よもやま話: 2005年12月アーカイブ
卒論のドラフトが全員出てきた。ちょっと遅刻はあったけどまずは順調。
自分の原稿もここ数日でだいぶ進んだ。これで年明けにMさんと顔を合わせることができそうだ。
といっている間に大晦日になっていた。今年はどういう年だったかというと、前半は比較的のんびりしていた気がする。3月に初めて上海に行った。4月にもう一度上海に行って転んで捻挫をしたのがけっこう響いた。夏休みは研究会合宿をして、呉で潜水艦に乗っただけで終わった気がする。その後、世界一周をして帰ってきて、立命館大学で授業をしている頃から目が回るほど忙しくなり、秋学期の授業は実にきつかった。会議と合宿もやたらと多かった。毎週のように続いたイベントが終わってほっとしたら12月になっていた。達成感がやや薄い。右のカテゴリーの「著作」をクリックしてみると、コラムとか共著で書いているものばかり。まじめな論文がない(書いているのに闇に葬り去られる)。まずい。
来年はゆとりをもって、じっくりと行きたいが、そうもいかないか。2月、3月、5月に海外出張の予定あり。やはり時間との戦いか。
皆様、お世話になりました。前にも書きましたが、喪中なので年賀状書いてません。すみません。
昨日は夕景がきれいだった。
戻ってきたiMacのiTunesにCDを次々つっこみながら、三田の古本屋・清水書店の軒先でホコリかぶっていた堺屋太一著『イベント・オリエンテッド・ポリシー—楽しみの経済学—』(NGS、1984年)を読む。20年前の大阪21世紀計画の協賛出版となっていて、町おこし盛り上げ本かと思ったが、かなりおもしろい。日本の都市にはなぜ城壁がなかったか、フランスにはなぜルイ王朝の頃までトイレがなかったか、窓の少ないビルがなぜ建築されるようになったか、という雑学ネタもさることながら、万博などのイベントの重要性も分かる。
マーシャル・マクルーハンの理論が信用されなくなったのは大阪万博のせいだったそうだ。マクルーハン理論ではテレビのような「送達型情報メディア」の台頭によってイベントには人が集まらなくなるはずだったが、モントリオール万博や大阪万博ではマクルーハン理論に乗っかったスタンフォード・インスティチュートの予測がまったくはずれた。イベントとは「集人型情報メディア」であり、この重要性はテレビ(やこの時代には普及していなかったインターネット)が登場しても変わらない。
この議論はリチャード・フロリダのクリエイティブ都市論と同じだ。イベントをやり、楽しみがあふれた街作りをすることで経済も潤う。あれだけ開催前に批判されていた愛知万博が大成功を収めた理由もよく分かる。
堺屋さんはイベント学会というところの会長もしているらしい。
タッチフット初観戦。慶應対聖和大学。アメフトやラグビーのようにタックルで相手を倒すのではなく、両手でタッチすると止めたことになるからタッチフット。ルールはよく分からないけど、陣取り合戦みたいなもので、アメフトのようにタッチダウンすればいい。
試合は先行されつつも一時は同点に追いつく。第4クオーターで、あと一息で得点が入らなかったのが何とも悔やまれる。結果は14対28のダブルスコアだけど、あそこでタッチダウンが奪えていれば試合は分からなかったはず。それにしても、対戦成績は12敗2引き分けになってしまったそうだ。来年こそは初勝利だ。
冨田学部長が、ブレイクスの部長としてグランドに立っていた姿がけっこう格好良かった。それにしても寒かったよ。塾歌が歌えなくなっていたのもまずい。iTunesに塾歌を入れておこう。
昨晩、新橋の新 魚金でしこたま飲む。常人にはどうってことない量(生ビール中ジョッキ1杯、小ジョッキ1杯、梅酒ロック1杯未満)、私にはきつかった。中ジョッキ1杯が限界だな、やっぱ。トイレで意識を失うかと思った。魚はおいしかった。Tさんの話もおもしろかった。情報通信政策をもう一度ちゃんと勉強しようと思い直す。
ブロードバンドって、本当に定額制でいいのかなと議論する。ある意味、ヘビーユーザーに普通のユーザーは搾取されているところがある。
情報通信政策をちゃんと論じたジャーナルってどれくらいあるのだろう。情報通信学会とか、公共政策学会、公益事業学会ぐらいだろうか。外国のジャーナルもバラバラで、どれを読んでいいのかよく分からん。国際政治学のほうが、どれを読んでいればいいかはっきりしている。
ずっと探していた本をネットの古本屋であっさり見つけて入手。すばらし。左から、1979年、1981年、1978年の本。