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Januar 31, 2006
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最近、日没が遅くなってきた。3時から5時くらいまで長い夕焼けが見られる。東京と違って少し探せば空を切り取られずに見晴るかせる場所があるので、ついつい空を眺め続けてしまう。その夕焼けの色も変わってきた。今日が最後でもいいような色。絶望的でもなく、むしろ希望にあふれていて、明日につながっていけそうだから、もういいよと幕を下ろしてあげたくなるような空。
●
授業を間違える。レクチャーとセミナーがセットの授業。セミナーが3つあってそのうち2つはノルウェー語、1つは英語で開講なんだけど、間違ってノルウェー語向けのほうにいってしまう。狭い教室から、しかもあんまり知らない言葉の中で苦笑いしながら退出するのって気持ち悪い。
●
やっぱりあきらめ続けないとだめだ。誰かや何かに過度な期待をしてしまう。弱さが武器になる状況なんて本当はほとんどない。武器として弱さを使いこなせない限り、弱さに頼っていても仕方ないよね。
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未だにhow are you的なことがうまく言い返せない。ただの挨拶だとわかっていてもそんな体調のこととかどうでもいいし、天気がいいとか別に聞きたくないし。きっと隣の誰かが安全かどうかわからない近代社会で、見知らぬ誰かとそれなりに円滑にやっていくために発達した言葉たちなんだろけど、fineとか絶対言い返せない。(無視するんじゃないよ!相手が困ること言っちゃうだけだよ!)
●
こんなにも見えている。すごく見えている。もちろん、もっと見えている人のほうが多いんだろうけど。自分がたどりつけなそうな場所まで見えている。信じているだけじゃもちろん、そこへ向かい走り出すことができたとしても、たどりつけそうもない。もちろんいつだって可能性だけは残されているよ。だけど可能性が叶う場合よりも、可能性につぶされてしまう場合のほうが多いんだ。ただね、それでも、だよね。それでも。
●
LED表示が照らす
見慣れた行き先
日没をたよりに
西を目指した空
はじまりを
なくしてしまっても続いていく日々
遠ざかる街並みは
いつか憧れた景色に似てしまうのだろう
お気に入りだった席
三両目窓際
縦横に重なる
色は遥かもつれる
はじまりを
また探すかのように続いていく日々
戻れない街並みは
いつか憧れた景色に似てしまうのだろう
ここからじゃ見えないはずの
青いドームが彼方に滲んだ気がしていた
投稿者 POE : 05:34 EM | コメント (1) | トラックバック
Januar 29, 2006
いろいろ今メモ。
忘れてもいいことばかりだけど、忘れるべきじゃないことは未来からしか見えないから。
●TRF復活は少し嬉しい。あんまり売れていないみたいだし、日本でどれくらいその再活動が認知されているかはわからないけど、新曲はいい感じ。小室哲哉じゃないのが残念だけど、キャッチーすぎるサビと、誰にも真意がわからないおかしな英語など、TRFっぽくていい。
●網野善彦が面白い。今までREFERENCESに名前を見ただけで、読んだことはなかったんだけど、全部読みたくなってきた。オスロ大には3冊くらいしかないみたいなんだけど、毎晩寝る前に読んでる。歴史を問い直すことって、本当はこうラディカルであるべきなのかもね。歴史は慰安のためにあるんじゃない。
●たとえば家系図を作るとする。それは現代から過去を振り返る作業。そのときって、その家系図を男系にすることも、女系にすることも、双系にすることも可能だよね。意図的に女系を切り捨てていけば男系の家系図の出来上がり。
●理論が届かない人や時代って怖いけど楽なんだろうね。考えることに意味はあるのかと考えてみちゃうよ。だって、どんなに理論やソースを示して相手を説得したときよりも、「それってきもくない?」のほうがはるかに説得力があることが多いんだもん。ことばはまだ届く。でもことばが何も運ばなくなったとき、どんなことばを描いていけばいい?
