイルソンが学長時代に使っていた部屋(二階)だそうだ。
20060304wws2.jpg

今、一番の有名教授といえば、経済学のポール・クルーグマンだろうか。国際政治学だとG・ジョン・アイケンベリーがいる。それから、ファカルティの写真を見ていて気がついたのだけど、ロバート・コヘインがデューク大学から移籍してきている。おもしろそうなところだ。

残念なのは、プリンストンにはロー・スクールがないこと。学部教育が重視されており、大学院は、エンジニアリング、アーツ(建築)、公共・国際問題(ウイルソン・スクール)の三つしかないそうだ。ロー・スクールがないとネットのことを論じる人が少なくなる(アメリカではネット問題を論じる人の中で法律家の割合が非常に高い)。

いろいろ話を聞きながら、SFCと比較してみておもしろかった。プリンストンでは(まだ?)一般教養の必修授業があり、二年生が終わるまで自分の専門を決める必要がない。SFCはいきなり一年生から専門科目が学べるので早熟教育になっている(学部の四年生になると学会発表までやってしまう)。プリンストンでは97%がキャンパス内の寮に住んでいるが、SFCには寮がない。大学といってもいろいろなスタイルがあるものだ。

こちらの新聞を読んでいると、ローレンス・サマーズ学長を追い出したハーバード大学関係の記事が目に付く。3月4日付けのOP-ED欄には、John Tierney氏が「Free Harvard! (Or Not)」(有料)というコラムを書いている。大学教授はテニュア(終身在職権)こちらも参照)で守られているため、人事権を持たない学長(や学部長)が改革を実行できず、大学はいつまでたっても旧態依然としているというわけだ。テニュアを正当化する理由の一つは、テニュアが無くなると、自分のポジションを危うくするような優秀な若い研究者を既存の教授たちが採用しなくなり、大学自体のレベルが下がるというものだ。それは一理あるだろう。コラムでは、結局のところ教授たちに変革を促すのは冷笑しかないという。教授たちのプライドを傷つけるというわけだ。

ついでにいうと、大学というところは、採用するにあたっては研究が重視され、採用されると教育が義務になるというおかしなシステムになっている。素晴らしい教育者であっても研究業績がないと採用されない。素晴らしい研究をする人は素晴らしい教育もできるに違いないという前提で成り立っている。しかし、現実には必ずしもそうではない。まして、テニュアを取ってしまうと、頑張るインセンティブが極端に減る。特に日本の場合は頑張っても給料が増えることはまずない。アメリカの場合は、高額の移籍金と好待遇によって引き抜きがあることはある。しかし、現状に満足している人は、何もしないで過ごすこともできる。

ハーバードはどうなるのか、日本の大学はどうなるのか。

【追記】
明日、アカデミー賞ということで、テレビで『ビューティフル・マインド』が放映されていた。調べてみると、まだジョン・ナッシュはプリンストンで研究している。

http://www.math.princeton.edu/directory/
http://www.math.princeton.edu/jfnj/

懐の広い大学だ。下記にはナッシュの短い自伝が出ている。

http://nobelprize.org/economics/laureates/1994/nash-autobio.html

2006年03月03日

吹雪で立ち往生

20060302snow.jpg

午前10時、レンタカーでNYを出る頃には雪がちらつき始める。イエール大学に着く頃には吹雪。さらさらの雪なので、はたけば落ちるが、傘を差していても体中が真っ白になる。アメリカ人はやっぱり傘を差さない人たちだね。

歴史学部を訪問して、その威厳に打たれる。教授会の部屋は古めかしくてうなってしまう。

雪の勢いが増すばかりなので急いで退散するも、目的地までたどり着かない。ハンドルは取られ、前が見えず、道路標示もよく分からない。日没間近で断念し、ハイウェイ沿いのホテルに飛び込む。幸い、部屋が空いていて助かった。おまけに無料でブロードバンドもある。ビジネス・センターで無料で印刷もできる。今日はここで締め切りを過ぎた原稿を仕上げる。すみません、E編集長。

2006年03月02日

無事仕事終了

Japan Societyでのパネル・ディスカッションを無事終える。直前に話す内容を変えたのが功を奏して好評だった(ジョークも受けて良かった)。

MITのIan Condryは秋にHip Hop Japanという本を出すそうだ。彼のお気に入りは、サムライ・チャンプルーというアニメ番組。アメリカの若い人たちが勝手に字幕をつけているらしい。これを「fan subbing:ファンがサブタイトル(字幕)を付ける」というそうだ(ちなみにKappa Mikeyのことは知らなかった)。

Gross National Coolで有名になったDouglas McGrayは、なんと今は刑務所の取材をしているらしい。日本研究をしたのも偶然だったとか。

ハーバードのKostas Terzidisが、クリエイティブな人々は言語以外の方法でコミュニケーションできるといっていたのも印象的だった。

日本のクリエイティビティがテーマだったけど、日本のとらえ方が確実に変わってきているというのを実感できた。いろいろな出会いがあっていい一日だった。

2006年02月25日

確定申告何とかならんかなあ

ブログで悪口や愚痴を書くのはどうかと思うのだけど、「私は頭が悪いなあ」と毎年屈辱感を与えてくれるのが確定申告。意味不明の言葉と理解不能な計算式に腹が立つ。書類を整えたり、計算したりでえらく時間がかかる。以前kk氏はフォームにしたがって計算するだけだよと言っていたけど、どうも私はそうできない。税金払いたくないわけではないので、もっと簡単にならんのかなと思う。税理士雇うほど稼いでもいない(粉飾できる人っていうのは頭がいいのだろうか。やっぱり面倒なんだろうか)。

たいていこういう時は、「アメリカでは……」なんて話をするのが筋なのだろうけど、アメリカで確定申告やったときはもっとひどかった。アメリカではSSN(社会保険番号)持っている人は全員確定申告をしなくてはいけないらしい。会社が天引きして代行してくれるわけではないから自分で全部やる。だから税金に対する意識が高いという説もある。しかし、確定申告のフォームの内容がまったく理解できなかった。仕方がないので、ウェブで誰かが「こう書けばいい」と解説しているのを信じて写して書いた。「日米租税条約の何条で免除されているので何とかかんとか」とか書くのだけど、あれで正しかったのか今もって自信がない。

日本でも電子申告ができるようになりつつあるけど、源泉徴収票などの紙書類を電子的にやりとりできないと意味がない。無税国家にせよとは言わないし、きちんと払うので、もっとフレンドリーにして欲しいなあ。私の場合は原稿料なんかがあるので確定申告しているのだが、株取引やる人が増えると確定申告する人が増えるはず。フレンドリーにしたほうが政府にも国民にもプラスだと思うのだけどなあ。

2006年02月17日

Delicious Library

deliciouslibrary.jpg

同僚の内藤さんから教えてもらった「Delicious Library」を使うためにiSightを買った。今までiSightに興味はなかったけど、このソフトウェアはおもしろい。

このソフトウェアからiSightのカメラを起動すると、横に線が走っている。ここに本やCDのバーコードをかざすと、それを認識し、アマゾンから詳しいデータを自動でダウンロード、それをライブラリにしてくれるというわけだ。ソフトウェアは英語だけど、日本語の本にも対応している。

スキャンにはコツがいるけど、慣れれば速くできるようになりそうだ。これで蔵書整理がはかどるかもしれない。貸し出しにも対応しているところがにくい。

さらには、ライブラリを共有することもできる。テキストファイルで吐き出して、それを自分のDelicious Libraryで読み込めばいい。画像はソフトウェアが自動でダウンロードしてくる。ちなみに今日私がためたライブラリはこのテキストファイルに入っている。他人と蔵書情報の共有ができるというのはiPodのプレイリストの共有みたいだ。

今のところはマックだけみたいだが、SFCのCNSも来年あたりからインテルマックが入るらしいから、広く使われるようになるかもしれない。

2006年02月13日

シンガポール

同僚のKさんと一緒にシンガポールに来ている。遊びではないのだけど、楽しい部分だけ報告。しかし、ホテルにブロードバンドが、下りはそこそこのスピードだが、上りが遅いので、小さな写真を少しだけ。

朝ご飯はホテルの近くのモールで食べた焼きそば。上に乗っている湯葉の味がしない。
20060213spore01.jpg

昼ご飯は後輩のNさん(こちらで数か月の調査中)が連れて行ってくれたチャイナ・タウン近くの屋台でチキン・ライス。残念ながら文東記と並んでおいしいという店は大人気で売り切れ、昼過ぎに行ったらすでに閉店していた。残念。写真は別の店のチキン・ライスだが、おいしかった。店によって少しずつ味が違う。
20060213spore03.jpg

いろいろ見て歩くうちに見つけた店のショーウインドー。やっぱりこういうのが人気か! 
20060213spore04.jpg20060213spore05.jpg

IT関連のショップがぎっちり詰まったビル。品揃えは豊富で素晴らしい。マックもある。しかし、安くないので、何も買わない。
20060213spore06.jpg

夕飯はOさんがメールで教えてくれたRendezvous Restaurantでカレーなど。豪華なレストランではないけど、とてもうまかった。Oさん、ありがとう。
20060213spore07.jpg

シンガポールは来るたびにいいところだなと思う。東京の24番目の区だといわれるのも納得する。街を歩いているとしょっちゅう日本語が聞こえてくるが、だいぶ日本人は溶け込んでいる。私も普通にしているとお店で中国語で話しかけられる。

S. Jayakumar, "People, Principles, Policies: Why Singapore Succeeds," The Straits Times, February 13, 2006, p. 21.

この新聞記事によると、シンガポールの成功は、原理、政策、人材ということになる。シンガポールは国土が小さいことが弱みだと考えられてきたが、国家よりも都市が重要だという視点に立てば、まちがいなく成功例の一つだ。

2006年01月28日

ついにやった

大学の教員をやっていて一番いやな季節がまたやってきた。採点だ。何の因果で学生の格付けをやらなくてはいけないのかと嫌になる。そもそも履修者全員が素晴らしい答案やレポートを出してくれれば文句はないのだが、そうでもないのがたくさん出てくると、「おまえの教え方が下手くそだ」と言われている気がする。もっともだ。

それでも締め切りまでに採点はやらなくてはいけないので、ここ数日必死にやっているのだが、ついに昨晩、出席するはずの研究会のことを完全に忘れてしまった。気づいたのは今日の午後。まっずいなあ。すみません。居眠りしていたわけではないので許してください。

全然関係ないけど、気分転換に読んだニュース記事で、「いわゆる『ショベルカー攻撃』のほうが実際に起きる可能性は高く、『コード・レッド』をはじめとする、これまでに起きたいかなるサイバー攻撃よりもその地域に与える影響は大きいはずだ」という話には笑った。全くその通り。サイバー攻撃だといっても、物理インフラを攻撃できるのならそれが一番手っとり早い。

2006年01月08日

正月

200601061812000.jpg
200601071631000.jpg

おととい、新年会の道すがら、浅草寺でお参り。トシノスケさんの酔っぱらいぶりが楽しかった。

昨日は歌舞伎座で坂田藤十郎の襲名披露公演を見る。歌舞伎に詳しいわけではないが、イヤホンガイド聞きながら観るとよく分かる。小泉首相が観劇した際にもイヤホンガイドを使っていたそうだ。「夕霧名残の正月」で悪役をやった吉右衛門や「曽根崎心中」で悪役をやった橋之助が素人には印象に残った。この写真を撮っていたら目の前に立命館大学のO先生が立っていてびっくりした。

それにしても坂田藤十郎を襲名したのは二百数十年ぶりとのことだけど、なぜそれまで誰も継がなかったのだろう。

帰りに松坂屋で「古九谷浪漫 華麗なる吉田屋展」を見る。吉田屋というのは知らなかったけど、古九谷を一時的に復興させたらしい。私のお気に入りは、「海老図平鉢」だ(実際はもう少し明るい色に見えた)。古九谷はそもそも誰が注文して作られたのかよく分からないらしい。吉田屋は技術を取り戻したのに、復興させた伝右衛門が死んでしまうとマネージメントができなくなり、7年で廃窯になってしまった。現代にも通用する話だ。技術だけじゃダメ。マネージメントも重要。

もうすぐ正月休みも終わり。今年は比較的ゆっくりできて良かった。一年通してこれぐらい余裕があるといいのに。

2005年12月31日

今年一年

卒論のドラフトが全員出てきた。ちょっと遅刻はあったけどまずは順調。

自分の原稿もここ数日でだいぶ進んだ。これで年明けにMさんと顔を合わせることができそうだ。

といっている間に大晦日になっていた。今年はどういう年だったかというと、前半は比較的のんびりしていた気がする。3月に初めて上海に行った。4月にもう一度上海に行って転んで捻挫をしたのがけっこう響いた。夏休みは研究会合宿をして、呉で潜水艦に乗っただけで終わった気がする。その後、世界一周をして帰ってきて、立命館大学で授業をしている頃から目が回るほど忙しくなり、秋学期の授業は実にきつかった。会議と合宿もやたらと多かった。毎週のように続いたイベントが終わってほっとしたら12月になっていた。達成感がやや薄い。右のカテゴリーの「著作」をクリックしてみると、コラムとか共著で書いているものばかり。まじめな論文がない(書いているのに闇に葬り去られる)。まずい。

来年はゆとりをもって、じっくりと行きたいが、そうもいかないか。2月、3月、5月に海外出張の予定あり。やはり時間との戦いか。

皆様、お世話になりました。前にも書きましたが、喪中なので年賀状書いてません。すみません。

2005年12月06日

楽しみの経済学

20051205moon.jpeg

昨日は夕景がきれいだった。

戻ってきたiMacのiTunesにCDを次々つっこみながら、三田の古本屋・清水書店の軒先でホコリかぶっていた堺屋太一著『イベント・オリエンテッド・ポリシー—楽しみの経済学—』(NGS、1984年)を読む。20年前の大阪21世紀計画の協賛出版となっていて、町おこし盛り上げ本かと思ったが、かなりおもしろい。日本の都市にはなぜ城壁がなかったか、フランスにはなぜルイ王朝の頃までトイレがなかったか、窓の少ないビルがなぜ建築されるようになったか、という雑学ネタもさることながら、万博などのイベントの重要性も分かる。

