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Mai 31, 2004

500円どんぶり

なんか、みんな大変そうだ。
テレビでやってる500円本格中華どんぶりの話。
誰もが必死で、少しでもコストを下げようと、質を上げようと、頑張っている。

でも、こんなのはきっと番組で遠くから見ても駄目なんだろうな。
ただの視聴者で、せいぜい歩み寄っても客であろううちは、彼らの文法を共有できっこない。

文法の共有できない世界は、もう本当に未知の世界で、いくら彼らが頑張っていようと、それは滑稽だったりくだらなく見えてしまう。

「原価は考えておりません!」
やけに自信ありげな試作品の講評会での料理長。

「このえびの数で、お客様は満足できるのか」
「そんなこと言わず、統括、食べてくださいよ、全部!」

「伝票5枚抜かしてるよ!17分お待ちだよ!どうにかしてよ」
社長代理が厨房に向かって、叫ぶ。


頑張ってる人は素敵、とよく簡単に言ってしまうけれど、それが実感できるのは、あくまでも自分が文法を知っている世界の中だけでだ。

あらゆる文法を知ることは無理だけど、だからせめて、自分の知っている文法が相対的で、世界にはたくさんの文法があることを覚えておけたらなあ。


でも、やっぱり、彼らはくだらなくて面白い。

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Mai 30, 2004

誰か


薄く延ばした空に
振り子が一つ揺れている

水面に差し掛かる昨日までの居場所
そっと泡立ち 海へと流れていった

奇跡まじりの日々は
あまりにも優しく傷をなぞってしまう


崩れそうな塔が
街に差し込む

眩しくて眼をつぶる


相変わらず曖昧なボクと
切り取られたように鮮明な現実の明日

街外れの海岸は
相変わらずボクさえも
受け入れてしまうけれど

あの日決めた境界線を
越える勇気はもう残っていない


灰色の夜空が
肩に降り積もる

君が残した言葉は今日も
たとえ灰になっても、電子になっても
物語を繰り返している

そう、だから首に掛けた手で
あの振り子を追ってみる

空に架けるクロスが
誰かを癒すことを信じながら

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Mai 29, 2004

ギャル文字

ちょッ`⊂⊇σ∧o→シ〃見τ∋★£⊇〃レヽヵゝら★イ可ヵゞ£⊇〃レヽッτ、⊇яёヵゞ授業σ∧o→シ〃ナニ〃ッτ⊇`⊂!

(現代仮名遣い訳)
ちょっとこのページ見てよ。すごいから。何がすごいって、これが授業のページだってこと!


http://www.necomi.net/ncg3/50020/joyful.cgi

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ばらばら漫画

課題でパラパラ漫画作りました。

http://web.sfc.keio.ac.jp/~t03881nf/deweb/gaikotsu.htm

カメラーワークや色彩感覚に関する才能のなさ痛感!
妹の部屋で撮ったので、現役女子高生の部屋盗撮です。その点で押そうとか思いました。
さらに、冒頭で登場する村井純コラージュも必見です。

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Mai 27, 2004

2001年当時の調査

2001年当時の調査によると、全ての心臓ペースメーカーの中で携帯電話の電磁波の影響を受けたものは一機種。20cm以内の使用に対して、まれに誤作動を起こしたという。

で、何が気になったかと言えば、その後、心臓ペースメーカーは電磁波シールドなどの対策をきちんととってきたか、ということ。

少し前までは電車やバスの中で「心臓ペースメーカーのお客様のため、車内でのご使用はお控えください」って流れていた。別に、一機種であろうと誤作動を起こす可能性があったならば、別にそれはいいんだけど、だったら、そんな放送流すくらいならペースメーカー側の対策はきちんといていたのかな?と思って。

「車内でお前らの世間話や告白やおしゃべりなんて聞きたくないので、携帯電話のご使用はご遠慮ください。」

って言いたいのを、ペースメーカーにかこつけて、さもそれが正当であるように、遠慮を促すのに、なんか今更変な感じがしてきて。
(まあ実際、誤作動の事件は起こっていないものの、一機種確かに誤作動の可能性があるっていう点で、この怒り方は根拠薄弱なんだけど)