*
果てしもなく無機質に続いている東京の夜
無限にも重ねられた光の粒は闇にも紛れない
きっといくつ扉をあけたとして
君の場所までたどり着けはしないのだろう
湾岸まであと二十分
空の色が変わる時間
傷つき切る前にここへ戻れる日が来ないとしても
軌道には壊れかけた光の粒がにぶく散らばっている
あの夜いくつ扉をあけたとして
君の場所までたどり着けなかったけれども
湾岸まであと二十分
君の顔を思い出す時間
あの日までは無機質に続いていた東京の夜
無限にも重ねられた光の粒は闇にも紛れない
そのどれかに君がいると思うと優しくなれる
たとえいくつ扉をあけたとして
君の場所までたどり着けなかったとしても
湾岸まであと二十分
君の顔を思い出す時間
投稿者 POE : 11:10 EM | コメント (0) | トラックバック
餃子と新年
きょうは月暦(太陰暦)をベースにした中国や韓国のお正月。双方とも餃子を食べる風習があるようで、昨日はお昼は韓国風の餃子入り雑煮、夜は中国風水餃子を食べました。なぜ餃子と新年が結びついたのか、細かいことはNHK学術文庫あたりで出ている「餃子の社会史」にゆずりますが(あるのかどうか知らないけど)、ちょっとだけ食文化も勉強したら面白いんだろうなあと思った。
だって餃子なんて宇都宮が有名なことくらいしか知らなかったのに、それが中国と韓国(もっとかも)じゃ特別な意味を持っていて、同じ漢字(中華)文化圏の中にあったあずの日本には意味を失った餃子だけがあるなんてどきどきしちゃうじゃないですか。餃子の何がめでたいのか、誰の発案なのか、国中に広まったのはやはり近代化後なのか、野菜餃子や犬餃子もありなのか、シュウマイと餃子って実は同じものじゃないのか。気になる。
食文化なんてものはほとんど近代になってでっち上げられたというのが定説です。たとえばイギリスの例を出すと(ほら、なんせ今イギリスの隣国にいますし)、19世紀に流行った家政読本に載っていたレシピがもとになってイギリスの家庭料理が誕生したと言われています。どこかの一地方か一階級だけのものだったのを国民文化として色んな手段を使って広めるのが一般的だと思うのだけど、果たして餃子はどうなのか。もう「餃子の社会史」に期待です。読まずにいられません(あるのかどうか知らないけど)。
まあ個人的には、(食べ物の名前の数X2)しか味を見分けることが出来ないから--食べ物ごとの違いとおいしいかまずいかはわかる。その先はわからない--一般にいう食とかいうハイカルチャーらしきものからは遠く離れた場所で生きているんだけど。
ちなみに、明日は新年とは全く関係ない餃子パーティーがある予定です。何の因果だろう。
投稿者 POE : 02:05 EM | コメント (0) | トラックバック
Januar 26, 2006
ゆめゆめ
開けてはいけない窓を開けてしまったばっかりに、ついつい悪魔の言葉に騙されてしまったばっかりに、友達が殺されてしまう悪夢を見ました。
今回は夢だと気づいていたので、どこで終わるのかな注意深く見ていたところ、友達は腸を全て引きずり出され、体の内部に空洞が目立ち始め、さらには皮膚だけになっても物語は終わらずに、しょざいなさげにその悪魔がしばらくそこに立ちすくむところまで見せてもらいました。カットや編集の自由にきかない夢の辛いところだね。
そして、二度寝時の夢のほうが気持ち悪かった。絆創膏をはがしたら、皮膚ごとはがれてしまい、そこに穴が開いてからだの中が見えてしまうというストーリー。体に穴ってなんかだめかも。昔に流行った蓮画像もだめだったし。ああ、思い出してまた気持ち悪くなってきたのでもう寝ます。
投稿者 POE : 05:56 EM | コメント (0) | トラックバック
Januar 25, 2006
最近、読んだ面白かったページ。
最近、読んだ面白い記事。
数年前に流行ったゲーム脳っていうオカルトと同じくらいのとんでも本らしいのですが、この書評はネタとベタの違いをわかる人にも、わからない人にも楽しく読めるように書かれています。まさか、ベタじゃないよね。
未来を見越していくつもの意味を付与できたあの人たちはすごいと思いました。
今回の事件をきっかけに少しは日本の拘留施設に対する意識が少し変わったりするかな。4人用の部屋に7人を押し込んだりする警視庁の雑居房よりはマシなのかも知れないけど。日本の拘置所・刑務所が外国人にはホテルだなんてもう何十年も前の話。先進諸外国と比べて人権意識の低さはピカイチ。毎年色んなとこから警告を受け続けています。拘置所の中でもう有罪確定みたいな雰囲気の空恐ろしさ。ブログぐらい更新させてあげればいいじゃん。