マーシャル・マクルーハンの理論が信用されなくなったのは大阪万博のせいだったそうだ。マクルーハン理論ではテレビのような「送達型情報メディア」の台頭によってイベントには人が集まらなくなるはずだったが、モントリオール万博や大阪万博ではマクルーハン理論に乗っかったスタンフォード・インスティチュートの予測がまったくはずれた。イベントとは「集人型情報メディア」であり、この重要性はテレビ(やこの時代には普及していなかったインターネット)が登場しても変わらない。

この議論はリチャード・フロリダのクリエイティブ都市論と同じだ。イベントをやり、楽しみがあふれた街作りをすることで経済も潤う。あれだけ開催前に批判されていた愛知万博が大成功を収めた理由もよく分かる。

堺屋さんはイベント学会というところの会長もしているらしい。

2005年12月03日

ブレイクス惜敗

200512031508000.jpg

タッチフット初観戦。慶應対聖和大学。アメフトやラグビーのようにタックルで相手を倒すのではなく、両手でタッチすると止めたことになるからタッチフット。ルールはよく分からないけど、陣取り合戦みたいなもので、アメフトのようにタッチダウンすればいい。

試合は先行されつつも一時は同点に追いつく。第4クオーターで、あと一息で得点が入らなかったのが何とも悔やまれる。結果は14対28のダブルスコアだけど、あそこでタッチダウンが奪えていれば試合は分からなかったはず。それにしても、対戦成績は12敗2引き分けになってしまったそうだ。来年こそは初勝利だ。

冨田学部長が、ブレイクスの部長としてグランドに立っていた姿がけっこう格好良かった。それにしても寒かったよ。塾歌が歌えなくなっていたのもまずい。iTunesに塾歌を入れておこう。

情報通信政策をちゃんと勉強しようと思い直す

200512022031000.jpg

昨晩、新橋の新 魚金でしこたま飲む。常人にはどうってことない量(生ビール中ジョッキ1杯、小ジョッキ1杯、梅酒ロック1杯未満)、私にはきつかった。中ジョッキ1杯が限界だな、やっぱ。トイレで意識を失うかと思った。魚はおいしかった。Tさんの話もおもしろかった。情報通信政策をもう一度ちゃんと勉強しようと思い直す。

ブロードバンドって、本当に定額制でいいのかなと議論する。ある意味、ヘビーユーザーに普通のユーザーは搾取されているところがある。

情報通信政策をちゃんと論じたジャーナルってどれくらいあるのだろう。情報通信学会とか、公共政策学会、公益事業学会ぐらいだろうか。外国のジャーナルもバラバラで、どれを読んでいいのかよく分からん。国際政治学のほうが、どれを読んでいればいいかはっきりしている。

2005年12月02日

古本

200512021836000.jpg

ずっと探していた本をネットの古本屋であっさり見つけて入手。すばらし。左から、1979年、1981年、1978年の本。

2005年11月27日

喪中なので

今ごろになって申し訳ないのですが喪中なので年賀状出さないつもりでいます。私から来なくても怒らないでください。いまだに欠礼葉書さえ作っていない不精者です。毎年大晦日に年賀状は数枚書く程度なのであまり状況は違わないのですが、とにかく許してください。ごめんなさい。

もう帰ってきたマック

修理に出したiMacがもう帰ってきた。25日に引き取ってもらって27日だ。すばらしく早い。自宅から宅配事業者が梱包して持って行って、自宅まで戻してくれるから非常に楽だ。

修理状況を見ると、何も考えずにロジックボードとパワーサプライを交換しているようだ。問題は解消しているし、ハードディスクの中身は生きている。見直したぞアップル。

2005年11月25日

マック修理、ついでに自分も修理

フレームがゆがんでしまったPower Bookをこわごわ使っていたのだが、自宅で使っていたiMac G5が先にいかれた。起動すると画面に無数の横縞が走り、ログインもできない。システムの再インストールも効果なし。ハードウェアが良くないらしい。サポートに電話したら、宅配業者がピックアップしてくれるとのこと。保証期間内なので無料でやってくれるらしい。購入してから11カ月ぐらいだから危ないところだった。最近のパソコンはよく壊れるなあ。

ついでにいうと自分の生活も壊れ気味だ。いろいろ忙しすぎてストレスがたまる。アウトプットの出ない仕事が多いのも精神衛生上良くない。ORFも終わったし、共著の本の再校も終わったし(Uさん遅くなってごめんなさい)、仕切り直すとしよう。最近、時間管理術とか手帳術とかが気になるんだけど、そういうの読んで時間がたってしまうのも問題だよなあ。集中力ですな。重要なのは。こんなこと書いている場合ではない。

2005年11月23日

ORF 2005レポート

ORF 2005についてのレポート

◆知の遺伝子変化がイノベーションを促進する——ORF 2005が開催http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0511/22/news101.html

◆六本木ヒルズで「SFC Open Research Forum 2005」開催
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/event/2005/11/22/9946.html

◆インターネットに求められる経営の知識〜村井純教授・大前研一氏対談
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/event/2005/11/22/9954.html

私も今日の午前中話をしたけど、いまいちうまくいかなかったなあ。村井・大前対談はおもしろかった。日韓インターネット政治対話もダイレクトな対話がおもしろかった。

2005年11月20日

12月3日タッチフットボール

「聖和慶應定期戦」慶應義塾大学BREAKS 創部15周年記念大会

私の研究会の学生が出場。駒沢第二球技場にて無料。私もタッチフットボールとはなんぞや(軽装でできるアメフトらしい)を見てくる。

いい天気だ

200511191544000.jpg

陸の孤島で合宿中(ホント合宿ばかりだ)。昨日は夕日がきれいだった。今朝もいい天気だが、二日酔いで頭が痛い。

2005年11月15日

鍋@ゼミ飲み会

200511121903000.jpg

載せるの忘れていた。湘南台の八田の鍋。土曜日の補講の後のゼミ(SFCでは正式には研究プロジェクトというが、通称では研究会という)の懇親会にて。食べ物もたくさん出てくるし、浮いた話もたくさん出てくるし、おもしろかったなあ。ちなみにこの店は竹中大臣や草野先生のサイン色紙が飾ってあるSFC生御用達の店だ。チェーン店のありきたりの料理じゃないところがいい。SAの皆さん、段取りありがとう。

2005年11月11日

本棚を入れる

200511111724001.jpg

着任して1年7カ月、ようやく研究室に本棚を設置した(ただし、向かい側の壁には作りつけの本棚があってすでに本と資料で埋まっている)。3週間前に配達されたものの、忙しくてずっと設置できなかったが、H君の手伝いで何とか終わった。これで本を置く場所には困らなくなる。一時的だろうけど。

2005年11月08日

人待ち中

200511081120001.jpg

新宿で人待ち中。今日はとても気持ちがよい。秋だなと思う。大きな問題もひとつ片付きそうだ。

2005年11月06日

洞道

先日、都心某所で洞道(とうどう)を見せてもらう機会があった。洞道というのは通信会社や電力会社が地下に持っているトンネルだ。地上のビルから集まってくるケーブルを集約して通信会社や電力会社につないでいる(NTT東日本東北電力のページを参照)。他にも自治体などが持っていたり、共同保有しているものもある。たいていは道路の下にあり、地下2〜3メートルのところや、数十メートルのところにあるものもあるそうだ。

ある研究会の一環として私が見せてもらったのは、まさに都心の一角なのだが、その会社の地下食堂の脇のロックされたドアをくぐり、ヘルメットをかぶってさらにいくつかのドアを抜けると別世界が広がる。何もなければ車が通れるくらいの空間で、薄暗く、ラックに無数のケーブルが走っている。ケーブルは水や火から守るためにコーティングされているが、洞道の中は蒸し暑い。

洞道はかなり広くつながっており、東京23区なら、歩いてどこでも行けるそうだ。ただし、入ったところから出るというルールがあるから、関係者でも便利に使うことはもちろんできない。地方に行くと洞道はほとんどなく、細い管路が使われているそうだ。セキュリティ上、写真を撮らせてもらえなかったのが残念。

トマトのその後

20051106tomato.jpg

ミニトマトは、夏の間ぐんぐん成長し、たくさん実をつけた。しかし、枝が広がりすぎて不安定になり、台風で三回ほどひっくり返って鉢から飛び出した。それでも成長し続け、11月に入ったのにまだ花が咲き実がなる。だいぶスローペースになり、もうすぐ終わりなのかと思うが、けなげに実をならせる姿は感動的だ。ここ最近、私の生活には腹立たしいことが続くのだが、このミニトマトの苗が被った被害に比べれば大したことはない。実を結ぶように頑張ろう。

2005年11月01日

宣伝:今年もORFやります

慶應義塾大学 SFC研究所主催
SFC Open Research Forum 2005 (ORF2005)
レッドクイーンの法則〜知の遺伝子進化を加速せよ〜

2005年11月22日(火), 23日(水・祝)
於 六本木アカデミーヒルズ40(六本木ヒルズ森タワー40階)

参┃加┃登┃録┃受┃付┃開┃始┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛
http://orf.sfc.keio.ac.jp/

入場無料・事前登録WEBをご活用ください。
     ^^^^^^^^^^

Continue reading "宣伝:今年もORFやります" »

2005年10月29日

東京温泉

昨日、午後3時成田着で帰国。午後7時から丸の内で予定があったので、成田エクスプレスで東京駅に行く。少し時間があったので、ひとっ風呂浴びようと思い、初めて東京クーアに行ってみた。ただの銭湯ではなかった。9月に京都に行ったとき、京都タワーの下にあるタワー大浴場にも行ったが、インパクトは東京クーアのほうが大きい。ただし、東京クーアは男性専用で2300円。

2005年10月28日

募集:社会シミュレーションの作成体験講座

同僚の井庭さんからお知らせ(SFCの学生は対象外です)

----------------------------------------

慶應義塾大学総合政策学部の井庭と申します。

11月23日(祝)、六本木ヒルズにて、社会シミュレーション作成のチュートリアルセッションを開催します。ぜひご参加ください。
今回は特に企業や行政の方、大歓迎です!

また、周囲に関心のありそうな方がいらっしゃいましたら、ぜひご紹介ください。

Continue reading "募集:社会シミュレーションの作成体験講座" »

2005年10月27日

ロンドンの地下鉄の写真には許可がいる

ロンドンには監視カメラがいっぱいあるという話は、先日のテロの時に盛んに報じられた。おもしろいので見つけたものからとってみる。なんと言っても地下鉄が多いが、レストランの中にもある。
20051026camera00.jpg
20051026camera01.jpg20051026camera02.jpg20051026camera03.jpg20051026camera04.jpg20051026camera05.jpg20051026camera06.jpg

今日はLSEでセミナーを開いてもらって話をしてきたのだが、その後、11人で宴会をする。その席で監視カメラの話をしていたら、地下鉄で写真を撮るには許可が必要で、勝手に撮ってクリエイティブ・コモンズのライセンスをつけて公開したら訴えられるぞという話を聞いた。調べてみると確かに許可が必要という規則があるらしい。

ついでにCCUKで話題になったのがトラファルガー広場での撮影。こちらも許可がないと撮影できないというルールがある。

どちらのケースも観光客がやることにいちいち目くじらたてて取り締まるということではなく、商業利用をするときの話のようだが、撮った写真を勝手に商業利用すると問題になる可能性がある。地下鉄の中で映画撮影とかモデルの写真撮影しては迷惑だというのは分かるが、広場ぐらいどうにかならないものか。まして、写真撮影全部許可が必要(地下鉄の場合は「anybody wanting to film or take pictures must seek prior permission from the London Underground Film Office」と書いてある)という書き方はどうなのかなあ。私は上記の写真で訴えられる可能性があるのかなあ(ちくらないでください)。広場にいる警官にシャッターを押してもらって写真を撮るとどうなるのだろう(そもそもその写真の著作権は警官にあるのか?)。

2005年10月26日

プレミア・リーグを観戦

20051025breakfast.jpg
割とぐっすり眠った後、イングリッシュ・ブレックファストを食べてでかける。

市内にあるYoung FoundationというところでOpen Businessについて議論。クリエイティブ・コモンズを使ったビジネス・モデルを共有するという趣旨。しかし、「open」と「business」の定義が多様でよく分からない。これを始めたChristianもわざとぼかしているという。

20051025succer.jpg
夜はあいていたのでサッカー観戦。地元FulhamとWest Bromの試合。地下鉄の駅から延々と真っ暗な公園の中を歩かないとたどり着かないスタジアムっていうのもおもしろい。街灯すらないところもある。スタジアムはこぢんまりとしていて、ピッチまで10メートルぐらいの席で見られる。でかい声の野次に選手が反応してくれる時もある。アメリカの野球もそうだけど、観客と選手の距離が近いと迫力が断然違う。

20051025inamoto.jpg
何も考えずにFulhamを応援していたのだが、West Bromに何となく見たような顔が。目をこらして背中の文字を追うとやはりINAMOTOだった。サッカー不案内の私は移籍したのは知らず、Fulhamに稲本がいたんじゃなかったかなあというぐらいの知識しかなかった。

試合はFulhamのミスで1点差でWest Bromが勝ちそうだったのだが、ロスタイムで奇跡の同点劇。川の脇のスタジアムはあまりに寒いので延長戦は見ないで帰った。ところが、延長でゴールを決めたのは稲本だった。もう少し見れば良かった。

2005年10月25日

雨降るロンドン

約12時間のフライトの間、ほとんど眠れずに映画を4本見る(ニコール・キッドマンが楽しそうに演じている『奥さまは魔女』、バットマン誕生秘話がたっぷりの『バットマン・ビギンズ』、ボストン・レッドソックス狂の『フィーバー・ピッチ』、リストラされそうなアメリカのお父さん奮闘記『イン・グッド・カンパニー』)。今から7時間ほど前、雨降るロンドンに着いた。ヒースロー空港からパディントン行きの快速電車に乗り、ホテルにチェックイン。

一足先に着いていたkkさんからメッセージ。18時半からホテルの近くでCory Doctorowが新著『Someone Comes to Town, Someone Leaves Town』の出版イベントをしているとのこと。この本の紙版にはCCライセンスはついていないが、オンライン版にはCCライセンスがついている。

少し遅刻して会場に着くと、CCUKのクリスが待っている。二人で雑談している間に出版イベントは終了していた。kkさんや他の連中と合流して、近くのレバノン料理屋へ。イスラム系の料理屋だからアルコールはなし。滞在中の打ち合わせをしようとするが、大音響で流れる音楽のため、なかなか大変。最後はパブでビールを飲みながらCC談義に花を咲かせる。