で、最近は「優先席付近じゃ電源切って、その他の場所じゃマナーモードで通話はお控えください」っていうのが主流みたいだけど、理由がしめされていないけど、変なすりかえもなくてまだ気持ちいい。

ただ、なんでそもそも電車の中じゃ携帯はだめなの?っていう疑問は依然として残るけどね。
人が誰かとつながっていることが、そんなに羨ましいのか?とかいう、寂しい人間の発想しかうちには出来ないんだけど。(色んな論を見たけど、どれもしっくりこなくて)

でも、個人的には、もっとみんなの話を聞きたい。楽しいじゃん。公然と人の秘密が聞けるんだよ?いきなり、離婚暦や、彼氏との軋轢が聞けるんだよ?みんな、聞きたくないの?

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Mai 26, 2004

世界化 物語

最近、学校に行っても、誰にも知り合いに合わないで、授業以外では一言もしゃべらない日が少なくない。別にさびしくない。メディアに行けば、たくさんの仲間(同じ一人ぼっちさん)に会えるから!

オタクさんにとって、秋葉原は、うちらが見ている世界と、違う世界らしい。
ディズニーランドで老若男女が、ファンタジーの世界に陶酔し、ミッキーの耳とかかぶることに羞恥心を感じなくなるように、秋葉原の改札口を越えると、もうそこは、別の世界なんだって。

ひとつの、物語が貫かれた世界化が達成された場所って、やっぱりすごいよなあ。
それこそ集団妄想じゃないけど、近代科学も否定するもう一つの世界の具現化、疑似体験って、やっぱり魅力的なことらしい。

むしろ、今は日常、現実世界のほうが、物語が希薄だよな。一貫性のない経験、信じられないニュース、遠くの場所でだけ起こる非日常、それを経験として統合できない自己。故のリアリティの喪失。
だからこそ、さらにディズニーランドや秋葉原やアニメのような、物語が貫かれた世界が一種のリアルなものとして、胸に迫るのかな。


というわけで、SFCにも何か一人でも寂しくならない物語を作ってください。

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Mai 25, 2004

流入。混入。

やっぱり、何も知らないふりで、微笑んでいるのが一番賢いのかな。
というか、ふざけたフリが今の自分にはとても合っていて落ち着く。

不満も鬱憤も憤りもそんなネガティヴな感情さえ、無関心ぶる笑顔には勝てないから。
って、別にそんな憤慨するような要素も残念ながら、こんな毎日じゃ有り得ないんだけど。

だけど、きっと、今がいつでも、ここがどこでも、こんな風にしか歩けないし、別にそれを肯定して生きてるし、それは物足りなくても、楽しいし。

そう楽しさの尺度は弱いけど、毎日楽しい。
別に悲しくなければ、きっとそれでいい。

ことさら差異を求めてく必要もきっとない。


って、なんだ、この中身のない日記は。
あなたは頭の悪い高校生ですか。

でも、明日のことさえ考えてないような高校生は、本当に憧れ。
駅とかに座って笑ってたり、昼間に制服で遊んでる高校生を見ると、本当にうらやましくなる。
そんな彼らは、きっと到底到達できないイデアだ。

どんなにバカなことを言ってても羨ましくなる。

いいなあ。
って、なんか女子高生好きなおやじの日記ですか。
違うよ。頭の軽い高校生っていう意義を夢想してるの。

★とかギャル⑤とカ1 111I十よ!!