まあ、ここまでを日本に求めてはいないけどね。高校とかの寮と同じような雰囲気。
投稿者 POE : 03:41 EM | コメント (0) | トラックバック
Januar 23, 2006
winter groove
捜査が入った段階で、つまりマスコミが騒ぎ出した瞬間に、もう全ては決定事項になっていることって怖いよね。遠くのくにの熱狂は、その熱を失って、ただ空恐ろしさだけが伝わってくるよ。使い古された言い方をするなら、湾岸戦争みたい。
*
昨日はソリに行ってきたせいで筋肉痛。リフトのかわりに、コースの終わりに電車の駅があって、4駅ぶん昇るとコースのはじまりにに戻れるという仕掛け。だから電車はソリやスキーをもった人で混雑。滑走時間15分、電車待ち時間10分、電車内10分、移動10分というサイクルを繰り返すわけです。何度計算しても滑走時間以外のほうが長いのだけど、そのあたりが人生の縮図らしく、人気の秘密でしょうか。
このシュールさをどこかでも実現できないかな。国会議事堂駅のくだりエスカレーターをひとつ滑り台にでもしてくれればいいんだけど。
*
まだ聞こえるのかな
いつも朝まで響いていたあの歌声
小さくなる街を見送る
君と過ごした日々が霧にまぎれる
1000 miles ahead
夜明けが遠すぎる日には
1000 nights ago
今でも思い出す奇跡
もう忘れたのかな
終わることさえないと思えた悲しみ
ラジオからの知らない曲名
まるで一人で旅を終える日のよう
1000 miles ahead
信じたい夢を重ねて
1000 nights ago
描きたい明日をつないで
どうしても足りなかった最後の一夜
この物語が終わってしまう前に
1000 miles ahead
どれだけ一人行けるかな
1000 nights ago
今でも古い夜の中で
投稿者 POE : 04:42 EM | コメント (1) | トラックバック
Januar 22, 2006
ゼロ
ついにセンター試験でリスニングがはじまったそうですね。洒落だと思っていた小型ICプレーヤーを全員に配布というまさかの方式。誰が得をしているのか受験生に考えさせる批判力の養成のためだとしたら安いものですよね。
いくら日本じゃ無用の長物の英語でも、言葉である以上はやはり聞けたほうが無難だし自然だと思うのでリスニングの導入自体には賛成です。むしろ英語だけじゃなくて、国語にもリスニングを導入したほうがいい気もします。国会答弁や裁判の判決文を耳で聞く場合の理解率ってどれくらいなんでしょう。
トラブルによる再受験者は500人弱だそうです。機械のトラブルか、操作ミスか、受験生のうそか、そんな内訳はどうでもいいんですが、気になったのは下の釈明の言葉。
同センターの荒川正昭理事長の話「リスニングテストは全体としては、大きな混乱もなく終了したと考えている。しかし、約400人の受験生からICプレーヤーが原因と思われる申し出があったことは遺憾。今後は、原因を十分分析し、トラブルの数をゼロにしていくとともに、操作方法や説明についても改善したい」 (読売新聞) - 1月22日
トラブルの数をゼロにしていくって、また面白いことを言ってくれました。もちろん目標としてトラブルゼロを掲げるのはいいと思いますが、そんなことは不可能に決まっているので、大切なのはトラブルが起きたときの対処法を考えることです。そのあたりにたいして言及がないあたりが、新聞記事経由だからかも知れないけれども、やっぱりセンター試験って素敵です。
トラブルゼロを目指して、ICプレイヤーの配布ではなく、受験生一人一人に英語話者の配布なんて時代が来ることを少しだけ考えています。
投稿者 POE : 10:07 FM | コメント (0) | トラックバック
Januar 20, 2006
こんな授業とってます(後編)
■木曜日 西アジアの労働形態
あんまり取る気はなかったのだけど、火曜日の西アジアの宗教と同じ先生で、しかも学生もメンバーがかぶっていて、少人数の授業になりそうなのでとることにした。内容も、アジアの近代化に焦点をあてていくことになりそうなので、それなら興味を持てるしね。工業化と主婦化が同時に進行した韓国とか面白そうでしょ。
とりあえず今、来週の授業のために日本の女工についての本を読んでいます。日本の歴史を知らないのは、高校の日本史Bを勉強した人間として恥ずかしいもんね。大逆事件が治安維持法の前か後かわからないって終わってた。
■金曜日 経済グローバリゼーション
