よもやま話: 2008年1月アーカイブ

今日、日中共同プロジェクトの最終報告会があった(残念ながらクローズド)。その打ち上げの席で中国の研究者に教えてもらったところによると、中国では宇宙人のことを外星人というそうだ。外国人と同じ発想である。分かりやすい。

外星人が北京にやって来ると、北京の人々は国家安全保障問題だから政府に通報しようと言うらしい。外星人が上海にやってくると、上海の人々はビジネスにしようと言うそうだ。外星人が河南省にやってくると、海賊版コピーを作ろうと相談するらしい。外星人が広東省にやってくると、スープにしてしまおうと言うそうだ。

今年は変化と移動の多い年になりそうな気がする。だからこそ、目標は「没頭」である。我を忘れて夢中でいろいろなことをしてみたい。レーガン図書館での5時間は久しぶりに誰にも邪魔されない没頭した時間だった。ネットも通じないし携帯電話もかかってこない。目の前にある資料との格闘だけだった。こんな贅沢な時間はない。

おまけに新年早々良いことがあった。母校の三鷹高校が全国サッカーで都立高校として初の2勝目をあげたのだ。


三鷹が都立勢初の2勝目 全国高校サッカー

確かに私がいた当時からサッカー部は元気が良かったが、全国レベルにはなっていなかったはずだ。どちらかというとのんびりした高校で、そこが良さでもあったのだが、スポーツでも勉強でもガツガツした人は少なかった。しかし、いざテレビで見てしまうと大声で応援してしまう。これも夢中になれるすばらしい時間だった(録画で短縮されていたというのもあるけどね)。

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所用があってロサンゼルスに行ったついでに、大阪大学のロバート・エルドリッヂ先生に刺激され、郊外のレーガン図書館に寄ってきた。エルドリッヂ先生によれば歴代大統領は任期終了後に地元に図書館とミュージアムを建てる。そこに政権時代のあらゆる資料が集められる。今回、レーガン図書館の展示では、ナンシー夫人の服が特別展示されていた。しかし、展示の目玉はやはりエア・フォース・ワンとマリーン・ワン(ヘリコプター)の実物であろう。エア・フォース・ワンの内部も見ることができるが、写真は禁止。

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ホワイトハウスのオーバル・オフィスのレプリカもある。レーガン大統領はジェリー・ビーンズが好きだったらしく、エア・フォース・ワンの中にもオーバル・オフィスの中にも瓶に入ったジェリー・ビーンズが置かれていた。これはメーカーが特別に作ってくれた展示用とのこと。

図書館の外にはベルリンの壁の実物が展示され、大統領のお墓もある(でも実にからっとしたものだ)。図書館は丘の上にあるが、木も生えていない岩山で、荒涼とした風景が周りには広がっている。陽気な大統領とは少し似つかわしくない感じがしたが、本当はこういう荒れ地が好きなカウボーイだったのかもしれない。

リサーチ・ルームにも入れてもらう。ここは前もって連絡をしてから行った方が良いそうだが、私は何とか入れてもらった。予約が必要なのは、資料が情報自由法(情報公開法)で公開が認められたものに限られるからだ。もし自分が欲しい情報がまだ公開されていない場合には、事前に公開請求をかけてから行った方がいい。

欲しい資料そのものではなかったが、関連するお宝資料にたまたまめぐり会えた。昼飯を食べる間も惜しんで389枚のコピーをとる。原資料は丁寧に扱わなくてはならず、ホチキスで止まっている場合にはいちいちアーキビストのところに持っていってとってもらわないといけない。一枚一枚丁寧にコピーをとっていると、5時間で389枚が限界だった。年末だったせいか、私の他には一人しかいなかったので、コピー機を独占できて幸運だった。

短い滞在から戻って、大晦日にコミケに学生と出かけた。話には聞いていたが、実際に行くのは初めてである。わざわざカタログを取り寄せてくれたS君に案内してもらった。東ホールと西ホールがあり、東ホールは山手線の満員電車並みの混雑だった。

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西ホールでは卒業生のyokk がライトノベル(ラノベというらしい)の評論集を売っていた。きれいに製本してあり、完売したそうだ。お見事。近くで出店していた旧知のAさんとも久しぶりにお話しできた。ミリオタや政治評論のパンフレットも売っていて、こちらは何となく親近感を持つことができた。

LA郊外の岩山の上にあってほとんど人のいない図書館から18万人も押しかける東京のコミケへの移動は恐いぐらいだ。あれだけたくさんの人たちを引きつける力は何なのだろう。祭りとはああいうものなんだろうか。「まだ4万円も余っているよ」という声が聞こえてきたり、銀行のATMに長い行列ができていたりするのを見ると、確かに大きな「マーケット」になっているということはいえるだろう。

しかし、普通の市場経済とは何かが違う。例えば、それぞれの売り物の値段が100円や500円というスタンダード価格が付いている。ということは、中身を吟味した上で、それに見合う値段を付けているわけではないらしい。値段はあくまでコストを回収することができれば良い程度の意味しかないような気がする。手に入れられるか入れられないか、読んで、見て、おもしろいかどうか、それが重要なんだろうか。公文俊平流に言えば「智場」なんだろう。しかし、あそこまで大きくなるものか。

養老孟司『死の壁』によれば、戦争で発散できなくなった若い力が60年安保、70年安保に代表される学生運動につながったという。しかし、その学生運動ももはやない。若い力を発散する必要すらなくなっているのか、それともコミケは新しい力の使いどころなのか。興味深いが、なかなか腑に落ちない。

ところで、MovableTypeをアップデートしてみたらかなり改善されているようなので、またココログから移動してみようと思う。