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12.前情報社会の類型
社会の変化は、図6に示すように、豊かさと情報化にかんして、つぎのような移行として理解される。ひとつは、豊かさにかんして、その獲得が目的にされる状態から、自明とされた獲得された豊かさをいかに表現するかを求める方向への変化である。これは、豊かさが自己にとって客体としてあり、だからこそ豊かさが憧れという価値をもち、その獲得が目的として設定されることから、豊かさが自分のものとして身体化しており、だからこそ身体の表現としていかに豊かさを見せるか、が問題になる、というカテゴリーの対照性である。
もうひとつは情報の問題である。情報は、その希少性をもとに所有されて、あるパワーを獲得するための手段・道具となる特性から、そのコピー性をもとに多くの人に共有されることで環境化され、多様な表現を可能にする素材となる特性という、2つの対照的な特性をもつ。
モダンという産業社会は、貧しさゆえに豊かさに憧れ、その獲得をゴールに設定し、さらにそのゴールの達成のためにその手段として情報の所有にこだわり、そのこだわりからゴール達成を一早くしたものが成功者として勝者の地位を獲得していく、というルールをもつ社会である。その社会がゴールを達成することで、新しい位相に変化した。そのひとつが大衆消費社会であり、もうひとつが高度産業社会である。
この位置関係では、大衆消費社会は、豊かさの獲得がまだ社会目的になっているため、情報が環境化された状況のなかで期待された自分らしさの表出を、自足的な価値表現とはできず、手段化することで価値をもたせた社会である。典型的には、若い女の子の見栄(げん示的消費)がそれである。見栄は自分らしさの表現でありながら、それ自体は意味をもてず、強く目的=ゲーム志向的な行動になっている行動である。これこそ消費社会らしい社会的行動である。
これにたいして高度産業社会は、すでに豊かさが自明であるにもかかわらず、情報所有にこだわるために、豊かさの無限の獲得が目的化されてしまう社会である。典型的には、中年の管理者がこだわる組織管理の方法がそれである。彼らは、若者たちの豊かさの表出のとまどいながら、それにはなんら新しい対処はできず、ただいままで通りの階層的な管理方法によって目的達成を強要する。新しい情報環境が整備されているのに、あいかわらず効率的で合理的なビューロクラシーを自明とするために、組織管理の思考からジャンプできない。
この2つの社会、大衆消費社会と高度産業社会は、量の拡大を求めた産業社会からクオリティの表現を求める新しい社会(豊かな情報社会)への移行過程を示す2つのルートである。若い女性に似合った生活・消費ルートとしての大衆消費社会と、中年の男性に似合った組織・生産ルートとしての高度産業社会は、ともにつぎの新しい豊かな情報社会への移行過程として位置づけられる社会である。
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