けっこうくたびれた。ほぼ徹夜状態だ。ぐっすり眠れそう。

2005年10月23日

また京都

金曜日に京都で行われるはずだった研究会がキャンセルになった。しかし、ついでに土曜日の時代祭を見るつもりだったので、土曜の朝の新幹線で京都に行く。遊ぶ時間は無理矢理作らないといけない。

20051022kyomen2.jpg
祭りの前に腹ごしらえと思って「京めん」なるものを食べる。うどんのつゆにラーメンの麺が入っている。いまいちパンチがない。

20051022jidai.jpg
時代祭は、京都御苑から平安神宮まで行われるパレード。明治に東京遷都が行われてから京都を盛り上げるために始まったそうだ。京都三大祭りの一つ。明治から古代までそれぞれの時代の有名人たちが登場しながら時代をさかのぼっていく。

20051022hideyoshi.jpg
例えばこの人は羽柴秀吉役。

20051022kyoto.jpg
天気は良くなかったけどおいしいもの食べて帰ってきた。つかの間の休みだった。

2005年10月18日

クマができる

最近、確かに忙しい。しかし、それなりに睡眠時間も確保している。のに、目の下にクマができることが多くなった(くまをとるというブログをしている友人もいる。関係ないけど)。ふと鏡を見るとやつれて、クマができている。

夏以降、なんとなく顔が疲れ気味のような気がするのですが、気のせいでしょうか・・・

なんてメールも事務室からいただいてしまった。自分が思っている以上にやつれているのは、いいのか、悪いのか。涼しくなったから仕事はしやすくなったんだけどね。まあ、いーや。

2005年09月28日

また合宿中

20050928sfc.jpg
またSFCで合宿中。今回は某社の皆さんも一緒で、総勢19名。もう夜の12時半。明日の1限の授業は大丈夫なのか……。

2005年09月23日

ジャーク・チキン

20050923chicken.jpg
東京都写真美術館に行くついでに、恵比寿のAALAWIでジャーク・チキンを食べる。ジャマイカ料理。手軽でうまい。

ところで、昨日衝動買いしたAirMac Expressがどうもうまくいかない。電波が間欠的にしか出ていないような気がする。しばらくはうまく接続できるが、突然つながらなくなって、ネットワークが見えなくなる。プリンタの共有もうまくいかない。どうやら初期不良じゃないかという気がしてきた。イライラ。早く寝よう。

【追記】翌朝、プリンタ共有については以下のリンクを発見して、解決した。
http://global.solutions.brother.co.jp/Library/ja_jp/faq/faq000512_000/

私が使っているのはAirMac Expressで、AirMac Extremeではないし、プリンタの機種も違うが、問題の本質は同じらしい。1年以上経っているんだから、早く直しておいて欲しいな。

2005年09月17日

京都で一週間

20050916rits.jpg

選挙の投票をしてから新幹線に乗り、昨日まで京都の立命館大学で過ごす。夏休みだというのに、夏期集中講義にわんさかと学生がやってきていて(ただし、私の大学院の講義は受講者3名なのでのんびりと)、食堂はピーク時には席がなくなる。学期が始まると大変なことになるらしい。とにかく元気な大学だ。正門を入ると縄跳び(?)サークルが練習中で、見事なパフォーマンスを見せてくれる。

朝10時40分から午後4時10分まで講義で、その前後にそれぞれ45分のバスに乗らなくてはいけないので、観光はできない(その気力も残っていない)。でも食事を楽しんだり、バスの風景を見たりしているだけでも京都は興味深いからよしとしよう。

20050916kamatama.jpg
これは立命館大学の近くにある中野屋という讃岐うどんの店で食べた「釜玉生じょうゆうどん」(天ぷらは別売り)。昨年の受講生に教えてもらった店で、ちょっと歩かなくてはいけないが、とてもおいしい。六本木で讃岐うどんを食べたらあっという間に1000円を超えてびっくりしたが、ここではそんなことはない。

京都の帰りに名古屋に数時間立ち寄って会食。万博効果なのか、とても景気がいいようだ(世界で一番景気がいいんじゃないかとすら思える。ここを超える景気のいい街はどこだ)。一泊しようと思ったがホテルはまったく空きがない。夜中に帰宅。ウェリントンから名古屋までの長いツアーが終わった。

2005年09月07日

低くて小さい島

20050907sse.jpg

昨日はStockholm School of Economics(SSE)でセミナーを開いてもらう(写真はメイン・ビルディングの正面玄関)。ニクラスのおかげだ。いろいろな人が集まってくれて興味深い話を聞くことができた。

SSEにいる日本人の友人(今回は会えなかったが)は、SSEを「ストックホルム商科大学」と訳しているが、「ストックホルム経済大学」と訳している例も多い。後者のほうが直訳としてはいいようだが、どうなんだろう。スウェーデンの大学は一般的には無料だ。その分税金が高いのだが、でもうらやましい(留学生は授業料をとられる)。SSEは例外的な私立大学で、授業料が必要だ。

ちなみに「ストック」は「低い」で、「ホルム」は「小さい島」という意味だそうだ。ストックホルムは低地にあり、徐々に海に浸食されているという。温暖化はここでも他人事ではないようだ。

もっと時間があればさらに調査を深められただろうが、時間切れだ。今日の便に乗って東京に帰る。

2005年09月06日

ヨーテボリ

昨日は日帰りで飛行機に乗ってヨーテボリ(英語では「Gothenburg:ゴッセンバーグ」)まで出かける。

20050905ccse.jpg
ヨーテボリ大学の情報学部クリエイティブ・コモンズ・スウェーデンをホストしている。写真の5人のうち真ん中のマシアスと右隣のカールが中心になっている。もうすぐポーティング・プロセスを終えるそうだ。左端のスタファンは人類学者で日本に5年滞在したことがある。左から二番目のジョセフは建築家で大学ではデザインを教えている。右端のジョナスはフリー・ソフトウェア・ファンデーション・ヨーロッパのバイス・プレジデントだ。

20050905gothenburg.jpg
ひとしきり議論した後、ヨーテボリを案内してもらう。ヨーテボリは大阪みたいなスウェーデン第二の都市だが、文化的な中心でもある。街自体はさほど大きくなく、中心部は歩いて回ることができるが、景観が維持されている。石畳や建物の外観は古いものを残している。写真の通りはその典型的なもので、再開発の話が出たときに住民が立てこもって反対したそうだ。

カフェや書店、劇場などが建ち並び、年に一回映画祭も開かれる。スタジアムではコンサートもあり、最近はU2も来たそうだ。大学街なので教職員だけでも5000人おり、それを中心とした文化都市になっている。かつては造船業で栄えたそうで、まだドックが残っているが、日本との競争に負けてしまったという。

1時間半ほど歩いて案内してもらったのだが、大学と街が融合し、アートが溢れ(政府は一定額をアートに支出する義務があるという)、いい雰囲気だ。なんともうらやましい。スウェーデンでは数百年単位で話をすることが多いという。「われわれは16世紀以来、攻められたことがない」とか「200年前に隣の某国を失ってしまった」とかである。そう考えられるのも身近に歴史があるからだろう。

2005年09月05日

Stay Hungry. Stay Foolish.

アップル・コンピュータのスティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式で行った講演。

'You've got to find what you love,' Jobs says

ストックホルム市内

20050904sushicoffee.jpg
日曜日の夕方、ストックホルム市内をぶらぶらしていて見つけたお店。この組み合わせはやめてもらいたい。

20050904stockholmstreet.jpg
旧市街近辺は王国の雰囲気に溢れている。けっこう賑やかだ。

20050904stockholmnight.jpg
絵になる街だ。

2005年09月04日

ストックホルムに到着

3日夕方にNYを発つ。スカンジナビア航空はなかなかいい。食事も一風変わっていたし、ネット接続も可能だった。

20050904skype.jpg
写真は、大西洋上の機内でスカイプを通じて東京と話しているKさん。TさんとSさんと話したが、Tさんとの会話は問題なし。Sさんとの会話はとぎれとぎれ。CPUの処理速度が関係しているということだが、どうなんだろう。大声出していると周りの人に迷惑ということ以外は実用的だ。

朝の6時半(NY時間で夜中の12時半)にスウェーデンのストックホルムに到着。霧が立ちこめていて、空気がひんやりしている。むせるようなニューヨークと比べると気持ちがいい。

20050904stockholm.jpg
7時半にホテルにチェックイン。まるで学生寮のような部屋だ。窓が小さいのは暖房対策かな。今、ストックホルムは医学関係の大きな学会が開かれているらしくて市内のホテルは満杯。仕方なく郊外のホテルになった。周りは住宅地で何もなさそうだ。

昼寝をして少し元気を回復したので、夜は市内まで行ってみよう。

2005年09月03日

NYへ

ワシントンDCからニューヨークへ移動した。新聞もテレビもハリケーン被害の報道が続いている。無法状態になっているところも問題だが、特にガソリンの値上がり(便乗値上げも含む)が懸念されている。ブッシュ大統領の支持率も最低になってきている。新聞記事を読むと、イラク戦争よりもガソリンの値段を問題視して大統領の支持を下げる人がいるのは残念だ。

いつも思うのだが、この国はたくさんのエネルギーを浪費するシステムがはびこっている。ワシントンのホテルはチェックインしたら(サービスの一環だと思うのだが)部屋のエアコンが付けっぱなしで寒いぐらいに冷えていた。それが豊かさの象徴でもあるし、「そうやってお金を使うことで世界経済を牽引しているんだ」という人もいる。しかし、そうも言っていられない時代に変わりつつあるのではないか。

カリフォルニアで会った友人が結婚を機に日本のハイブリッド車を買い、とても喜んでいた。ハイウェイの優先ゾーンを使えるなど実利もあるが、そうしたことを考える人が増えてきているのはうれしい。

しかし、NYは暑い。おまけに泊まっているホテルが、たぶんここ数年で最悪ではないかと思えるほどひどい。パソコンを充電しようと思って部屋中を探すが、まともなコンセントがない。ようやく見つけたものを引っこ抜いたらエアコンが止まってしまった。

おまけに時差ぼけなのか、体調もおかしい。今晩の夕飯は、同行の二人の他に、日本人のゲストが二人いたのだが、最初に飲んだ一杯のシャンペンのせいで、食事中に居眠りしてしまった。子供が食事しながらこっくりこっくりするようなものだ。普段は時差ぼけはあまり気にならないのだが、こんなにひどいのは記憶にない。明日からアルコールはやめることにした。先が思いやられる。

2005年08月31日

BASHO君

夜中の12時過ぎにサンフランシスコからワシントンDCに着いた。ホテルに着いたのは1時半。何でこんなフライトなんだ。旅程は人任せにしてはいけないことを痛感。

シリコンバレーではInstitute for the Futureなどを訪問。旧知のアンソニー・タウンゼントにも会えた。ニューヨークから移ってきてハッピーそうだ。

20050831geek.jpg
Institute for the Futureはアムトラックの線路を挟んでスタンフォード大学の反対側のパロアルトにある。そこで見かけたのがこの車。Geek Squadは最近テレビコマーシャルもやっているパソコンのお助け隊。ビートルにこんなステッカー貼ってしまうとは儲かっているのだろうか。

20050831sfgiants.jpg
夜は思い切ってサンフランシスコ・ジャイアンツの試合を観戦。こういう楽しみもないと出張はやってられない。しかし、ベリー・ボンズはケガで欠場中。隣の熱狂的ファンがずっと嘆いていた。

ところで、サンフランシスコのホテルをチェックアウトするとき、「あなたの名前好きです」と初めてアメリカ人に言われた。衝撃的だった。私の名前はアメリカ人にとっては長すぎるし発音しにくいのですぐに覚えてもらえることはない。絶望的といえるほど損だ(taiyoはまだ覚えやすい)。しかし、このホテルマンはマンガのAKIRAを読んでいて、鉄雄が好きなのだそうだ。普通は発音しにくい「TSU」の音にひかれてしまったらしい。日本のゲームメーカーで働くのが夢とか。おもしろいものだ。

20050831basho1.jpg
20050831basho2.jpg
飛行機の機内のカタログ雑誌に出ていた写真。「BASHO」君というらしい。「バショー」なのか「バショ」なのか。いずれにしても変。庭の置物にするらしいが、買う人いるのだろうか。Japan Coolとはこんなものか。

2005年08月29日

時差ぼけだ

冬のウェリントンから夏のサンフランシスコへ。しかし、サンフランシスコは肌寒い。時差は19時間かな? ぐっすり眠ろうと思って夕食にビールを飲んだら、部屋に着いたとたんに倒れ込んでしまう。そのまま朝まで眠れればいいのだが目が覚めてしまい、完全に時差ぼけになった。西回りのほうが楽だといわれているが、今回はずっと東回りなので厳しい。

昼間ぶらぶらした感じでは5カ月ぶりのサンフランシスコはあまり変わらない。相変わらず気持ちのいいところだ。インターネットで距離の暴力が消滅したといわれたが、世界にはやはり人気のある都市が存在する。リチャード・フロリダの『The Rise of Creative Class』を読んでみると、地理がいまだに重要だと言っている。新たに台頭しているクリエイティブ階層は仕事がある場所に(いやいや)住むわけではなく、住みたい場所で仕事を探すことができるという。

2005年08月27日

ウェリントン2

昨日は政府関係者と面談する。remote, small, but smartな国になるための戦略を聞く。

20050827wellington1.jpg
メインストリートは普通に賑やかだ。ケーブルカーが走っているためワイアが張り巡らされている。

20050827wellington2.jpg
夜はたまたま開かれていたラグビーの試合を見に行く。繁華街は端から端まで30分なので、そのすぐ外側にあるスタジアムまでも歩いていける。チケットもスタジアムで並ぶだけで買える。しかし、地元チームのライオンズが弱すぎる。先制の3点の後は全く点がとれず、最後の5分まで26対3。最後にトライとゴールを決めるものの26対10。残念。

今日は土曜日なので観光しようと思ったが、朝から激しい風と雨。Windy Wellingtonならではだ。午後から晴れ間がのぞいたのでCuba Streetという繁華街をぶらぶらする。カフェが多いとは聞いていたが、他に本屋と旅行会社が多い。娯楽がないから読書が人気だと地元の人が言っていた。また、成人するとみんな世界中に旅行するのも伝統だそうだ。

20050827wellington3.jpg
こんなお店もあった。寿司屋もけっこう多い。

20050827wellington4.jpg
これはどこかの国の人には読めるのだろうか?

