"PINK"(岡崎京子:1989)の世界「消費する幸福論」
 
1. スリルとサスペンス
2. 夜、妹がやってくる
3. ショウネンノ ヤボウ
4. 裸でランチ
5. ノベリストのユウウツ
6. HAPPY SEED
7. 女子大生は尾行する
8. 無関心な彼女はマニキュアをぬる
9. 屋内熱帯の洪水
10. おままごとはいつもたのしい
11. サザエさんのゆめ
12. 不能と鏡と毒リンゴ
13. 王女様は労働する
14. 動物としての人間のさまざまな思わく
15. ハサミでチョッキン
16. ブラッディ・ラヴァーズ
17. すてきな食事
18. もう、やめてよ
19. 愛と暴力
20. すべてトランクにつめて
21. せいりのせいり

1.スリルとサスペンス

最初の章(スリルとサスペンス)で、“PINK”の基本フレームがさりげなく提示されます。つぎの10のフレーズを記憶してください。

a.あたしは、ユミちゃ〜ん、22歳です。
b.あたしは、ワニのペットを飼っている。
c.ワニは、私の「スリルとサスペンス」。
d.ワニを飼うためにおまんこ商売をする。
e.あたしは、ピンク色って本当に好きだ。
f.帰りに、ピンクのバラを20本買った。
g.ピンクは、あたしの「しあわせ」の色。
h.ピンクは、本当のお母さんの爪のいろ。
i.あたしは、お金でこんなキレイなもんが買えるんなら、いくらでも働くんだ。
j.あたしは、大学生ぐらいの男の子が本屋で万引きすんの見た。ドキドキした。

ここでは、2つの話の基本フレームが提示されます。
ひとつは「ピンク」で、もうひとつは「ワニ」です。
この2つがどのようにもつれていくのか、それが今後の問題です。

「ピンク」は、『しあわせ物語』です。

主人公のユミちゃんは、ピンク色に「“あたし”のしあわせ」のメタファを求めます。 それは、やさしくてきれいだった母親の爪の色にルーツをもつメタファです。とすると、 ピンク=“あたし”のしあわせは、「母親」と、その彼女の属性である「やさしい」と 「きれい」と「爪」から構成されることになります。

A.母親はやさしい。・・・・・・・・・・(母親の精神にかんする価値判断)
B.母親はきれいだ。・・・・・・・・・・(母親の身体にかんする価値判断)
C.母親の爪はピンク色だ。・・・・(母親の身体部分にかんする認知)


母親像は、精神(やさしい−こわい)と身体(きれい−みにくい)の特性によって、 つぎのように位置づけられます。

1.きれいだからこそ、やさしくなれる。・・・・・・・・・・<善玉>
2.みにくければ、こわくならざるをえない。・・・・・・<悪玉>
3.きれいならば、こわくなれる。・・・・・・・・・・・・・・・・<強者>
4.みにくければ、やさしくならざるをえない。・・・・<弱者>

この4つのタイプは、「善玉と悪玉」というドラマの世界における母親イメージと、 「強者と弱者」というゲームの世界における母親イメージに分けられます。とすると、 ユミちゃんが求める「しあわせ」には、まずは「ドラマの世界における善玉」という条 件が必要なのだ、ということになります。「母親はきれいであってほしい、そうであれ ば子供にもやさしくなれるはずだから、子供である“あたし”は、しあわせになれる」 という論理が、ここにはあります。ユミちゃんのしあわせは、母親がきれいであった事 実とその母親が善玉の役割を選択した結果、実現されたものです。

善玉と強者は、選ばれた人です。悪玉と弱者は、ふつうの人です。

選ばれた人が、善玉になるかそれとも強者になるか、その選択は社会のルールが決め ます。モダンの至上ルールでは、<強者>の選択が期待されます。とすると、それとの 関係で悪玉/弱者選択も決定されますから、結果として<弱者>が選択されます。しか しこのゲームのルールは男の世界(=組織)に適応されるもので、女の世界である家庭 ではこのルールと補完的で劣位的なドラマのルールつまり<善玉>の選択が優先されま す。
ユミちゃんの母親の善玉役は、モダンの社会において「選ばれた人=きれいでやさし い女性」にのみ許容された希少な役割です。ですから、そこでえられたユミちゃんのし あわせも希少なものです。

この希少性は、さらに母親の爪のピンクによって強化されます。

爪は、人間の身体の中身(血/赤+肉/白=ピンク)が透けてみえる唯一の部分です。 それ以外はすべて皮膚で覆われており、中身はみえません。みるには皮膚を破るしかあ りません。ただし例外に近いところがあって、あかたも皮膚に覆われてはいない感じを 抱かせる部分があります。身体の穴の中です。口と性器の中です。そこもピンクです。 しかしこの部分は通常はみせるものではありません。隠しておくべき部分(陰部)です。 これにたいして爪は、みせることのできる部分です。ですから、みせる部分がピンクで あることが重要です。しかも爪も陰部も年齢の上昇によって、黒ずんで穢れてきます。 だから、爪にかんしてはマニュキアを塗ってきれいにします。でも陰部はどうしようも ありません。ですから、女はみんな中年になるのを恐れます。

このように考えると、ユミちゃんの母親は、ここでも選ばれた人であることを証明し ています。母親になっても、彼女の爪はマニュキアなしでピンクのままです。彼女は、 陰部のピンクに頼って生きる必要がないのです。その意味でも、彼女はあまりにも純粋 あるいはイノセントすぎるのかもしれません。母親であるにもかかわらず、天使のよう な無垢な精神の持ち主であることは、ある危うさを予感させます。この点でも、ユミちゃ んの母親は希少な存在です。

