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6.コマーシャルの幸福論
かつてみんなが豊かになったと感じた時代があった。50年代のアメリカ社会である。そこには、今までにない新しいリアリティ(生活実感)があふれ、「幸福って、こういうものなんだ!」という初めて知った喜びと、それをもたらした新しいライフスタイルにたいする無限の賛歌が輝いていた。 それが「レジャー」である。(図1)今ではなんということもない平凡な言葉であるが、レジャーがマス(大衆と大量)のレベルで実現されることは、それ以前の社会では想像をはるかに超えた「夢のまた夢」であった。だから50年代のレジャーの大衆化は、大衆が歴史のなかではじめて「消費する幸福」を享受できた一大出来事であった。その現実の前では、30年代ものの大衆社会論の社会思想も、普通の人々がみせたその素直な喜びの顔に、その「不幸な思想」を修正せざるをえなかった。ここで初めて発見されたレジャーは新しい時代である大衆「消費」社会のシンボルであった。
この新しいときのなかで、大衆の家庭生活は、仕事の拘束から離れた、それ自体でレジャーと消費の喜びを満喫する場としての位置と機能を獲得した。郊外生活の発見はこれに呼応する空間の分化であり、家庭における専業主婦の役割が分化したことも同様な流れにある。夫はホワイトカラーとして都心のオフィスで事務労働に従事し、妻は郊外のきれいな住宅で、子供の世話に明け暮れながら、温かな家庭を守るという構図は、当時想像できうるもっとも理想的で豊かな生活そのものであった。
このような豊かな生活を支えたのが、大量生産のシステムを実現させた技術革新であり、大量で遠距離の物流を可能にした流通革命を支えたさまざまな技術革新である。そしてさらにそのような大量の生産と流通を実現するための社会基盤整備である。なかでもハイウェイを全国的に完備し、いつでもどこにでも簡単に早く輸送することを可能にした交通システムの社会整備は画期的なことであった。そしてその多様で多層な道路ネットワークにのって、大量輸送機関(マストラ)が発達し、同時に自家用車というパーソナルな移動マシーンが大衆化したことも社会の様相を一変させることに大きく貢献した。
しかしレジャーと大衆消費社会は、このような豊かな社会の実現だけで完結するものではなかった。ここには、もう一つのトリックが必要であった。それがテレビ=マスメディアと電話=パーソナルメディアからなるもっともプリミティブな情報社会の登場である。この新しい情報社会は、消費者にたいしては、テレビという娯楽のおもちゃを提供して、温かな家庭のだんらんをより楽しいものにさせ、ホワイトカラーにたいしては、電話を提供して、組織の生産性をあげることに大きく貢献した。もちろん電話にかんしては、その後家庭にも進入して、家庭にいながら外部とのコミュニケーションを可能にさせる道具として、新しい意味を家庭に持ち込んで入った。かくして、最初のマスとパーソナルなメディアは、大衆の消費する欲望を満足させる社会的メディアとして機能することで、大衆の豊かなレジャー生活をサポートしていった。
大衆消費社会は、このように、豊かな消費=消費生活と情報社会の結合からもたらされた新しいライフスタイルをうみだした。テレビの「コマーシャル」はこの新しい結合をシンボリックに表現するメディアである。もしもコマーシャルの内容が「週末に、家族みんなで、高速道路をファミリーカーで快適に走って、郊外でのドライブを楽しむ」という乗用車のコマーシャルならば、それこそ「絵にかいたような今のわたしたちの幸福」そのものである。これが50年代の豊かな社会と情報社会(マスメディア社会)の結合から生まれた大衆消費社会のリアリティ=イルージョンである。
テレビのコマーシャルは、いつも「夢と現実」を同時に流す。この2重のループがあるからこそ、プリミティブではあっても情報社会なのだ。コマーシャルは大衆のニーズを喚起しながら、かれらの期待にそうように、夢と現実の情報を伝達する。企業組織は、生産した製品を大量に売るために、大衆の夢を膨らませながら、大衆の現実をふまえて、コマーシャルを流す。それは、企業と生活を媒介し、生産と消費を媒介し、そして夢と現実を媒介する。大衆消費社会では、コマーシャルがあってはじめて、社会が機能する。コマーシャルを欠落させれば、豊かな生活も社会もいかなある意味においても維持できない。コマーシャルが「夢は現実であり、また現実は夢である」ことを教えてくれることで、社会は機能する仕組みになっている。それが大衆消費社会の基本であり、だからこそ近代の産業社会から一歩踏み出してしまった新しい姿なのである。大衆消費社会は、モダンの産業社会から『豊かな情報社会』への変化を媒介する過渡的な社会である。
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