9.ネットワークは、ポップメディアだ。(参加の自由)
ネットワークは、つなぐという点では、メディア(媒介)である。では、どんなメディアなのか、というと、それは『ポップメディア』だ、といいたい。なぜか。 ポップメディアであることの条件の1つは、誰でも参加できる、ということ。上手-下手のように、なんらかの制約を設けるようなルールを無視して、自分が好き勝手に何でも思うように表現でき、それが、すべての人に公開できる、ということ。「表現の自由」と「公開の原則」からなる、『参加の自由』が、まずは重要である。
今までのメディアでは、プリントものにしろ、映像にしろ、プライベートの世界ならばともかく、パブリックの世界では、ある種のフィルターがかかって、誰でも参加できる、ということはなかった。うまい人、偉い人、専門家じゃないと、メディアには載せられなかった。ホームビデオならば、かまわないし、自分だけのアルバムの世界に閉じこめるだけの写真なら、かまわないし、日記をつけるだけならば、どんなテキストを書いても、誰も文句は言わなかった。すべては、プライベートとパブリックという境界を守り、そのなかで、ひっそりとプライベートに楽しむならば、なにをしても許された。しかしいったんその境界を無視して、パブリックの世界に公開すると、一気にバッシングが待っていた。これは、プロの芸じゃないんだから、駄目だよ、というわけだ。
しかしネットワークには、プライベートもパブリックもない。基本的に、ネットワークには境界はない。すべては、ぐずぐずである。明確な境界を引かないことがネットワークの本質である。とすると、ここには、上手だから載せる、下手だから載せない、というルールは意味を失う。つまり、ネットワークは、電話のようにプライベートメディアでもないし、テレビのようにパブリック(マス)メディアでもない。ネットワークでは、どんなものでも、参加自由である。誰が何を載せても、かまわない。これが基本である。ネットワーク上での公開を前提に、何を載せてもいいという表現の自由を守ることが、参加の自由の原則である。これが、ポップメディア成立の第1の条件である。プライベートな表現の自由と、公開というパブリックな原則が保証されるところに、ネットワークの存在意義がある。ネットワークがポップメディアだ、という意図は、したがって、プライベートとパブリックの境界を超えたところに設定される、まったく新しい参加方式の提案なのである。
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