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3.ネットワークコミュニティのヴィジョン
3)役割融合と自立する契機
ネットワークは境界を曖昧にする。この命題が家族での役割に関して適応されたら、専業という考え方は否定させる。主人は外で働き、主婦は内で家を守る、という機能的な関係は放棄される。しかも機能的な関係は、フェミニズムからの批判にあったように、非対称的な特性をもつから、外で働く主人は、内を守る専業主婦よりも、高い地位/権力をもつことになる。確かに、主人と主婦の役割分担がないかぎり、核家族としての目的達成(頑張って、一戸建ての家を築く)は困難ではある。頑張って残業して高い給料を取る主人と、それを節約してたくさん貯蓄するしっかり者の専業主婦というコンビは、貧しい生活から逃れ、豊かな生活を目指す過程では十分に有効なコンビであった。しかし豊かさの階段を一歩一歩上るにつれて、そこで賢明に頑張る姿に、自己矛盾を感じてくるようになった。とくに女性には、対等なコンビのはずなのに地位が低い、という不満があった。その不満は豊かさの獲得過程でどんどん拡大し、ついにバブルの崩壊と同時に、主人の社会的地位の低下(悲劇的なミドルのリストラ)が決定的になったことに呼応して、夫婦の危機そして核家族の危機はもはや回避できないまでにいたった。
しかしその危機を新しいフレームで再構築すれば、危機は危機でなくなり、みんなハッピーになれる、と予告したのがネットワークである。ネットワーク環境の浸透は、今までのような分業/役割分担の考え方を放棄させる。女性はこのとき自らの意志で行動する自由を獲得する。その自由は専業主婦の地位を放棄させ、自らの力を試すべく社会に進出することを強要する。主人の給料の何割が専業主婦の値段だといった姑息な手段ではなく、自力で稼ぐという正当な根拠に基づいて、女性は社会の波に足を突っ込んでいく。ネットワーク環境では女性はそのジェンダーのハンディキャップを足枷とすることなく、あるいは家庭に閉じこもることを正当化することなく、専業主婦であることを止めることが賢明な選択なのである。ここに自立する契機がある。
しかしここで発せられる最大の疑問は、弱い子供や高齢者の面倒を誰が見るのかである。その解決の基本は、核家族という境界に閉じたままでいる状態を、思い切り解放することである。家族は閉じてはならない。家族の境界を解き、もっと広い空間の中で社会的弱者の面倒をみることである。そのとき弱者はもはや弱者ではなくなる、というトリックがここには隠されている。それが、ネットワークがもたらす、新しい家族へのプレゼントである。だから専業主婦はもうそろそろ専業役割から卒業しなければならない。携帯家族に専業主婦は似合わない。これがネットワークに適合する家族役割の基本原則である。
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