« 2005年06月 | メイン | 2006年04月 »
2005年07月29日
「安全保障論ノススメ」 2005年春学期・講義レビュー目次
第1回 「空間横断の安全保障」の出現?
第2回 安全保障政策の体系
第3回 抑止論(deterrence)と拡大抑止(extended deterrence)
第5回 軍備管理・軍縮・不拡散・拡散対抗(その1)(その2)
第8回 アジアにおける多国間安全保障
第9回 軍事技術・国防産業・インテリジェンス(その1)(その2)
第10回 テロリズムとカウンターテロリズム(その1)(その2)
第11回 日本の安全保障政策と防衛体制I(その1)(その2)
第12回 日本の安全保障政策と防衛態勢II
第13回 日本の安全保障政策と防衛体制 III(その1)(その2)(その3)
投稿者 jimbo : 09:30
第13回授業レビュー(その3)
【日本の安全保障:「概念モデル」の重要性】
日本の安全保障政策の将来のビジョンはどうあるべきでしょうか?私たちが将来を想定するとき、(どんな問題においても)一定の「シミュレーション」を行っています。明日、1週間後、1年後、3年後・・・に、現在の状況がどう変化するか、ある種の「概念モデル」を念頭においているわけですね。
例えば、「過去10年中国の経済成長が続いている。このまま続けば10年後には○×という状態になっている」というのが「線形モデリング」(Linier Modeling)です。また、「かつての大英帝国は、○×の条件で衰退した。だから米国もその道を辿るだろう」というのが過去との比較におけるモデリングです。 さらには、「日本とイタリアは政治状況が良く似ている。したがってイタリアが辿った方向性によって、日本の方向性もわかる」という議論は「カテゴリー化モデリング」といいます。私たちは日々の意思決定や、将来の見込みを立てるに当たって、意識的・無意識的にモデル・シミュレーションをしているんですね(「モデリング・シミュレーション」については、このキャンパスでは井庭先生がご専門ですので、ご関心のある方は、ぜひ受講をお薦めします)。
他方で、政治学者や国際関係を専門にする学者の予測は、エコノミストとともにあまり正確ではありません。例えば多くの学者は、1989~91年に冷戦構造が崩壊することを予測できなかったし、2001年の9.11事件によって米国の安全保障パラダイムが変化することも、想定の範囲外でした。「学者は予想屋ではない」と居直ることもできますが、「理論化」や「概念化」によって将来の政策的指標が得られないとするならば、やはりプロとしての責任を問われなければなりません。
同時に、「なぜ予想できなかったのか」という不断の反省を込めて、新しい概念を再構成していくことが、日々重要となっていくわけですね。現代の国際情勢・安全保障環境に関する自らの「概念モデル」が明確であってはじめて、各政策課題における指標を示すことが可能になるわけです。
ただ、この作業は口で言うほど簡単ではありません。例えば、皆さんが「核兵器の役割」についてレポートを書いたときにも、現代の核兵器が果たして世界を安定化させるのか、それとも不安定化するのか、についてずいぶん悩んでいたようでした。結果は、どちらにも傾きうるのです。「抑止論」にしても、抑止されているかどうかは、「抑止が失敗して初めて明らかになる」わけですね。いわゆる「リアリズム」「リベラリズムの概念モデル自体の有効性が問われなければなりません。
そして、往々にして人々は過去のモデルに拘束されがちです。例えば、第二次世界大戦の軍事当局者たちの戦略を描いた傑作『八月の砲声』は、将軍たちの誤算が生じた原因を、第一次大戦の概念モデルに拘束されていたからだ、と主張しています。戦間期の20年間で、国力も技術も戦術も全く変わったにもかかわらず。このように考えると、安全保障政策において究極の正しい答えはないのかもしれません。
ただし、ここで思考を止めてはいけません(中間レポートでは大分ここで思考をとめていた人も多かった)。私たちの目の前には、実際の政策課題があります。そして将来みなさんは、これらの政策課題に「コミット」するわけです。例えば、皆さんが仮に1962年10月の「キューバ危機」に際して国家安全保障会議(NSC)の一員として政策立案の責任を担っているとしたら、正しい答えはないから「答えが出せない」という選択肢はありません。必ず自らの「概念モデル」に従って答えを出さなければなりません。そして、その「概念モデル」には多くの人々の生命や財産が係っているほど、重要なモデルとなります。皆さんの日々の思考過程において、アイディア・概念モデルが、政策を作るうえでどれほど重要かを、ぜひ心の奥で感じて欲しいと思います。
