どうしたいのか、その想像力がためされる
 
1. SFCの実験
2. 電子メールのデモクラシー
3. コピーする世界
4. メタファーはボランティア
5. 豊かさを超えて
6. コマーシャルの幸福論
7. 新しい社会の予感
8. ポスト・ロンリークラウド
9. もっと大きな変化が?
10. モダンのリアリティ
11. ニューワールドの兆し
12. 前情報社会の類型
13. デジタル・アンビエンス
14. デジタル・リテラシー
15. メタフォリカル・コーポレーション
16. メディアキッズの夢
17. メディア・コミュニティ
18. 豊かな情報社会
16.メディアキッズの夢

生活がどうなるのか、まだ分からない。組織現象にかんしては、ある程度みえるものがあるが、生活レベルでの新しい方向がまだ分からない。テクノロジーにかんしては、テレビに変わって、CATVを介した双方向のマルチメディアの登場が重要な位置を占めるであろう。しかしそれによって、生活の何が変わるのか、単にテクノロジーが浸透するということばかりでなく、それを超えた生活世界の意味が生成されなければならない。

娯楽でのビデオ・オン・デマンドとかテレショッピングやホームバンキングといったことができそうだ、ということがインタラクティブにできそうだ、ということだけはわかった。しかしそれだけならば、10年前のISNの実験と同じで、キャプテンの失敗と同様なことが起こるだけである。問題は、「レジャー」に変わる新しい生活イメージが描けるか、である。

注目しなければならないのは、メディアキッズの気分と行動であり、なんでも楽しいことに群れる若い女の子たちの気分と行動である。彼らにとって、すべてが楽しいかそうでないか、ということが生きる基準だ。仕事でも、つまらなければ、それでおしまい。苦役でも、仕える事でもない。自分の思いのままに自由に飛び回れることが大切にされる。ここでは、既存の社会的カテゴリーが徹底して無視される。その基本が、親子関係の無視と、男と女の関係の超越である。男なのかそれとも女なのかという選択でもなく、親かそれとも子かという選択でもなく、つねに両義的役割を自明として活動することが期待されている。「どちらでもある」ことを当然として、そこから新しい社会関係を生成しようとする意欲が感じられる。

かつての核家族は、近代産業社会にふさわしい家族形態であり、効率的な役割関係を極限にまで追求した家族形態であった。誰もが、自分に課せられた特化した役割を期待通りに演じることで、無駄のない合理的な家族を真面目にこなすのであった。「真面目な家族」が核家族の理想であった。各人が好き勝手に行動したら、核家族の計算しつくされた上にのった微妙なバランスは崩れ、一挙に家族崩壊の方向にいってしまおう。「がんばる父親」「しっかりした(そして、やさしい)母親」「(勉強が)できる息子」そして「かわいい娘」という専門的な役割演技をすることで、核家族は「真面目な家族」を維持していた。

しかしこのような核家族が明らかに過去のものになりつつある。父親が組織の中で変わらざるをえないように、他の3人のメンバーも家族の中で変わろうとしている。その新しい家族を「粒子家族」とでも呼ぼう。そこでは、父親を除けば、みんな新しい家族イメージをもっている。

これは、分化と統合という機能的な関係に制御された役割の世界ではなく、いわばみんなが自分らしさを求めてあたかも好き勝手に生活していそうで、しかしなんとなく家族の絆が緩やかに維持されているような関係からなる家族である。役割関係が機能によって規定されるのではなく、自分らしさの表出をもとに、みんなが共振する関係として家族を了解することで成立する家族である。ここでは、家族の役割は固定的ではなく、その場に応じてさまざまな役割が演じられる関係になっている。

粒子家族では、家族の枠と役割の絆が柔らかく多様であることが重要である。その柔らかで多様な関係を家族に持ち込んだルーツは、テレビと電話という情報メディアである。マスメディアとパーソナルメディアの代表が家庭に入り込むことによって、核家族は知らないうちに大きな変貌を余儀なくされたのである。女がこだわる長電話は、核家族の枠と絆を崩すシンボルである。外からカエルコールをしても通じないでいらだつ父親の怒りは、すでに壊れてしまった核家族への幻想を追い求める嘆きにすぎない。

コンピュータ化は、さらなる核家族の変容を支援する。それは、在宅勤務やサテライオフィスを推進するという個別の変化ではなく、基本的なレベルで、家族と組織の機能分化の関係を解消させる。つまりビューロクラシーと核家族の分化と統合による機能的な社会システムは、2つの集団が融合し拡張する共振的な社会システムへと変貌していく。その変化を支えるのがクライアント/サーバ型のコンピュータ化である。新しいメディア環境は、モダンの機能関係を解消し、ネットワーク型組織(メタフォリカル・コーポレーション)と粒子家族という融合し拡張する共振的世界を生成する。

かくして、粒子家族は、生活の場であると同時に、仕事場でもあり、社交場でもあり、多様な意味をもって自律し同時に社会全体にネットワークされるひとつの社会集団となる。粒子家族は、核家族のように特定の機能(性的関係と子供の世話)に限定されることで、部分として社会に関係づけられるのではなく、それ自体ですべての機能をもちながら、同時に外部にも同じ機能を期待することで、重層的で融合的な機能関係をはたす社会システムである。

その場合、もっとも大きな問題は「性的関係の私的所有(夫婦関係に限定)」はどうなるのか、である。性的関係と愛情関係と生活維持という関係の絆が解消された場合、新しい家族はどのようにして家族たりうるのか。モダンの家族を根底で支えたのが性的関係の私的所有だとしたら、共有を前提にした豊かな情報社会に移行するとき、その所有関係はどうなればよいのか。この点にかんする整合性が確保されたとき、新しい家族が生成されるはずである。そのとき、レジャーに代わる新しいライフスタイルをもった家族像が語られるはずである。現在はまだ新しい生活と家族に移行するための準備期間である。