ネットワークはねむらない
 
1. ネットワーク、まずはリンクが大切
2. ネットワークは、ねむらない
3. ネットワークは、身体に装着される
4. ネットワークは、境界を無視する
5. ネットワークは、グローバル・シチズンを求める
6. ネットワークは、情報発信をしない
7. ネットワークは、情報所有を求めない
8. ネットワークは、ボランティアを求める
9. ネットワークは、ポップメディアだ(自由の参加)
10. ネットワークは、ポップメディアだ(編集の参加)
11. ネットワークには、アバンダス(豊かさ)がにあう
12. ネットワークは、既存のコミュニケーション論では解けない
13. ネットワークは、匿名性(マス)を嫌う
14. ネットワークは、マッチングが命
15. ネットワークは、無数の物語をつくりだす
16. ネットワークは、信頼関係の根拠を自己責任に求める
17. ネットワークは、個人をかえる
18. ネットワークは、コミュニケーションのモードを多様化する
19. ネットワークは、行動ではなく、情報の論理に生きる
20. ネットワークは、エイジェントによって自己の拡張をもたらす
21. 携帯家族のすすめ
22. 新しい家族の絆---幻想から構造へ--
23. 専業主婦は、もういない
24. 恋愛の絆では、ネットワークを維持できない
25. 第3の絆、友情で家族は生成できるのか?

9.ネットワークは、ポップメディアだ。(参加の自由)

ネットワークは、つなぐという点では、メディア(媒介)である。では、どんなメディアなのか、というと、それは『ポップメディア』だ、といいたい。なぜか。 ポップメディアであることの条件の1つは、誰でも参加できる、ということ。上手-下手のように、なんらかの制約を設けるようなルールを無視して、自分が好き勝手に何でも思うように表現でき、それが、すべての人に公開できる、ということ。「表現の自由」と「公開の原則」からなる、『参加の自由』が、まずは重要である。

今までのメディアでは、プリントものにしろ、映像にしろ、プライベートの世界ならばともかく、パブリックの世界では、ある種のフィルターがかかって、誰でも参加できる、ということはなかった。うまい人、偉い人、専門家じゃないと、メディアには載せられなかった。ホームビデオならば、かまわないし、自分だけのアルバムの世界に閉じこめるだけの写真なら、かまわないし、日記をつけるだけならば、どんなテキストを書いても、誰も文句は言わなかった。すべては、プライベートとパブリックという境界を守り、そのなかで、ひっそりとプライベートに楽しむならば、なにをしても許された。しかしいったんその境界を無視して、パブリックの世界に公開すると、一気にバッシングが待っていた。これは、プロの芸じゃないんだから、駄目だよ、というわけだ。

しかしネットワークには、プライベートもパブリックもない。基本的に、ネットワークには境界はない。すべては、ぐずぐずである。明確な境界を引かないことがネットワークの本質である。とすると、ここには、上手だから載せる、下手だから載せない、というルールは意味を失う。つまり、ネットワークは、電話のようにプライベートメディアでもないし、テレビのようにパブリック(マス)メディアでもない。ネットワークでは、どんなものでも、参加自由である。誰が何を載せても、かまわない。これが基本である。ネットワーク上での公開を前提に、何を載せてもいいという表現の自由を守ることが、参加の自由の原則である。これが、ポップメディア成立の第1の条件である。プライベートな表現の自由と、公開というパブリックな原則が保証されるところに、ネットワークの存在意義がある。ネットワークがポップメディアだ、という意図は、したがって、プライベートとパブリックの境界を超えたところに設定される、まったく新しい参加方式の提案なのである。