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November 30, 2005

枠組みだとか。

レポート書いてます。月曜日にテーマが発表されて、3日後までに書いてきてね★っていう形式。しかも、授業中に使った論文だけを参照しろと言われて、書きにくい。まあ資料探す時間がまったくかからないのはいいのだけど、与えられた構造内でどうやって論文を批判したらいいのかよくわからない。無垢に「わたしの意見」でも書けばいいのか?でもそれも結局何かに準拠してるわけじゃん。その参照元を書かないのってフェアじゃないし、説得力もないよね。うーん、批判せずに記述に徹せよってことか?

つかみ損ねた夢が
まだ部屋の片隅に残像を見せる

手に入れてしまったものは
いつでも置いてゆくことが出来るけど

手に入れられなかったものは
うまく捨てることもできない

また空がふるえはじめる
輪郭線が闇に届きそうになる

立っていること
見ているもの
まだうまく消せない

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November 28, 2005

きょうの日記

日本ごを勉強している子に、このページがみつかってしまいました。
だから、今日はかんたんなことばでにっきを書(か)こうと思います。

しかし、ざんねんながら、今日はあまり書くことがありません。
ゆきがふりました。レポートを書きました。それだけです。

かんたんなことばだけで、ぶんしょうを書くのはむずかしいです。

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エクセル喪失

ひとつ、4000 wordsのレポート終わらせる。

書き終わり間際になって、図でも書くかと思って久しぶりにエクセルを使おうとしたんだけど、なんと平凡な折れ線グラフがうまく作れない。しかも、官庁のページから一番に欲しいエクセルデータが見つけられなかったので、自分で数値を入力しなくちゃいけないのに。

というわけで、またイラレ君とフォトショさんに頼って
見た目だけはそれっぽいグラフを作りました。
慣れてるソフトだとはやい、はやい。

ほぼ目分量で作ったのだけど、まあいいよね。
どうせ印刷しちゃえばわかんないんだし。

このあたりが、学者向きじゃないんだよなあ。
もっと厳密な人間だったら入院もできたのかな?

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November 26, 2005

血塗り

また粉雪。

雪が白でよかったとしみじみとしてしまう。
もしも雪が赤だったら、世界の歴史は色々変わった気がする。

穢れだとして、まったく雪に触れずに外出できる服が発達していたかも知れない。
さらに北欧などのイメージとかぜんぜん変わっていたかも知れない。血塗られた半島、スカンジナヴィア。赤の国ロシア(あれ、これは実際の歴史でもそうだったか)。

まだ、粉雪。

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November 24, 2005

verdens ende

Man kan komme til verdens ende,
Men man kan ikke komme tilbake igjen

そこが世界の果てだと
或る朝 全て歩きやめた君を

追い越した後にも
また夜は訪れ 
そして幾朝もが
頭上を抜けていった

Jeg har ikke gått meg vill

目の前にはいつも
目に映るものが広がっていた

誇らしく ただ前だけを
ただ世界だけを広げ続けた

あの日世界の終わりへ辿り着いた君を
まるでかき消すように歩き続けた

Man kan komme til verdens ende,
Men man kan ikke komme tilbake igjen

Man kan komme til verdens ende,
Men man kan ikke komme tilbake igjen

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まるで気分は北欧

霧だった。最近夜の6時から8時のクラスをとったせいで、帰り道はもう暗闇なのだけど、不思議と霧の今日はいつもより世界が明るかった気がした。あらゆる光がぼやけて滲んでいて、まるで北欧にいるみたいだった。

実際に立っていた場所は、ただの駅の側のしがないスーパーだったんだけどね。イメージの北欧と立っている場所が少しだけ重なった瞬間。国家が社会的に構築されたものなら、当然北欧も想像の共同体に過ぎないのだけど、想像と足元が重なる瞬間は少しどきどきする。