Globa Shiftっていうこの手の分野で基本文献になっている本を教科書にする授業。経済にはまったく興味ないんだけど、先生もオスロ大学じゃ珍しくパワポ使うし、ネタにはなるかなと思ってこれも履修しようかな。交換不可能性とかどきどきしちゃうじゃないですか。
■金曜日 英語+音声学
発音記号を正しく読めるようになって君も今日から英語マスター!みたいなノリの授業だと思います。なぜか先生の発音はノルウェー語なまりの気がしたのですが、気のせいでしょう。ちょっと気取った言葉使うと「はっ?」って聞き返されるシックな英語を直したいと思い履修したのですが、ちょっと敷居が高すぎた。だってまわりはみんなノルウェー人で、もっている音の数がぜんぜん違うんだもん。
■金曜日 ノルウェー近現代史
水曜日と週二回の授業なんだけど今日も面白かった!第二の産業革命とか、後発先進国の話とか、なぜアメリカが発達したのか鉄道を絡めた話とか、全てを関連付けてノルウェーの話に行き着くというね。パワポもハンドアウトも板書もないのに、ちょっと尊敬しちゃう。
投稿者 POE : 11:23 EM | コメント (0) | トラックバック
エゴグラムによる性格診断
エゴグラム?を絢さんがやっていたからやってみたら、誰だかわからない人にひどいこと言われました。酷評ですよ、酷評。ていうか、失敗とかいわれちゃってる。かなり常識人なんだけどな。出来るだけ人に迷惑をかけるなとまでアドバイスされる始末。異端者って断言されてます。どこのいつの村だよ。
普通こういうテストってなんかよさげなことを言って、回答者もそれを曖昧にそうだよねって受け入れるものじゃないですか。それがこんな酷評なんて気持ちいい。思わずこの手のテストの陥穽を論じたり、責任感や倫理観という言葉を安易に使う点についてつっこみたくなっちゃったけど(責任感、倫理観、義理人情の両立はいかなる立場なら可能か?とか)、もうそこから罠にはまっているかも知れないのでやめておきます。
+以下そのまま引用(強調筆者)←このあたりが常識人だと思う+
性格
ルーズな所とクールな所が抱き合わせになって、極端に増巾されて居るタイプです。社会における協同生活に関する部分が、スッポリと抜け落ちて居る状態です。責任感、使命感、倫理感などに殆ど見るべきものが無く、思い遣りや同情心も又、非常に希薄なのです。大人として、一般的な社会人として、円滑に生活して行く為に絶対に必要な部分が、殆ど空洞状態になって居る訳ですから、平穏な日常生活を送る事が非常に困難なタイプである事は疑い有りません。貴方が、現在持っている社会常識学や処世術は、貴方の頭の中だけでしか通用しない類のものが殆どです。そう云う考え方を基本にして、世の中へ大手を振ってでて行く訳ですから、世間から異端者と見なされ無いのが可笑しいのです。貴方のこれからの人生の吉凶は、一重に責任感や倫理感を重視しつつ、義理人情を理解強化出来るか、出来ないかに掛かっているでしょう。
恋愛・結婚
世間で云う所の、極く普通の結婚生活を営んで行く事は、相当に困難なタイプです。家庭を形作って行くために絶対に必要な責任感や思い遣りの精神が見事に抜け落ちているからです。そう云う物の考え方しか出来ないとすれば、無理に結婚しようなどとはせず、気儘に人生を送る事を考えた方が、自、他共に泣きを見なくて済みます。
職業適性
自分の能力だけで生きられるような自由業を選ぶべきです。衆人に監視されるような職業を選ぶ事は、貴方の悲劇に継がります。貴方の片寄った人生観や価値観が、貴方個人だけの影響に止まるような仕事を選ぶ事によって、他人の非難を最小限度に躱す事が出来ます。
対人関係
成人した人間が、その人生観や価値観を変えて行く事は、鉄のような意志を必要とする大変難しい事です。貴方がそう云う変革に成功するとは、とても思えませんが、周囲の人々から徹底的に疎外される事を避けるには、どうした良いかと云う事ぐらいは考えられる訳です。消極的な考え方では有っても、そう云う心掛けで進んで行くほうが、次善の策として賢明でしょう。
診断サイト http://www.egogram-f.jp/seikaku/index.htm
投稿者 POE : 01:15 FM | コメント (22) | トラックバック
Januar 18, 2006
授業はじめ
今週から授業。
火曜日 Great Tradition