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Mai 24, 2004

The lack of the Lack

剥がれ落ちた空を
優しく撫でるように

見つけた場所を守りたかった
大潮が行ってしまう前に
風を南に託したかった


もう戻れない日々がこんなにも
僕たちを優しくするなんて

涙も後悔も惜別も
明日から見れば哀しいほどに美しいはずで

たとえこの夜が明けないとしても
明日から見れば全ては終わっているから


ただ生きていくだけなのに、
失くしものがこんなにも増えてしまった

そんな僕らを明日はいつだって
優しく無慈悲に見守るね


全てであった僕たちは
再び全てになるその日まで

全てでないことを許されている
探し物はきっと今しか出来ない

足りないものを探して生きていくことに
今は意味を与えてあげられたら

せめて空さえも不完全な時代だから。


欠けていく季節に
皐月の爪が痕をつける

無色の風が零れ落ちた

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Mai 23, 2004

現実感

別に誰でも人間は想像する力を持っていて、それは時に現実を越える、現実よりも現実らしいものも生み出せうる。
でも、ある種のリアリティは経験した人にしか描き出せないものだと思う。


で、何が言いたいかというと、犯罪者の書いた創作物がもっとあってもいいんじゃないか。
刑務所でも日曜大工や裁縫にまじって、小説講座や漫画の原作講座でも設置してみたら、再犯率は下がったり、はしないとしても、以外と需要が高いんじゃない?

実際の保険金殺人犯が書く渾身のデビュー作とか、元誘拐犯衝撃のSF超大作。
やっぱり、実録記よりも、一旦フィルターのかかった小説や漫画がいいなあ。

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Mai 22, 2004

世界の中心で愛を叫ぶ

一年半も逃げ続けていたのに、ついに見てしまった。世界の中心で愛を叫ぶ。

別に何も感じなかった。
この本を読んで泣いた人が、あまりにも物語経験が少ないのか、うちの感受性が乾いているのかわからないけれど、あまりにも普通の話だった。

寂れた遊園地、無人島、夜の墓地、オーストラリア、色々な小道具がきちんとおさえてあって、繊細な描写で、「Deep love」や「リアル鬼ごっこ」のような小説の破綻もなく、きっと合格点の小説なんだけど。

でも、どこで泣いたらいいのだろう。


もしかしたら、行間にいつも作者の顔を浮かべていたせいかも知れない。

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Mai 20, 2004

あの頃の未来とJ-POP

相変わらず90年代後半のJ-POPを聞いている。
今じゃ嘲られて終わりの小室哲也の音楽がかっこいいという価値観の中にあった時代の音楽たち。

何がいいって、そのときの音楽と自分との関係性は、時間って言う軸がないから。
その時代の曲を聴く自分は年をとってしまって、その時代の曲は確かに過去の曲だけど、その二つの関係には時間軸なんて関係なくて、いつだってあの頃に繋がれることが出来る。

別に90年代後半にいいことがあったわけでも、ことに輝いていたわけでもないけれど、90年代があこがれていた時代感覚がすき。

バブルははじけてしまったけど、その残骸としての未来計画を世間や図鑑はもてはやしていて、それは世紀末という空気と相成って、やけに未来じみていた。

1000メートルを越えるビルたち、宇宙港、地下を走る飛行機、網の目のように走る道路。

ネットワークの普及っていう概念がまだ浸透していない時代の未来図はどれもハードやインフラからはいってくる。だから、壮大で気持ちがいい。

逆に今、ネットワークが普及している時代が描く未来は、ユビキタスだったりICタグだったり、監視カメラ社会だったり、引きこもり型の小型社会のような気がする。

別にそれはとても素敵な未来だとは思うんだけど、それでも、今はもうなくなってしまいそうな90年代の未来に、僕はとてもあこがれるのです。

で、その未来と一番シンクロするのが、薄っぺらいJ-POPなんです。

っていう理由を、小室哲也をそれでも聞く理由として、友達に説明したんだけど、一笑に付されて終わりでした。
そろそろ好きな音楽は?と聞かれて「RADIOHEAD」とかかっこいい洋楽の名前を言わないといけない年頃になってきたんでしょうか。