日本の事例を知ったかぶりするために、最近日本の資料ばかり読んでる。エッセイにするときに楽だからなるべく英語で書かれたものを見るようにはしているけど、なんでノルウェーなんかでこんなに日本のことを調べなくてはならないのかわからないけど、まあ意味なんて求めちゃだめだ。

日本の少子化の理由は晩婚化、未婚化というのがほぼ定説。完結出生率(夫婦が産む子どもの数)は最新の2002年の調査までは2.2で変化なし。ただし、この調査は夫婦が50歳にならないとわからないので、90年代の減少は子どもを産まない夫婦が増えてきていることも視野にいれなくてはいけないよう。

で、仮に出生率をあげたいなら、政策の方向性は意外とはっきりしているような気がする。結婚をinstitutionじゃなくすること。結婚しなくても子どもをうみやすい環境をつくるか、離婚をしやすい環境をつくる。

でも日本って産めよ増やせよの戦時中にさえ、婚外子やシングルマザー助長の政策をしていないんだよね。最新の草案ではさすがに消されていたけど、憲法24条改正の動きさえあったくらい近代家族が大好きな人が多いみたいだし。どうするんだろうね。これで避妊を禁止するとかになったら、SFっぽくて面白くなるけど。

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November 22, 2005

銀河鉄道

日常の時間からはずれた軌道を、永遠に進み続ける銀河鉄道。もう出会えない人がそこでは乗客として乗り合わせる。きっと信じられないくらい長い時間の中を。

銀河鉄道って環状線なのかも知れないね。山手線と一緒だ。

夢はいつでも
現実よりも先に
現れるように

だから夢こそが確かなのだと
君はいつも言っていた

変り続けることだけが
この世界の中唯一変わらないことだと

ここにあるものや
いつか置き忘れたものや
やがて去ってゆくものと

同じ世界に再び
乗り合わせる日が来るのかも知れない

夢を見せるこの場所を
世界と呼び続けることさえ出来たならば

たよりない現実を抜けて
あの環状線へ

何度でも君の名前を呼ぶ
あのホームを幾度も通り

終着駅のない
あの環状線へ

届く日もあるのだろう
懐かしい風景を車窓に映し
何度でも微笑みあうのだろう


そんな君の変わらない夢を
守れるだけの現実をあといくつ
僕は伝えてゆくことが出来る

今はまだ
一つだけの夢と世界の中で

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November 21, 2005

日本の秘密

大晦日は一年の終わりの日ですが、日本人にとっては一年の始まりの日でもあるのです。

と、友達の持っていた日本語の教習本にあったのですが本当なのでしょうか。広辞苑くんもgoogleさんもそんな情報は教えてくれなかったので、もしかしたら日本語学習者だけが知ることの出来る日本の秘密なのかも知れません。

日本語を母語とする人には決してわからない。日本で暮らす人にもわからない。ただひっそりと海外で伝えられる日本の秘密。しかも大晦日という一年の最後の日に関わる(わりに大して重要でもない)秘密。そうやって世界はまわっていくんですね。

というわけで、僕の2006年は今年の12月31日からはじまるので、よろしくお願いします。

(時差の関係で日本における2006年はノルウェーの2005年12月31日を8時間ほど含みます。)

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November 19, 2005

ばいばいしゅん

ジェンダーの授業。

スウェーデンで売春禁止法が1999年に成立したことを受けての、売春時における男性のモチヴェーションを分析した(先行研究を寄せ集めた)論文。

今までてっきりスウェーデンの売春は合法だと思っていたのだけど、いつの間にか変わっていたんです。売春の取り締まり方には規制(制限をもうけて合法。オランダなど)、廃止(将来的に消滅させる算段。女子差別撤廃条約は廃止主義だとよくいわれています)、禁止の3つがあるのだけど、スウェーデンの態度は禁止。

ただし、モラルとかそういう恥ずかしいレベルでの法立法ではなく(モラルとか道徳とかばかな理由で法律が条例が通るなんて先進国じゃ日本くらい?)、女性に対する暴力に対するプロセスの中の一つとしてのこの売春禁止法らしい。