-------------------
防衛庁で「安全保障に関する懸賞論文」を募集しています。テーマは「新たな脅威や多様な事態に関し防衛庁・自衛隊に期待すること」で、9月30日が締め切りとのこと。ぜひ関心のある方は応募してみてください。詳細は(http://www.jda.go.jp/j/info/ronbun/ronbun2005.htm)。
-------------------
【日本の安全保障:将来のビジョン】
さて、日本の安全保障における将来のビジョンを想定する際に、少なくとも以下のような課題を想定する必要があります。
第一は、「国力変化のダイナミクス」です。20年後を想定した際に、アジア太平洋地域では、中国とインドが経済大国として浮上する可能性はかなり高いといえるでしょう。特に、中国がいかなる大国としてこの地域に台頭するかは、日本の安全保障政策の基盤を左右する最大の問題と考えられます。将来の中国の軍事力が、いかなる運用をされうるかは、関心を高めざるを得ません。日本が、将来大国化した中国とパートナーとして協調的関係を構築できるのか、それとも互いのナショナリズムがぶつかり合う競合的な関係になるのかによって、日本の安全保障政策にも大きな変化が生まれます。
さらに、日本経済の世界に占めるシェアが低下し、日本が政治・安全保障面で信頼ある行動が取れない場合、日本の国際社会における影響力も著しく低下し、国際政治の動きにも受動的にしか対応できない国になる可能性もあります。そんなときに、中国の新しいエリート層が魅力的な議論を提示し、大国化した中国が洗練されたパワーとして台頭した際に、日本の存在はアジアで埋没してしまうかもしれません。
第二は、「技術変化のダイナミクス」です。技術開発というのは予測することが容易ではありません。50年前の技術による戦争と、25年前、さらには今日の戦争には、大きな差異があることは、かつての授業でも触れたとおりです。例えば現在ラムズフェルド国防長官が進めている米軍の変革(transformation)は、現代の技術力を駆使して、少ない兵力で最大限の米軍の展開能力、情報能力、指揮・統制能力を発揮しようとする改革です。こうした技術力の変化は、将来の米軍の前方展開戦略や、同盟関係にも影響を及ぼすことが予想されます。また、日本の防衛装備体系についても、ハイテク技術の導入によって大幅な変更が加えられる可能性もあります。
第三は、まさに日本が21世紀の中盤にかけて、どのような自己イメージを持つのかという「安全保障ビジョン」をめぐる問題です。日本が国連安保理の常任理事国になるべきか、日本の政府開発援助(ODA)をどのくらいの規模で誰に対して提供すべきか、国際機関・国際基準認証機関において日本のプレゼンスはどの程度あるべきなのか、他国の抱える問題に対して日本はどれほど貢献していくべきなのか、地球環境やエネルギーといったグローバルイシューに対して日本はどれほどの責任を果たすべきなのか・・・こうした日本の「能動的な外交政策」(proactive foreign policy)の具体的中身が、現在問われているのです。
私自身は、経済財政諮問会議の下で設置された「日本21世紀ビジョン」のワーキンググループの一員として、今年の4月に専門調査会報告書を策定しました(日本21世紀ビジョンについてはこちら)。
この中で私たちのワーキンググループが示した2030年の日本の姿として「世界中の人々から、日本に住みたい、日本で働きたい、日本で勉強したい、日本に遊びに行きたい、と思われる国」、また「日本に生まれてよかった、日本で働けてよかった、と満足を実感できる国」という国家像を提示しました。その中でもとても大事なのは、日本がグローバル化の中で、経済成長を維持して、豊かで安全な生活を維持するために、グローバルな市場で勝ち抜く企業や人材の育成が不可欠です(この報告書についての対談が、『世界週報』(2005年8月9日号に掲載されています)。
このような将来の構想の中で、魅力ある日本を創っていくためには、世界的な競争力のある人材が不可欠です。私が授業の最後に、SFCで学ぶ皆さんが、世界のトップランクの大学生に、決して負けない競争力と魅力を身に付けてほしいといったのは、そのためです。
【最後にひとこと】