2005年08月26日

ウェリントン

ニュージーランドの首都ウェリントンに来た。夕方6時半に成田を発ち、機内では調子に乗って本を読んでいたのだが、乗り換えのオークランドに着いたのは日本時間で朝5時。11時半(日本時間8時半)にウェリントンに着き、寝不足と昼食抜きのまま午後のアポをこなす。気温は16度で東京の半分だ(南半球は冬だから暖かいともいえる)。

辺境の国といっては失礼だが実におもしろい。ウェリントンは市街地の端から端まで30分で歩けるといわれていて、小さな港町だ。取り囲む山に住宅地が広がりつつある。オーストラリア以外の世界のどの地域からも遠いこの町に映画をはじめとするクリエイティブ産業が勃興しつつある。ロード・オブ・ザ・リングスの監督ピーター・ジャクソンがこの町出身のため、第3部のワールド・プレミアもここで開かれた。イギリスの伝統とマオリの伝統がミックスされたところでアートが花開いている。そしてITがこの辺境の地にもチャンスをもたらしている。

疲れていて写真を撮り忘れたので今日は撮ろう。

2005年08月13日

もう疲れました

20050812shonan.jpg

朝10時から夜12時までの激論。まだ終わらない。ワイン入ってしまったのがいけないね。

2005年08月12日

夜釣り

20050811gonzui.jpg

昨年11月からすでに3回目となる湘南国際村での合宿。夜10時過ぎまで議論の後、突如乱入してきたOさんに率いられ、別のOさん、Fさんと夜釣りに出かける。釣りなんて久しぶりだ。

Oさんはベテランらしく、車の中に何でも入っている。竿から仕掛けから全部用意していただき、防波堤から投げ釣りをすると、小さな、アジが1匹、ゴマサバ4匹、正体不明が2匹釣れる。いずれもとても小さい。写真は二人目のOさんがつり上げたゴンズイ。これは猛毒らしい。実に危ない。

夜中2時半に宿に戻る。けっこう楽しかった。しかし、明日の議論は大丈夫なのだろうか……。他の連中はどこかの部屋で飲みつぶれているに違いない。

2005年08月03日

メール断ち

明日(4日)から10日まで夏休みをとります。申し訳ありませんが電子メールは読みません。あしからず。11日から13日までは学事関係の合宿なので、メールの返事はけっこう遅くなると思います。ごめんなさい。

10年以上も電子メールを使ってきて、そろそろ飽きてきました。処理できる能力を超えつつあります……。

2005年07月27日

台風一過

20050727sunrise.jpg

何事もなく台風は過ぎ去り、寝坊せず起きることもできた。

煮詰まっています

20050726night.jpg

2005年07月26日

台風接近中

20050725sky.jpg

台風が接近してきている。これから夕方までキャンパスでイベントがあるが、聴衆はあまり集まらないに違いない。夜は嵐の中のキャンパスに泊まり込んで他の教員たちと合宿である(このキャンパスの伝統の一つが合宿好きだ)。そして明日は修士論文の最終発表がある。きっと発表する学生たちも徹夜だろう。

2005年07月10日

ミニトマト

20050710tomato.jpg

ミニトマトはどうしたと聞かれるのでレポート。実はびっくりする勢いで成長しており、植木鉢とのバランスが悪いらしくて先日風でひっくり返った。かわいそうだが飛び出ている枝を落とすようにしている。初収穫はとっくに終わっているのだが、すでにたくさん実がなっている。別の鉢に植えたシソ、バジル、パセリもジャングルのようになってきた。

2005年06月28日

3泊5日アメリカの旅

20050628sky.jpgようやくアメリカから戻った。たった3泊5日なのだが、会議はまるでロー・スクールの講義のようでけっこう疲れた。ずっとハーバード大学に閉じこめられていたので、今回は他に何も見ていない。3食付きの会議だったのだが、正直あまりおいしくないものばかりで、最後のBBQはスキップして中華街に繰り出した。泣けるぐらいにうまかった。

今回の会議の前に同じハーバード・ロー・スクールでInternet Law Programというのが開かれていたのだが、そのプログラムからずっと滞在していたCCKRの連中は、毎日、韓国料理屋に逃げ込んでいたそうだ。

そうそう、アメリカ入国の際に、例のUS-VISITがあったが、右手人差し指の指紋が合致しなかったらしく、何度もやらされた。3月に渡米したときのデータと照合しているらしい。ちゃんとやっているんだなあと思った。

2005年06月15日

もうひとつ英語ネタ

同僚のCyrusと立ち話をしたとき、英語の教材をくれた。そこには

"Reading is the basics for all learning."
- Annoucing his "Reading First" initiative in Reston, VA., March 28, 2000

と書いてある。「まあ、いいんじゃない」と言ったら、「英語ができる人はすぐに間違いに気づくよ。普通に教育を受けた人ならどうやったって間違えない」そうだ。「basics」ではなく「basis」が正しいらしい。なるほど言われてみればそうだ。ブッシュ大統領はどうしようもなく勉強ができなかったらしい。

ウェブを探してみると、「Funny George W. Bush Quotes」というサイトがしっかりある。

日本人ネタでは「engrish.com」が有名だ。恥ずかしながら何が笑えるのかわからないときがある。

2005年06月06日

マ〜ム?

アメリカ人はよく女性に対して「マ〜ム?」といって話しかける。妻と一緒に歩いているときもしばしばいわれた。「お前にマムとかいわれる年齢じゃねえぞ」と長年不思議に思っていた。

最近おっくうがって車通勤が多かったのだが、体重が増えるし、読書量が減るので、今日は頑張って電車で移動。三田→六本木→半蔵門→遠藤と巡る。途中で読んだのが、六本木で話題のThomas L. Friedman著『The World is Flat』だ。「世界は平らなのだよ、コロンブス君」てな感じでとてもおもしろい。

その中で、マ〜ムの謎が解けた。「ma'am」と綴って「【名】ご婦人、お嬢さん◆madam の縮約形」(英辞郎)という意味だったのだ。な〜〜〜〜んだ。「マダム」より確かに「マ〜ム」のほうが柔らかい。学校で教えてくれなかったよ。

2005年05月29日

今日は勝った

今日の慶早戦はテレビ中継で観戦。粘り勝ちだ。同点に追いつかれてもあきらめないのが良かった。明日も試合になったが、観戦に行きたいが、午後は英国から客人だ。野球なんて分からんだろうからなあ……。

仕事なげうち神宮へ

急遽思い立ち、仕事をなげうって土曜日の神宮へ行った(皆様、ごめんなさい)。学生席で応援する元気はないので一般席へ。3塁側慶應ベンチの裏だ。なぜか慶應側で早稲田を応援する馬鹿者が後ろのほうにいたが、早稲田選手のファウル・ボールがめでたく直撃していた。

試合は惜敗。ファーボール二つにデッドボールで満塁で、4番打者にグランド・スラムされてしまっては何とも言いようがない。最後の9回表のホーム・ベースでのクロス・プレーは良かった。9回裏はサヨナラ勝ちかと思ったが願いかなわず。

野球狂でゼミが一緒だったKに偶然会う。彼は新聞社勤めで、一時はテレビにも出演し、独特のキャラクターで話題になった。とても久しぶり。

2005年05月22日

ミニトマト成長中

20050523tomato.jpg

20050523tomato2.jpg

忙しくしている間にミニトマトは成長中。ktaguもミニトマトを始めたらしいのだが、たぶん、そのままではあかんぞ。蔓を巻き付ける棒がいるらしい。

先日、情報社会学若手研究会に行ったら、なぜか2ちゃんねるでは園芸板が盛んということだった。みんなこんなことしてるのかな。

2005年05月07日

ガーデニング

20050507garden.JPG

この連休で始めたのがガーデニング。たいしたものではないが、殺風景で何もなかったベランダに鉢植えを置くことにした。ホームセンターをウロウロして、花の鉢や種、土などを買い込んだ。

『バカの壁』の養老孟司さんがテレビに出ていて、「人間が作ったものではないものを1日15分でもいいから眺めてみるといい」と言っていた。確かに、サイバースペースで遊んでばかりいると、3次元の世界が新鮮だ。

そういえば小さい頃に住んでいた高田馬場に交通公園というのがあった(はず)。今は戸山公園というのに飲み込まれているようなのだが、ウェブで検索してもいまいちよく分からない。今度見に行こう。当時の高田馬場は空き地がたっぷりあったり、公営か公団の長屋風の住宅が並んでいたり、遊ぶ場所には事欠かなかった。カマキリの卵をたくさんとってきてバケツに入れておいたら、何千匹と孵化して大変なことになった。交通公園にはカブトムシもいたのだが、もう絶滅しただろうなあ。

写真はプチトマトの苗木。楽しみだ。

2005年05月03日

love actually

先日、気分を切り替えたくて、『love actually』のDVDを見る。別に何の理由もなく、ふと手にとって見てしまった。やっぱりイギリス人というのはおもしろい。ストーリーはいろいろなラブ・ストーリーが絡み合うものなんだけど、軽いタッチでユーモアがある。音楽もいい。Bill Nighy扮するロックンロール・ルーザーも笑える。

それにもまして、9.11後のアメリカを軽くからかっている点がおもしろい。9.11のテロの時にクラッシュした飛行機の乗客たちが携帯電話などで家族にかけてきた電話の内容は、憎しみではなく家族への愛ばかりだったという前振りには、なるほどそうだったと思わされた。ヒュー・グラント扮するイギリス首相とアメリカ大統領の対決も、にやりとさせられる。とんでもないアメリカ娘たちも登場する。この映画、アメリカではヒットしたのだろうか。

野球観戦

20050503tokyodome.jpg

せっかくの連休も今年前半3分の1のやり残しの雑事に追われる。あまり楽しくはないが、気分的にはリラックスしている。行楽の予定は悲しいことに何もないが、唯一、今日は東京ドームに野球観戦に行く。無料チケットをもらったのだが、当日引き換えが必要で、試合開始は6時なのに3時から並ぶ。それでも長蛇の列だった。

あいにく、番長もヨシノブも欠場。先日、守備怠慢注意に逆ギレしていたローズが、フェンス激突のファイン・プレーをしていてびっくりした。お弁当食べてひとしきり楽しんで、でも今晩中に寄らなくてはいけないところがあって、途中で帰る。

たくさんの人が指摘しているが、メジャー・リーグを見た後だと、日本の球場の鳴り物が気になる。精一杯応援した気になるためには、トランペットを鳴らしたり、太鼓をたたいたり、プラスティックをたたいたりするのが必要なのかなあ。

久しぶりに慶早戦に行ってみようかなという気になる。しかし、学生席だと待ち時間が長い。早いときは朝8時に集合で、試合開始は13時、終わるのは16時ぐらいだからなあ……。最近は長時間日光に当たっていると頭痛がする虚弱体質になってしまったので難しいかもしれない。

こんなおもしろい記事を発見。「SFC生初の慶早戦体験」私も一度だけ日比谷公園の噴水に入ったことがある。先輩の忠告で着替えを持参して行った。しかし、ひどく寒かった記憶がある。

2005年04月10日

のんきなことに

北京で大騒ぎが起きているころ、私は何事もなく上海の街をグルグル回っていた。上海でも日本人留学生が殴られたそうだが、険悪な雰囲気は何も感じなかった。そもそも会っている人たちとの間で話題にすらならなかった。上海の人は政治に興味がないらしい。

のんきなことに土曜日は二回もマッサージに連れていかれた(決して二回ともお願いしたわけではない。断りはしなかったが)。一回目は昼食の時、ネット・ベンチャーの社長が「シャンプー・マッサージに僕は行っているよ」というので「何ですか、それは」と聞くと、「じゃあ、連れて行ってあげる」とデパートの中にある美容室へ。鏡の前の椅子に座るとラップとタオルが首に巻かれる。シャンプー液のようなものを頭にかけられ、ごしごしと洗髪が始まる。時々マッサージの小技が織り込まれる。洗い終わると席を移して前かがみになって流してもらう。その後は頭の上から背中までグリグリもんでくれる。綿棒で耳の中の水をとってくれたりとなかなかのサービスだ。全部で30分くらいだろうか。料金は20元(280円)。ところが、社長は割引会員なので、6元(84円)になってしまうというのだ。いくら人件費が安いといっても……。

夜も別の会社の社長と会食し、社長の豪華なマンションを拝見した後、マッサージに行こうと誘われる。行った先はできたばかりの巨大なマッサージ・ハウス。そこには社長の友達が3人待っていた。6人部屋に入り(2人部屋から数人のものまで30室近くあるようだ)、まずはお茶を飲みながらテレビを眺め、90分コースでもんでもらう。こちらはさすがに高くて168元(2350円)。それでも日本の三分の一以下だろう。

あまり中国人はマッサージに行かないのではないかと思っていたが、社長たちの話を聞くと、お金のある人たちは頻繁に通っているそうだ。一日おきに通う人や、お酒の後には必ず行くという人もいる。ポイントは、夜の場合は一人では行かないということだ。どうやら社交場になっているらしい。「昔の阿片窟みたいなもんだよ」という。なるほど、その雰囲気は出ている。

まじめな話も聞いてきたので、それはきちんとレポートにするつもり。いろいろ紹介して下さったHさんに大感謝。

2005年04月08日

また上海

20050408shanghai.jpg

また上海に来ている。ソフトウェア産業のオフショア開発などを聞いている。街は相変わらず元気で、金曜の夜は特ににぎやかだ。市街中心部の人民広場にマンションが建つらしい。銀座の一等地にマンションが建つようなものだとか。

今度のホテルにはブロードバンドがちゃんとついている(有料)。ウェブは速いものの、メールがすっごく遅い。メール・サーバーにたどり着くのに5分ぐらいかかっている感じだ。何が起きているのだろう。気になる。