と、これ以上細かく調べたわけじゃないからあまり色々いえないんだけど、売春禁止してもろくなことがないような気がする。確かに今現時点での売春が、女性差別の温床のひとつになっていることは否定しないけど(特に日本とか。たとえば違法入国外国人の劣悪な状況での売春とか。人身売買ってよく名指しで批判されるよね)、禁止したからってその次の日から人の性規範や欲望が変わるわけじゃない。だからますます売春が地下にもぐって取り締まりもしにくくなる。

それに、日本の女性の間で最近東南アジアへのセックスツアーが流行ったり(日本人男性のセックスツアーは70sから有名)、女性用風俗がここまで発達してきていることを考えると、売春に関しては「女を男なみ」にしたほうがgender equalityへの近道な気がする。性の過度な神聖化も本質化とも離れられるし。

(他の分野じゃ「女を男なみ」にしたほうがいいなんて思わないけどさ。資本主義だとか徴兵制だとか。)

ちなみに日本の援助交際の例が一番ウケました。芸者の延長?みたいなことを言われたときはどうしようかと思ったのだけど、高校生がわけなく売春するっていうのがかなりショッキングだったらしいです。

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November 17, 2005

バ   ラ:バラ

たとえ散らばってゆくだけだとしても、ただある方角を前だと決めて歩き続けた人には見えない世界に、彼らが立ち止まろうともしない世界に気が付くことが出来ると信じて。そして、いつかたどり着いた彼らに、ばらばらになりそうにながら見つけてきた世界を教えてあげるために。

ある朝動き出した世界に
ただ乗り合わせただけの僕たちも

幾度も顔をあわせ、そして別れ
幾度も道を選ぶにつれて

別れ広がり薄まり
そして、出会わず、

まるで別々の世界を生きる人たちになる

砂のように散らばり続けた全ては
どこで流れ果てるのだろう

寂しさや痛みさえもとどまる場所を知らず
同じ寂しささえ今は許されない

だから風がいくら砂を運んでも
まだキミは見えないね

小石が空からこぼれ落ちる
それを僕らは必死に拾い集める

指の隙間からこぼれ落ちないほど大きなものを
たやすくは探せないこと僕たちは知っている

だからたとえ小石でもただのひとときでも
すがり求めるように、ひとつでも多く

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目空揺

目の手術中に地震が起こる状況を想像したら急に怖くなった。

目じゃなくても、たとえば手術中に地震が起こった場合って、どうするのだろう。閉じるだけ閉じるのか、それとも何もおきていないふりで続行するのか。

他にも、埠頭のふちで遊んでいる子どもとか、じゃれあって柵にもたれかかっているカップルだとか、二階から目薬をさすのは本当に難しいのかを確かめるために身を乗り出しているパパとかのことを考えると、地震が急に不安になる。

避けることのできないリスクだからね。まあ地震だけじゃなく、当たり前のこととして日常はあらゆるリスクにあふれていて、それから完全に逃れることは、レイヤーのいくつもあるこの世界じゃ不可能で、結局リスクを分散させるための保険をお守りに、無事を祈ることしかできないのだけれども。

というわけで、避けられないリスクだとして、たとえば地震なら空の上で遭いたいです。

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November 15, 2005

どき★

ノルウェーで勉強をしよう!みたいなサイトの、「ノルウェーの生活」ページ。

http://www.studyinnorway.no/living_in_norway

ちょっと恥ずかしくなります。

まあでも、このLOVE!NORWAY!みたいなのが排他性に結びつかないからいいんだろうけど。日本文化なんて西洋人なんかにわかるか!とポーズかどうか知らないけど発言する人がいるじゃん。逆に、このサイトからは、キミもノルウェー好きになれる!ていうか好きだよね!みたいなノリを感じる。

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0.1と0.09

"We're getting close to answering the questions, Why are we here, and where did we come from?"(ホーキング)

それは0.1と0.09のように、近づくほどに桁数が増えてゆくような、近づくほどに難しくなってゆく問題なのかな。

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November 13, 2005

ピース!