最後にエピソードをひとつ。女優の菊川玲さんが、米国の敏腕プロデューサーに「女優として成功する秘訣はなんですか?」と質問したとき、彼は「それはコミットメントだよ」と答えました。「女優を自らの天職(calling)だと自覚して、そのcallingにコミットすることが大事なんだ」というのが、数ある名俳優を輩出した彼の哲学でした。
私は、この言葉は決定的だと思っています。皆さんが世界で生じているさまざまな課題に自らが「コミット」すること。自らを「コミット」させること。皆さんが日々構想しているアイディア、書いている文章、考えている「概念モデル」が将来の政策を作っていくという自覚を持つこと、これが皆さんの大学生活をさらに豊かにすると思います。
これで「安全保障論」は終わりです。春学期間ありがとうございました。ぜひ、これからの将来、自分自身の可能性を引き伸ばして、頑張ってください。私も皆さんを応援しています。
神保 謙より
投稿者 jimbo : 09:26
2005年07月28日
第13回授業レビュー(その2)
【日本の現在の防衛政策:07大綱】
冷戦後の国際情勢の変化を踏まえ、日本は1995年9月に「平成8年度以降に係る防衛計画の大綱」(防衛大綱⇒07大綱)を策定しました。その前後に、日本をとりまく安全保障環境にも変化が生じていました。1991年のソ連邦の崩壊に伴い、極東ロシア軍が大幅に削減されたことにより、日本も冷戦期の緊張関係からは相当程度解放されました。しかし、日本周辺の安全保障環境は、むしろ緊張を高めていきました。1993~94年には朝鮮半島の核開発問題をめぐる緊張が高まり、「米軍の軍事行動まであと一歩まできていた」(ペリー国防長官:当時)状況にありました。さらに日本国内では、1995年に阪神淡路大震災、東京では地下鉄サリン事件が起こりました。日本の周辺、日本国内の双方から「安全」に関する価値観を大きく問われた時期だったわけです。
このような背景で策定された「07大綱」には、三つの大きな特徴がありました。第一は、1978年に策定された防衛大綱のコンセプトである「基盤的防衛力」構想を、07大綱でも踏襲したということです。「基盤的防衛力」とは「自らが力の空白となって周辺地域の不安定要因とならないよう、独立国として必要最小限の基盤的な防衛力を保有する」という考え方です。かねてより、「力の空白論」と「必要最小限の防衛力整備」には矛盾する論理(第11回レビューを参照すれば、前者は絶対性・後者は相対性による論理なのです)が指摘されていましたが、この基盤的防衛力は政治的に便利(日本の平和主義に沿った防衛力であることを内外にアピールしながらも、防衛力整備を進めることができる)な概念であることから、改訂されることなく踏襲されていきました。
第二の特徴は、控えめながらも「周辺地域への対応」「国際平和協力」といった、日本の領域外での自衛隊の活動を銘記したことです。しかも07大綱当時では「周辺事態への対応」という言葉が刺激的過ぎて記載することができず、「大規模災害など各種事態への対応」(笑)という項目の中に、しれっと「周辺地域でわが国の平和と安全に重要な影響を与えるような事態が発生した場合は、憲法と関係法令に従い、必要に応じて国連の活動を適切に支持しつつ、日米安保体制の円滑かつ効果的な運用を図ることなどで適切に対応する」と書き込んだわけです。後者の「国際平和協力」については、1993年に日本がはじめて国際平和維持活動(PKO)に参加したことを契機に、自衛隊の任務として国際平和協力をより積極的に推進していく姿勢を打ち出しました。
第三の特徴は、防衛力の規模と機能の見直しを「合理化・効率化・コンパクト化」というコンセプトの下に進めることを謳ったことです。これは、必要な機能の充実と防衛力の質的な向上を図ることで、多様な事態に有効に対応し得る防衛力を整備し、同時に、事態の推移にも円滑に対応できるよう適切な弾力性を確保し得るものとすることが適当であるという考え方です。日本の財政的な制約の中で、新しい転換は常にスクラップ・アンド・ビルドによって達成しなければならない、という今日まで引き継がれていく考え方ですね。
【現在の防衛政策:新大綱の特徴】
さて、「07大綱」から10年経った2004年12月に「平成17年度以降に係る防衛計画の大綱」(新大綱)が閣議決定されました。この10年間にも、安全保障環境は刻一刻と変動を続けました。1996年には台湾海峡における中国人民解放軍の大規模ミサイル演習があり、1998年には北朝鮮からテポドン・ミサイルの試射がありました。そして、2001年には米国における同時多発テロ事件が起こり、その後米国は「対テロ戦争」という新しい軸のもとで、安全保障政策を改編していくことになります。安全保障環境の大きな変化に、日本の防衛力整備がどう対応していくべきか、その答えを出したものが新大綱であるといえるでしょう。
