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12.ネットワークは、既存のコミュニケーション論では解けない。
既存のコミュニケーション論は、対面的(face-to-face)なコミュニケーションを前提に考えられていた。しかも、それが一般的なコミュニケーション理論を構築するときのモデルであった。そこでは、コミュニケーション状況には、たった2人しかいない。これがモデル作成の原点である。その2人が関係をもとうとするとき、どのようにしてコミュニケーションは展開されるのか。当然、情報を所有する人が、情報を所有しない人にたいして、そこでの情報落差を利用して、コミュニケーションが始動される、と考えることが自然であろう。こうして、情報所有と情報発信の考え方がコミュニケーション論の基本原則になっていった。2人が共に情報を所有していれば、「交換」という形態になるし、他方、1人しか情報を所有しない場合には、その人がコミュニケーションを一方的に支配するので、「権力」といった形態が発生することになる。どちらにしても、情報所有と情報発信から、コミュニケーション理論が作成されることに相違はなかった。
マスコミュニケーション論も、この流れにある。これは上記のコミュニケーションの権力形態の特殊ケースで、情報所有・発信の主体が放送局のようなマスメディアだけで、情報非所有・受信の主体が「大衆」という「無数のしかも匿名の人々」の集まりである、という関係で特定化されたケースである。ここでのコミュニケーションは、マスメディアが一方的に情報を所有し、それを所有しえない大衆(マス)にたいして、一方的に情報伝達してみせるだけのである。ここには、2人モデルからはみ出る問題は何もなく、大衆はマスという大量ではあっても同一の個性をもつ1つの他者でしかない。マスは、どこまでもひとりで、しかも情報を受信するだけの受動的な存在にすぎない。
このようなコミュニケーション論では、もはやネットワークを解読することはできない。ネットワークでのコミュニケーションは、1対1のダイヤドモデルではなく、無数の人々が相互に関係をもつN-Nモデルである。そこでは、すべての人は、情報探索からコミュニケーションを開始する。つまり情報を所有していないからこそ、ネットワークに参加してコミュニケーションをとろうという動機付けがなされ、そしてネットワークを介して情報探索がなされる。そのとき、ネットワークは、情報探索の支援するすることが使命である。したがって、ネットワークのコミュニケーションの基本は、情報探索と情報支援のセットから構成されなければならない。その時、情報支援は、情報探索を開始した人にたいして、個人的な関係の有無に関係なく、ネットワークを介して自動的に情報支援がなされる。メタファを使えば、「独り言の世界に無数の自動人形が応答してくれる」ような関係である。ネットワークの壁に向かって、「助けて!」と叫べば、ネットワークは、ふさわしいお助けマンを紹介してくれるのである。こうして、パブリックな関係を通して、もっともプライベートなニーズが満たされる装置がネットワークのコミュニケ?ションなのである。
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