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15.ネットワークは、無数の物語をつくりだす。
言行一致という考えがある。これは、言うこと(情報)とやること(行動)が一致する、という意味であるが、それ以上に重要なことは、情報が行動に一致しない場合、その不一致を実践する人は、うそつき、とレッテルが貼られる、ということである。なぜなのだろう。簡単に言えば、行動が情報にたいして上位に位置するという前提があるからである。行動は、情報を集約した結果であり、結果は成果であるから、善悪や真偽などの価値判断を下す際に最優先させるべき評価基準となる、というわけである。だから、どんなにいいことをしゃべっても、実行が伴わないと、その人は、言うだけの人で、何もできない、だらしない嘘つきということになる。これが、言行一致が求める含意である。
行動の連鎖によってのみ、現実は、社会的事実となり、かつ実感となるべきだ、という考え方が自明とされるかぎり、情報は、いつも行動のために尽くす道具であり、行動と一致/不一致から判断されて、その評価の善し悪しが決定される「しもべ」にすぎない。行動が世界を構成し、個人を構成する原理である。しかも行動は、情報が提示するすべての可能性の中から「選択」させた秩序である。さらに、その選択の基準として合理性を設定したのが、いままでのモダンの社会である。だから行動で世界を構成しようとするかぎり、世界は秩序ある一つの世界=物語として存立することになる。世界は、いつも選ばれた合理的な因果連鎖の物語である。
ネットワークの社会では、言行一致は期待されない。行動は結果であったとしても、それは虚しく選択された現実/実感であり、たった一つの世界にすぎない。重要なのは、選択されなかった、無数の可能性をもった情報の多様性にある。情報の世界は、編集される以前の、無数にある世界そのものである。いかようにでも編集可能な素材の集合であり、そこから無数の物語が描き出されるデータプールである。そのデータプールが、ネットワーク環境に解放されたとき、人々は、それぞれの無数の物語を語り始めるのである。いま、ネットワーク環境のなかで無数の自分史を公開することができるようになった。無数の自分の交差のなかに、時代を見つけようとする試みがなされている。これは、客観的世界でも主観的世界でもない、まったく新しい間主観的な世界を創造する試行錯誤の実験なのである。
ネットワーク社会は、無限の物語が織りなす世界として再構成されなければならない。新しい歴史が書き換えられる時代が始まるのだ。
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