日本政府は、その間に「周辺事態法」(1999年)、「対テロ特別措置法」(2001年)、「イラク支援特別措置法」(2003年)、「有事関連法制」(2003年)、など、グローバル・リージョナル・ナショナルの三つの空間における自衛隊の役割を規定していきました。
このような過程の中で、防衛庁は「防衛力に関するあり方検討会議」という内局の検討会を中心に防衛大綱見直しの作業を進め、その成果を示したのが2003年12月の「弾道ミサイル防衛の整備等について」でした。この閣議決定の中で、日本政府は弾道ミサイル防衛(BMD)の導入を決定すると同時に、「我が国の防衛力の見直し」という項目の中で陸・海・空自衛隊の全般的な見直しを提言しました。これが、日本版トランスフォーメーションのあり方を示す、重要な決定となりました。
2004年10月には首相官邸での諮問機関である「安全保障と防衛力に関する懇談会」(座長:荒木浩東京電力会長)が、最終報告書を提出し、①伝統的脅威と非伝統的脅威の「あらゆる組み合わせ」が存在する国際情勢、②「多機能弾力的防衛力」の導入、③国際平和協力任務の主任務への格上げ、④武器輸出三原則の柔軟運用、などを提案しています。この資料は、将来の日本の防衛力の方向性を示す文書ですので、ぜひ熟読してみてください。
このような経緯をへて、2004年12月に「平成17年度以降に係る防衛計画の大綱」が策定されました。すでに上記二つの文章で相当レールが敷かれた上に出された大綱だったので、あまりその内容を繰り返すことはしません。重要なのは、①伝統的脅威に加え、非国家主体の脅威を日本の脅威認識として認識していること、②「基盤的防衛力」について「その有効な部分は継承しつつ」(わけわからん文章だけど・・・)、新たな脅威に対応する能力を具備する必要があり、その内容として「即応性、機動性、柔軟性及び多目的性を備え、軍事技術水準の動向を踏まえた高度の技術力と情報能力に支えられた、多機能で弾力的な実効性のあるものとする」こと、③そして国際情勢認識としては、リージョナルな不安定要因としての朝鮮半島や台湾海峡、将来の中国の軍事動向などが挙げられ、これに対し独自の防衛力整備、日米安保体制の充実化によって対応していくこと、④そして最後にBMD導入に伴う防衛構想の変化、厳しい財政の中で日本の防衛力の多機能化を図っていくこと、等が今回の防衛計画の大綱の柱ということになります。
日本の防衛政策も、徐々にグローバル・リージョナル・ナショナルの三空間における役割を規定しつつあります。ただし、①日本の憲法と安全保障政策との関係、②一般法としての「安全保障基本法」のあり方、③逼迫する財政の中での防衛力整備のあり方、などについて、まだまだ多くの課題が残っているのが実情です。防衛計画の大綱は、今後数年内にも再度の見直しが行われる予定ですが、今回十分に概念化できなかった内容について、さらなる検討が続けられています。
(つづく:次回が最後です)
投稿者 jimbo : 18:37
2005年07月15日
第13回授業レビュー(その1)
【イギリスにおける同時多発テロについて】
最終回の安全保障論も、平穏無事に済ませることはできませんでした。世界の情勢は刻々と動いており、数ヶ月前に学んだことが、すでに新しい事件によってオーバーライドされたり、仮説の再構成を迫られたりします。また、この授業を通して学んできた新しい安全保障の枠組みを、日々の事件を通して再確認・再構成しなければなりません。
7月7日にロンドンで発生した同時多発テロ事件は、国際テロリズムの脅威が依然として大都市圏を破壊する能力があることを実証したものでした。今回のロンドンの地下鉄・バスを標的とした4件の同時多発テロ事件で、3件の地下鉄爆破の発生時刻については、午前8時50分前後1分間という、きわめて綿密・正確な犯行でした。3ヶ所の遠隔地での同時発生およびおよその爆発規模から、時限付高性能爆弾(14日のロンドン警視庁の発表では4件とも自爆テロと断定されました)であると推定されています。