大げさな授業名だけど、内容は西アジアの宗教について。儒教とか仏教とかね。たしか1年半くらい前にも同じような授業をとったような気がするのだけど(マコーニック)、3年くらい前にも同じようなことを勉強した気がするのだけど(高校の世界史)、4年くらい前にも同じようなことを勉強した気もするのだけど(高校の倫理)、懲りずに再挑戦。ここはアジアじゃないし、別にいいよね。
水曜日 Modern history of Norway
朝8時からだし取るつもりはあまりなかったのだけど、8時半あたりくらいから面白くなってきたので多分履修する。先生の話し方が畳み掛けるような感じでうまいの。目に付いたものを次から次へと授業内容とからめて話してゆくのが心地よかった。ノートをみかえして気づいたのだけど、たいして中身のあることは言っていなかったのだけど、そんなことはもう関係ない。
水曜日 Gender and urban economy
マスターのなんとかプログラム向けの授業なんだけど混ぜてもらった。ちょっとヨーロッパの中世~近代にも詳しくなりたいと思いまして履修。色々ネタが見つかるかなと思って。3人しかいなかった。しかも自分以外はみなさんノルウェー語かスウェーデン語が話せまして、少し心苦しかったです。
明日に続く。
投稿者 POE : 02:50 EM | コメント (19) | トラックバック
Januar 16, 2006
最近、
最近のことでもつらつら書いてみる。
11 Jan
ノルウェーの日本大使館主催のパーティー。大使官邸で開催なのに間違って大使館へ行ってしまい、外交官の運転する車で官邸まで連れて行ってもらう。もちろん、外交官の方は場所を間違ったわけじゃなくて、直前までお仕事をしていたんです。低めの車窓から見るオスロの街並みはきらきらしていた。
大使は日本人相手に日本文化のすばらしさをとうとうと語っていました。この景色見たことがあるとデジャヴを感じたのですが、SFC総合講座でした。もうそこに参入して、たやすく離脱することもない人々の自分たちの組織を自慢する。よくあることです。
食事はすし、角煮、お雑煮などの正月料理。とりあえず他にすることもないので食べてばかり。観察の結果、食べてばかりの人は大人にも結構いたので、これも一つの正しいパーティーの過ごし方という結論に達しました。
14 Jan
友達がサプライズパーティーを開いてくれた。ていうか、3回以上、誕生日を告げていたからだと思うのだけど。ついに21才。だけど、最近まわりにいる人たちがもっと上の人ばかりなので、あまりへこむことはなかったです。
若者には時間がある。でもあるのは時間だけなんだよね。その他の点じゃ、若者だけの特権なんてない。時間は減ってゆく一方だから、時間以外の何かを少しでも増やしていかないとね。あの頃に戻りたいなんてやめて、戻れないあの頃を重ねていかなくちゃ。
16 Jan
いよいよ明日から学校。ちゃんとリズムにのれるかな。先学期が4つしか授業とらなくて暇すぎたので、今学期は今のところ6つ履修申告してある。週4でコマ数も日本と同じくらい。どこまでいけるかな。すべてをあきらめてるから、どこまでもいけそうな気もするし、どこにもいけないような気もする。
投稿者 POE : 07:17 EM | コメント (1) | トラックバック
Januar 14, 2006
21
ついに21年目。もうこの世界にそんなにいるのかと思うと不思議な気にもなる。振り返っても、未来を覗こうとしても、はじまりもおわりもぼやけているし、どこへ転がってゆくかもわからない。誰のものとも完全には重ならない地上の道を踏み固めてきたはずだけれども、もうそんなものは多くが見えなくなってしまったり、もしくは新しい誰かに踏み固められたり消されたりしている。
それでも、何で歩いていけるんだろうとか、ときどき不思議になる。意味を捨ててしまうわけじゃなくて、だけど一つの場所を目指すわけじゃなくて、いつか突然に自分以外によって終わりを告げられてしまうゲームなのに、このまま歩いていくと思うとどきどきしてしまう。
でも、ここから見はるかせる景色。それは少なくとも悪くはないよ。
*
小さな灯り
つながる湾岸
その先に
優しい鐘の音
海沿いの長い小道
足跡もない小径が長く続く
今日もまだ
あの船は帰らない
見慣れた寂しさが
新しい風に包まれる
たった一人の誰かを
待ち続けているわけじゃない
たった一つの自分を
探し続けているわけじゃない
空が雲に滲み
闇が街を覆う
青が遥か霞み
海が俄か果てる
その瞬間にただ
ここに立っているだけのこと
ただ小さな
やがて道なき道になる
そんな瞬間をただ
ここで送るだけのこと
次の瞬きのあと
あの灯りがまだ
消えていないことを