まわりにpeace studyをしている人がやけに多いと持ったら、ヨハン・ガルトゥング
ってオスロの出身で、オスロ大学との関係も深いらしい。納得。

ちなみに、どうやってこれを知ったかというと、授業のプレゼンのために日本における女性用の風俗について調べていて、出張ホストのサイトをのぞいていたら、女性の顧客に対して本音を書いて物議をかもしている出張マッサージ師(売春じゃ犯罪だから、名目はマッサージ。でもマッサージ師以外の営利目的のマッサージもやはりだめだから、少し違う名前で営業)のブログを見つけ読んでいたら、急にネット上のノルウェーが恋しくなって、ニュースをノルウェーで検索したら彼の名前が出てきて、平和学の勉強会を開いていた友達の顔を思い出して、少し調べたら彼がオスロ出身だと判明。

そういうどうでもいい話。


*

夜の出入り口は錆び付いたまま
ひとり扉の側
誘いの手を待ち続けていた

一人席を立つことも
一人席につくことも
いつからか急に怖くなる

だからこんな世界の片隅でさえ
夜と一人を離したくなる


黒い扉に
キミは寂しさを重ね

もうここにいない
そんな人を想う

ここにもいないから
どこにもいないのだとあきらめてしまう


黒い扉に
彼は可能性を重ねる

もうここにいない
そんな人を想う

ここにはいないから
どこかにいるかも知れないと信じてしまう


開かれた夜の出入り口
白い扉はまだ
黒く塗りつぶされたまま
錆び付いたふりを続けている

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November 12, 2005

劣化料理

期末レポートに少子化なんていうベタなテーマを選んでしまったので、資料が多すぎて困っている。

子どもの数の上昇・減少を説明する統一理論なんてものは存在しないけど、意外と日本の少子化の理由ははっきりしている。結婚した夫婦の子どもの数はここ30年でほとんど変化がない。2.2人。ということは、出生率の低下の原因は未婚率の増加。そして未婚者が子どもを産んでいないこと。一方で北欧なんかは未婚(同棲、シングルマザー/ファザーなど)で子どもを産む割合が日本に比べてすごく多い。

そして他の因子としては、子どものケアシステムの充実だとか、育児休暇の充実だとか、「希望」だとかがあるのだろうけど、これをどう料理しよう。

たとえば創作料理なら、レシピがなくてもとんでもない成功を収めることがあるかも知れない。また、ノルウェーの料理を日本でつくればたとえ材料が間違っていて、多少まずくても珍しがられるかも知れない。(日本に持ち帰れば参考になりそうな事例は結構あるよ。こっちじゃ保守的だと批判されまくりの子どもを持つ親に対してのcash benefitとか。民主党とか結構真剣に検討していたよね。)