G8サミット開催時期に合わせた犯行、同時多発テロという手法、高性能爆弾の調達等の特徴において、現在のところアルカイダ系組織の犯行であることが最有力視されています。今日(15日)までに4人の英国籍の実行犯が特定されていますが、彼らがアルカイダとどう結びつき、セルを形成していたのかは不明です。犯行後の7日には「欧州の聖戦アルカイダ秘密組織」、また9日には「アブ・ハフス・アル・マスリ隊」が犯行声明を出していますが、ネットワーク化された組織の性質上、複数の組織からの犯行声明がでることは不思議ではありません。
第10回の授業でも紹介したように、アルカイダは「階層型組織」ではなく「自律分散化組織」で、複数の幹部と、それを取り巻くセルが複雑に結びつき、ミュータント的に再組織化される特徴を持っています。なぜA国内のセルとB国内のセルが結びついているのか、どのように武器や爆弾が移転されているのか、その全貌は十分につかめていません。あるセルは幹部と密接に結びつき、他のセルは全く幹部とつながりがないにもかかわらず、共通の行動をとったりもします。また、各セルをとりまくサポーター(スリーパー・セル)や、アルバイト的な実行役の存在・・・これがアルカイダの複雑な特徴です。
今回の事件を通して、現在のアルカイダがどのような状況にあるのかを類推することは、今後の対テロ対策を考えるにあたり、きわめて重要です。私自身の見方は以下の4点です。
- アルカイダは組織的に弱体化し、幹部の指令機能が低下し、有力セル間のネットワークも相当遮断された状況にある
- 通常兵器・高性能爆弾の保有・移転・調達には依然として優れているが、大量破壊兵器の調達には成功していない
- しかしながら、分散化したセルが能力を向上させ、散発的にテロを起こす構造が強まっている
- そして「新世代テロリスト」が組織化され、旧来のセルとの結びつきを深めるという新しい現象が起きている
というものです。とりわけ、今回「アルカイダ組織学」として重要な発見は、先進民主主義国の都市住民が、アルカイダと深く結びつき、自爆テロを行ったということにあります。以下、分析してみましょう。
【都市内包型・新世代・ファンドレイジング型のテロリズム】
今回のロンドンのテロリズムを読み解くキーワードは、「都市内包型」「新世代ソーシャル・ネットワーキング型」「ファンドレイジング型」の3つである、と私は考えています。
「都市内包型」とは、(先進民主主義国の)都市住民が、都市内部に潜伏、組織化、武器の調達、テロ計画を行うタイプを指します。ニューヨーク(9.11事件)やマドリード(列車爆破事件)のように、都市郊外でテロが計画・組織化され、都市中心部を狙うタイプとは異なり、まさに都市内部で生まれ育った住民が、自爆テロリストとなるケースが出現したことが、今回の特徴でした。
「新世代ソーシャル・ネットワーキング型」とは、もともと「自律分散型」であったアルカイダから、若年世代によるミュータント的な再組織化が始まっていることを示します。先般のG8の共同声明にも「新世代テロリスト」の組織化への懸念が表明されていますが、14日のロンドン警察の発表により18歳・22歳の英国中部在住の英国籍男性が特定されたことは、こうした懸念が表面化したことを意味しています。彼らのアルカイダ系幹部や他のセルとの結びつきは現時点ではよくわかりませんが、欧州系アルカイダの過激化の一方で、新しい若手の再組織化が始まっているようです。これまでの説では、アルカイダ系セルのリクルートには、イスラムモスクのコミュニティが一定の役割を果たしていましたが、「新世代」のセルはインターネットによるソーシャル・ネットワーキング(SNS)のような、緩やかな組織化の傾向が現れているようです(インターネット・サイトで知り合った人々の間のコミュニティ形成に近いモデルが、アルカイダにも浮上している)。
最後に重要なのは「ファンドレイジング」です。多くの専門家によれば、2001年以来の世界規模での対テロ戦争の結果、アルカイダ系組織の弱体化も一般傾向となっているようです。幹部・各地域組織(セル)・連絡組織・実行組織がネットワーク化しているのがアルカイダの特徴ですが、近年の掃討作戦の結果、指令機能を果たす幹部が顕著に弱体化しているようです。また、グローバルなリクルート、訓練、武器調達などの役割を果たす「ハブ・セル」同士の結びつきが遮断され、その結果として「セル」は各地に小規模分散化しているという見方が強まっています。そのため、アルカイダの組織的な資金獲得がきわめて難しくなり、各地域セルが散発的なテロを繰り返しながら、ファンドレイズを行っている構造が浮上している模様です。つまり、スポンサー(テロリスト・パパ)が、資金を落とす場所として、昔は有力幹部だったのが、今は「テロを実行できる個人・グループ」に変わったということですね。有力セル同士のネットワークが遮断され、各セルが分散化すれば、当然個別のセルは自己財源に頼る。対テロ戦争の現段階は、「有力なグローバルネットワークは遮断されつつあるが、各地に分散化したセルが散発的にテロを起こす」状況と理解できるかもしれません。
