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18.ネットワークは、コミュニケーションのモードを多様化する。
最近不倫メールが流行る、といわれる。その倫理的な評価は、ここでは問わない。重要なことは、メールでのコミュニケーションは、直接に会う対面的なコミュニケーションとか、長電話でのおしゃべりとか、手紙でのやりとりと、どこが違うのか、を考えることである。
リアルタイムでのコミュニケーションは、対面でも、電話でも、チャットでも、すぐさま相手に反応しないと、リアルタイムであることの意味がない。同時でしかも双方向的なコミュニケーションでは、双方がお互いに瞬時に反応しあう能力が期待されている。だから、とっさの機転のきく人でないと、その場を支配できないし、別の表現をすれば、しゃれたコミュニケーションを楽しむことはできない。すぐに何と応えればいいのか、その機微が理解できない人にとって、このコミュニケーションはつらい。
よく、対面のコミュニケーションは、すべてのコミュニケーションの基本だ、と思われているが、それは違う。少なくともネットワーク環境を前提にしたコミュニケーションでは、リアルタイムのコミュニケーションは、一つのモードにすぎない。チャットも、ここでは、対面的な会話と同じで、リアルタイム・モードであり、空間を共有する通常の対面と同じ機能を果たすコミュニケーション・モードである。ネットワーク環境では、空間的な距離は意味を失うので、対面も、チャットも、リアルタイムのコミュニケーション・モードという点では同じである。もちろん、その先駆はすでに電話にあり、学校でおしゃべりして、家に帰ってからもその続きを長電話でする、典型的な女子学生は、距離を無視すれば、全く同じことをしているのである。それは、リアルタイムのコミュニケーション・モードなのである。
これにたいして、昔から手紙というモードもあった。これは、リアルタイムのコミュニケーションを求めない。その意味では、もう一つの新しいコミュニケーションのモードである。ここには熟慮する時間がある。返事を書くのにじっくりと時間をかけることができる。ラブレターがいい例で、相手になんと応えればいいのか、最適なフレーズを探すのに1週間をかけても、相手は怒らない。そのくらいの時間をかけたほうが、ラブレターの価値は高まるものである。安易に返事を書くことは、戦略的にも好ましいものではなかろう。
手紙のようなコミュニケーションは、十分な時間をかけて応えることができる。手紙には、相手との空間的な距離が長いから、それだけ時間がかかり、だからその分だけ社会心理的な距離が長い、という論理がある。距離がゼロならば、応答の時間もかぎりなくゼロに近くしなければならない。同様に、距離が長ければ、応答の時間も長くなる。ここには、空間的距離と時間の長さと心理的距離は素直に関連している。だから、手紙をもらって、あまりにも素早く返事を書くことは、ビジネスレターを除けば、失礼なことである。
しかし電子メールは違う。ここでのビジネスでは、素早い応答が期待されるが、そうでない場合は、ほどほどの時間差が楽しい。非同期の魅力がここにある。すぐには応えない、でも、ほどほどの時間で応える。そのほどほどにずれた時間差にこそ、新しいコミュニケーションの極意がある。ちょっと考える、しかしそんなに真剣には考えない。でも対面のように、安直には応えない。それなりに考える。その意味では、思考回路が十分に作動しなければならない。このレベルでのコミュニケーションは、電子メール以前には存在しなかった。だから、このレベルでのコミュニケーションが得意な人は、いままでのコミュニケーションモードでは埋もれていたのだ。やっとここで新しい自分を表現することができるようになった。喜ばしいことだ。
メールでのやりとりは、手紙のように重たくないし、対面のトークのように、直感的でもない。ほどほどなのだ。ここでは軽くて、しかしちょっと思考するコミットメントが期待されている。だから、メールでのやりとりは、ポップな感覚ですすめられる。それだけ自由度が高い。これがメールでの恋愛を新たに誘発する。新しい距離感覚が新しい関係をもたらしたのだ。
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