よもやま話: 2005年3月アーカイブ

実はとっくにアメリカから帰国している。今回のメイン・イベントは慶應義塾ニューヨーク学院での学部説明会。慶應で一番美しいキャンパスというのもうなずける。もともとは隣にある女子大の敷地だったそうだ。近所にはクリントン夫妻の家もあるとか。いい環境で学ぶことができてうらやましい。9月入学が可能ということもあり、SFCは人気だが、何人が秋にやって来るのだろう。

ついでながら、小田学院長が寄贈された福沢諭吉コレクションも一見の価値あり。

帰国の翌日、研究会一期生の追いコンをささやかながら開いた。たった半年なので十分なケアはできなかった気がするけど、卒業・修了おめでとう。

西海岸にいた間、私から出したメールのうち届いてないものがあるらしい。ホテルのブロードバンドのプロバイダーがスパムなどの関係でブロックしているらしく、あるプロバイダーはtracerouteすると迷子になるのが確認できた。もし「返事が来ない」という場合はすみませんがもう一度送ってください。NYのホテルは良好。サンディエゴのホテルのブロードバンドはひどくて、たった4メガのファイルもタイムアウトしてダウンロードできなかった。

旅というのは計画しているときが一番楽しいと野口悠紀雄先生が確か『超旅行法』で書いていた。その通りだ。今回は大学の用事で急に頼まれたので、ついでにテネットCIA前長官の講演を聞いてくるか、おまけにレッシグ教授の講演にも足を伸ばすか、と楽しく計画した。しかし、年度末の出張は無謀で、押し寄せてくる仕事に破綻してしまった。kkさん、本当にごめんなさい。

機内では全然眠れず(リチャード・ギアの『Shall We Dance?』は役所広司のバージョンそのままだった)、ようやくサンフランシスコにたどり着く。『風とともに去りぬ』のロケで使われたという豪華なフェアモント・ホテル(カンファレンスの会場なので割引で泊まれる)にチェックインするも、頭痛がとれない。おまけにパソコンの調子が悪い。この際、アップル・ストアでパワーブックを買おうかと真剣に考えている。

ところで、マーク・ブキャナンという物理学者が『歴史の方程式(原題はubiquity)』という本を出している。邦訳の副題は「科学は大事件を予知できるか」である。『歴史の方程式』という題はあまりいいとは思えないが、確かに読み終わるとその意味が分かる。その結論は、戦争や生物の大絶滅や地震の発生を予測することは理論的には不可能かもしれないということだ。

つまり、戦争や生物種の絶滅や地震は、規模はともかく実は頻繁に起きている。それが大規模なものになるかを事前に知ることはきわめて困難である。例えば、マントル・プレートの上にある日本では、体に感じない地震が無数に起きている。しかし、ある時、積み重なったエネルギーが爆発して大地震になる。そこには周期性があるように思えるが、実際にはないため、地震予知はことごとく外れている。戦争においても同じである。歴史家は第一次世界大戦がなぜ起きたのかという点で、いまだに合意ができない。鍵はべき法則にある。

国際政治学で予測は無理なのかとがっかりし始めていたところなので、「地震予知でも経済予測でもことごとくはずれているのです」といわれると、少し安心してしまう。

そういう意味では今回の私の破綻も予測不可能だったといっておこう(できた気もするが)。砂山に落ちる一粒の砂が大崩落を起こしたに過ぎない(←本を読むと分かる)。

昨日、上海から帰国。実は木曜日、ブロードバンドは夕食から帰ったら使えなくなっていた。ホテルにクレームしたら値段に入ってないとのこと。そんなあほな。ダイヤルアップではブログをやる気がしない。

金曜日は順調に訪問調査をこなす。なかなかおもしろい。

土曜日は、昼間の予定がキャンセルになったので、豫園へ行く。いやあ、なかなかすごいところです。うじゃうじゃと人がいて、テーマパークのような感じ。六本木ヒルズに支店のある南翔饅頭店はどこかと探していたら足を踏み外して捻挫した。