以上の仮説が正しければ、規模は小さくても欧州・中東・北米・アジアにおいて、今後も小・中規模のテロが頻発する可能性は高いといえます。テロを繰り返しながら、テロに親近性を持つ富豪や企業等からの資金を集めるという手法が、今後も繰り返されると考えられるからです。
もうひとつ、今回のロンドンの地下鉄・バスを狙ったテロリストが用いたのは従来型の爆弾であり、核・化学兵器・生物兵器等の大量破壊兵器(WMD)ではありませんでした。9.11事件以降、アルカイダ系組織の大量破壊兵器使用の可能性は常に指摘されてきましたが、、地下鉄という格好の環境に合わせたテロ(東京の地下鉄サリン事件を参照)にも関わらず、依然として同時爆破という手法にとどまっています。今回のような組織性・計画性の下でもWMDが使用されないということを鑑みれば、国際社会の大量破壊兵器の開発・移転阻止は現在のところ一定の成果を挙げている(?)と評価できると思います。
【国際社会・日本の対応について】
G8の「テロ対策に関するG8共同声明」では「動機にかかわらず、いかなるテロ行為も非難する」と表明し、とくに「新たな世代のテロリストの出現」を国際的な枠組みで予防することや、国際テロ対処能力の強化が掲げられました。
今回の対テロ共同文書について新しい視点は、「対テロ対策としてのアフリカ支援」と「新世代テロリストの出現防止」にあります。G8によるアフリカ支援はかねてからの重要議題でしたが、今会合ではとりわけアフリカに破綻国家とテロリストの聖地をつくらないことが強調されました。
日本においてもODA運用の見直しの中でアフリカ支援が強調されていますが、これを「対テロ対策」という視点から再構築することが重要なフェーズに入ってきました。例えば、アフリカ開発におけるAUのキャパシティ構築、さらに政情不安定なスーダン・ソマリア・エチオピア・ジンバブエ等に関する「対テロ・コンディショナリティ」という政策枠組みを設定してもいいかもしれません。
また「新世代テロリストの出現防止」については、今後世界中で頭をひねる必要があります。そもそもアメーバー型の組織であったアルカイダが、インターネット上のコミュニティ形成の中で、さらに潜伏する可能性が高まっているからです。今回の共同声明の中で、「テロリストが過激化の実施や勧誘の促進のために、インターネットをどのように使うのかについて分析している」と記述されているのは、G8が「新世代テロリスト」の組織化の動向に強い懸念を表明していることが伺えます。今後の対テロ対策は、新しいテロ・コミュニティの形成への対応という段階に入っていくことが予想されます。
以上が、現時点でロンドンの同時多発テロから読み解くことのできる現象でした。今後も、多くの情報が出現し、場合によっては上記仮説も大きく覆される可能性があります。今後のテロ対策のためには、現在のアルカイダの姿を可能な限り正確に把握する必要があります。そして日本を含む都市圏では、「テロを成功させない」ための、防護体制をさらに整えていく必要があるでしょう。
(つづく)
投稿者 jimbo : 04:46
2005年07月13日
第12回パワーポイント
第12回パワーポイント(大塚一佐による講演のppt)はこちらです。
1学期間、どうもありがとうございました。
安全保障論SA一同
2005年07月12日
第13回パワーポイント
第13回パワーポイントはこちらです。
2005年07月06日
第12回講義レビュー
第12回の安全保障論は特別講義として、防衛庁海上幕僚監部教育班にご勤務されている、大塚海夫・一等海佐が担当しました。当日は海幕の制服をビシっと着こなして登場し、口調滑らかに講義をしていただきました。大塚一佐と私とは3年来のお付き合いで、ちょうどフロリダ州・タンパの米中央軍(CENTCOM)に主席連絡官として派遣される前に、防衛政策に関連する勉強会で知り合いました。海上自衛隊の幹部としてかねてより部隊で活躍していましたが、ジョージワシントン大学への留学や、西太平洋海軍シンポジウム(WPNS)等への参加を通じて、国内外の研究者・専門家とのつながりも深い、学究肌の一面も持ちあわせています。