少しだけ祈りながら
そっと
世界にまぎれてみる
投稿者 POE : 03:03 EM | コメント (0) | トラックバック
Januar 13, 2006
113
気付いてしまった瞬間、もうそれはピークを越えた後なのかもしれないね。望むべくもないほど、何もかもが満たされた時間があったとして、それをそれだと認識してしまったら、それはただの言葉や言葉が背負うものの追体験になってしまうだろうから。それとも、それがそれの必然で、そんなものは過去にしか存在しえないのかな。それをそれだと選別する能力を持たない時代を生きる僕たちにとってそれは、過去か、もしくは存在し得ないものとしてそこにあり続けるしかないのかな。
最後の夜を
壁際に掛けた後
すっかり馴染んでしまった
アルバムの11曲目
残したキャンドルが
少し甘すぎる孤独
通り過ぎた幸せの数を
ジョーカーの裏側に混ぜて
遠ざかってゆく記憶を
未来へとつなげてみる
小さく微笑む写真の向こう
戻れなくなった場所が輝きそう
うずくまって見上げる風
いくつかの街を抜けた後
名前さえも失くして
やがて違う土地にまぎれる
走り続けたなら
どこまでも行けるのだろう
夢の音も 幸せの味も
二人の痛みも 過去の優しさも
全てを振りきれるなら
どこまでも行けるのだろう
だけどまだ
切り替わらないあの夏
壁際のカード
小さく書かれたメッセージ
この影はまだ
あの場所からつながっている
投稿者 POE : 06:12 EM | コメント (0) | トラックバック
Januar 12, 2006
112
「君」って誰なんだろう。
もう一人の自分とかだったら面白いかな。
*
雨が土を
優しく揺らしていた
君の来ない
バス停に響く音色
水たまりに
映った寂しい夢
君の来ない
未来が鮮やかになる
今はもう遠すぎる約束
二人には過去なんて要らなかったから
Do you remember the scent of wind in summer?
せめて同じ風がこの街の夏を通り過ぎるとき
月が丘に
届いた最後の夜
君のいない
季節もこれで終わり
今もまだ間に合える約束
ささやかに未来へとつながれたのならば
Do you remember the scent of wind in summer?
君に残すたったひとつの変わらない物語
Do you remember the scent of wind in summer?
せめて同じ風がこの街の夏を通り過ぎるとき
Do you remember the scent of wind in summer?
そこに二人生きていたことを思い出してくれたなら
投稿者 POE : 02:26 FM | コメント (0) | トラックバック
Januar 11, 2006
JAPANSK日記
最近、日本語ばっかり話してる。毎晩、日本っ子とトランプ+罰ゲームを夜更けまでしてる。なんか、高校の寮ってこういうノリなのかな。誰の場所に行っても、部屋に帰るのに数分って環境が楽しいかも。
日本語でもあんまり口語は得意じゃないんだけど、考えるスピードがはやくなるから、色々話しながらも、話を聞いているときも色々なことを考えられる。偽装成人式とか。
学校は来週から。もう冬休みも終わり。少しだけ日本の中世に詳しくなった。日本の中世研究がどう発達してきたか、研究者とその特色を挙げながら答えよとか論述できるくらいには。価値観が違う世界を想像するのは楽しい。
投稿者 POE : 04:17 FM | コメント (0) | トラックバック
Januar 09, 2006
文武両道って
嫌いな言葉の一つに文武両道がある。
文理両道(文系も理系もやりましょう)ならわかる。別にそこに理の文字が入っていないから怒っているわけではない。両方もって欲張りすぎだろう。しかも、武道の意味がわからない。好きなら勝手にかればいいけど、少なくとも校訓にして多くに求めることじゃないだろう、と思う。
この言葉や思想ってどうやってこんなに蔓延うようになったのだろう。水戸学の後期、明治時代の武士道でも「文武両道」が結構おされている。
もう少しさかのぼって江戸時代にはもう松平定信が文武奨励策なるものをして、庶民の不満をかっていた。さらに、平家物語からも見つけることが出来る。「あつぱれ、文武二道の達者かな」。何があっぱれなんだか。
この時代まで遡られてしまうと手にはおえないかな。明治以降に急ごしらえで作られて推奨された価値だとしたなら、もう少しまともに調べてみようかなと思ったのだけど。「文武両道」の社会史。ブンブンブン。