でも、今までに何度も作られた料理を同じように作っても、素人が作れるのはせいぜい劣化コピーくらいじゃないのか。

投稿者 POE : 06:39 EM | コメント (0) | トラックバック

もしも。

もしも電波が見えたら、この世界はどんな姿なのだろうかだとか、
もしも包丁で原子が切れたら、この世界は危なくて仕方ないなだとか。

そんなことを考えていたらもう夜。

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November 11, 2005

落ち込む世界

日没がはやくなってきたこの頃。
5時にはもう月が中空に浮かんでいる。

4時が好き。

世界における最後の光のような、
最後ゆえの光のような、黄金の色に街が包まれる。

空が四角くないこの街では
どこにいても、空がとても広い。

だから、まるで日没は
空の色の変化ではなく、
世界そのものの落ち込みのように見える。

ささやかなひかりに
世界が沈み込む

あたたかかった風を
背中に受けたまま、
つめいたい夜へと

人も街も、
落ち込んでいく

同じ場所にはいられないと
走り続けたキミよりも、

遠い場所まで
来てしまったのかも知れない。

戻れないと
空を仰ぎつぶやく

ただの地平が
そして空へと

届かない手紙が
やがて救いへと

引きなおした線に
あたらしい名前が。

照らされ方が
ほんの少しずれただけで
まるでここはそこで
そこはここじゃない。

沈み込んだ空。
打ちあげられた地平。

そしてなお残された光。

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November 09, 2005

アジア、竹ノ塚、こころはそこへ。

東西南北ってどうやって覚えましたか?北は地図の上、ということですんなり理解できるのですが、東と西の区別が昔から苦手でした。

今でも東について考えるときは、頭の中で東武伊勢崎線竹ノ塚駅周辺の地図を思い浮かべ、右側にあるのが東口だから、北に対して右が東、というわけのわからないプロセスを踏んでしまいます。

ちなみに、英語でEASTとWESTとを考えるときは、頭の中にアジアの地図を思い浮かべ、EAST ASIA COMMUNITYなるものを夢想した上で、やっと右側よりのほうがEASTだと判明します。(確かめ算のかわりに「くにの名はEAST ASIA 黒い瞳のくに」という中島みゆきの歌を思い出し、自分の瞳が黒いので、ああこれはあっているな、と。)

たとえば、池袋ウェストゲートパークなどと誰かが発言しようものなら、まずアジアを思い浮かべ、EASTが右であることを確かめた上で、その反対がWESTであると思いいたり、さらに頭の中に池袋周辺の地図を思い浮かべ、左側がWESTなので、劇場や丸井のあるほうに池袋ウェストゲートパークはあるのかとやっと思い至る、というプロセスを踏まねばなりません。

また大変なのは、東って英語で何ていうんだっけ?という時です。竹ノ塚駅を思い浮かべたあとに、アジアを想像して、やっとその二つが結びつく。一瞬のうちに、こころは足立区からアジアへ。ロマンですね。

投稿者 POE : 09:24 EM | コメント (0) | トラックバック

November 08, 2005

選挙に行けば環境問題解決!

http://www.y-choice.jp/

今どきの総務省は、若者の選挙離れを食い止めるために映画まで作ってしまうらしい。しかも、それなりに有名な監督を起用して、5本公開予定(今は2本だけアップされれいる)で、サイトで誰でも見られる。

かなり、というか徹底的に「若者」を意識したつくりになっています。映画本編もそこまではっきりと「選挙に行け」というわけではなく、監督の苦労具合が伺われる。というか、「選挙に行けば環境問題が解決する」という思い込みが伝播するだけのストーリーでもあるわけで、むしろ監督も投げやりになっていたのだろうか。

.....投票率を上げることってそんなに大切か?たとえば、今回の選挙のように郵政民営化みたいなわかりやすいお題目があれば、投票率も人々の関心もあがるよ。でも、そんなことであがる投票率って何?という。

エリート主義に聞こえちゃうかも知れないけれど、選挙に行かないほうが結果的に将来に良い結果をもたらす人が存在することも事実だよね。民主主義による手続きを経て(実際には多少違うらしいけど)ファシズムが成立したというナチスの歴史をひくまでもなく。

遠回りでもまず必要なのは、批判力の育成だとか、そういうリテラシー教育なのではないですか、ともっともらしいことを思った。「選挙に行けば環境問題が解決する」なんていう理由で選挙に行く人が増えたとして、それが何になる?