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Mai 19, 2004

宇宙

最近、逃避がちに宇宙のことを見聞きしたりしているんだけど、(おそらく)きちんとした物理学者の説とかも、ぶっとんでて面白い。

宇宙はやがて膨張を終えて収縮する。そして収縮した時には、一台のコンピューターだけが残される。そのコンピューターが、今までのあらゆる生物を再現する。

とか。
そんなわけで、2001年宇宙の旅が見たくなった。見る。

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Mai 18, 2004

豆知識

CNSの一人当たりの割り当ては1Gなのだけど、それを越えてファイルを置いてしまうと、CGIが使えなくなったりします。

絶対にサーバーのミスでCNSコンサルタントを困らせてやろうと思っていた自分でしたが、今日は謙虚さの重要性を学びました。


ところで、今、NHKで渋谷のラブホ特集をしているのだけど、起源を岐阜県白川郷に求める手法など、いやらしさが全く有りません。

「シーツの洗い方」「結をはぐくむ場所」などきわどい語彙を使いながら、微妙にずれたニュアンスで使うことで、上品さを演出しつつ、NHKの暴走を期待する私たちの心を微妙にくすぐる。さすが、公共放送です。

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戻った?

直ったのかア。

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Mai 17, 2004

そしてまたね。

なんだか全てのカウンターの調子がおかしいぞ。
明日、はじめてCNSコンサルタントにでも行ってみようかな。
同級生を狙ってみよう。

疲れたときにはhitomiが聞きたくなる。

バッテリーが最近2時間ぐらいしかもたない。

また脈絡もないまま、空が流れていった。
雲がはやくてね。

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Mai 16, 2004

あした

人間の未来も、地球の未来も非常にはっきりしている。

人間は長くても100年ちょっとで死ぬ。
地球は50億年後には、膨張した太陽に溶かされてなくなる。

(中略)

チャーシュー麺はやっぱり、会津っぽいのがいいなあ。

(中略)

冥王星探査計画が、2008年をめどに予定されているらしいけど、どうなんかなあ。

(中略)

幸楽とコーラックって似てるよね。

(中略)

それでも、意気揚々と前へと進み続けていけるのは、生きていけるのは、諦観の向こう側にはいつも希望が潜んでいるってことかな。

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Mai 15, 2004

幸せで退屈で緩慢で没落する日常性

うれしいことは、かなしいこと。
かなしいことは、うれしいこと。

うれしくないことは、かなしくないこと。
かなしくないことは、うれしくないこと。


幸い、持病(五月病)も患わずに、皐月を生きているんだけど、最近毎日に感動も絶望もない。ここしばらくのスパンで、一番楽しみなことは、7月1日のカッシーニ土星到着だし、一番悲しかったことは友達の配置換えで映画館にタダで入れなくなったこと。

どちらも関係性なんかじゃなくて、完全に他人に起因する出来事だし、しかも客観的にそんなにたいしたことじゃない。

悲しくもなければ楽しくもない状態が、ここのところ毎日かも知れない。
ただ別に絶望はいらないけれど、これ以上こころが乾ききってしまうことが怖い。

夕映えの一瞬の空の動きだったり、人の流れに悲しい連続性を感じて足を止めてしまうことも、こころの動きが鈍るとなくなってしまう。

勿論、この日常性が幸せそのもので、自分が欲しがったものという認識はあるんだけど、この幸せはあまりにも退屈かも知れない。

あー、何かはじめようかな。生け花とか、琴とか、危険物取り扱いとか。

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ランドスケープエコロ爺

ランドスケープエコロジーという授業で、先週に引き続き看護の裏山で遠足をしてきました。
今日は水質調査です。

でも、植物の名前も化学式も前提知識が何も要らない授業なので、ただの小学校の体験学習みたいな位置づけだったので、気負いはなくていいみたいなんだけどね。

でも、自然とかって本当に興味がなくて、この授業をきろうかどうか真剣に悩んでる。
自分が、現代じゃなくて近代に生きている人間ということと、実家の周りが植木のまちと呼ばれるところで、自然がコンプレックスになってしまっていて、むしろ自然が嫌い。