タンパでの大役を果たしたのちに、「安全保障論」の授業に招くことができて良かったと思っています。大塚一佐には今回の特別講義にあたり、これまでの11回の「安全保障論」の講義資料にすべて目を通していただきました。おかげで、これまでの授業内容・講義の進展を踏まえつつ、日米関係の歴史、自衛隊の現場での経験、海上自衛隊と米海軍との特別な関係、Global Military Player としての日本の姿などを、話していただきました。
ちなみに、今年の3月に特別講義をお願いするために、防衛庁にて大塚一佐とお会いし、いろいろと興味深いお話を聞くことができました。第12回のレビューは、イレギュラーな形ですがそのときに懇談した内容を中心にお送りします。
【コアリション・ビレッジの経験】 (以下の原文は個人ブログより)
3月下旬の暖かいお昼どきに、市ヶ谷・防衛庁の最上階にある食堂で、海幕の大塚一佐と昼食をご一緒しました。大塚一佐は2002年11月から2003年5月まで、フロリダ州・タンパにある米中央軍(CENTCOM)に主席連絡官として派遣された、知る人ぞ知る実力者です。大塚一佐とは、ある勉強会で2002年から知り合い、当時の東アジアにおける多国間軍事演習の動向について、よく議論した仲でした。その直後に、アフガン戦争・イラク戦争のオペレーションをつかさどるCENTCOMに日本を代表して派遣されることになり、知人としてとても誇らしく思ったものでした。
CENTCOMって何?と思うかもしれませんが、米軍には責任区域(Area of Responsibility:AOR)という概念があり、例えば在日米軍はハワイに司令部のある太平洋軍(PACOM)の管轄下にあります。この図(Global Securityウェブサイトより:やや重いです)をみるとわかるとおり、太平洋軍は太平洋全域からインド洋を経てアフリカ東岸マダガスカルまでを含む地域を担当しているんですね。そして、アフガン戦争「不朽の自由作戦」(OEF)とイラク戦争「イラクの自由作戦」(OIF)を担当した中央軍(CENTCOM)は、アフリカ北東部から中東・中央アジアを担当していることになります。その司令部がフロリダ州のタンパにあるというわけです。
CENTCOMのフランクス司令官は、OEFとOIFの双方で各国との調整を進めるために、タンパに「コアリション・ビレッジ」を開設しました。ここで、双方のオペレーションの参加国と米軍との連絡を緊密化するために、いわば「有志連合」の縮図があったわけです。各国はCENTCOMの司令部の横に建てられたトレーラーハウスを事務所代わりにして、ワシントンの大使館と本国との連絡を行う窓口にもなったわけです。大塚一佐には、半年の充実した仕事ぶりや苦労話など、貴重な経験を聞くことができました。
2002年末から2003年夏といえば、まさに米国がイラク戦争の開戦に向かって突き進んでいた時期。この時期に、中央軍の連絡官としてどのように情報をとり、そして米軍と他国軍との信頼関係をいかにつくりあげるか、まさに「軍と軍との外交」を取りまとめていました。
ただ日本はイラク戦争に否定的な世論だったし、フセイン政権崩壊後のイラクへの自衛隊派遣についても支持は薄かった。そして受け入れているCENTCOM自身も、PACOMと違って日本の特殊事情はわからない。ハワイに行けば日本の戦後の経験や政治状況に詳しい軍人も多いが、遠く離れた中央軍には「日本の事情などさっぱりだった」といいます。これをわかってもらうために、「まさにマッカーサーとGHQの話からはじめましたよ(笑)」と苦笑してました。というのも、「コアリション」の実態は条約関係というより、むしろ意志と実力の世界。「日本が派遣できないのだったら、スロベニアに頼もうかという世界です」とのこと。つまり、日本がもたついているとコアリションの枠組みからは、すぐに落ちてしまう可能性が常にあったというわけですね。
「まあ、日本はいろいろあるようだから、二国間で個別に話をしよう」と米側がいうのが、「悪魔の誘いでした」という。というのも、そのバイラテラルの交渉に持ち込まれたら、多国間調整の場から外れるということだから、そこで日本は情報共有などの点で大きく遅れをとってしまうというわけですね。でも、日本の法整備は進んでなかったし、政治的な意志の発揮も夏の「イラク支援法」を待たなければならなかった。その間に、多くの国が部隊を派遣し、お隣の韓国でも700人ほどの医療部隊を派遣していた。その過程でも、日米関係や多国間関係の信頼性を維持しなければならない。こうした難しい責務を日々感じていたといいます。