.....総務省という立場上、無難な環境問題というテーマを選んだのかも知れないけれども。それにしても5本アップ予定の映画が2本しかまだ出来上がっていないことを見ると、夏の総選挙は総務省にとっても予定外にはやすぎたということなのかな。

.....と、このように「若者」が色々と考えることまでもを目的にしたサイトだとしたなら、それはよくできましたね、と言えるけど。

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だらだらだら

ひとつproposalを書き終えただけで、もう全て終わった気になる。ゆったり。REFERENCESも一通り目を通したし、流れもなんとなくわかっちゃったし、本論を書く気が起こらない。でもまた何か新しい発見もあるかな。

学部生がレポートを書くこと。しょせんそれは練習にすぎないのかも知れないけど、それでも何かひとつは、少なくとも自分にとっての発見は盛り込みたい、と思っている。proposalで満足ってあたりがだめなので、もっとたくさん関連したものを読めるといいな。

いま夜の2時。おだやか。BGMが90sのJ-POPってあたりがださいけど。
ジェンダーの授業。GENDERが、階級や民族という差異を再発見する、というよくあるはなし。マイノリティーの権利をどこまで認めるか、というのをジェンダーイクオリティーの立場から。

文化多元主義、相対主義、反相対主義、反反相対主義(わけわかんない)、普遍主義。一年以上前からときどき考えているのに、今でも普遍主義をたやすく認めていいかどうか、いまだにわからない。

ただ思いの出すのは、藤子不二夫のマンガ。ある星に不時着した主人公。そこでは牛が高度な知能を持ち、人間(も文化はなくても、話したりという知能は地球の人間並みにある)を奴隷として養っているという世界。その人間たちの中での至上の憧れは、いけにえとして牛に食べてもらうこと。コンテストの優勝者がいけにえになる権利を手に入れることが出来る。主人公は、そのいけにえの女の子に恋をする。一緒に逃げようと誘う主人公に、女の子は耳をかなさい。だって、食べられることは最高の栄誉で、最高の喜びだから。

このレベルのナイーブな解釈しかできない大学生って問題かな。でもわかんないんだもん。まあ現実はいつだって両極端の中庸を、その50歩か51歩くらいの拮抗ですすむことが多いのだろうけど。

そしてノルウェーの文学についての授業。ラグナロクとか、エッダだとか、ムーンストーンだとか。北欧神話が、また読みたくなった。おすすめも聞いたし。

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November 07, 2005

KEIO150

keio150周年

慶応義塾が150周年を迎えるらしいのだけど(あくまでも慶応大学じゃなくて、慶応義塾。大学になったのはもっとあと)、コンセプトが「未来の先導」だという。

なのに記念事業になにをやるかといったら、基本的に箱ものを作りましょう、ということらしい。
確かに建物を新しくするのが、お客様にも一番わかりやすいし、費用のかかるものだからこういった事業のときに箱ものを作るのは珍しいことじゃない。

だけど、「未来の先導館」っていったい何なのだろう。KEITAといい、慶応がいったいどんな未来に進もうとしているのか、非常にわくわくしてしまう。

そもそも、「未来」っていう言葉は、実は何もいっていないに等しい。これだけ細分化した時代に、つまり現在にさえ共通前提のもてない時代には、共通の未来なんて存在しようがない。いや、未来への先導ということは、ひとつの未来を前提にしているのか、それとも多様性を前提にした未来だとしても過渡期の今には、「多様性の尊重」というひとつのお題目に向けて先導をしたいということなのかな。

あとサイトを見て思ったのはやけに「感動」という言葉が多いこと。「独立して生きる力と協力して生きる力を兼ね備えた人間」という西洋的な意味での個人主義的な人間の育成という目標は変わらないようだけど、それと「感動」をどう結びつけてゆくのかが気になるところ。近代とともに歩いてきた大学が、近代を超えたいってことかな。

LLLLL

まあ、どうでもいいや。150周年を迎えるのは、2008年のことで、関係ないし(この卒業したらもういいやという態度が、未来を見ていないと怒られるのでしょうか)。

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気持ちは伝わるわけもなく。

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November 06, 2005

あの頃との夢。

最近、夢が面白い。

この前はいきなり中学校1年生の時の英語教師が出てきた。大学を出てすぐうちらの中学校に来たから、当時22か23だったのだろうけど、中学生から見てもあきらかに子どもみたいな人だった。しかも英語教師のくせに英語できなかったし。研修でアメリカに行って、英語が伝わらなかったことを楽しそうに話していた彼の顔が急に思い出される。