スカイプで東京と話してみたら、すごい雑音で聞き取りにくい。会話できないほどではないが、ちょっと難ありだ。

2005年03月25日

NY学院

実はとっくにアメリカから帰国している。今回のメイン・イベントは慶應義塾ニューヨーク学院での学部説明会。慶應で一番美しいキャンパスというのもうなずける。もともとは隣にある女子大の敷地だったそうだ。近所にはクリントン夫妻の家もあるとか。いい環境で学ぶことができてうらやましい。9月入学が可能ということもあり、SFCは人気だが、何人が秋にやって来るのだろう。

ついでながら、小田学院長が寄贈された福沢諭吉コレクションも一見の価値あり。

帰国の翌日、研究会一期生の追いコンをささやかながら開いた。たった半年なので十分なケアはできなかった気がするけど、卒業・修了おめでとう。

2005年03月19日

メールが届いてない

西海岸にいた間、私から出したメールのうち届いてないものがあるらしい。ホテルのブロードバンドのプロバイダーがスパムなどの関係でブロックしているらしく、あるプロバイダーはtracerouteすると迷子になるのが確認できた。もし「返事が来ない」という場合はすみませんがもう一度送ってください。NYのホテルは良好。サンディエゴのホテルのブロードバンドはひどくて、たった4メガのファイルもタイムアウトしてダウンロードできなかった。

2005年03月14日

歴史の方程式

旅というのは計画しているときが一番楽しいと野口悠紀雄先生が確か『超旅行法』で書いていた。その通りだ。今回は大学の用事で急に頼まれたので、ついでにテネットCIA前長官の講演を聞いてくるか、おまけにレッシグ教授の講演にも足を伸ばすか、と楽しく計画した。しかし、年度末の出張は無謀で、押し寄せてくる仕事に破綻してしまった。kkさん、本当にごめんなさい。

機内では全然眠れず(リチャード・ギアの『Shall We Dance?』は役所広司のバージョンそのままだった)、ようやくサンフランシスコにたどり着く。『風とともに去りぬ』のロケで使われたという豪華なフェアモント・ホテル(カンファレンスの会場なので割引で泊まれる)にチェックインするも、頭痛がとれない。おまけにパソコンの調子が悪い。この際、アップル・ストアでパワーブックを買おうかと真剣に考えている。

ところで、マーク・ブキャナンという物理学者が『歴史の方程式(原題はubiquity)』という本を出している。邦訳の副題は「科学は大事件を予知できるか」である。『歴史の方程式』という題はあまりいいとは思えないが、確かに読み終わるとその意味が分かる。その結論は、戦争や生物の大絶滅や地震の発生を予測することは理論的には不可能かもしれないということだ。

つまり、戦争や生物種の絶滅や地震は、規模はともかく実は頻繁に起きている。それが大規模なものになるかを事前に知ることはきわめて困難である。例えば、マントル・プレートの上にある日本では、体に感じない地震が無数に起きている。しかし、ある時、積み重なったエネルギーが爆発して大地震になる。そこには周期性があるように思えるが、実際にはないため、地震予知はことごとく外れている。戦争においても同じである。歴史家は第一次世界大戦がなぜ起きたのかという点で、いまだに合意ができない。鍵はべき法則にある。

国際政治学で予測は無理なのかとがっかりし始めていたところなので、「地震予知でも経済予測でもことごとくはずれているのです」といわれると、少し安心してしまう。

そういう意味では今回の私の破綻も予測不可能だったといっておこう(できた気もするが)。砂山に落ちる一粒の砂が大崩落を起こしたに過ぎない(←本を読むと分かる)。

2005年03月06日

南翔饅頭店的秩序

昨日、上海から帰国。実は木曜日、ブロードバンドは夕食から帰ったら使えなくなっていた。ホテルにクレームしたら値段に入ってないとのこと。そんなあほな。ダイヤルアップではブログをやる気がしない。

金曜日は順調に訪問調査をこなす。なかなかおもしろい。

土曜日は、昼間の予定がキャンセルになったので、豫園へ行く。いやあ、なかなかすごいところです。うじゃうじゃと人がいて、テーマパークのような感じ。六本木ヒルズに支店のある南翔饅頭店はどこかと探していたら足を踏み外して捻挫した。

めげずにようやく見つけるが、長い行列ができている。ここにあるように、南翔饅頭店は値段で食べ方が異なる。やはり座って食べたいのでまず2階の一番安い部屋に行くが、列も何もなくて、先客が食べているテーブルの周りに人が群がっていて、次の席を狙っている。「このテーブルは私たちがとっているから他にいってよ」みたいな感じですごい争いだ。部屋の中は東京の満員電車状態で、食べている人も気まずいのではないかと思うが、みんな平気な顔しておいしそうに食べている。ここで30分ほど待ってみるが、回転が悪いし、とても中国の皆々様を押しのけて席を確保できる自信がないので撤退。上の階の少し高いところへ。

こちらはきちんと列ができていて、係りの人が順番にテーブルに案内してくれる。その奥にはフカヒレ入りの最高級小龍包用の列もある。私たちが並んだのはカニ入りのほうだ。下だと16個で15元だが、上だと6個で20元、カニ味噌入りだと30元だったかな。こちらでも30分弱待ったが、ゆっくり食べられてよかった。

こうした光景を目にしながら、相方のkk氏と電波政策について話し合う。いわば、下のフロアは、混雑している無線LANのようなものだ。あいているスポットをみんなが探して座ろうとしている。しかし、使えるチャンネルが限られているところにユーザーが殺到するとどうにもならない。

上のフロアはいわばレギュレーターがいて、免許を出して使わせているようなものだ。食べている間はその席を占有できる。しかし、席があいて、自分の順番が来るまで使うことはできない。

すいているなら下のフロアでもいいのだが、混んでいるときは上のフロアで高い金を出してもいい。なかなか南翔饅頭店的秩序は示唆的である。

土曜の夜は日本のソフトウェアのオフショア開発をしている会社の社長と食事。なかなか奥深い話を聞くことができた。短かったが興味深い出張だった。

2005年03月03日

上海到着

朝一の飛行機に乗って上海に到着。中国はどこへ行ってもほこりっぽいというのが第一印象。噂に聞くとおり、空港はでかい。市内までも遠いなあ。

ホテルにチェックインしようとするものの、同じビルの中に4つもホテルが入っているらしく、ちょっと迷う。フロントにたどり着くも、20代らしき素人のような3人がいるだけで不安になる。

部屋に入るとけっこう広くてまあまあだ。しかし、ウェブに書いてあったブロードバンドなどどこにもない。前日、チェックインした相方からは「ADSLがうまくつながらない」と聞いていたので、まあいいかとあきらめ、モデムで接続。いくつかアクセス・ポイントを試すとつながった。昔は毎回こんな調子だったよなあと思い出す。最近はどこへ行ってもイーサーケーブルを差すだけで使えることが多い。

相方はどこへ行ったのかと電話番号を探し出すのに手間取る。国際携帯を持っているはずなのだが、中国国内からかけるときは国際電話になるらしい。今度は国際電話のかけ方(発信番号)が分からない。このホテルにはそういう案内が何もない。

う~むとうなっているとピロピロと電話が鳴る。やれやれこれで連絡がついたと思ったら、たどたどしい英語でフロントから。何やら「インターネットのエンジニアをあなたの部屋に送りたいがいいか」と言っている。何のことか分からないが「いいよ」と返事。しばらくすると英語のまったく話せない二人がやってきて、箱からADSLモデムを引っ張り出し、接続を始める。おおお~、先にそういうことはやっといてくれよ。

ちゃちゃちゃと設定は終わったらしいので、私のラップトップをつなげようと試みる。しかし、IDとパスワードを入れなくてはいけないらしい。その設定をするためにウインドウズの「ネットワーク設定」を開かなくてはいけないのだが、メニューが日本語(特にカタカナ)が読めないらしい。そらそうだ。

ネットワーク設定を開いてあげると、後は直感でどんどん設定していってしまう若いエンジニア。彼はちょっと色黒なので、少数民族の出身か。英語ができなくてもITはできてしまうんだねえ。

なんとなく設定ができたようで、そのまま「どうも、どうも」てな感じで帰ってしまうのだが、「あいや待たれい、そのIDとパスワードを置いていけ」と無理やり書き写す。どうも相方はこのIDとパスワードをゲットしていないのではないか。後で聞いてみよう。

とまあ、連絡を待っているのだが、どうしよう。スカイプアウトでもすればいいのだが、このラップトップにはマイクがついてない。困った。このまま今日一日終わってしまうのだろうか。もったいない。

2005年02月20日

ひさしぶりに日吉に

ひさしぶりに日吉キャンパスに行った。以前は庭園になっていたところに巨大な研究棟が立っていてすこしさびしい。教員の研究室が入っているものの、あまり使われていなくてがらんとしているとか。

「第4校舎B棟」といわれても全く思い出せなかったが、校舎に入ってようやく思い出した。たぶん10年ぶりに校舎に入る。全体の雰囲気はあまり変わらずぼろいが、床が上がって電源やネットが配線されていたり、教壇にSFCチックな操作パネルが付いていたりする。よく出入りしていたクラブ棟のようなもの(名前を忘れた)は、とても、とても汚くなっていてがっかりした。

日吉とSFCはよく似ているが、SFCにないのは高い木々だ。日吉の背の高い並木はいいよなあ。三田にも古くて背の高い木々がある。SFCの木々の背が高くなって、夏に気持ちのいい木陰ができるとすばらしい。5年ぶりにSFCに戻ったとき、タロー・ツリーの並木が大きくなったなあと思ったけど、まだまだだ。

2005年02月07日

採点

大学人として生きていく上で一番嫌な仕事は採点だ。数百本の授業レポートの採点を土曜の朝4時半までやり、土曜日から研究会(ゼミ)の合宿に入った。残りは今日(月曜)午前の発表3本だけになった。睡眠不足からもようやく解放される。

採点が嫌なのは、第一に、履修者の格付けをしなくてはいけないからだ。もちろん、その人の人格を格付けするわけではないにしろ、出てきたものだけで、良い、悪いを判断しなくてはならない。特に、名前と顔の一致する学生だとつらいことが多い。いいレポートや答案ならうれしいが、そうでないときはつらい。

第二に、不正なレポートや答案がそれなりにあるからだ。授業は出席をとっていないから、レポートだけ出して単位をもらおうとする輩も少なからずいる。今回もまったく同じ内容が書かれているレポートがあった。ウェブなどから明らかにコピーしてきただけのものもあった。今回の「最高傑作」は、私の本の序文を全部コピーしてきたレポートである(SFCの学生のものではない)。私の文章があまりに稚拙なために採点せよというメッセージなのだろうか。理解に苦しむ。いずれにせよ、不正なレポートを目にすると機嫌が悪くなる。

第三に、そうした不正なレポートも全部含めて、自分の授業の内容がそこに反映されているからだ。なんで分かってないのかなあと思いつつ、その内容を十分に伝えられなかった自分の未熟さを呪わなくてはならない。授業に出てこないのも、出てきて眠っているのも、授業がおもしろくないせいだろう。授業を娯楽にする気はさらさらないが、少なくともやる気を持っている学生のやる気を増幅させるぐらいのことをしなくてはならない。

あと30年もして定年になるころにはこんなことに悩まなくなっているのだろうか。先日、ある先生と話したとき、「ドライにやりなさい」というのがアドバイスだった。

今朝も曇りで富士山が見えないのが残念だが、ばっと開けた三浦半島西岸の景色はなかなかだ。しかし、デジカメを忘れた。

2005年01月03日

木久蔵ラーメン

こんなところで書く話でもないのだが、木久蔵ラーメンというのがあるらしい。笑点でネタになっていて、「まずい」らしい。木久蔵師匠は返品の山と格闘しているという。笑点ファンの父が本当はおいしいに違いないと思って買ってきて食べたら本当にまずかったそうだ。10月の東京駅土産ベストセラーにもなったそうなのだが、なんとなく食べてみたい……。

正月休み

昨年からの仕事をいくつかやり残しているが、いつもより今年はのんびり正月を過ごした。元旦は実家に行き、2日は茨城県の那珂湊まで行って寿司を食べた。市場には新鮮な魚介がたくさん並んでいた。

20050102ebi.jpg

帰りに増上寺に寄って初詣。

20050102zojoji.jpg

今日は昨年に続いて箱根駅伝を沿道で応援。しかし、速くてうまく写真にとれなかった。

20050103hakone.jpg

また明日から仕事だ。

東京24区

20041226kamaboko.jpg

ちょっと前の話に戻るが、シンガポールは東京の24番目の区だといわれているそうだ。シンガポールにいる外国人としては日本人が一番多いらしい。紀伊國屋書店にも驚いたが、高島屋や伊勢丹にも驚かされる。店内表示は英語と日本語だし、食品売り場には日本食品がずらりと並び、お正月用の食材も完璧に揃う。どれも種類が豊富だ(写真はかまぼこ)。売り場にいる外国人は日本食に興味津々で、「日本食って健康にいいのよね」と寿司を物色している。日本食の量はおそらくワシントンDCのだるまの100倍はあるだろう。ここなら海外生活も苦にならないはず。

2004年12月28日

地震(2)

だいぶシンガポール紙の論調も変わってきた。被害の大きさが分かるにつれ、各国の状況や津波発生のメカニズムを詳報している。

2004年12月27日

地震

地震から丸一日経過した。確かに昨日の朝、ぐらりと揺れるのを感じたのだが、まさかここで地震だろうとは思わないので気のせいだと思っていた。その後、夕方になってCNNを見るまで気がつかず、夕食を食べて帰ってきてから事態の深刻さに気がついた。

シンガポールは何も被害がなかったので、今朝の新聞の扱いも小さい。英字紙のStraits TimesBusiness Timesは一面に写真を載せているものの、記事は小さい。シンガポールのリー・シェンロン首相が支援を決めたという囲み記事が付いているぐらい。一方、華字紙の聨合早報はかなりの紙面を使って報じている。

それにしても、英字紙のドメインが両方とも「asia1.com.sg」に乗っかっているというのがシンガポールらしい。

2004年12月25日

ラッフルズの国へ

仕事と休暇を兼ねてシンガポールに向かう。シンガポールでもクリスマスの後に仕事をする人はあまりいないのだが、その分こちらもゆっくりしよう。空港は予想以上にすいている。年末のラッシュにはまだ早いらしい。

シンガポールを作ったラッフルズの伝記を途切れ途切れに読んでいたのだが、なかなかの苦労人だ。学者肌でもあったらしい。しかし、集めた資料を全部失う悲劇にも遭っている。つらいだろうなあ。