だから、この授業をどうやっても愛せる気がしない。
どうしようかなあ。

手始めに「いま、自然をどうするか」という本を今、読んでみたり。

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Mai 13, 2004

困るんだけど。有隣堂閉店

湘南台駅前の有隣堂が6月一杯で閉店らしい。

行き、バス停までの途中にあって、
帰り、駅に行く途中にある大きな本屋はとても必要だったのだけど。

今度から、有隣堂前集合は、なんという言葉になるんだろう。「有隣堂跡地集合」?それとも丸ビルみたいに、なくなっても丸ビル?

と、困るのでせめて跡地に出来る建物も、有隣堂という名前にしてください。法華寺(有隣堂跡地店)とか、湘南神社(祭 有隣堂)とか。

ああ、でもショックだ。

http://www.yurindo.co.jp/shop/syounandai.html

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Mai 12, 2004

世界の中心


世界の中線へ向かうバスが
ゆるりとロータリーを抜けた

膜のように広がった空を
剥がしていくように
遠くへ街は沈んでいく

ばらばらと飛ばされた新聞が
モノクロで伝えるのは
19世紀のロシアの夢

左回りの時計台で
街を見下ろした帽子は
電線を伝わり
国境を点滅させている

もうすっかり灰色になずんだ
人々の巡礼は続いてた

チェルノブイリからの風は
そっと肌をかすめて
また海へと流れ出してゆく

空瓶のまま出した
大切な想いは
誰か拾ってくれるかな

スパイ衛星だけが知る
ちっぽけな悲しみは
太平洋が干上がる日まで
終わらない二人を願うのかな

きゅんとして
微笑んで
信じてみたいな

いくつもの越境を手繰り寄せ
意味を終えた旅人が
鳴らす鐘の音が 街明かりを灯す

最終バスはまた通り過ぎてゆく
もう乗客を乗せずに
ただ道をたよりに 遠く遠く流れたまま

そしてまた
ボクは君を待ち
この場所で
汚れた時刻表をたよりに
世界の朝焼けを
瞳の裏に
一人 舞っている

世界の中心は恣意的なものだけど、「世界の中線」と呼ばれるものはある。
いや、赤道なんだけどさ。でも「世界の中線行き」っていうバスは本当にあるらしいよ。
あれ?でも、赤道なんてすごく長いじゃん。どこだっけ。

モニュメントもたってる。ただ、何百メートルかずれてるらしいんだけど。

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Mai 11, 2004

夏岸

火曜日は授業が2時間目で終わるのだけど、

今日は空がとても晴れ渡っていて、夏が一瞬通り過ぎるような気配に、猫背のホワイトワーカーも、つまらなそうな学生も、とても輝いて見えて、なんだか歩いてるだけでも楽しくて、生きてることが嬉しいような錯覚に包まれた。

そんな感情を抱きながら、メディアで「死のある風景」と「終末と救済の幻想」「絶望からの幸福」とかいう本をかりてみた。

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逮捕

結局、重くてパソコンを持っていかなかったのだけど、Ωの授業で前の人が、winny開発者逮捕とかってニュースを見て、winnyを使ったこともないのに、なんか居た堪れない気持ちになってた。

確かに、著作権法、著作隣接法に真っ向から立ち向かっていたwinnyだけど、そして著作物の寺や仏閣のような無償開放っていう概念に個人的には納得できないけど、開発者が逮捕っていうのは生理的に気持ち悪くなった。

しかも「著作権法に対する態度」が問題みたなことを言っていた京都府警の会見を聞いて、嗚咽。いや、嗚咽までしたらむしろ面白いのに。

利用者の逮捕は別に当然かなと思ったけれど、今度のはどうなんだろう。

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Mai 10, 2004

パソコン

最近、学校にラップトップを持っていかない日が多い。

だって、パソコンを開いても、そこにあるのは固定された世界だから。
どうせパソコンを広げても、こうしてウェブを漂流するか、チャットか、文を書くかとか、決まりきった動作しかしないだろうことがわかっているから。