もうハタチにもなって、記憶の中のいくつかの人の年齢に近づいていゆく。あの頃22だった彼はもうこの世界では三十路やそこらになっているのだろうけれど、あくまでも記憶の中では22のままで、その彼と今の自分が夢の中で話をする。

どうやら自分が人気教師だと思っていたようなので、転職をすすめておきました。


前線の手前にそびえる空
銀色の金網を掴みながら恨んでいた
現実を変えられない僕を
変わらない現実を

あの頃の未来はいつだって輝いていた
今日よりも明日は幸せになるだなんて
そんな嘘を捨てられなかったんだ

夢を押し殺し走り続けた
僕もまだ夢を忘れきれずにいる


歓声が消えた後スタンドで
風の中 果てしない未来たちが闘っていた
訪れるであろう敵たちと
打ち破る仲間たち

あの頃の未来のなれの果てを歩く姿
今日よりも明日を信じてた君ならば
抱きしめてあげられるはずだよね

人を押し退け走り続けて
君は今どこを走っているのだろう

同じ未来を抱きしめていた
あの日の二人さえも消えてしまう

だから
夢を押し殺し走り続けた
僕もまだ夢を忘れきれずにいる

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November 05, 2005

フレーズ集

外国語のフレーズ集って今までバカにしていた。だっていくらフレーズを覚えても、文法を知らなくちゃ会話にはならないし、相手の言っていることもわかるようにならないし。

でも、いいね、フレーズ集。見直しちゃった。会話のすごく楽な上に効果的な潤滑油になる。残りの99パーセントがたがいの母国語じゃない英語でのものだとしても、1パーセントにでもどちらかの母語、しかも出来るだけフランクなものを挿入すれば、なんかもうそれだけで気持ちが伝わっちゃった気になる。

教科書で手順どおりに習っていくと、どうしてもはじめのほうは「私はアイスクリームを食べるのがとても大好きです」とか、ふつうは使わないような文ばかり覚えてしまう。手順としては妥当なのかも知れないけど、すごく遠い。おたがいにすごく遠い。

ただ、話者が少ない上に、商売っ気のないノルウェー語にはこの手の本がない。しかも、基本的にノルウェー語なんてゲルマン語っ子にはさして難しくないようなので、いらないみたい。

でもなあ、誰か作ってくれないかなあ。「どうしてただの塗装工事に3ヶ月もかかってるの?」とか「オーバーランは日常茶飯事」とか「なんで田舎のノルウェーっ子のアディダス率は高いの?」とか「ビッグマッグ1000円、これが豊かさの象徴」とか、色々言いたいフレーズはたくさんあるのに。

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November 03, 2005

面白い大学。

暇だったので色々な大学のサイトをのぞいてみる。

今のところ一番面白いのは秀明大学かな。西部邁が学長というあたりからもう期待は高まるわけだけど、学頭メッセージではいつもの戦後教育批判をして、道徳や国民性教育の必要性を訴える。ここまでで全体の8割。

で、実際の教育にどう帰結させているかというと、

(1)学生寮の提供←教育と生活の融合
(2)一年の英国留学(義務)←国際化の時代だから
(3)頭髪規定←ならず者とみなされないため

学生寮、留学はまあどこの大学でもあると思うので(説明はこじつけだし。ところで反米なので英国なのかな)、ポイントは頭髪規定くらいか。しかもその理屈というのが派手な髪をしていると、「ならず者」と見なされるが、そこに理論がないと将来の可能性を閉ざしてしまうだろうということ。

まあどれだけ大学生が髪をいじってて「ならず者」と見なす人がいるかはおいといて(いるの?)、なんかさんざん国家がどうとか、歴史がどうとか言っておいて、結局頭髪規定に落ち着くというあたりが、戦後教育っぽくて、なんか身を張った逆説っぷり、というかそのシニカルさが面白いと思った。