めげずにようやく見つけるが、長い行列ができている。ここにあるように、南翔饅頭店は値段で食べ方が異なる。やはり座って食べたいのでまず2階の一番安い部屋に行くが、列も何もなくて、先客が食べているテーブルの周りに人が群がっていて、次の席を狙っている。「このテーブルは私たちがとっているから他にいってよ」みたいな感じですごい争いだ。部屋の中は東京の満員電車状態で、食べている人も気まずいのではないかと思うが、みんな平気な顔しておいしそうに食べている。ここで30分ほど待ってみるが、回転が悪いし、とても中国の皆々様を押しのけて席を確保できる自信がないので撤退。上の階の少し高いところへ。

こちらはきちんと列ができていて、係りの人が順番にテーブルに案内してくれる。その奥にはフカヒレ入りの最高級小龍包用の列もある。私たちが並んだのはカニ入りのほうだ。下だと16個で15元だが、上だと6個で20元、カニ味噌入りだと30元だったかな。こちらでも30分弱待ったが、ゆっくり食べられてよかった。

こうした光景を目にしながら、相方のkk氏と電波政策について話し合う。いわば、下のフロアは、混雑している無線LANのようなものだ。あいているスポットをみんなが探して座ろうとしている。しかし、使えるチャンネルが限られているところにユーザーが殺到するとどうにもならない。

上のフロアはいわばレギュレーターがいて、免許を出して使わせているようなものだ。食べている間はその席を占有できる。しかし、席があいて、自分の順番が来るまで使うことはできない。

すいているなら下のフロアでもいいのだが、混んでいるときは上のフロアで高い金を出してもいい。なかなか南翔饅頭店的秩序は示唆的である。

土曜の夜は日本のソフトウェアのオフショア開発をしている会社の社長と食事。なかなか奥深い話を聞くことができた。短かったが興味深い出張だった。

朝一の飛行機に乗って上海に到着。中国はどこへ行ってもほこりっぽいというのが第一印象。噂に聞くとおり、空港はでかい。市内までも遠いなあ。

ホテルにチェックインしようとするものの、同じビルの中に4つもホテルが入っているらしく、ちょっと迷う。フロントにたどり着くも、20代らしき素人のような3人がいるだけで不安になる。

部屋に入るとけっこう広くてまあまあだ。しかし、ウェブに書いてあったブロードバンドなどどこにもない。前日、チェックインした相方からは「ADSLがうまくつながらない」と聞いていたので、まあいいかとあきらめ、モデムで接続。いくつかアクセス・ポイントを試すとつながった。昔は毎回こんな調子だったよなあと思い出す。最近はどこへ行ってもイーサーケーブルを差すだけで使えることが多い。

相方はどこへ行ったのかと電話番号を探し出すのに手間取る。国際携帯を持っているはずなのだが、中国国内からかけるときは国際電話になるらしい。今度は国際電話のかけ方(発信番号)が分からない。このホテルにはそういう案内が何もない。

う~むとうなっているとピロピロと電話が鳴る。やれやれこれで連絡がついたと思ったら、たどたどしい英語でフロントから。何やら「インターネットのエンジニアをあなたの部屋に送りたいがいいか」と言っている。何のことか分からないが「いいよ」と返事。しばらくすると英語のまったく話せない二人がやってきて、箱からADSLモデムを引っ張り出し、接続を始める。おおお~、先にそういうことはやっといてくれよ。

ちゃちゃちゃと設定は終わったらしいので、私のラップトップをつなげようと試みる。しかし、IDとパスワードを入れなくてはいけないらしい。その設定をするためにウインドウズの「ネットワーク設定」を開かなくてはいけないのだが、メニューが日本語(特にカタカナ)が読めないらしい。そらそうだ。

ネットワーク設定を開いてあげると、後は直感でどんどん設定していってしまう若いエンジニア。彼はちょっと色黒なので、少数民族の出身か。英語ができなくてもITはできてしまうんだねえ。

なんとなく設定ができたようで、そのまま「どうも、どうも」てな感じで帰ってしまうのだが、「あいや待たれい、そのIDとパスワードを置いていけ」と無理やり書き写す。どうも相方はこのIDとパスワードをゲットしていないのではないか。後で聞いてみよう。

とまあ、連絡を待っているのだが、どうしよう。スカイプアウトでもすればいいのだが、このラップトップにはマイクがついてない。困った。このまま今日一日終わってしまうのだろうか。もったいない。