2004年12月14日

Live from Tokyo

今週はCNNが東京から中継している。やっぱり東京はエキゾチックらしい。GPS付きケータイ、テレビ付きケータイ、カメラ付きケータイ、おまけに自動で手洗い水が出てくるトイレの洗面台をわざわざ紹介している。そんなもんめずらしいのか。六本木ヒルズからの中継はズームイン朝みたいになっている。確かアメリカ大使館は、六本木は危険だから行くな(パスポート取られるアメリカ人が多いらしい)というお触れを出していたはずなんだけど。

2004年12月12日

今日はシンポジウム

20041212gsec.JPG

今日は三田のG-SECで遠隔教育に関するシンポジウム。安西塾長+黒田理事+SFCの先生たち+アジアからのゲスト。SFCの院生が一所懸命サポート。W先生は鉄の女の称号を贈られた。

疲れがたまっていて午前中はなかなか集中できず。午後最後の出番ではしどろもどろの英語で司会をする。正直、タイから来たインド系の方の英語がさっぱり分からなくて冷や汗が出た。インド系の人はどこで文章が区切れるのか分からない……。

考えてみるとアメリカ出張以来、休んだのは一日だけ。そろそろゆっくりしないといかん。あっという間に年末が来てしまう。

2004年11月29日

LIVE AID

ちょうど20年前に開かれたLIVE AID。16時間ぶっ続けのライブ演奏。最大3時間しか撮れなかったVHSのビデオをとっかえひっかえ録画し続けたのは中学生のときだ。そのDVD版が発売された。QUEENのフレディも生きている。懐かしい(おまけに初回版のほうが安い!)。DVDの冒頭に入っているBAND AIDとUSA For Africaの歌も泣けるくらいに格好いい。心意気もすばらしい。BAND AIDの新バージョンも出るらしいが、最近のアーティストを知らないのが悲しい。

BAND AIDの"Do They Know It's Christmas Time?"で最も論議を呼んだのはU2のボノが歌う"Well, tonight thank God it's them instead of you"だそうだ。そしてボノは新バージョンでもそのフレーズを歌うらしい。

2004年11月21日

ニューヨーク

ニューヨークは賑わいを取り戻していた。タイムズ・スクエア近辺は渋谷のような人混み。ホテルの料金も高い(その分、サービスも良くなっている)。
20041119timessquare.JPG

中華街のJoe's ShanghaiでLF氏とそのフィアンセと食事。この店はワシントンDCでインターンをしていた高橋氏に1997年に紹介してもらった。今彼はどこにいるのだろう。
20041119joesshanghai.JPG

この店の名物の小籠包! チキンの甘酢あんかけ(?)もおいしかった。この店はいつも混んでいて待たされる。予約をとらないし、全員が揃ってからでないと席に案内してもらえない。回転がいいはずなのに、とにかくいつも待たされる。
20041119shoronpo.JPG

念のため言うと、おいしいものを食べてばかりいたのではない。アメリカでは食べ過ぎるのでだいたい一日二食に抑え、ひとりで食べるときはサンドイッチなど。今回は体重が増えずに済んだ。

ニューヨークではSさんやNさんにも会いたかったけど、時間の都合でダメでした。ごめんなさい。次回こそ。

ともあれ無事に帰宅。ORFのために明日から合宿に来いというお達しが……。つらいなあ。

帰国へ

JFK空港から接続中。たった10分のためにTモバイルの無線LANサービスを買う気がしないので、モデムでつなぐ。いまどき信じられないが24Kしかでない。写真をアップロードできる状態ではないのでやめておこう。

ワシントンDCやニューヨークでいろいろな人が使っていたのがEVDOサービス。日本のPHSより速い(300K? 要確認)。パーム型のPDAに組み込まれていたり、無線LANのようなカードになっていたりする。

昨日のセミナーはWiMaxに関するもの。これはWiFiのいとこと表現されていて、6キロメートルぐらいは届くらしい。電力線ブロードバンドがうまくいかないので、次のラストワンマイル技術として期待されている。

セミナーはヒッキーやサッチーで有名なコロンビア大学で開催。ヒッキーの全米デビューCDはタイムズスクエアのバージン・レコードで堂々と売られていた。日本人観光客向けなのか、本当に売れているのか、よく分からない。

2004年11月19日

雑記

ちゃんと会議に出ていた証拠写真。エネルギー問題が重要になってきている。この教授は中東のエネルギー情勢について語る。公益事業の会議でエネルギー安全保障の話を聞くとは思わなかった。
naruc_conference.JPG

ナッシュビルからワシントンDCへ。ホワイトハウスの前は以前よりも平穏な印象(写真は議会だけど)。選挙のことはみんな忘れてサンクスギビングが気になる様子。
uscongress.JPG

ワシントンのとあるペルー料理屋にてTB氏および日本からたまたま来ていたKK氏と会食。下の写真はペルー伝統料理のセビチェ。酢漬けみたいなもので、とてもすっぱいがおいしい。リマで食べたものとだいぶ印象が違う。
ceviche.JPG

翌日、MY氏、TH氏と情報交換。他にも会いたい人がたくさんいたが、時間がなくて断念。

ワシントンは一泊で切り上げてニューヨークへ。それにしてもワシントンのダレス空港は改装してゲートを増やしたせいか、大混雑。Gゲートは、離れ小島になっていて最悪だった。

2004年11月16日

Bourbon Chicken

burbon_chicken.JPG

今出ている会議は全米の州の公益事業委員会の役人たちとそれに関連する業界の人たちの年次会合。ここで公益事業とは、水道、電気、ガス、電気通信を指していて、それぞれネットワーク産業ということになっている。

しかし、誰も知り合いがいない。ネット系の会議に行けば、知り合いでなくても有名人がいるものだが、そういう人もいない。昨年、同じ団体が主催するブロードバンド・サミットというので話す機会があったが、そのときに司会をしてくれた通称「モンタナ・ボブ」といわれるおじさんがいるだけだ。

そもそもアジア系がほとんどいない。参加者リストでは日本人が私だけで、他に韓国人が1人いるだけ。日本の役人らしい2人組がいるが未確認。3割ぐらいがアフリカ系、残りがヨーロッパ系。偏見だが、ワシントンDCなどの都会に行くと地方自治体の役人はアフリカ系が多いし、ブッシュ支持のレッド・ステートではヨーロッパ系の人が多いのかなと想像してしまう。

「50州×数人+業界のコンサルタントやサービス請負会社」となっているので数百人が集まる大きな会議だ。おもしろいのは、公益事業といってもかなり民間業者へのアウトソーシングが進んでいて、大きな市場を形成していることがうかがえること。通信はその先端を行っているのはいうまでもない(そもそもほとんど公営事業ではない。しかし、ひどく規制された産業ではある)。

今日の昼食は気分を変えて、ホテルに併設されているショッピング・モールのフード・コートでケイジャン料理をいただいた。Bourbon Chickenのコンボだ。こういうものを食べ続けるとあの巨体が形成されていく。私が1年間のアメリカ滞在から帰ってきたときの体重は今より8キロも多かった。

英辞郎によると「Cajun」とは

【形】ケージャンの、ケージャン人[語]の◆米ルイジアナ州(テキサスの東側)に住むアケイディアン Acadian 移民の子孫。Acadian は、カナダ(Nova Scotia)(旧・フランス植民地)からの移民。

となっている。しかし、なぜバーボンなんだ? バーボンに漬けておくのだろうか?

2004年11月15日

散策

少し時間があったので散策。

ホテルの中に川まである。
nashville_river.JPG

ナッシュビルはカントリー音楽の町。馬もギターを持つ。
nashville_horses.JPG

カントリー音楽の殿堂Grand Ole Opry。日曜日は休み。隣のミュージアムは開いている。カントリー音楽は演歌みたいなもんなんだろうなあ。ヨーロッパにはないし、ロックのように世界に拡散していったわけではない。ロックのような反骨精神がないから、普遍性がないのか。
nashville_opry.JPG

前のエントリーの写真と同じ場所から昼間に撮影。巨大なビニール・ハウスの中に作られたような町。
nashville_hotel_day.JPG

2004年11月14日

入国審査

nashville_hotel.JPG

いつも日本線は日本人観光客でいっぱいなのに、今回はやたらとアメリカ人らしき人たちでいっぱい。入国審査も外国人の列が圧倒的に少ない。

やはりシカゴの入国審査で指紋と写真をとられた。左手の人差し指、右手の人差し指を順番に、カウンターの読み取り機に押し付ける。デジタル処理されているようだ。小さなデジタル・カメラで写真も撮られる。思ったよりもすばやい処理。

ホテルがやたらとでかい。東京ドーム5~6個分全部がホテルとコンベンション・センターというイメージ。あるいは六本木ヒルズ全体がホテルといったほうがいいか(高層タワーはないけど)。部屋から会議場に行くのにやたらと時間がかかる。ホテル内にいくつかガーデンが作られていて、クリスマスのイルミネーションがきれいだ。

ナッシュビルへ

chicago.JPG

家を出てから20時間、ようやくナッシュビル到着。シカゴからナッシュビルは小さな飛行機。ナッシュビルのあるテネシーはいわゆるレッド・ステート。

機内の雑誌にCIA職員の募集が出ていた。あまりに普通の広告だった。

2004年11月11日

ORF

宣伝です。

◆◆◆─────────────────────────────────
慶應義塾大学 SFC研究所主催

SFC Open Research Forum 2004 (ORF2004)

<21世紀をつくる対論12>
21-12
~未来技術戦略から福澤精神まで~

2004年11月23日(火、祝日), 24日(水)

於 六本木アカデミーヒルズ40(六本木ヒルズ森タワー40階)

参加無料、事前登録不要

詳┃細┃決┃定┃
━┛━┛━┛━┛
http://orf.sfc.keio.ac.jp/
─────────────────────────────────◆◆◆

2004年10月30日

修士論文中間発表

今日、久しぶりに修士論文の中間発表を聞いた。全体的にずいぶんレベルが上がった気がする。6~7年前には仮説といっても通じない発表や、時間配分がまったくできていない発表があったが、今の修士課程の学生はそつがない。「以上です」といった瞬間にチ~ンとベルがなる人もたくさんいる。昔はぶっつけ本番の人が多かったから、格段のレベルアップが起きている。伝統というのは作られていくものだ。よくできた発表ほど論点が明確だから、先生たちの突込みも厳しくなることがある。評価する先生たちはあら探しのプロなんだから仕方ない。でも授業評価でこっぴどく書かれることもあるのだからお互い様かな。毎週何回も緊張を強いられるとだんだん麻痺してくるよね(それが快感になる人もいるようだが、私にはありえない)。聞くほうも話すほうも楽しめるようになるのが理想。ひとまずおつかれさまでした。

2004年10月29日

政治とマス・メディア

メディア検証機構が「政治とマス・メディア~政治と様々なメディアとの関わり方の過去・現在・未来~」と題するシンポジウムを行うそうだ。

11月6日14時~
アークアカデミーヒルズ36階アカデミーホール
参加費無料(但し原則、事務局へ事前申し込みをして下さい)

もうすぐ大統領選挙

こんなご時世だとのん気なことも書けない。地震の時は車に乗っていたのでまったく気づかなかった。ラジオの生演奏が中断して地震のニュースが入ってきたので、ミュージシャンは怒っているだろうなとのん気なことを考えていた。今週は雑事に追われて、新聞も読まず、テレビも見ずという生活になってしまった(ニュースはみんなのブログを通じてなんとなく追っている。RSSリーダは便利だなあ)。

時間があると、話題のp2p-politics.orgの動画を眺めている。しかし、ほとんどのコンテンツはInternet Archiveに入っているので、別にp2pじゃないと思うのだが、自分のサイトに置いておくと、p2p-politics.org経由でアクセスが大量に来るから耐えられないのだろう。大統領選の結果が楽しみだ。

2004年10月23日

ガーリック・ピラフ

今週は火曜日から土曜日まで毎日キャンパスにいた。大学院時代も含めて初めてのような気がする。

木曜日の夜は研究会の面々に連れられて食彩ガーデン・デビューを果たし、名物「ガーリック・ピラフ」を食した(祖父江君、写真ありがとう)。強烈な後味だ。それにしても、みんなあまり飲まないね。

こんなことしているせいで締切を過ぎている原稿が二つある(すみません)。来週も授業が一つ余計にあるし、つらい日々だなあ。ただ、ここ数カ月、難航していたアメリカの人たちとの交渉もまとまったので少しほっとしている。次はシンガポールだ(GWの研究会のみんな、来週頼み事があります)。

2004年10月20日

ソーシャル・ネットワーキング

読売新聞の昨日(10月19日)付け夕刊4面にインタビューを掲載していただいた。本人が書くよりうまくまとまっている(松本さん、ありがとうございます)。実は始めたばかりなのだが、GREEの話を紹介している。もうひとつのキーワードは創発。これがどう結びつくのか興味がある。ブルース・スプリングスティーンが始めた「Vote for Change」もとても気になる。来月アメリカ出張がありそうだが、ライブも見てみたいなあ。今のところうまく日程が重ならない。ブルース・スプリングスティーンはかつて「Born in the U.S.A.」を歌っていたころにレーガン政権がキャンペーンに使おうという話があったらしくて(うろ覚えなので正確ではないかも)、共和党寄りなのかと思っていたら、今回ははっきりと反ブッシュだ。

上記のインタビューはウェブにはないが(たぶん)、モニ太のデジタル辞典「ソーシャルネットワーキング」はとてもかわいい。

2004年10月13日

ノリチカカニエ

今日キャンパスで偶然、旧友の蟹江憲史先生(友達同士でこういうのも何か変だけど)に会った。香川先生の授業にゲスト講師で来ていたらしい。確か2002年ごろにニューオーリンズの学会で会って以来だ。SFCの一期生で、いい研究成果を出している。環境問題の国際政治学が専門。

ところで、彼を最初に紹介してくれたのはゼミの同期だったまいける。まいけるは彼を「ノリチカカニエをよろしく」と紹介したので、ついそっちが先に出てしまう。彼が婚約中だったころ、携帯に電話したら婚約者(今の奥さん)が出て、思わず「ノリチカカニエ君は?」と言ってしまい、大笑いされたことがある。

