"PINK"(岡崎京子:1989)の世界「消費する幸福論」
 
1. スリルとサスペンス
2. 夜、妹がやってくる
3. ショウネンノ ヤボウ
4. 裸でランチ
5. ノベリストのユウウツ
6. HAPPY SEED
7. 女子大生は尾行する
8. 無関心な彼女はマニキュアをぬる
9. 屋内熱帯の洪水
10. おままごとはいつもたのしい
11. サザエさんのゆめ
12. 不能と鏡と毒リンゴ
13. 王女様は労働する
14. 動物としての人間のさまざまな思わく
15. ハサミでチョッキン
16. ブラッディ・ラヴァーズ
17. すてきな食事
18. もう、やめてよ
19. 愛と暴力
20. すべてトランクにつめて
21. せいりのせいり
20.すべてトランクにつめて

a. ユミちゃんは、立ち直るのが早い。頭が悪いのと、目の前のことしか考えないから。
b. ハルヲくんは、いまや有名人の仲間入り。
c. ユミちゃん、会社をやめる。あした、南の島に2人でいく予定。
d. 夜、ハルヲくん、セックスを拒否する
e. つぎの日、多忙なハルヲくん、取材から逃げる。
f. 空港への途中、乗ったタクシーが事故。ハルヲくん、死ぬ。
g. 空港で、何も知らないユミちゃんは、ワニのトランクをもって、まだ待っている。

■なぜハルヲくんは、死んだのか。
■岡崎京子は、なぜ彼を殺したのか。
■ユミちゃんにとって、ハルヲくんは何だったのか。

これが解明されるべき問題なんです。
むかし、ハルヲくんはしあわせの種に「立派で偉大な小説家になれますように!」と いう願いごとをしました。それは簡単にかなえられました。でも、目的が達成されたと き、つぎに何をすればいいのか分からなくなります。それが貧乏な田舎ボーイの宿命な んです。だから、今が一番しあわせなのです。もうこれ以上のしあわせを望むことはで きません。目的がもつ幸福論とは、達成された瞬間が最高の至福の時であり、それから はただ落ちるだけなのです。とすると、目的はいつまでも達成されないままで、いつか は達成されるはずだ、と思い続けている方がある意味では幸福なのです。

ハルヲくんは、死んでしあわせだったのです。これ以上の幸福がありえないとしたら、 その幸福の頂点で死を迎えさせるのは、作者のやさしさというものです。考えてみると、 しあわせの種で、願いごとをはっきりさせたのは、ハルヲくんだけです。あとの2人は はっきりしていません。あの2人は、きっとなにも具体的には願いごとをしなかったの です。したのは、ただ「ずっとしあわせのままでいたい」ということだったのです。こ こには、目的論の発想がありません。反対に、ハルヲくんは、「しあわせになりたい、 そのために小説家になりたい」という目的論からの願いをしてしまいました。だから、 願いがかない、そしてその後には死が待機していたのです。

頂上を極めたとき、あとは死の快感を待つだけです。

ハルヲくんは、ワニに勝った、といいました。しかしここで、また逆転されました。 すでにワニはカバンになって復活しています。そして、それと入れかわりにハルヲくん は死んでしまいました。ワニとハルヲくんのユミちゃんをめぐるゲームは、ワニの勝利 となって終わりました。なぜそんな結果になったのか、それは、ハルヲくんがユミちゃ んを所有したがったからです。ハルヲくんの恋愛観には、拭いさることのできないモダ ンの残滓があります。それが近代的所有にもとづく恋愛観です。つまり「オレのものだ、 と言ったら、誰も手を出すな」ですし、また「オレのものだと言ったからには、他のど んな女にも手を出さないぞ」です。これでは、ユミちゃんは疲れてしまいますが、60 年代の田舎ボーイには、そんな重たい恋愛に縛られるのが面倒臭いというのがせいぜい で、いったん恋愛関係に入ってしまうと、ワニにさえ嫉妬するしまつです。これでは、 ゲームに勝てるはずがありません。最後のワニの逆転勝ちは、予想されたことなのです。
ワニは、所有にかんして寛大です。ハルヲくんがマンションに転がり込んでも、我関 せず、のポーズをとります。ハルヲくんとの共存が可能ですし、けっしてユミちゃんを めぐるゲームに張り合うことはしません。ハルヲくんだけが、一人相撲をして、そして 勝手に土俵から転落しただけなのです。ワニは、ただじっと待っていただけです。ジャ ングルに帰る日のことを夢見ていただけです。

