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3.ネットワークコミュニティのヴィジョン
4)家族拡張の原理:第3の関係
携帯家族を支える基盤となる関係は、夫婦関係なのか、親子関係なのか。たぶんこの2つの関係を超えて、第3の関係が重要になると思う。それが「きょうだい」関係である。
きょうだい関係は広がりをもつ。「きょうだいは他人の始まり」という諺があるように、きょうだい関係は、親にも配偶者にも拘束されないから、つねに外部へのつながりをもって家族を維持している。
核家族では、恋愛の絆が男女関係に閉じているので、家族の境界を越えて家族としての広がりはない。どこまでも閉じることで核家族は機能する。これにたいして親子関係からなる伝統的家族では、血縁がその縦のつながりとして家族を拡張する機能を果たすので、ここに親族が形成される。その親族の最大の拡張として伝統的な国家が成立する。
これにたいしてきょうだい関係は、血縁の縦系列の拡張とは対照的に、横のつながりの拡張をもたらす。家族を超えた拡張性をもつという点では、恋愛の絆とは違って血縁に似ているが、その拡張性の方向にかんして血縁とは明らかに異なっている。ではそれは何か。つぎの5点を指摘したい。
1:きょうだい関係は、よわい者(フラジャイル)同士のつながりである。したがってこの関係を維持するには、権力(血縁における親)と恋愛の場合ように、所有による関係づけではなく、非所有(何もない、だから助けて)をもとに生成される「探索と支援」の関係に頼らざるをえない。
2:その探索と支援は狭い家族の領域ではまったく充足されないから、つねに外部へと関係づけが拡張される。自分の家族はその意味では非常に弱い拘束しかもたず、その境界は柔らかくならざるをえない。したがって自分の家族は閉じることなく、外部への依存(探索と支援)を前提として構成される。
3:きょうだいは性別を問わないから、家族は男女のカップルを前提とすることはない。ゲイ/レズビアンの家族もここでは成立可能である。
4:通常の弱者である子供や高齢者はその扶養を外部に委託される存在である。しかしそもそも家族の主たる構成者さえも弱い存在(概念としてであるが)であるから、ここでは家族全員がみんな弱い者でしかない。とすれば子供や高齢者を自分の家族の内部に抱えて面倒をみなければならない、という資格も規範もここにはない。素直に(不可避的に)外部との関係で扶養することが望ましいという論理が導かれる。
5:きょうだいの絆である「友情(きょうだい愛)」とは何か。恋愛の愛が相手を奪うことであるのに対して、友情の愛は相手を支えることである。自分が強いから奪うのと対照的に、ここでは自分は弱いから相手を支える(尽くす)のである。これはボランティアの精神そのものである。友情(友愛/パートナーシップ)は、その意味ではボランティアとしての振る舞いである。つまり友情はネットワークの精神そのものである。ネットワーク環境になかで家族を構成しようとすれば、二人は、それが男女関係であっても、恋愛である以上に友愛(ボランティアの精神)の絆を優先して自分の家族を生成しようとする。
このようにみると、ネットワーク環境と家族との関係では、きょうだいの絆の原理がもっともふさわしい。親子関係にみる階層的な関係(血縁)も、男女(夫婦)関係にみる機能関係(恋愛)も、ネットワーク環境を支える関係としての適合性が欠落している。そして第3の絆である「きょうだい関係」が示す友愛/ボランティアの精神だけがネットワーク的な関係を支持する。新しいネットワーク社会では、外部に拡散する可能性をもつ第3の絆をもとにした家族がふさわしい。これが携帯家族である。
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