非常に私的なネタのエントリーでごめんなさい。

2004年10月09日

台風のおかげ

この週末は熱海で合宿の予定だったが、どうみても巨大台風の直撃を受けそうだったので前日の夜に中止になった。段取りに奔走してくれた井庭さんや皆さんには申し訳ないけど、けっこううれしい。もちろん合宿に行くといろいろ刺激があるからいいのだけど、三日間フルに休めるかと思うと正直ほっとする。引越しの片付けもあるし、迷惑をかけている原稿も書ける。音楽を聴きながら本も読める。毎週木曜日はキャンパスのゲスト・ハウスに泊まって時間と体力の節約をしているが、どうしても睡眠不足らしくて、乗り物に乗ったり、長時間話を聞いていたりすると(木曜3限は特に危険だ)ウトウトしてしまう。ここで何とかリセットしたい。

ブロードバンドのライブ

SFCで来週ホームカミングデイ2004が開かれる。今年はSFC三期生が大挙して帰ってくる。どうやらそこでブローバンドというバンドがライブ演奏を行うらしい。ボーカルとギターは、ええっ、あの先生なの!?と極秘企画案を見て驚いた。確かにギターをやっているという話を聞いたことがある。あの低くて太い声でエリック・クラプトンをやるらしい。ヒントはこの辺か。ああ〜見たいけど行けない。

2004年10月05日

引っ越し(2)

光ファイバーにつながった。けっこう快適だ! しかし、いちいちIDとPWDが必要なのは面倒だ。起動したらそのまま使えるシステムがいんだけどなあ。あっさり無線LANもつながった。すばらしい。昔、DSLにつないだときはえらく苦労したのがうそのようだ。

引っ越し

昨日、引っ越しをした。生まれてこの方たぶん13回目だ。前回の引っ越しでは5〜6年は引っ越さないと決めていたのに、結局2年余りで引っ越すことになった。通勤に時間がかかりすぎていたので仕方ない。

またダイヤルアップに戻ってしまった。光ファイバーはいつつながるのだろうか。

2004年10月02日

エリーカはすごい

NHKスペシャルでエリーカを見た。びっくりした。電気自動車なのに時速370キロ出て、加速はポルシェよりもいい。これは自動車のパラダイム転換になり得る。ガソリン自動車を超えるには、それと同じだけの性能ではなくて、それを圧倒的に上回る性能を持っていないとダメだという認識で開発が進められている。テスト走行した元F1レーサー片山右京をも驚かせる性能だ。課題はコストと安全性と信頼性。

しかし、こんな研究と肩を並べて研究しなくちゃいけないSFCのプレッシャーは大きいなあ……。国際関係論でこれに比肩する貢献て、何をすればいいんだろう。

2004年09月28日

エリーカ

お知らせがきた。うわさには聞いていたが、見てみようかな。

慶應義塾大学電気自動車研究室で1年半の歳月をかけて開発をしてきた 電気自動車「エリーカ」が、いよいよ完成します。

この完成に伴い、研究の当初から今までの経過を
ドキュメンタリー番組制作のために追いかけていた「NHKスペシャル」が、
来る10月2日(土)午後9時より放映されることになりました。

2004年09月27日

アポイントメント

最近多忙だ。多忙といっても主観的に多忙なだけであって、客観的にはたぶん多忙ではない。分刻みのスケジュールをこなしている方には申し訳ないのだが、私の場合、一日に三つアポイントメントが入っていると多忙だと感じる。四つ入っていると超多忙だ。五つになると収拾がつかなくなる。

今日はそれが起きた。朝一番のアポイントメントには30分前に到着し、本を読むほど余裕があった。しかし、通常よりこのアポイントメントが30分長くかかった。ただ、この延長は織り込み済みで、さほど影響が出るはずはなかった。ところが、一つ目から二つ目への移動途中で考え事をしていたら電車をまちがえてしまい、30分遅れた。すると午後は玉突きで遅れてしまい、途中で挽回しようと予定外の駅で降りてタクシーに乗ろうと思ったら、雨で長蛇の列に出くわし、呆然としてしまった。三つ目は丸々遅れてしまい、四つ目は10分遅れになってしまった。五つ目は何とか時間通りだったが、突発的に六つ目が入って頭がよく回らなくなった。今日は少なくとも6人の方々に迷惑をかけてしまった。特にKさん、申し訳ありません。

明日は三つ、明後日は四つのアポイントメントが入っているのでとても不安だ。

2004年09月25日

離京・帰京

昨晩、京都から戻ってきた。結局、あまり観光はできなかったし、会いたいと思っていた京都や関西在住の皆さんにも全く連絡ができなかった。毎日3コマ×5日はかなりつらい。でも、最終日に受講者のレポートのプロポーザルを発表してもらったら得るところがたくさんあったので行って良かった。

2004年09月21日

すじカレーうどん

curry.JPG

ホテルからなんとか歩いて行けるところにあって、割と有名な店らしい。一番人気は牛すじが入ったカレーうどん。確かにうまい。なつかしい味だ。小さい頃、高田馬場にあったうどん屋に行く度にカレーうどんを食べていた。それを思い出した。牛すじもとろとろでおいしい。小生ビールを飲んだ後に熱くて辛いカレーうどんを食べたら汗だくになってしまった。しかし、もう一杯食べたいくらいだった。京都に来てから麺ではラーメンとそばを食べたが、このうどんが一番うまかった。

東寺の「こうぼう」さん

toji.JPG

授業の後に東寺の「こうぼう(弘法?)」さんに行ってきた。月に一度の蚤の市。日暮れとともに終わってしまうので、あまり時間がなかったけど、いろいろ見られておもしろかった。

帰りに地下鉄に乗ったらおばあちゃんたち三人が、「しもた。こうぼうさん忘れとった」と騒いでいた。

2004年09月20日

衣笠丼

kinugasa.JPG

立命館大学の傍にある定食屋で味わった衣笠丼。油揚げとかまぼことねぎの卵とじ。油揚げにたっぷりと汁がしみこんでおいしい。立命館大学の京都のキャンパスは衣笠キャンパスといって、その後ろに衣笠山がある。しかし、このどんぶりがなぜ衣笠丼と呼ばれるようになったかは今のところ不明。

2004年09月19日

水上の都

京都に来た。立命館大学の集中講義のため。

京都駅ビルではいきなり麗蘭の無料ライブをやっていて大騒ぎだった。思っていたよりもずっと京都は元気があるように見える。観光シーズンが始まっているからか。

NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『NHKスペシャル アジア古都物語 京都 千年の水脈』日本放送出版協会、2002年。

を新幹線の中で読む。とてもおもしろい。京都は四方を山で囲まれているが、その山々は地下の基盤岩でつながっている。つまり、大きな岩の水がめになっている。長い年月の間に、その水がめの中に海水が入り込んで粘土を運んできたり、山々から流れてきた土砂がたまったりして、今の京都の町の基礎になる平野が作られた。この平野に雨が降ると水が入り込んでくるが、出て行くのは淀川一本だけ。つまり、水がめの中に水がたぷたぷと溜まっている状態になっている。鴨川の上流に行くと普段は水の流れが見えないが、その下には伏流水が流れている。京都で井戸を掘ると水がたくさん出るのは巨大な水がめになっているからというわけだ。その量は実に琵琶湖に匹敵するという。堀川や今出川など数々の水に関連する地名が残っているのも、京都が水の都であることを示している。水が豊かであるからこそ一千年の都として栄えたということになる。京都のイメージが少し変わった。

2004年09月08日

一区切り

guiness.JPG

昨日と今日で大き目の仕事が二つ、小さめの仕事が一つ片付いた。もっと大きい仕事が二つ、三つ残っているけど、ひとまず今日はビールで息抜き(ktさん、いただいたビールは古くなったので飲んでしまいます)。来週は遅めの上に短い夏休みの予定。涼しい高原へ行くつもり(今日は暑かった)。この一杯で猛烈に酔っ払ったのでもう寝ます(まだ午後7時)。皆様、メールの返事は明朝出します。

2004年09月02日

意識朦朧

連日の夜更かしですっかりリズムを崩した。一昨日の晩は、5月に大病を患いながら、今日アメリカへと旅立つM先生の送別会。永田町近辺にお勤めの方々など7人が集まって政策話やら馬鹿話やらで楽しかったが、帰宅は終電一本前で、翌朝はなかなかふとんから起き上がることができない。

昨晩はSFCのセミナー・ゲスト・ハウスを占拠してプロジェクト合宿。午後6時半集合で、休憩まったくなしで12時半まで熱い議論。なぜだか不思議なくらいに盛り上がっておもしろかった。翌日仕事の先生たちが帰宅してから残った面々で酒を入れて仕切りなおし。私はさすがにバテて午前3時半にふとんに入ったが、一番最後まで残っていた人たちがふとんに入ったのは午前5時半。なぜ分かるかというと、その時間に目が覚めてしまったからだ。意識は朦朧としているのだが、どうにも眠れないので、6時半に研究室に来て仕事をしている。

夏休みだと残留している学生もいないので、キャンパスにはひとけが無い。暑いけど、きれいな朝だ。

ところで、昨日の合宿の前に、B先生と秋のオープン・リサーチ・フォーラム(ORF)の打ち合わせをした。B先生には初めて会ったが、世界的に活躍する有名人だ(しかし、キャンパスでは見かけたことがない)。とても刺激的な話だったのでおもしろくなりそう。

2004年08月21日

オープン・キャンパス

今日は久しぶりにキャンパスに行って、オープン・キャンパスで模擬講義をやった。どうやったらいいのかよく分からなかったが、ひとまず終わってほっとした。

今日のオープン・キャンパスには総勢1000人ぐらい来ていたのではという話を聞いたが、本当だろうか。

そもそもオープン・キャンパスを日本で最初に始めたのはsfcで、それも学生が勝手に始めて、後から大学が公式行事にしたそうだ。今ではどこの大学でも行われている。他にも、AO入試もsfcが最初に始めたが、今では200大学近くが行っているらしい。革新の精神が生きている。

2004年08月18日

blog引っ越し

思うところあり、sfcに引っ越すことにした。新しいところはこちら(http://web.sfc.keio.ac.jp/~taiyo/mt/)。

冷蔵庫が壊れた

20040818ref.JPG

一週間ほど前に冷蔵庫が壊れた。ようやく昨日、修理に来てくれた。あっという間に分解され、のぞいて見ると奥には霜がずいぶんたまっていた。霜を溶かすヒーターが切れてしまったらしい。ま、直って良かった。

blogの引越し

せっかくなのでsfcに引っ越した。ココログからMovable Type 3.0に変えた。若干使いやすくなったかな。

2004年08月10日

日本学会事務センター

預かり金流用の「日本学会事務センター」が破産へ」(YOMIURI ON-LINE)

先月、各学会からの預かり金の流用や深刻な財務状況が表面化。財団は同月、再建計画を策定し、文科省に報告するとともに、各学会に返済の猶予を要請。金融機関にも援助を求めるなどしたが、受け入れられなかった模様だ。

某学会からこの件についてお知らせが来た。困ったものだ。学会運営は大変そうだからアウトソースしたのだろうけど、アウトソースもいいことばかりではないなあ。

2004年08月07日

4日間で252通

ソウルから戻った。今回は4日間で252通のスパム/ウイルス・メールが届いた。若干少な目か。

今週は韓国の休暇のピークだった。そのせいでソウル名物の渋滞がだいぶ緩和されており、めずらしく一度もアポに遅刻することがなかった。会いたい人にはほぼ会えたので、とても充実していた。

ただ、やはり蒸し暑いので、疲れた。ソウルは車優先で街並みが作られている。片側8車線という広い道路があるが、歩行者は横断するのに地下道を通らなくてはいけない。エスカレーターはほとんど設置されていないので、階段を上り下りする機会が多い。小さい子供連れや老人にはつらいだろうなあといつも思う。

やはり韓国では冬ソナは人気がなかった。ペ・ヨンジュンは10年前のアイドルという評価で、角刈りマッチョを求める韓国の男性像とは一致しない。「なぜ日本で人気あるの?」というのが一般的な韓国人の見方だ。

何度かデモに出くわした。中心街で数百人の警官が集まっているから何事かと思ったら、イラク派兵に反対するデモ・グループがアメリカ大使館突入を計画していたらしい。いやあ激しいなあ。これほど大規模な警官隊の投入は久しぶりとの通訳さんのコメント。

2004年07月18日

すべてのモデルは間違い

昨日のある会議である先生が教えてくれた。

W. Edwards Deming "All models are wrong. Some models are useful."

なるほど。その通りだ。

2004年06月23日

フロンターレ

客員研究員をしているF総研の親会社がサッカーの川崎フロンターレ(J2)のスポンサーをしている。今日はFグループの社員は、社員証を見せると無料観戦ということだったので行ってきた(私も社員証をいただいている)。

久しぶりのサッカーはなかなか良かった。それにフロンターレはコンサドーレ札幌相手に6対0で快勝。暑くもなく、楽しかった。無料観戦デーのせいなのかどうかは分からないが、J2の試合でも8000人以上入っていた(もちろん満席じゃないけどね)。

地元にスポーツ・チームがあるのはいいなあ。

2004年06月04日

南米は遠い

昨日、ようやく帰国した。リマからロサンゼルスまで約8時間、5時間の待ち合わせの後、成田まで約10時間。映画を何本も見て、ヘトヘトなって眠ってを繰り返した。今回は12日間でスパム総数は846通。

2004年05月31日

リマ

リマに着いた。南半球はもう秋で、サマータイムは終わっているからロサンゼルスからリマのフライトは8時間半だった。ランチリ航空は先進国と変わらない設備とサービスで悪くない。スターアライアンスでないのが残念。

夜の12時半到着と言うのに空港にはわんさか人が溢れている。白タクが多いのは当然か。われわれにはガブリエラさんとホセさんが迎えに来てくれたので助かった。

リマは霧に包まれているが、まったく雨は降らないそうだ。ガブリエラさんは東京に来たときに初めて傘をさしたとか。リマでは傘も売ってないらしい。

2004年05月29日

チュニス(4)

いよいよチュニス滞在最後の日になった。昼の便でフランクフルトに戻る。

毎朝散歩をしていたが、6時前からカフェの店開きをしたり、店の前を掃除したりしている人がけっこういる。夜遅くまで騒いでいる人が多いのに、早起きの人も多いのは驚きだ。一所懸命掃除をしている姿を見ると、どこの国も変わらないなと思う。