阿川尚之先生の「米中央軍司令部と『有志連合』をたずねる」『中央公論』(2003年8月号)でも紹介されているように、大塚一佐は「コアリション・ビレッジ」の人気者だったようです。CENTCOM参謀長にも気に入られ、他国の多くの連絡官とも信頼関係をつくり、コアリション各国の仕事ぶりを観察し、分析するという仕事を綿密に続けていたみたいです。その結果、コアリション・グループの副議長に当選したり、相当の人望を集めていたということは、あまり知られていないのかもしれません。「各国がイラクのどの地域に部隊を派遣しようとしているか足で情報をとり、数週間で地図がちゃんと埋まりましたよ」ってすごすぎる・・・。これが、日本がイラクのサマワという責任区域を選ぶ上でどれだけ役立ったか、実は計り知れないソフト・パワーだったのかも知れませんね。
そして、日本がCENTCOMの「コアリション・ビレッジ」に参加したことは、将来の日本の安全保障政策にとっても重要な意味を持つかもしれません。というのも、CENTCOMでの経験は、日本の周辺で将来起こる事態への、ひとつのモデル・ケースになるかも知れないからです。ハワイ(日本ということは考えにくいけど)に「コアリション・ビレッジ」が開設され、そこで「周辺事態」に際し各国が集まって対応する、という局面も想定されるかもですね。そんなときに、CENTCOMでの組織的記憶とノウハウの蓄積が、今後の日本の政策をどれだけ助けることか。こうしたことまで想定して、安全保障政策を考える発想が大事なのだなと、勉強できた気がしました。
〔リーディング・マテリアル〕
[1] 大塚海夫「タンパで自衛隊も”メジャー”になる」『諸君』(2004年4月)
[2] 阿川尚之「米中央軍司令部と『有志連合』を訪ねる」『中央公論』(2003年8月)
〔さらなる学習のために(日本語)〕
[1] 細谷雄一「米欧関係とイラク戦争--冷戦後の大西洋同盟の変容」『国際問題』(2003年9月)
[2] 渡邊昭夫「有志連合、国連、それでも機軸は日米だ」『中央公論』(2003年8月)
[3] 渡邊昭夫「新世紀における同盟のニューフロンティア」『外交フォーラム』(2001年11月)
〔さらなる学習のために(英語)〕
[1] Kurt M. Campbell, "The End of Alliances? Not So Fast" Washington Quarterly (Spring 2004)
[2] Bruno Tertrais, "The Changing Nature of Military Alliances" Washington Quarterly (Spring 2004)
[3] Paul Dibb, "The Future of International Coalitions: How Useful? How Manageable?" Washington Quarterly (Spring 2002).
投稿者 jimbo : 17:22
2005年07月01日
最終レポート課題
以下5つのテーマから、1つを任意選択(または自由な政策課題を設定)し、
下記の要領にしたがって最終レポートを作成してください。またレポートの
末尾にどのような参考文献・論文・資料を使用したのかを列記してください
1. 米軍再編と日米同盟
2. 北朝鮮の核問題を解決するための政策的選択肢
3. 中国の台頭と東アジアの安全保障
4. 国際テロリズムの脅威と対テロ対策のあり方
5. 今後日本のあるべき防衛力について
6. (自由な政策課題の設定)⇒「安全保障論」と関連させること
締め切り : 2005年7月27日(水)*
言 語 : 日本語または英語
文字数 : 3000字以上 無制限(日本語)
1500WORD以上無制限(英語)
使用ソフト: Microsoft Word
注意事項 : 本文冒頭に必ず選択課題、所属、氏名を明記すること
*レポートシステムの締め切り日時を7月27日(23:55)に設定してあります
履修者が多数のため、締め切り間際にはシステムが込み合うことが予想
されます。システムの不具合が発生した場合には考慮しますが、なるべく
余裕をもって提出することをお薦めします
Word添付ファイルにてレポート・システム(https://report.sfc.keio.ac.jp/)
に提出してください。ファイル名は提出者本名をフルネームで記述してください
(例:Ken Jimbo.doc)
*最終レポートについて何か不明な点や、質問などがある場合には
担当者までメール等でご連絡ください