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色々少しずつ

英語とノルウェー語と古代日本語と韓国語とドイツ語を少しずつ勉強している。どれも血肉レベルにするのはあきらめて、ただの趣味。日常会話さえままならないレベルでも(もっとひどいか)、色々なことを少しずつやるのは楽しい。

目標とか戦略とかを持てない人間なので、未来のために今が苦しい、とかだめなんだよね。今をただのユーティリティーなんかに出来ない。そうやって、目標(夢と言い換えてもいいけど)を捨てたときに何が残るかと言えば、そのときか、もしくは近未来に楽しいかどうかだけなんだよね。

会話の折に少し違う言葉を挟んでみたり、相手の悪口を相手の前で相手の知らない言葉で堂々と言ったり(ただのたとえですよ)。少しだけ、何者かから遠ざかった気になれる。と、まあ、こうやってどの言葉も必要に迫られないという状況は、恵まれていることの裏返しでもあるわけだけどね。

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November 01, 2005

ネイティブと形容詞

ネイティヴ信仰にはときどきとんでもない落とし穴がまっている。

------この答え何?形容詞うめるとこ。(他力に願い)
「ああ、この形容詞は普通に大きいか、とても大きいかで使い分けるんだよ。」
-----でも、家も島も大きいのになんで違う形容詞を使うの?
「家のほうが常識的に大きいものだからじゃん。」
-----(島のほうがふつう大きいけど)aとかtheのようなもの?
「それも関係しているかも知れないけど、細かいことはその文脈によって変わってくるから、いちいち覚えるしかないんじゃない。」
-----なんでこれだけ形がぜんぜん違うの?
「遠くから見てるから小さく見えないからじゃないの。」

と教えてもらったので、ノルウェー語の形容詞はとてつもなく複雑なんだなと思って、この二週間くらい生きてきた。しかし昨日、テストも近いし、日本からもってきたノルウェー語の文法書を見てみると衝撃的な事実がそこには書かれていた。

ノルウェー語の形容詞は、男性・中性・複数により変化(しかも基本的に規則変化)するだけだった。その他にも新情報がたくさん。大学で使っている教科書は文法の説明もノルウェー語だし、最近授業も基本的にノルウェー語ですすんでるから「そういうものなのか」と流してきた文法事項にもしっかりと(しかもすごく簡単で単純な)ルール多数。

考えてみたら逆の立場で、日本語をきちんと教えられるかといえばNEI。何十冊も本がでている「は」「が」の違いはもちろん、韓国語と違ってあいまいな敬語を使う基準とか、「そういうことになっている」として例を挙げることしかできない。もちろん、い形容詞とかくらいの違いくらいはわかるけど。

ちなみに、日本から持ってきたノルウェー語の文法書というのは、ドイツ語を一緒にとっていた友達が見つけてきてくれたものです。

近くのネイティヴよりも、遠くの友人。

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グロッサリー

わずか38ページ。ガリ版印刷にもひけをとらない劣悪な紙面。教科書の単語の変化と意味が載っているだけのGLOSSARY。なのに価格56NOK(800円くらい)。

ノルウェー語のGLOSSARY。上のような鷹揚なものだったので今まで買わなかったんだけど、少し気が向いて買ってみたら、いい。すごくいい。単語の意味がすぐにわかる。面倒であまり見てこなかった本文の意味もわかる。読める。逆に38ページという小さい情報量のおかげで探しやすいとさえ思えてくる。

豊かさにはまずお金が必要なのだと、ささやかなことをささやかにさいかくにんする。

......本当はもっと出版社がまともな本を作るなり、ないように見合った価格にするなり、本書に付録としてつければいい問題なのだけど、そういう大きな問題にたいしてぼくたちは無力だというとことまで、現実のささやかな縮図。

投稿者 POE : 01:08 FM | コメント (0) | トラックバック