今朝は偶然、魚市場に出くわした。カツオ、サバ、イワシのようななじみの魚から、太刀魚やサメなどもあった。エビも大量に積み上げられている。確かにチュニスのシーフードはおいしかった。残念ながらデジカメのケーブルを忘れたので、帰国してから写真をアップしよう。

チュニス(3)

チュニスにはメディナと呼ばれる旧市街がある。聖書に出てくるメディナかと思ったらそれはサウジアラビアだった。

チュニスのメディナは魔窟のような感じだ。フランス門を越えて一歩踏み込むと「日本人か、中国人か。俺の店をのぞいていけよ」という魔手があちこちから伸びてくる。どうもこういうのは苦手だ。基本的にはみんな親切な人たちなんだろうけど、うっかり話を聞いていると「ガイド料を寄こせ」と言ってくる(実際にカルタゴでやられた)。

カルタゴはチュニスから電車に乗って20分ぐらいのところにある。カルタゴと言えば、森本哲郎の『ある通商国家の興亡』という本を読んだことがあるが、すっかり忘れてしまっていた。現地の人がPunicと言っているのも最初は何かよく分からなかったが、古代カルタゴ人のことらしい(フェニキア人とも言う?)。カルタゴ人は子供を生け贄にしたという伝承があるらしく、トフェという子供のお墓がたくさんある遺跡がある。

出張前にもっと勉強してくれば良かったが、後の祭り。できるだけいろいろなものを見ておいて、後でもう一度勉強しよう。

またもや

またもやネットワークのトラブルらしい。どこに問題があるのか分からないが、SFCのアドレスからメールを送るとブラックホールに吸い込まれるらしい。今朝、たまっていた返事を20通もいろいろなところに書いたのに、どれも届いていない気配だ。SFCのサーバーにトラブルが起きているのか、それともチュニジアのどこかで……。なぞだ。勘弁して欲しいなあ。

2004年05月28日

チュニス(2)

ADSLが使えないから部屋を変えてくれと頼んだら豪華な部屋に変えてくれた。ADSLは完璧につながる。LANの中では100Mbpsらしい。すばらしいじゃないか。ダイヤルアップではメールの送信もできなかったのだが、これも完璧に動いている。ああ、ネットがつながるというのはすばらしい。

今日の夕方会ったベンチャーの社長はなかなか強烈だった。止めないといつまでも話し続ける。約束の2時間が経ったところでちょうど彼の携帯に電話が入った。これで帰ろうかと思って身支度したものの、彼は20分間携帯でしゃべり続ける。終わったところでありがとうと言おうと思ったら、「まあ座れよ。続きを話そうぜ」ということで、結局3時間半、彼はほとんどしゃべりっぱなしだった。

こちらも負けずに議論したのはWSIS(世界情報社会サミット)のこと。シビル・ソサイエティのメンバーをなぜ歓迎しないのかという点。「民主主義の定義は国によって違うし、チュニジアの場合のシビル・ソサイエティは政党になってしまう」というのが彼の主張。「だからって政府だけがインターネットのガバナンスを論じる主体になるべきだということにはならないだろう」と反論したけど平行線。

最後は「国際電話をかけなくてはいけないから」と言って帰ってきた。

2004年05月27日

チュニス

チュニジアのチュニスに来た。初めてのアフリカ大陸だが、漠然と抱いていたイメージとは少し違った。建物や町並みはベトナムを思い起こさせる。どちらもフランス文化の影響を受けているからだろう。

イスラム教のせいか女性が一人で歩いている姿はあまり見ないが、ベールもかぶっていないし、男性もひげを生やしていない人がかなりいる。おもしろいのは、やたらとブラブラしている男たちが多いことだ。ホテルは町の中心部の目抜き通りに面しているのだが、ネクタイを締めたビジネスマンが歩くという姿はほとんど見られない。みんなやたらと体を触れ合い、しゃべりながら歩いている。濃密な人間関係が社会の基盤になっているのかもしれない。

ホテルにADSLが設置されている。しかし、つながらない。ケーブルを差し込んでブラウザーを起動するだけでいいと書いてあるのだが、接続を認識しない。ダイヤルアップは28.8Kでつながるのだが、メールの送信ができない。メールを受信はできるのだが返事が書けない。困る。

2004年05月25日

小澤はすばらしい

ベルリンのイベント・カレンダーを見ていたら、たまたま小澤征爾がコンサートを開くことが分かり、チケットを入手して聞きに行った(昼間はちゃんと仕事しましたよ)。演奏はサイトウ・キネン・オーケストラでほとんどが日本人。客席は少し空きがあるくらいで、当日チケットを入手したのにもかかわらず、指揮者の真後ろ10メートルぐらいの席がとれた。

クラシックをよく知らない私はサイトウ・キネン・オーケストラに正直期待していなかった(スミマセン)。しかし、演奏はすばらしかった。期待をはるかに上回ってダイナミックで迫力があった。(言っては悪いが)指揮者ひとりでこんなに変わるものかと驚いた。みんなのびのびと自己表現していて、今まで日本で見た日本のオーケストラとは段違いだった。

アンコールも終わって、演奏者が壇上からいなくなっても拍手が鳴り止まない。結局、拍手が小澤をもう一度ステージに呼び戻した。そのすばらしさは真にベルリナーを感動させたと思う。

2004年05月21日

國領ゼミ

昨日、國領二郎先生の大学院のゼミにお邪魔してきた。國領先生のことはグローコムにいるときからずっと存じ上げていたが、具体的な接点が作れなくてご挨拶ができないままでいた。先日、都内で開かれたSFCフォーラムの時にエスカレーターでばったり会ったときにご挨拶させていただいたら、ゼミに誘ってくださった。昨日はブログについて濱野さんが話し、eParticipationについて折田さんが話をしていた。どちらも自分の思いが詰まっている内容で、うまく整理すればいい論文になると思う。いろいろ知的な刺激を受けた2時間だった。

2004年05月15日

泊まってしまうんですか?

同僚のF先生と話す機会があった。F先生はSFCの研究室にベッドを持ち込み、毎週水曜日から金曜日の2泊3日泊まり続けて研究するらしい(週3日はキャンパスに来なくてはいけないという約束がSFCにはある)。自宅がキャンパスから遠いからというのが理由だが、30歳を過ぎて(失礼)そのパワーはすごい。悩みはずっと研究室にいて運動不足になることだとか。学者も体力勝負だ。

2004年05月09日

引き際

日米でまたもや引き際が問題になっている。福田官房長官は突然やめた。民主党の菅代表を引きずりおろす計算だろうか。福田さんには次の可能性がある。官房長官の在任記録まで更新した後だから、ちょうどいいといえばいい時期かもしれない。しかし、菅代表には後がない。ここでおろされてしまえば、つらい立場に置かれる。

ただ、民主党が一枚岩でないことも背景にはあるだろう。菅代表の「未納三兄弟」という批判が行き過ぎであったとしても、「菅代表で政権をとる」という一致した思いがあれば、民主党内からも辞任を求める声は出ないはずだ。

アメリカでもラムズフェルド国防長官が集中砲火を浴びている。一年前に戦闘終結を宣言した頃が絶頂だったのかもしれない。

林紘一郎先生が書いている「「引き際」を「科学」する」という文章が参考になる。「自分の引退は自分で決められる」という仮説が虚構だというのは手厳しい。

2004年05月01日

12日間で651通

出張から帰国。12日間の不在中、すべて電子メールはメール・サーバーに残しておく設定にしておいた(サーバー管理者の方すみません)。その間に届いたスパムやウイルスは約651通。1日50通以上。ほとんどはフィルタでゴミ箱に入るからそれほど気にならないとはいえ、やはり迷惑だ。

メールに返事を書いていない皆様、申し訳ありません。なるべく早く書きます。

2004年04月24日

バークレーの月

20040423moon.JPG

バークレーに初めて来た。しかし、CFPの会場になっているホテルが大学から遠くて、一度しかいけなかったのが残念。しかし、なんだか小汚いというのが感想。

ホテルそのものは良かった。部屋の中では有線のブロードバンド(といっても128Kbps)、会議場やロビーでは無線の11bが使えた。

部屋からははるか遠くにサンフランシスコ湾をはさんでサンフランシスコが見える。夜になると欠けた月が見えてきれいだった。

2004年04月19日

CFP2004

今日からアメリカ出張。バークレーでCFP2004に出た後、ワシントンDCとボストンを回る。

CFPは、ネット・プライバシー関連では有名な会議。毎年西海岸と東海岸を往復している。前回2002年に出たときはPGPのフィル・ジマーマンにインタビューできた。「Computers, Freedom and Privacy Conference」という名前はアメリカ人にもインパクトがあるようで、「何だそれ?!」といわれることが多い。

今年はRFIDとポスト9.11関連の話題が多そうだ。クリエイティブ・コモンズのBOFもある。ちなみに、BOFとは、

■birds of a feather {1} : 同じ羽毛の鳥、似たような連中{れんちゅう}、同じ穴のムジナ、同類{どうるい}(の徒) ■birds of a feather {2} : 同じ興味を持つ人たちの集まり◆【同】Special Interest Group

のこと(英辞郎より)。こういう業界用語は最初に聞くと訳が分からない。

2004年04月13日

釈迦堂遺跡

週末に山梨県の釈迦堂遺跡を見てきた。ここは中央自動車道を建設するときに地面を掘ったら出てきた遺跡。高速道路のパーキング・エリアから博物館に行くことができる。だいたい3800年前頃までの縄文人たちの生活の様子が再現されている。

面白いのは作った土偶をわざわざ壊して、破片をバラバラにして埋めたらしいということ。何のためなのだろう。

そもそも、土偶がなぜ作られたのかはっきりしないらしい。博物館の中のパネルによれば、(1)子供のおもちゃ、(2)装飾品、(3)女神像、(4)病気・傷害・災害の形代(かたしろ:身代わりのこと)、(5)埋葬具、(6)宗教的儀式の祭具、(7)護符(ごふ:守り札のこと)などの諸説があるそうだ。

昔の知恵を忘れてしまうのは何となく悲しい。ネイティブ・アメリカンのイロコイ族は一万年の記憶を語り継いでいるそうだが(ポーラ・アンダーウッド『一万年の旅路』)、そんな部族はめったにない。

今学期初講義

金曜日(9日)に三田で今学期初講義をやった。予想以上に多くて驚いた。念のため150部シラバスを作っていったが足りなかった。しかし、「厳しいよ〜。CもDもつけますよ」と言ったら少し減った。

教室は昨年よりもやや広めの階段教室。やりにくい。黒板ではなくてホワイトボードになったから、書きにくいし、教室の後ろの人も読みづらいに違いない。できれば変えて欲しい。

SFCクリップ

http://compress.sfc.keio.ac.jp/clip/article.jsp?id=news04040904

SFCクリップで簡単に紹介してもらった。これを見た何人かからメールももらった。少し恥ずかしい。

2004年04月05日

またインテリジェンス

「国際政治における情報の機能」という題で原稿を頼まれていた。1万字とそれほど長くないけど昨年秋に依頼をされて、締切は3月末日。ずっと頭の中で構想は練っていたのだが、ここ数週間のゴタゴタで結局締切に間に合わなかった。お詫びして締切を延ばしてもらい、昨晩午前3時に書き上げてメールで送った。

たぶん依頼を出した方は考えていなかったはずだが、私に頼んだ時点で「国際政治における情報の機能」はインテリジェンスの問題になってしまった。ひょっとするとNGが出てしまうかもしれない。うまくいけば夏には出るようだが、どうなるか。

そして、今日は別の原稿(短いコラム)の締切。これも頭の中にはずっとあったが書けてない。今日が締切なら今日の夕方までには出すべきだが、昼間はいろいろあって書けなかった。このブログを書いている暇があったら原稿を書けばいいのだが、いまいち筆が進まない。今日もあと1時間あまりになってしまった。

おまけにTK氏からは今週中に別のコラムを書けと言ってきている(つらいぞ)。ううう。3カ月引き伸ばしている英文原稿はどうなるのだろうか。このまま月末の出張に突入してしまいそうだ。いや行く前にさらに別の原稿の締切もある。今日来た原稿依頼はKK氏に転送しよう。すまん。

2004年04月02日

知的な作業場

ktaguma`s Fotolog(2004年3月31日)に元の職場の私の机をとった写真が出ている。乱雑で美しくない。さわやかで知的な作業場を持ってみたい。

知的生産のための環境に興味を持っていろいろ本を読んでみたけど、なかなかピンと来るものがない。ジャーナリストでバリバリ仕事している人の部屋などは乱雑極まりないことが多い。頭の中が整理されていればいいのかもしれないが、「この資料があの時見つかっていればもっといい原稿が書けたのに」と思うことがよくある。読んだ資料全部を頭の中にためておけるほど私は記憶力がよくない。

本を全部スキャンしてハードディスクに入れておくという人も出てきているようだが、手間の割に使い勝手は悪いのではないかと考えてしまう。

立花隆や猪瀬直樹のように蔵書のためのビルを建てる余裕はないからなあ。21世紀前半(私が死ぬまで?)は悩み続ける気がする。

2004年04月01日

献血

新年度を機に有楽町の献血センターに行って献血をしてきた。久しぶりの献血。献血手帳を持っていなかったので、以前の記録を調べてもらったら、今よりも体重が7キロも少なかった。いかん。

水分をガブガブとっていざ献血に臨む。前回と同じ400ml。しかし、やはり前回と同じく気分が悪くなる。もともと血の話には弱いのだが、見てもいないのに想像するだけで気持ち悪くなる。耳元で何やら機械がプシューとなるといっそうムカムカしてくる。

結局、400mlとり終わった頃には顔面蒼白。手にも血の気がない。椅子の背もたれをバタリと倒して、足まで高くしてもらう。何だか目がグルグル回って吐き気がおそってくる。小一時間、そのまま横になっているが、ちっとも血圧が上がらない。

ほうほうの体で外に出るが、その後は仕事にならなかった。

何かいいことがあったら献血することにしているのだが、今回はつらかった。昨晩、歓送会で飲み過ぎたのがいけないのかもしれない。幸い、肝臓の数値は正常だった。

「いいこと」とは、新しい仕事が見つかったこと。これを機にブログを再開したいと思う。