カバンに変身してしまった今、ワニはユミちゃんと堂々とジャングルに帰ることがで きるようになりました。密室での隔離された生活ではなく、外の空気を満喫できる自由 を獲得しました。密林のジャングルばかりでなく、カバンのワニは都会のコンクリート・ ジャングルのなかも闊歩できるようになりました。これがワニの求めていたしあわせで す。ユミちゃんは、だからカバンのワニが大好きです。

すべてトランクにつめて、どこにでもいける。

でも、ローズガーデンのしあわせは、ハルヲくん抜きで可能なのでしょうか。ここか らが正念場です。この難問をどう解決するか、それが問題です。ローズガーデンのしあ わせは、母の爪の場合(現実的には夫に全面的に経済的に依存することで可能なしあわ せのでありながら、その依存が豊かさの継続の中でみえなくなり、そのために、ひとり で完結したイメージをもつしあわせ)とは違って、ハルヲくんとの血まみれのセックス、 によって可能なしあわせです。このセックスは、おまんこ商売での不浄を清めるもので あり、したがってハルヲくんという聖者が必要なので、男なら誰でもいいというわけで はありません。
このローズガーデンのしあわせには、ハルヲくんという特殊な個が不可欠なはずです。 とすると、彼の死は、ふたりのしあわせであるローズガーデンの喪失ですから、ユミちゃ んは、ワニを失った時と同じように、また再び発作をおこし、自己喪失の状態に陥るは ずです。では、ほんとうにそうなるのでしようか。たぶん、そうならないのではないか、 と思われてしかたがありません。理由は、ワニのカバンがあるからです。カバンのワニ は、ユミちゃんにとってはハルヲくんを超えるパワーをもつパートナーです。ワニだけ は、ハルヲくんに代替するパワーをもっています。つまりハルヲくんはワニに代替する ことはできませんが、ワニはハルヲくんに代替可能なのです。しかもカバンは、もうど こにももっていけるものです。完全にユミちゃんに一体化しています。だから、ハルヲ くんがいなくても平気なのです。

では、ローズガーデンのピンクはいかにして生成されるのでしょうか。それは、ハル ヲくんとのセックスが媒介となって実現されるものです。もちろんワニとユミちゃんが セックスわすることはありません。しかし重要なのは、セックスではなくて、血まみれ であることが不浄のユミちゃんの身体を浄化することです。つまり聖なる関係としての セックスが意味をもつのです。とすると、ワニとユミちゃんの一体化は、つよく聖なる 性的関係です。神への一体化のなかで感じるエクスタシーと同じように、ワニとの関係 もそのような聖的な関係であり、あえて性的ある必要はないのです。つまり浄化の意味 が、ハルヲくんからワニへの移行のなかで継承されるならば、ローズガーデンのしあわ せは生きつづけるのです。

ハルヲくんは、厄病神だったのです。
60年代には、さよならが必要です。

考えてみると、ユミちゃんがハルヲくんの万引きシーンをみなければ、こんなことに もならず、ずっとしあわせでいられたのです。たぶんハルヲくんも貧乏のマジックのな かで、60年代をやっていたことでしょう。結局ハルヲくんは、この物語の狂言回しと して、60年代の田舎ボーイの演技をしただけなのです。ですから、ユミちゃんのしあ わせには、基本的には彼は無関係なのです。ハルヲくんは勝手にシンデレラボーイになっ て、そして死んでいっただけなのです。しかもその過程で、ユミちゃんを貧乏の世界に 引き込むといった厄病神の役割を演じ、それによって、この物語をいかにも物語らしく、 波乱万丈?のストーリー展開のおもしろいものにしたのです。
ユミちゃんは、これからもずっとしあわせに生きていくことでしょう。もちろん南の 島にいくなんて冗談です。彼女は、どこまでも東京ガールとして、都会のジャングルの なかを気分良くピンクのバラを抱えて闊歩するはずです。カバンのワニをいっしょにつ れていくことも忘れません。

ユミちゃんは、もうふつうのユーミンです。

もうおまんこ商売はしません。だってそれは近代的労働のシンボルだからです。もう ワニを飼う必要もありません。カバンのワニと一緒に散歩していれば、それだけでしあ わせなのです。もう余剰のための生産と消費の経済活動にあくせくする必要がなくなり ました。だから、気楽に暮らせます。

豊かな気分が、とても、いいんです。

ローズガーデンは、いつも満開です。