"PINK"(岡崎京子:1989)の世界「消費する幸福論」
 
1. スリルとサスペンス
2. 夜、妹がやってくる
3. ショウネンノ ヤボウ
4. 裸でランチ
5. ノベリストのユウウツ
6. HAPPY SEED
7. 女子大生は尾行する
8. 無関心な彼女はマニキュアをぬる
9. 屋内熱帯の洪水
10. おままごとはいつもたのしい
11. サザエさんのゆめ
12. 不能と鏡と毒リンゴ
13. 王女様は労働する
14. 動物としての人間のさまざまな思わく
15. ハサミでチョッキン
16. ブラッディ・ラヴァーズ
17. すてきな食事
18. もう、やめてよ
19. 愛と暴力
20. すべてトランクにつめて
21. せいりのせいり
10.おままごとはいつもたのしい

a. ユミちゃん、ハルヲに「お世話になります」と礼をいう。
b. ユミちゃん、「どうしてこんなとこ住んでるの?」と疑問に思う。
c. ユミちゃん、その夜、ハルヲくんにフェラチオをしてあげる。
d. 朝、ユミちゃん、目玉焼きの食事をつくり、ハルヲくんを学校に送りだす。
e. ハルヲくんは、愛のある生活しているみたいじゃん、と思う。
f. 掃除をし、茶わんを洗い、奥さんになったみたいで、楽しい、と思う。
g. サザエさん家みたいな家庭がいいな、と思う。
h. 家でグタグタしてもしょうがないので、ひと稼ぎして、帰りに買物をする。

貧乏は楽しい。ままごとであるかぎり、貧乏は楽しい。
ままごとならば、好き勝手に「やめた!」といえる。それがいえるかぎり、貧乏は楽しい。だって、貧乏は珍しい体験のままでとっておけるから。ままごとの条件が確保れているかぎり、ユミちゃんにとって、専業主婦は楽しい。サザエさんになることは楽しい夢だ。
しかし、ままごとであっても、「貧乏はしあわせだ!」にはならない。貧乏はどこまでいっても不幸なのだ。サザエさんは楽しくても、不幸なのだ。だから、ユミちゃんは、サザエさんの楽しい夢に飽きると、グタグタしていてもしょうがないから、ホテトルのひと稼ぎに出かけ、そして帰りにいっぱいの買物をして帰宅する。それが、ユミちゃんのしあわせなのだ。
楽しさは行動であり、しあわせは構造の問題なのだ。サザエさんごっこは、楽しい不幸なドラマなのだ。「サザエさんは楽しい」という行動と、「サザエさんは不幸だ」という構造は緊張し矛盾する関係にあるから、一瞬の均衡はすぐに崩れ、つぎのステップへにシフトが起こります。これが、買物にでかけることであり、ユミちゃんはそのためにホテトル商売にちょっと気をいれるのです。このシフトは、「楽しくて、幸せ」という調和した関係へのシフトであり、その状態はそれなりに安定的であります。

精確には、この安定=均衡状態へのシフトの前に、「サザエさんはつまらない、しかも不幸だ」というサザエさんごっこに飽きてしまって、「やーめた!」という状態があります。すぐに、貧乏の構造にには耐えられないことに、彼女は気づきます。しかしこの状態は安定状態です。不幸はつまらないものなのです。それが貧乏なのです。だからそこからの離陸が目的とされ、そのための手段選択がなされます。しかしそのような目的意識に目覚めるには、それなりの条件が必要です。そうでないと、「”不幸はつまらない”は自明のことだ」ということで、それなりに安定した貧乏に安住してしまい、そこからの離陸が目的化されません。それが『貧乏という麻薬』です。
ユミちゃんは、離陸します。それは、彼女が豊かさを身体で知っているからです。しあわせがいかに快感であるか、を知っているのです。だから、彼女は構造改革をはじめます。その最初がホテトルの開始です。ここでは、あえて緊張関係が選択されます。つまり「つまらないけれども、しあわせになるためならば」という未来の構造(しあわせ)にむけて、現在のつまらない行動に耐えるという近代派の行動が選択されます。貧乏からの離陸には、近代派のステップが不可欠なのです。

近代派にとって、労働はすべて売春なんです。

そして最後は買物です。あっというまに、欲しいものを買ってきました。安アパートは、それに似合わないもので、いっぱいになります。これがユミちゃんの安定=均衡状態=豊かさです。どんなに頑張っても、ユミちゃんはサザエさんにはなれないのです。
その結果、貧乏の構造から逃れられないハルヲくんの60年代と、豊かさを身体化させたユミちゃんの80年代的な豊かさの構造との矛盾=緊張関係が、安アパートのなかにもたらされます。そんな予感を無視するように、ユミちゃんはさっそうと帰ってきます。