"PINK"(岡崎京子:1989)の世界「消費する幸福論」
 
1. スリルとサスペンス
2. 夜、妹がやってくる
3. ショウネンノ ヤボウ
4. 裸でランチ
5. ノベリストのユウウツ
6. HAPPY SEED
7. 女子大生は尾行する
8. 無関心な彼女はマニキュアをぬる
9. 屋内熱帯の洪水
10. おままごとはいつもたのしい
11. サザエさんのゆめ
12. 不能と鏡と毒リンゴ
13. 王女様は労働する
14. 動物としての人間のさまざまな思わく
15. ハサミでチョッキン
16. ブラッディ・ラヴァーズ
17. すてきな食事
18. もう、やめてよ
19. 愛と暴力
20. すべてトランクにつめて
21. せいりのせいり
14.動物としての人間のさまざまな思わく

a. ハルヲくん、ユミちゃんの帰りを待つ。働きもののお姫様はおそいな。
b. ユミちゃん、仕事に精をだす。本気であたしはいってしまった。
c. いかせた客が、TVで爬虫類の捕獲はけしからん、と発言。本気でそう感じた。
d. ママは、おねいちゃんもいちもく置くアップルパイを焼く。
e. ママがやさしい時は要注意。でもママがやさしい時って、大好き。
f. 夜、アップルパイをおねいちゃんに届けるのに、会社の運転手が呼ばれる。
g. ママは、運転手とできている。どーでもいいけど。

ケイコは、ゲームがなんであるか、を知らない。こまっしゃくれてはいても、子供なのだ。危険信号は「ママがやさしい時」と分かっていても、ケイコはその時がうれしくて、危険信号としての解読ができない。ママのやさしさの前では、ケイコは良い子になってしまう。だから、ゲームができない。ほほえましい母子役割のドラマだけが進行して、そのドラマの陰に危険なゲームは隠されてしまう。ママが運転手とできていることだって許されてしまうほどなのだ。
そんな娘の弱点を知り抜いているママは、このゲームを思い通りにすすめる。ハルヲくんのボロアパートを見つければ、もうこのゲームの勝負はついたようなものである。運転手との関係も、このゲームのための手段なのであって、それ以上のものではない。彼女の見栄を輝かせる相手でないかぎり、それはすべてなんらかの道具であり手段なのだ。ケイコが偉そうに無視するポーズをとる以上に、ママは運転手を無視しているのだ。運転手はゲームの駒、それも歩だ。それがママの凄いところだ。
ハルヲくんは、ユミちゃんを待つ男白雪姫のようなものだ。しかも待ちくたびれて、嫉妬に狂いそうなのだ。嫉妬は、貧しい人が生きるテクニックとして重要なものだ。そこには、貧しい人が豊かになった時に自分を守るためのテクニックである見栄と共通する何かがある。貧しいという条件のなかで、上が下にたいして示すゲーム行動が見栄であるし、下が上にたいして示す行動が嫉妬なのだ。ママの見栄もハルヲの嫉妬も、貧しさを共有している点では同じような行動なのだ。
ゲームになれば、見栄と嫉妬は勝負への執念を喚起する重要な動因になります。

でもママは勝ちにいき、ハルヲくんは勝ちを諦めます。