そこで、ひとつの結論にたどりつきます。ピンク=“あたし”のしあわせは、「善玉」 =「選ばれた希少性」の条件を備えた「ピンクの母親」に育てられた子供だから実現さ れたのだ、ということになります。主人公のユミコは、きれいでやさしくてイノセント な母親といっしょだから、しあわせなのです。ピンクとは「きれい」「やさしい」「イ ノセント」な条件(天使のような善玉)をすべて備えた母親のことですから、したがっ て、「あたしにとって、ピンクはしあわせの色」となります。このようなピンクは希少 ですから、選ばれた人にのみ与えられるしあわせです。ここでのピンクは「選ばれた人 のしあわせ物語」なのです。

もう一つは、「ワニ」の『スリルとサスペンスのゲーム』です。

ユミちゃんはワニを飼っています。そのワニはペットです。ペットであるワニはユミ ちゃんのお気に入りですが、同時にスリルとサスペンスをもたらす危険物でもあります。 ですから、飼う関係(飼う人と飼われる物)にみられる上下関係はつねに喰う関係(喰 う物と喰われる人)という下克上の可能性を含んだ関係でもあります。だから、ユミちゃ んは楽しいのです。常識的なペットの関係では満足できません。強い物だからこそ、そ れを飼う(養う)ことが価値を生むのです。弱い物を、やさしさだけで飼うのでは、満 足しません。自分の地位が脅かされないからです。
ユミちゃんは、ワニとの関係で過酷なゲームを楽しみます。ピンクの物語に夢中にな るだけでなく、ワニとのゲームにも熱中します。ここでは、経済的なアバンダンスが維 持されているかぎり、ユミちゃんはワニにたいして優位な立場を誇示できますが、貧困 な事態になったとたん、ワニは飼われる立場を放棄して一気に喰う立場を復活させます。 これが野性というものだ、とでも主張したいのでしょう。とすると、ユミちゃんがこの ゲームで優位な地位を維持しつづけるには、どこまでもアバンダントでありつづけなけ ればいけません。経済的な豊かさは、ゲームを終結させないためにも、不可欠な前提な のです。ですから、スリルとサスペンスのゲームとは『豊かさゲーム』なのです。

傑作”PINK”は、このように、『ピンクの希少なしあわせ物語』と『ワニの豊かさ ゲーム』を軸にして展開されていきます。

この2つのおはなしは並行して進むのでなく、交差していきます。だから、読者はつ ぎの展開に期待をかけるのです。その交差点が『はたらく/仕事』です。彼女は、「か う(買う/飼う)」ためならば、がんばって働きます。しあわせのピンクのバラを買う ためならば、そしてスリルとサスペンスのワニを飼うためならば、ユミちゃんははたら くことを厭いません。「よし!明日もがんばるぞ」と自分を励まします。好きな物語に 夢中になるためならば、そして危険なゲームを楽しむためならば、はたらくことは苦に はなりません。問題は、幸福と豊かさを維持するために、どんな仕事をするのかです。 それで、ユミちゃんは昼間の会社オーエルばかりでなく、おまんこ商売もするのです。 彼女は2足のハイヒールで頑張ります。
2足のハイヒールと、その1足が怪しい仕事、という2点が気になります。もっともユ ミちゃんは全然そんなことを気にしていません。それだけ、ピンクの夢物語とワニとの デスマッチ・ゲームが楽しいのでしょう。
豊かな生活には、2足のハイヒールが不可欠です。1足のハイヒールだけならば、貧 しい生活が待っています。それどころか、ワニの下克上にあって、いっかんのおしまい です。そのとき、ユミちゃんは、迷うことなく豊かな生活のために2足のハイヒールを 選択します。豊かな生活は、もう生きる前提なのです。
ユミちゃんにとって、仕事はがんばるものです。残念ながら、それ自体が楽しいもの ではありません。仕事は2足とも、豊かな生活を実現するための手段です。その1足で あるおまんこ商売がまず最初にでてきます。

このビジネスは完璧な肉体労働です。「買う」と「寝る」が交換されるビジネスです。 ユミちゃんは、寝る行為によって肉体を売り、客のバカオヤジからお金をもらいます。 正当な報酬を互いに交換しあうことで、完全な経済的交換が成立するビジネスであり、 やましいことは何もありません。なのに、一発終わると、バカオヤジは偉そうな説教を して自分の行為を恥ながら、かつ正当化しようとします。ユミちゃんは、ビジネスなの に、なんで親(父)子のような権力関係が介在して、「寝ることは悪いなんて、あんた に道徳教育されなきゃいけないのよ」と怒ります。『すべての仕事は売春である』とい う近代的労働の一般命題からすれば、ここでの彼女の怒りや不満は当然のことでしょう。
「寝る」行為には、セックスするというばかりでなく、素直に「眠る」という意味も あります。その眠るという意味で、<pink1>は終わります。この行為は、しあわせなピ ンクの夢をみせてくれます。ねむることは、しあわせなのです。寝る仕事に疲れたら、 ゆっくりと寝れば、いいのです。そうしたら、しあわせになります。

このように、2つのおはなしが「はたらく」ことを接点に見事に整理され、完結しま す。「かう(買う/飼う)とはたらく」の関係によって、ピンクの物語とワニのゲーム は関係づけられ、そしてそれなりに完結した構造をつくりあげます。

では、つぎの展開はどこからいけばいいのでしょうか。そのキューは、大学生の万引 きの話に潜んでいます。この話が、完結した2つの世界に穴をあけます。大学生の万引 きをみたユミちゃんは、コーフンとドキドキすることで、ワニのゲームと同じ「スリル とサスペンス」を味わいます。そうなのです、大学生はユミちゃんにとってワニと同じ なのです。ここから、新しい展開が開始されます。