*******
あといくつ嘘を
並べることが出来たならば
君を傷つけることなく
この道を歩いていけるのかな
守るべきもの
時としてそれは
背負うべきもの
それと同じ意味で
打ち明けることで
分け合うことで
全ては壊れてしまうこともあるから。
投稿者 POE : 02:07 FM | コメント (3) | トラックバック
Januar 07, 2006
ひかりだとか。
電車やビルから眺める街の灯。マンションからもれる光。
その光の数だけ、そこには誰かの生活が存在しているはずなのに、その光はときにとても無機質だ。それは群集の中にたたずむときと同じで、そこにはたくさんの人がいるはずなのに、そこで結ばれる関係が匿名的なゆえに、そこにぬくもりを感じられない。淋しい。
だけど、そのどれかの光に、自分の知っている人が生きていると知ったとき。その光を無意識に探してしまうとき。それだけで一気に、無機的だった光が急にあたたかみを帯びてしまう。
無規則に並んでいるように見えたマンションの光だって、誰か知り合いのいる場所を知ったとき、昨日までただの光だったそれが、その人を伝えるシグナルになったりする。もう帰っているだ、とか今日は遅いなだとか。
きっと、そういう簡単なものなのだと思う。こっち側でも、あちら側の問題でもない。そこで結ばれた関係の問題なんだと思う。
投稿者 POE : 08:41 EM | コメント (0) | トラックバック
Januar 06, 2006
下流
下流度チェックというものをやってみた。三浦展という社会学者ではなくマーケティングをやっている人の本からの引用です(でも実際の本は読んでません。だめじゃん)。
「下流度チェック」 (三浦展『下流社会』より)
半分以上当てはまると、「下流的」らしいです
□年収が年齢の10倍未満だ
□その日その日を気楽に生きたいと思う
□自分らしく生きるのがよいと思う
□好きなことだけして生きたい
□面倒くさがり、だらしない、出無精
□一人でいるのが好きだ
□地味で目立たない性格だ
□ファッションは自分流である
□食べることが面倒くさいと思うことがある
□お菓子やファストフードをよく食べる
□一日中家でテレビゲームやインターネットをして過ごすことがよくある
□未婚である(男性で33歳以上、女性で30歳以上の方)
Reference
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20051222/mng_____tokuho__000.shtml
10個中7個があてはまってました。「下流」らしいです。ちゃんちゃん。
この10の項目ってよく若者を表象するときにつかわれる言葉たちだよね。でもこの項目のほとんどが便利で、細分化した、共通規範のない社会の帰着であって、だから何?って感じがする。さらに、年収の項目以外は精神的な「下流」であって、実際の社会的な位置との差も大きそうだよね。
ただ、この数年社会学で、階級についての論争が盛んであることも事実。時代遅れのネオリベ旋風が吹き荒れつつある中で、そういった論争は当然と言えば当然で、さらに言えば「階級」が広がってゆくのは間違いがないし、今現在においても日本は階級社会だとも思う。というか、そもそも一億総中流という幻のメッキがわかりやすくはがれただけの話かも知れないけれども。
このままいけばストリートチルドレンくらい日本にも出てくるんだろうけど、そういった階級の拡大とどうつきあってゆくんだろうね。逆にこのチェックテストでほとんど項目に当てはまらない、精神的な勝ち組の人の方が少し心配。いまだにかつての成功神話にあこがれて、自分が勝つことだけを信じて、上手な負け方を知らない人。
って、実際の本も読まずにこんなこと書いても仕方ないんだけど。
投稿者 POE : 09:16 EM | コメント (2) | トラックバック
Januar 05, 2006
今日は何の日
最近、今日が何月何日で何曜日かがすぐにはわからない。
辛うじて年明けの日は1月1日だということは知っているので、その日を起点にして、1日の次の日は誰もいない図書館で倉橋由美子が面白いことを見つけて、その次の日は雪と全身で戯れる人たちを眺めていて、その次の日は夕日を見に閉まっている夜のスキージャンプに行って、その次の日が今日だから1月5日かと、記憶の足し算をして何とか日付を導き出している。
まだ5日だからいいけれど、2月12日とかになったらどうするんだろう。チョコを食べながらも階段で滑りそうになるも何とか踏みとどまるけれど、一部始終を見られていた知らない人に鼻で笑われたのが新年から34日目だけど、そもそもチョコは33日目から食べるのをやめようとしていたはずだから。。。というような計算をすることになるのかな。
