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4.メタファーはボランティア
SFCのネットワークの情報環境のなかで日々を暮らすようになると、いままでの情報社会論がいかにいい加減であったか、良く言えばいかに貧しい情報環境を前提とした情報社会論でしかなかったか、を実感する。
通常、情報論は、自分が所有する情報を送ることを前提にして構想されている。ここに情報というメッセージをめぐって送り手と受け手の関係が形成され、送受信の情報論が成立し、送受信者が1対1の基本的なコミュニケーション・モデルと、1対Nのマスコミニケーション・モデルが創られる。ここには、貧しいテクノロジーを基にした情報環境を前提としていることの認識が乏しい。これは決して情報の一般論ではない。単に貧しい情報環境という時代の制約における情報論にすぎない。重要なことは、誰でもが、いつでもどこでも自由に誰にでもアクセスできるネットワークの情報環境(N対N)がセットされたとき、どのような情報論が生み出されるのか、である。ここでも、上述の延長線上に、パーソナル・ブロードキャスティングのイメージを創ることは可能ではある。みんなが自分の放送局をもって、自分の好きな情報を一方的にみんなに送りつづける、という情報論である。
しかし、そうではない、と思う。ネットワークのなかで情報行動をしていると、情報行動の基本は、自分の情報を送ることではなく、自分の情報を誰にでも開いておくことではないか、という思いが強い。そして自分の情報行動とは、自分がもってない情報を求めて、他の人たちに助けを求めることではないか、という気がする。これは最近のエージェント論にも共通する考え方であるが、その基本はボランティア精神にある、といえないだろうか。情報行動は、自分の所有する情報をどのように行動化するかではなく、自分の情報をいかにネットワーク(社会)に共有化させるか、を重視すべきなのである。これは、SFCの学生がコンピュータにかんして教えあったり助けあうことを嫌がらない、ということに大きく関連している。コンピュータ教育の精神は、相互に教えあうことであり、自分の知識を誰にでも開くことである。分からないことがあれば、困ったことがあれば、誰かに「助けて」と叫ぶ。そうすれば、誰かがきっと助けてくれる。それがコンピュータのネットワークに参加する人たちの基本的な精神なのだ。助けることは、楽しいことであり自分の喜びなのだ。
このような情報環境は、共生の精神に適合的である。ネットワークを介した新しい情報論の基本がメタファーとしてのボランティアに変わろうとしているとき、それは所有を超えた共有を基盤にした新しい関係を生成するはずである。それは共生の精神そのものである。
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