どうしたいのか、その想像力がためされる
 
1. SFCの実験
2. 電子メールのデモクラシー
3. コピーする世界
4. メタファーはボランティア
5. 豊かさを超えて
6. コマーシャルの幸福論
7. 新しい社会の予感
8. ポスト・ロンリークラウド
9. もっと大きな変化が?
10. モダンのリアリティ
11. ニューワールドの兆し
12. 前情報社会の類型
13. デジタル・アンビエンス
14. デジタル・リテラシー
15. メタフォリカル・コーポレーション
16. メディアキッズの夢
17. メディア・コミュニティ
18. 豊かな情報社会
10.モダンのリアリティ

近代産業社会(モダン)は、このように所有をめぐる最終段階における社会構造であり、同時にその所有構造それ自体のメタ構造を崩壊する機能をも担った特殊な社会である。モダンはその目的達成において必然的にそのメタ構造をも変動させる宿命をもっていた。だから、モダンはポストモダンを呼ぶばかりでなく、いままでの所有をめぐる社会構造の歴史というメタ構造自体の終りをも同時にもたらす。

モダンはいかなる構造をもっていたのか。なにゆえその構造自体を崩壊させるメカニズムを内包させていたのか。

モダンの究極のリアリティは、近代的所有にある。つまり貨幣という一般的メディアに集約される社会財を所有すること、しかもその量を可能なかぎり多く所有することがモダンマンのリアリティである。それがモダンに生きる個人のアイデンティティ(成功者の証明)であり、かつモダンの社会システムを産業社会を中核に構造化する根拠である。(図4)


近代的所有というリアリティに向けて、3つの行為システムが構成された。それが近代的所有を「正当化」するシンボル・システムであり、「産業化」によって近代的所有の社会を実現する社会システムであり、「成功志向」の動機づけによって近代的所有の獲得をめざした個人(パーソナリティ)システムである。

シンボルシステムは、価値と時間と目的から構成される。モダンとは何であるか、を明示するのが「手段的活動主義」の価値であり、それを時間に変換した場合が「成長神\話」であり、そしてより具体的な目的に特定化した場合が「貧困からの離陸」である。つまりモダンのリアリティをシンボルとして表現するのは「もう貧乏は嫌だ。だからもっと真面目に、無駄なく、我慢して、大きく生きよう。そうすれば、きっと明日は輝いているはずだ」という神話を共有することだ。

社会システムは、この神話を社会的な関係のなかで実現する仕組みを構造化することであった。その構造化を可能にしたのが、秩序(社会)と権力(政治)と技術(経済)である。つまりここでは機械をメタファとして社会的な関係を構造化することが期待された。技術としての「マシーンテクノロジー」の導入ばかりでなく、秩序(水平的な関係)の方法としての「分化と統合」メカニズムと意思決定原理(垂直的関係)としての「階層的な権力」によって、手段と技術の問題ばかりでなく、人間関係にかんしても、機械のように分化し統合する合理的で効率的な社会システムが期待されたのである。

個人システムは、この神話を個人の要求充足との関連で実現する仕組みを構造化することであった。その構造化を実現化を可能にしたのが、自律性の確立をテーマにした主体と思考と行動である。つまり主体的な意思決定が利害関係にあってもまた役割関係にあっても発揮できる「能力(意思決定力)」と「役割期待(意思決定権)」を、いかに実現するかがここでのテーマであった。そのためには、個人は「自分とはなにか」というアイデンティティにこだわらざるをえなかったし、しかもそのこだわりは、論理実証的な思考方法を体得し、かつその方法を使用した合理的な目的達成行動によって、意味をもちえたのである。

さらに、その3つのシステムは相互に補完し依存する関係にあり、そこではつぎのような関係が確定していた。まず文化と個人との関係では、文化は個人のモデンに価値規範を内面化させることを求め、個人はその内面化された動機に基づいて行動し、それによって文化の価値規範を遵守することが期待された。その場合、価値規範の遵守が自己の欲求を充足させる、という関係が重要であった。ここでは、価値と欲求が矛盾しない関係を維持することがテーマであった。

つぎに、文化と社会の関係では、文化はその価値規範を社会システムのなかに制度として定着させることを求め、社会は制度化された価値規範を現実の社会関係の中で実現することで社会システムの目標を達成した。その場合、価値規範の遵守が社会の制度の仕組み(秩序・権力・技術)のもとで目的達成をもたらすという、価値と制度の矛盾のない関係の維持がここでのテーマであった。

そして個人と社会との関係では、個人の欲求充足行動を社会システムの役割期待に適合させるように、社会化(欲求を役割期待に誘導するための学習)のメカニズムが作動することが求められ、反対に、社会は個人の欲求充足行動が役割期待から逸脱しないように、報酬と罰(アメとムチ)のサンクションによって個人を社会統制するメカニズムが求められた。この2つのメカニズムは「選択(少数の選ばれた主体だけが自律する成功者であり、かつ社会からの権力・威信・尊敬を占有する)への合意「を前提として成立した。この前提をめぐって欲求と制度の矛盾のない関係を維持することがここでのテーマであった。

このようにして、近代的所有をめぐって、シンボルシステムからの正当化の付与と、社会システムからの産業化の実現と、個人システムからの成功志向へのこだわりによって、さらにそれらの相互補完と相互依存する関係によって、モダンのリアリティは実現されたのである。価値(正当化)と制度(産業化)と欲求(成功志向)の矛盾のない関係が「近代的所有こそがモダンのリアリティである」というコンセプトを支えたのである。