よもやま話: 2004年4月アーカイブ
バークレーに初めて来た。しかし、CFPの会場になっているホテルが大学から遠くて、一度しかいけなかったのが残念。しかし、なんだか小汚いというのが感想。
ホテルそのものは良かった。部屋の中では有線のブロードバンド(といっても128Kbps)、会議場やロビーでは無線の11bが使えた。
部屋からははるか遠くにサンフランシスコ湾をはさんでサンフランシスコが見える。夜になると欠けた月が見えてきれいだった。
今日からアメリカ出張。バークレーでCFP2004に出た後、ワシントンDCとボストンを回る。
CFPは、ネット・プライバシー関連では有名な会議。毎年西海岸と東海岸を往復している。前回2002年に出たときはPGPのフィル・ジマーマンにインタビューできた。「Computers, Freedom and Privacy Conference」という名前はアメリカ人にもインパクトがあるようで、「何だそれ?!」といわれることが多い。
今年はRFIDとポスト9.11関連の話題が多そうだ。クリエイティブ・コモンズのBOFもある。ちなみに、BOFとは、
■birds of a feather {1} : 同じ羽毛の鳥、似たような連中{れんちゅう}、同じ穴のムジナ、同類{どうるい}(の徒) ■birds of a feather {2} : 同じ興味を持つ人たちの集まり◆【同】Special Interest Group
のこと(英辞郎より)。こういう業界用語は最初に聞くと訳が分からない。
週末に山梨県の釈迦堂遺跡を見てきた。ここは中央自動車道を建設するときに地面を掘ったら出てきた遺跡。高速道路のパーキング・エリアから博物館に行くことができる。だいたい3800年前頃までの縄文人たちの生活の様子が再現されている。
面白いのは作った土偶をわざわざ壊して、破片をバラバラにして埋めたらしいということ。何のためなのだろう。
そもそも、土偶がなぜ作られたのかはっきりしないらしい。博物館の中のパネルによれば、(1)子供のおもちゃ、(2)装飾品、(3)女神像、(4)病気・傷害・災害の形代(かたしろ:身代わりのこと)、(5)埋葬具、(6)宗教的儀式の祭具、(7)護符(ごふ:守り札のこと)などの諸説があるそうだ。
昔の知恵を忘れてしまうのは何となく悲しい。ネイティブ・アメリカンのイロコイ族は一万年の記憶を語り継いでいるそうだが(ポーラ・アンダーウッド『一万年の旅路』)、そんな部族はめったにない。
金曜日(9日)に三田で今学期初講義をやった。予想以上に多くて驚いた。念のため150部シラバスを作っていったが足りなかった。しかし、「厳しいよ〜。CもDもつけますよ」と言ったら少し減った。
教室は昨年よりもやや広めの階段教室。やりにくい。黒板ではなくてホワイトボードになったから、書きにくいし、教室の後ろの人も読みづらいに違いない。できれば変えて欲しい。
http://compress.sfc.keio.ac.jp/clip/article.jsp?id=news04040904
SFCクリップで簡単に紹介してもらった。これを見た何人かからメールももらった。少し恥ずかしい。
「国際政治における情報の機能」という題で原稿を頼まれていた。1万字とそれほど長くないけど昨年秋に依頼をされて、締切は3月末日。ずっと頭の中で構想は練っていたのだが、ここ数週間のゴタゴタで結局締切に間に合わなかった。お詫びして締切を延ばしてもらい、昨晩午前3時に書き上げてメールで送った。
たぶん依頼を出した方は考えていなかったはずだが、私に頼んだ時点で「国際政治における情報の機能」はインテリジェンスの問題になってしまった。ひょっとするとNGが出てしまうかもしれない。うまくいけば夏には出るようだが、どうなるか。
そして、今日は別の原稿(短いコラム)の締切。これも頭の中にはずっとあったが書けてない。今日が締切なら今日の夕方までには出すべきだが、昼間はいろいろあって書けなかった。このブログを書いている暇があったら原稿を書けばいいのだが、いまいち筆が進まない。今日もあと1時間あまりになってしまった。
おまけにTK氏からは今週中に別のコラムを書けと言ってきている(つらいぞ)。ううう。3カ月引き伸ばしている英文原稿はどうなるのだろうか。このまま月末の出張に突入してしまいそうだ。いや行く前にさらに別の原稿の締切もある。今日来た原稿依頼はKK氏に転送しよう。すまん。
ktaguma`s Fotolog(2004年3月31日)に元の職場の私の机をとった写真が出ている。乱雑で美しくない。さわやかで知的な作業場を持ってみたい。
知的生産のための環境に興味を持っていろいろ本を読んでみたけど、なかなかピンと来るものがない。ジャーナリストでバリバリ仕事している人の部屋などは乱雑極まりないことが多い。頭の中が整理されていればいいのかもしれないが、「この資料があの時見つかっていればもっといい原稿が書けたのに」と思うことがよくある。読んだ資料全部を頭の中にためておけるほど私は記憶力がよくない。
本を全部スキャンしてハードディスクに入れておくという人も出てきているようだが、手間の割に使い勝手は悪いのではないかと考えてしまう。
立花隆や猪瀬直樹のように蔵書のためのビルを建てる余裕はないからなあ。21世紀前半(私が死ぬまで?)は悩み続ける気がする。
新年度を機に有楽町の献血センターに行って献血をしてきた。久しぶりの献血。献血手帳を持っていなかったので、以前の記録を調べてもらったら、今よりも体重が7キロも少なかった。いかん。
水分をガブガブとっていざ献血に臨む。前回と同じ400ml。しかし、やはり前回と同じく気分が悪くなる。もともと血の話には弱いのだが、見てもいないのに想像するだけで気持ち悪くなる。耳元で何やら機械がプシューとなるといっそうムカムカしてくる。
結局、400mlとり終わった頃には顔面蒼白。手にも血の気がない。椅子の背もたれをバタリと倒して、足まで高くしてもらう。何だか目がグルグル回って吐き気がおそってくる。小一時間、そのまま横になっているが、ちっとも血圧が上がらない。
ほうほうの体で外に出るが、その後は仕事にならなかった。
何かいいことがあったら献血することにしているのだが、今回はつらかった。昨晩、歓送会で飲み過ぎたのがいけないのかもしれない。幸い、肝臓の数値は正常だった。
「いいこと」とは、新しい仕事が見つかったこと。これを機にブログを再開したいと思う。