ネットワークはねむらない
 
1. ネットワーク、まずはリンクが大切
2. ネットワークは、ねむらない
3. ネットワークは、身体に装着される
4. ネットワークは、境界を無視する
5. ネットワークは、グローバル・シチズンを求める
6. ネットワークは、情報発信をしない
7. ネットワークは、情報所有を求めない
8. ネットワークは、ボランティアを求める
9. ネットワークは、ポップメディアだ(自由の参加)
10. ネットワークは、ポップメディアだ(編集の参加)
11. ネットワークには、アバンダス(豊かさ)がにあう
12. ネットワークは、既存のコミュニケーション論では解けない
13. ネットワークは、匿名性(マス)を嫌う
14. ネットワークは、マッチングが命
15. ネットワークは、無数の物語をつくりだす
16. ネットワークは、信頼関係の根拠を自己責任に求める
17. ネットワークは、個人をかえる
18. ネットワークは、コミュニケーションのモードを多様化する
19. ネットワークは、行動ではなく、情報の論理に生きる
20. ネットワークは、エイジェントによって自己の拡張をもたら。
21. 携帯家族のすすめ
22. 新しい家族の絆---幻想から構造へ--
23. 専業主婦は、もういない
24. 恋愛の絆では、ネットワークを維持できない
25. 第3の絆、友情で家族は生成できるのか?
12.ネットワークは、既存のコミュニケーション論では解けない。

既存のコミュニケーション論は、対面的(face-to-face)なコミュニケーションを前提に考えられていた。しかも、それが一般的なコミュニケーション理論を構築するときのモデルであった。そこでは、コミュニケーション状況には、たった2人しかいない。これがモデル作成の原点である。その2人が関係をもとうとするとき、どのようにしてコミュニケーションは展開されるのか。当然、情報を所有する人が、情報を所有しない人にたいして、そこでの情報落差を利用して、コミュニケーションが始動される、と考えることが自然であろう。こうして、情報所有と情報発信の考え方がコミュニケーション論の基本原則になっていった。2人が共に情報を所有していれば、「交換」という形態になるし、他方、1人しか情報を所有しない場合には、その人がコミュニケーションを一方的に支配するので、「権力」といった形態が発生することになる。どちらにしても、情報所有と情報発信から、コミュニケーション理論が作成されることに相違はなかった。

マスコミュニケーション論も、この流れにある。これは上記のコミュニケーションの権力形態の特殊ケースで、情報所有・発信の主体が放送局のようなマスメディアだけで、情報非所有・受信の主体が「大衆」という「無数のしかも匿名の人々」の集まりである、という関係で特定化されたケースである。ここでのコミュニケーションは、マスメディアが一方的に情報を所有し、それを所有しえない大衆(マス)にたいして、一方的に情報伝達してみせるだけのである。ここには、2人モデルからはみ出る問題は何もなく、大衆はマスという大量ではあっても同一の個性をもつ1つの他者でしかない。マスは、どこまでもひとりで、しかも情報を受信するだけの受動的な存在にすぎない。

このようなコミュニケーション論では、もはやネットワークを解読することはできない。ネットワークでのコミュニケーションは、1対1のダイヤドモデルではなく、無数の人々が相互に関係をもつN-Nモデルである。そこでは、すべての人は、情報探索からコミュニケーションを開始する。つまり情報を所有していないからこそ、ネットワークに参加してコミュニケーションをとろうという動機付けがなされ、そしてネットワークを介して情報探索がなされる。そのとき、ネットワークは、情報探索の支援するすることが使命である。したがって、ネットワークのコミュニケーションの基本は、情報探索と情報支援のセットから構成されなければならない。その時、情報支援は、情報探索を開始した人にたいして、個人的な関係の有無に関係なく、ネットワークを介して自動的に情報支援がなされる。メタファを使えば、「独り言の世界に無数の自動人形が応答してくれる」ような関係である。ネットワークの壁に向かって、「助けて!」と叫べば、ネットワークは、ふさわしいお助けマンを紹介してくれるのである。こうして、パブリックな関係を通して、もっともプライベートなニーズが満たされる装置がネットワークのコミュニケ?ションなのである。