どうしたいのか、その想像力がためされる
 
1. SFCの実験
2. 電子メールのデモクラシー
3. コピーする世界
4. メタファーはボランティア
5. 豊かさを超えて
6. コマーシャルの幸福論
7. 新しい社会の予感
8. ポスト・ロンリークラウド
9. もっと大きな変化が?
10. モダンのリアリティ
11. ニューワールドの兆し
12. 前情報社会の類型
13. デジタル・アンビエンス
14. デジタル・リテラシー
15. メタフォリカル・コーポレーション
16. メディアキッズの夢
17. メディア・コミュニティ
18. 豊かな情報社会
17.メディア・コミュニティ

モダンの産業社会では、コミュニティは無用であった。それは社会的には残余カテゴリーにすぎず、社会の基本システムは、ビューロクラティックな組織と核家族の相互補完関係だけで維持されていた。産業社会のコミュニティは、その2つの社会集団では支え切れない社会的弱者(子供と老人)を保護するために行政によって維持された生活支援システムである。コミュニティは、したがって行政の指導のもとで教育と福祉の機能を特化させたシステムとして、核家族の生活システムを補助するシステムであった。PTAとして、老人会として、地域医療としてのみ、コミュティは必要とされ、その必要がない社会的強者にはコミュニティは無縁で、無用であった。強者たちにとって、コミュニティと同様の機能を果たしたのは組織そのものであり、その疑似的コミュニティに帰属しているかぎり、強者にはコミュニティはみえないシステムであった。


新しい豊かな情報社会になると、コミュニティは復活するのだろうか。もちろん過去の伝統社会のように、コミュニティが地縁の世界(閉鎖的で濃密な人間関係からなり、政治的な権力によって統合されるイエの拡張としての地域社会)として存在することはなかろう。また産業社会のように、弱者のためだけの福祉機能に特化することもなかろう。この情報社会では、家庭は核家族の時代のように生活の場ばかりでなく、多様な意味をもつ空間である。しかもその多様な意味を生成するのがコンピュータを中心にしたメディア環境であるから、ここでは地縁のような境界はコミュニティ形成には意味をもたない。新しいコミュニティはコンピュータ・ネットワークの規模とレベルによって多数多様であり、グローバル・コミュニティからミクロなパーソナル・コミュニティまでさまざまな層として存在するはずである。