それなら、授業をノートにとって、少しでも多くをその場で、提示された授業内容を消化したほうがいいかなと思う、真面目で健全で優等生な発想。

半数が授業中にパソコンを開いているけど、そのどれだけが有益にそれらを使えているんだろう。確かに調べ物には手軽でいいんだけど、仰々しすぎるんだよなあ。この大きさと時間。

休止状態にしておくと復帰してからgoogleに行くまで30秒強。開きっぱなしだと30cm四方の大きさ。

パソコンが150gぐらいになったら、常に持ち歩きたいと思う。
でも、それってきっと近い未来に可能だよね。携帯が進化して、あと付属のキーボードを持ち歩いて。
もしくは折りたためるやわらかい素材だったら、体に巻きたいくらい好きになるかも。

そう、どうせなら、内部化する日を少し夢見ている。体と一体化していいよ。眼とかにカメラやコンピューターを埋め込みたい。
もしくは、世界がコンピューター化して、うちらがその内部になってもいい。あらゆる無機物が、もうコンピューターのような世界。机に埋め込まれた検索エンジン。バスの壁には自由に使えるカメラ。歩行時間や現在地を示す道路のディスプレイ。

素敵だなあ。そうか?
でも世界はまだ2004年だから、明日このパソコンを持っていくか、それが問題だ。

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Mai 09, 2004

一青窈

一青窈がTVで、わざわざSFC鴨池付近で強風の中、インタビューを受けていた。

「大学時代が私の全て」だそうです。
しかも、その全てが「詩」だったらしいです。

SFCではまわりもみんなが必死に夢を追っていた。
だから、自分も「詩」を追うことに戸惑いはなかった。
自分のこれだ!というものは「詩」しかなかった、と。

確かに彼女は成功者です。
ただ、一青窈には「詩」だけじゃなくて、good luckなどをのぞいても「ルックス」も「歌唱力」もありました。


ポエマーと呼ばれてるボクはどうしましょう。
整形でもしようかな。
あ、音痴はなおらないや。

じゃあ、「詩」と何を組み合わせよう。
っていうか一青窈はどうやって「詩」を追求したんでしょう。

一貫性を放棄して、連想ゲームと言い切る一青窈の詩は、読み手や環境など「場」への依存が高いと思うのだけど、どうやってそれはレベルを高めるものなんだろう。

一青窈と同時代にSFCにいた人間に聞いてみたいなあ。

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Mai 08, 2004

遠くから。


遠くの戦いが画面越しに伝わる
鼓動も熱もなく、ただ学者が優しい嘘をつく

無傷の僕らはただ痛がるだけで
何事もなく足を止めた後 歩き出す


夜明けの悲しみに流していた涙を
拭わず生きていく
ただいつも通りの朝に飲まれてく

無償の朝焼けをただ見つめるだけで
どことなく心は穏やかになってしまうけど

きっと朝焼けの向こうをボクは知らない
さっき世界のどこかで誰かを照らしてた
その顔なんて想像が出来ない

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Mai 07, 2004

今日の授業

金曜は授業の感想を毎週書いてその遍歴を追っていこうかな。

金曜日の授業は全部ノートとっています。
レジュメがあっても書き込まないで一からノートに書くと、小学生時代を思い出してよい気分になれるから。

2時間目 多言語社会コミュニケーション
面白い。言語政策などの基礎の授業なんだけど、楽しい。
ノート枚数 3枚

3時間目 魔女
つまらない。何がやりたいのかわからなくなってきた。
授業時間中は新書ででている「魔女とカルトのドイツ史」を読んでいます。
ノート枚数 3行

4時間目 近代史
今日は、2時間目とかぶっていて「国語」政策について。
内容が簡単なのか、説明がうまいのか、おそらく前者なんだけど、好きかも。
ノート枚数 4枚

5時間目 ランドスケープエコロジー
今学期、一番の自分の専門外の分野です。どうしようと思いながら、参考文鎮を読み始めました。でも、まあ、ただの生物かな。Aとれそうもなかったら、きるかも。

明日は実習。遠足だあ。ノート枚数 2枚

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Mai 06, 2004

安西塾長SFCに来る!!

