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7.新しい社会の予感
新しい社会が誕生する予感がする。50年代の大衆消費社会からそろそろ半世紀もたとうとして、今多くのところで新しい動きが見られる。だぶんいままでの社会を構成していた仕組みが大きく変わろうとしているのだ。いままでの豊かさと情報化を根本から変革するウェーブが大きくなろうとしている。なかでもパソコンの短いの歴史はここに来て、やっと本格的なパワーを発揮する段階を迎えようとしており、その事実は大きな社会的な衝撃をもたらすはずだ。パソコンがすべてのメディアをネットワークするメディアの機能を果たし、テレビも電話も包みこんで新しいデジタルな情報環境を生成するとき、それは大衆消費社会の枠組を超える何かを予感させる。テレビが消える日、電話が電話でなくなる日は、コンセプトとしてならば、すでに了解可能だ。では、そこからなにが現実に生まれるのか。
これから考えようとする新しい社会論のルーツは、すべてここにあるはずだ。レジャーとテレビの結合は、豊かな社会と情報社会の最初の結合であり、テレビのコマーシャルはその結合のシンボルである。このルーツを手がかりに、そのつぎのまったく新しい結合を考えようというのが、ここでの試みである。
といっても、まだ明快なこたえはまだない。この大衆消費社会のすべてを超える論理を探すことはまだできない。それは、一方では現実の社会がまだまだ大衆消費社会とさらにそれ以前の近代産業社会の姿をしっかりと維持しているということであるし、また一方では小さいけれども新しい社会現象を理解し、そこから新しい社会を構想しうる社会的なイマジネーションが不足していることにもよろう。しかしそろそろ新しいことに挑戦する時期にきた、ということだけは確かなようだ。
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