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2.電子メールのデモクラシー
電子メールを使ってコミュニケーションが自由にできるようになると、指で考えている気分になる。キーボードを叩く指が、知らないうちに文章を打ち込んでいるようになり、電子メールでのおしゃべり(チャット)は、音楽のキーボードを打つときと同じように、指で表現(会話する、音楽する)している気分になる。そのためには、キーボートを叩くスピードが重要だ。口ではなく指でする会話は、口と同じくらいのスピードでしゃべることのできる指のテクニックが必要である。SFCの学生の指さばきは、みんなたいしたものである。だからかれらはチャットが楽しい。
この電子メールのコミュニケーションが自由に操作できるようになると、この方法は身体化され、そのコミュニケーションはリアルになる。今までの口を介したコミュニケーション、フェイス−トゥ−フェイスであろうと電話であろうと、それと同じくらいリアリティをもつ方法として、新しい市民権が電子メールにも付与されてくる。ということは、指で思考できない大人にはこの方法は、どこまでいっても身体思考的ではなく、だからリアルにならず、したがって新しい市民権を付与されないのである。
SFCの若者にとって、電子メールは身体化されたメディアである。ディスプレイを見ながらキーボードを使って指で思考するとき、ペンで手紙を書く場合と違って、敬語や丁寧な言葉使いをなぜか無視してしまいがちである。これが示唆することは、意外と重要である。つまりここでは、上下関係が軽くみられ、関係の対等さが重視されているのだ。学生が教師に電子メールをだす場合でも、かれは変な敬語など使わずストレートな聞き方をしてくる。しかも簡潔な表現になっている。相手が教師であろうと友人であろうと、さして相違のない表現がなされる。つまりもって回った表現ではなく、イエスかノーかをすっきりと使い、だからといって論争的ではない言い回しが活用されている。
これは、フェイス−トゥ−フェイスの関係が、ある意味では強く権力的であることと対照的である。一般的には、対面的なコミュニケーションは本物で、電子メディアを介したコミュニケーションは偽物だ、という論議が昔からあったが、それは、結局はメディアの身体化の程度の差という問題だったのである。それより重要な問題は、はたして対面的なコミュニケーションはどのような意味で本物なのか、ということなのである。その結論が権力的という意味で本物だ、ということなのだ。社会的な地位が高い、声が大きい、威圧的なポーズが強い、相応するスピードが早いといった要因がここでの対面的なコミュニケーションの関係を大きく決定するのであって、その意味でこれは基本的に権力的なのである。
これにたいして電子メールでは、上記のような要因は無視される傾向が強い。会議ではもの静かで何もしゃべらないような人が電子メールになると、論理的でかつスケールが大きな論陣を張ってくる、ということがみられる。つまり今まで自明と思われていた社会関係がいかに権力的な関係であったか、また一面的なコミュニケーションであったか、が暴露されたのである。電子メールがデモクラティックであることは、経験するほど強く実感する。対面的ではないにもかかわらず新しくそしてリアルなコミュニケーションの可能性がここに開かれている。この可能性は、共生を支持する大きなコミュニケーションの方法である。電子メールを活用してくるほど、他者との関係を既存の枠組みから離れて自由に発想することが可能になるはずだ。共生する社会的関係の方法の1つが電子メールに代表される新しい情報環境である、という事実は忘れてはならないことだ。
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