|
15.ハサミでチョッキン
a. ママは、ワニの居場所をつきとめた。
b. ハルヲくん、ワニさえいなければ、2人のまともな生活ができるのに、と思う。
c. あの仕事やめちゃった、とケイコが声色を使い、ハルヲをからかう。
d. ハルヲくん、その声色に、「まっていたぜ、そのひと声を!」と飛び出す。
e. ハルヲくん、工作しているみたいに、ハサミを使って、小説をつくる。
f. ハルヲくん、差し入れのアップルパイを食べず。
g. ケイコ、小説工作に興味を示し、真夜中にコンビニにハサミを買いにいく。
h. ユミちゃん、帰り通で、JJに載ってたワンピ欲しい、買おっと、思う。
i. 二人は、こらえ性のお嬢さん。
j. 甘いもん食べたい姉とアップルパイをもってきた妹が、コンビニで出会う。
ハルヲくんが、ワニを邪魔な存在と意識しはじめました。その感情は、ユミちゃんにはっきりと恋愛感情をもち、彼女を自分ひとりのものにしたいという所有欲にとらわれるいることと同じことです。つまりハルヲくんは、近代の恋愛のコンセプトの虜になってしまいました。貧しい人が簡単に陥る罠です。ワニはもうライバルです。
近代的な愛は、どこまでも所有なんです。
その1は、「ユミちゃんはオレの女だ、だからみんな手をだすな、いいな!」です。
その2は、「オレにはユミちゃんがいるから、どんな女にも手をださないぞ」です。
その1は第三者への脅しで、その2はユミちゃんへの誠実さです。つまりユミちゃんと2人だけの世界に閉じこもり、それ以外の人との間には明確で強固な境界線を引いて、絶対に中には入らせないようにするのが、近代的な愛なのです。当然、この愛は共有を許しません。愛は近代的所有そのものです。ですから、愛の証しであるセックスは、他の誰ともしてはいけません。ハルヲくんだけにセックスが独占されなければ、愛の証明にはなりません。ハルヲくんは、愛に目覚めるほど、このコンセプトから逃れられません。たぶんかれも、まだ愛に目覚めかけたころには、その愛の所有という重たさに気づく余裕があって、「めんどくせー」と言えたのですが、一度サザエさんの夢を経験してしまうと、もう駄目なのでしょう。
貧乏人は、所有の魅力から離れられないのです。所有する快感を知ってしまうと、失うのが怖くて、いっそう所有にしがみつくのです。それが、貧乏であることの証拠なのです。ワニがだんだんと憎くなります。
安アパートが、所有としての愛を呼び込みます。
ハルヲくんは、愛に目覚め、だから苦悩します。
近代的な愛は「所有」であると同時に「選択」でもあります。ひとりの女しか愛さない、という選択の考えがつきまといます。ユミちゃんしか愛さない、というわけです。ひとりの女を愛することは、他のすべての女をもう愛さないということです。ですから、ここでは選択が重要なのです。「あれか、これか、どっちにしようかな」という選択がなされなければなりません。
ユミちゃんは、ワニもハルヲくんも好きです。
ユミちゃんは、ハルヲくんに「今日の客は何人だった、つかれた」といった話を平気でします。彼女は、ハルヲくんをたぶん愛しているのでしょうが、けっして彼を所有する形では愛しません。だから、今日の客とのセックスでも「いっちゃう」のです。彼の方はインポにまでなって男メカケの商売ができず、そこまでしてユミちゃんとの愛に悩んでいるのに、彼女は客とのセックスで気持よくてボーとしちゃうのです。困ったもんです。
なぜそうなのか。ユミちゃんは、貧乏を知らないからです。ですから、所有することにリアリティがありません。そして選択することの価値もわかりません。彼女には、ある制約条件のもとで(つまりこれが貧乏ということです!)、効用を最大化することをめざして意思決定し、その結果を受けて「ひとつだけを選択し、それを大事に所有する」という発想がありません。あるのは、「あれも、これも」欲しいから買うということですし、それが可能になっている条件です。つまり豊かであることが「選択と所有」への囚われを解放するのです。
ハルヲくんは、ユミちゃんを愛します。だから、ワニを排除します。
|