今日の五時間目に開かれた塾長公演「安西塾長SFCに来る!! 青春について語り合おう」に行ってきました。

青春という言葉に惹かれ、10分前には会場につきました。しかし、会場であるΩにいたのは15人程度。しかし400人収容可能なΩに15人というにはまるで無関心で、スタッフの方は着々と準備をすすめられていました。小心者のボクは、ただひたすら少人数に怯えるばかりなのに、塾教職員の方はさすがです。

わたされたビラにはテーマである「安西塾長SFCに来る!!」が大きく書かれていました。これは原文のままなのですが、「きたる!!」というように感嘆符を二つも並べて、SFCに塾長がやってくることを、とても有り難いことだと興奮している様子が感じられます。
埼玉県秩父に皇室来る!!のような感じでしょうか。

塾長がいちキャンパスに来るだけなのに、この躍動。言外に、慶応義塾とSFCの距離を感じさせるフレーズです。
しかし、塾長の話がはじまってすぐに、そのような謎も融解しました。「私はSFCのサポーターです」宣言。やはり、慶應の外部としての認識らしいです。

ただ、塾長のやっていることはコンピューターなどを使った人の言葉の情報処理。SFCと、とてもかぶっています。
実際、二回もSFCの教員にならないかと誘われたそうです。いずれも固辞しているあたりが、塾長になれる人の先見だと感心します。

肝心の内容は、どんなことでも精一杯やれば、たとえ進む道が変わっても、それが無駄になることはない。。。という成功者ゆえに説得力のある言葉でした。ただ、それが何の役に立つかといえば「今こうやってあなたたちに、こうやってしゃべれる」ということしか仰られていませんでした。

幼児教育について学んだ人が、事務職につき、老後に孫の世話をするときに幼児教育が役にたつ。。。とかそんな話ではないはずなので、きっと言外にもっと深い意味があったのでしょう。

内容の大半は慶応義塾の紹介(やはり外部扱いですか)と塾長の研究遍歴。その研究全てが青春、というオチで90分の公演は終わりました。
場内を見回すといつの間にか人も120人前後に。うち30人は教授や事務の方でした。

思ったことは結局、「安西塾長SFCに来る!!」という言葉に集約されていました。
塾長が、SFCのΩで、公演をした。
それだけです。

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Mai 05, 2004

良い言葉

大型連休は何をしていたかと聞かれた時は、「実家で静養していました」と答えようと考えています。
これで僕も、帰省ラッシュを介してまで故郷へと向かった彼や彼女の仲間入りです。

ゴールデンウィークにどこにも行けなかった小学生にも「実家で静養していた」という言い訳は通用しませんが、過半数が自宅外通学の大学生だから使える実用的な文句です。

人は変わるものだから。

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Mai 04, 2004

垣間見

自堕落な生活に少し後ろめたさを感じたので、気分だけは高めようと思い、想像が及ぶ範囲で最も忙しそうな人の日記を一年分見てみた。

コンサルとかSEとか、そんな人気商売で、休日なしで毎日15時間業務(平均)の人の日記。

こんな忙しい人を考えながら、暇こそが学生の特権という言葉も相成って、今はこのままでいいじゃんという結論に。


ちなみに、この日記(Ferris)は、いつか忙しくて死にそうななったときの、自分のためのストックです。

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Mai 03, 2004

文字

指をキーボードのQとAのところにおいてください。
そのまま右へと指をスライドさせましょう。

画面に現れた文字を見てください。

そう。

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Mai 02, 2004

このブログのタイトル

このブログのタイトルは「FERRIS」というんですが、それは大観覧車という意味です。

どう、素敵でしょ?

ああ、それだけ。

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