暦を共有させることによって古代の王たちは歴史を支配しようとした。暦は支配の道具そのものであるわけで、そのささやかな抵抗としてこんな煩雑な計算をしているということにしておく。ブログには堂々とグレゴリオ暦がついてしまうあたり、何の説得力がなくても、抵抗ということにしておく。
投稿者 POE : 06:14 EM | コメント (0) | トラックバック
Januar 02, 2006
誰も確かに見た人がいない
20世紀少年を読む。ようやくラストも近付いてきたかな。
そういえばこの話でも天皇は排除されていることに気づいた。物語がはじまった時点で舞台はこの世界の20世紀末だったはずなのだけど、ここまでの話の中で一度も天皇には言及されていない(はず)。
最近の流行りのナショナリズム論もよく天皇なきナショナリズムと囃されるけれど、「難しいし、よくわかんないし、熱心なファンと喧嘩したくないし」みたいな感じでとりあえずわきにおいて置かれるのかな。
ならいっそもう、伊勢神宮の神殿みたいに隠しちゃえばいいのにとか思う。いるらしいんだけど、よくわからない。東京の真ん中の森に住んでいるらしいんだけど、誰も確かに見た人がいない。人の噂のたびに違う天皇。近代国家とは思えないけどね。
女性天皇問題は、天皇をもうクローンにしちゃえば問題は全て解決すると思うんだけどな。神武天皇のY染色体がどうとかわけわかんない議論もあるくらいなんだから、クーロンにしてもさして突飛だというわけではないよね。万世一系が至上命題なわけであって、古代からそれ以外なら何でもありだったんだから(日本書記には、殺人鬼天皇だとか普通に出てくる)。
そもそも天皇って生きている人間である必要はあるのかな。
投稿者 POE : 06:59 EM | コメント (3) | トラックバック
Januar 01, 2006
2OO6
モノクロでぼやけているのだけど、その隙間から青が少しだけ滲んでいる気がする。2006のイメージ。2007より未来度はおちるけれど、それでも胎動が聞こえそうな気がする。それが壊れ始めの音でもいいよ。
知識人は知っていたのかも知れないけれど、2006年がはじまる時間は世界中で違う。時差があるのだから当たり前なのだけど、こっちがまだ2005年にたたずんでいる中、アケオメーとか盛り上がっているのを見ると、ついつい興ざめ。まがりなりにも西暦の変わる瞬間で、それは交換不可能なものだと思っていたのに、世界中で24時間にわたってこんなにあふれていたなんて。
全ての人は個人的な時間を持つけれど(「私にとっての2005年は~」みたいな。まさにこのブログのこの文章みたいな)、そうした個人の時間とかいう概念もグレゴリオ暦という普遍的時間の存在によって可能になったわけじゃないですか。つまり、個人が西暦や時間でものごとを考えたり語るようになったのは、恣意的な区分であるはずのグレゴリオ暦がそれだけ社会の成員に受け入れられているため、ということ。
でも、いくらその世界の多くで受け入れられているグレゴリオ暦にも、時差という壁があったことをすっかり忘れていたんだ。まあ、個人的にはグレゴリオ暦受け入れずにまだ2003年だからいいんだけどね。
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ノルウェーでは年の変わる瞬間、そこかしこで花火が打ち上げられてました。曇っていたし、そんなに大きい花火でもなく、というか個人打ち上げのものばかりだから、音ばかりが鳴り響くんだけどね。警察も出動して一緒に鑑賞。ていうか今でもまだ聞こえてる。時差?
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怖れで動けなかった夜
立ち向かうことを覚えた朝
そしていつもと同じ
何も変わることのなかった逢魔が時
並べ続けた景色はただ
荒野を描ききるために存在するピースのよう
ほとばしる想いは
いつの間に昨日にだけ立ち上がる
ただ逆行が眩しくて
あの影はもうここまで届かないね
抱きしめたはずの腕は
誰かを苦しめていただけなのかも知れない
きっとそれなりの明日は
この場所にも訪れるだろう
ありふれた笑顔で
使い古しの言葉で
迎え入れるのだろう
誰かと生きていくのだろう
汚れてしまった足と
世界をもうきれいには見られない瞳で
歩いていくのだろう
歩けるのだろう