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9.屋内熱帯の洪水
a. 彩子のワニ記憶を消すのに、成功。
b. ハルヲへのママハハからの電話、彩子がでて、ママハハは苛立つ。
c. ママハハの忠告。ぜいたくを恐がってはだめ、ママみたいにしあわせになるのよ
d. ケイコ、夜にユミちゃんを訪ね、ジャングル部屋にあきれる。
e. ユミちゃん、ジャングルの中で、「くさりたい」と願う。
f. ケイコ、トイレに入り、水が止まらなくなる。しかも、停電。
g. ハルヲが来て、溺れそうなみんなを救う。
h. 管理人に怒られ、この部屋からでていかざるをえなくなる。
i. ユミちゃん、いくあてがない。ケイコの母親の所には絶対に帰りたくない。
j. ユミちゃん、ハルヲくんのアパートに行くことになる。うれしい。
ママハハは、ぜいたくを恐がってはだめ、と娘に説教し、「ほんのおきもち、というのよ」と、洋ランをミヤゲにもたせる凄さをもっています。「豊かさとは見栄だ」と、身体で知りぬいた女のしたたかな逞しさがあります。
ママハハは貨幣の権力を熟知しています。ゲームに勝つには、これしかない、という哲学と思想をもっています。これを『ワニの思想』といいます。
ワニの思想では、その原点は貧乏です。「貧乏は嫌だ、だから豊かになろう」、これがすべてを規定する基本命題です。ここから、すべての戦略とシナリオが描かれます。ひとつ豊かになったら、またつぎの豊かさがセットされ、それに向かってひたすら前進すること、ここでの豊かさです。豊かさは獲得される対象であり、その対象性は永遠です。貧乏人は永遠に貧乏でありつづけることで、豊かさをめざします。見栄は、貧乏人が永遠に豊かさを追い求めるための道具なのです。見栄を失ったならば、それは目的が達成されたことになりますから、生きる意味の喪失をもたらします。豊かさは達成されてはいけないのです。だから、獲得された豊かさはつぎの豊かさ実現に向けての投資として見栄に変換されなければなりません。充足される豊かさは危険であり堕落です。満足することのない、だからこそ貧乏意識をもちつづけるために、見栄が必要なのです。
見栄は投資です。見栄は権力です。見栄は道具です。
ジャングルのアイディアをすぐに実現してしまったユミちゃんは、満足しています。彼女には、見栄はありません。豊かさが対象化された目的ではないからです。彼女は豊かさを表現したくて、ジャングルをつくり、そして満足するのです。貧乏を知らない彼女には、見栄をはるメカニズムなんていりません。
都会のジャングルはユートピアです。だから、・・・・・・
ユミちゃんは、もっているおカネを全部使ってジャングルをつくりました。ケイコはその部屋を訪ねて、「どうして、あたしの周りって、バカな女ばっかなんだろ」とませた口をききます。バカな女とは、もちろん母と姉のことです。『究極の見栄』をはる母と、『究極の表現』をする姉は、ませたガキには理解不能なのです。しょせん子供の彼女には常識的な視線でしか判断できませんから、「バカな女」とレッテルを貼るのです。
ジャングルは、エアコンが熱帯の空気を人工的につくり、なまぬるくて、くさりそうな環境です。そのなかで、ユミちゃんは「くさりたい」と願います。「くさりたい」は究極の自己表現です。それは、ママハハの「見栄」と対照的な関係にあります。豊かさが身体化された彼女にとって、「くさりたい」は豊かさの表現であり、自分らしさの表現そのものです。この願いには、豊かさを獲得するといった目的達成感はありません。「くさりたい」は、彼女にしかわからない価値であり、欲望なのです。
都会のジャングルが「くさりたい」身体と共振します。
ユミちゃんは、ついに『ピンクのワニ』になりました。
ピンクのワニは、永遠なる一瞬としての存在です。
だから、すぐに停電になりました。まっくらになって、すべてが闇の色に包まれました。しあわせの物語に亀裂がはいり、暗黒の世界が一挙に膨らんできました。ませているからこそ無知でしかない妹は、ここでは魔女の役を割り当てられました。魔女が流すトイレの水は洪水となって、ジャングルのユートピアを飲み込み、砕きます。
自明であった豊かさが、おわりました。貧しさよ、こんにちわ。一度も体験したことのない未知なる貧乏世界がユミちゃんに襲いかかります。
こうやって、悲劇がはじまります。
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