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2010年05月13日

サイバネティクスと直接性

建築雑誌 2010年2月号 の
鼎談 月尾嘉男・糸長浩司・日埜直彦 CatalogからDisciplineへ StewartBrandの展開を通して「全地球」を展望する 
を再読。

「自然と社会と工学が絡み合った多チャンネルのサイバネティクスというのは具体的に検討可能な問題設定という気がします」という日埜さんの言葉で締めくくられている。

神の視点からの全体の制御というよりは、さまさまなレベルで目標値の設定とフィードバックをしていけば、もうちょっとマシな地球になるんじゃないか。全体としてではなく、個々人や幾つかのスケールで:マルチスケールでということだろうか。

目標値やフィードバックがあると良いのは、勉強とか練習とかダイエットも同じ。そこにどうすれば直接性が生まれるだろうか。

2010年03月31日

パーソナルファブリケーションと一品種一生産

3DプリンタやCNCカッターなどの価格の低下と共に、パーソナルファブリケーションやデジタルファブリケーションの可能性が広まりつつある。

そうした流れをまとめたニール・ガーシェンフェルドによる著書「Fab: The Coming Revolution on Your Desktop--from Personal Computers to Personal Fabrication」の邦訳「ものづくり革命」の前書きでは、月尾先生が文章を寄せている。

というのも、1992年に名古屋大学から東京大学に移ってきた月尾先生はずっと建築学科の人だったのに機械工学科に入ることになり、機械工学科でやる研究として「一品種一生産」と「感性情報処理」をテーマにしたのだが、この一品種一生産の概念はパーソナルファブリケーションとほぼ同じだからだ。

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2010年03月30日

デザインの組織プレー

先ほどのエントリー「アルゴリズミックデザインと設計支援」でも触れたような、
・異なる立場(設計者/施工者/利用者/投資家)
・異なる職種やさまざまな次元・スケールのデザイナー(1D:文章やソフトウェア、2D:グラフィックや布、3D:プロダクトや建築や都市、無形物:制度やスタイル)
がチームを組んで、何かをデザインするプロセスを考えること。

それは新しいスポーツや新しいプレースタイルを発明することに近いかも知れない。

かつてのエントリー「ワークショップと個と組織と」では、丹下先生をマンUのファーガソン監督に喩えた。

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アルゴリズミックデザインと設計支援

『アルゴリズミック・アーキテクチュア』出版記念トークを拝見。
(1) http://bit.ly/dvVByL (2) http://bit.ly/bUH2rx

トーク中に変数と関数の話が出てきたので自分自身の整理と、すこし感想を。

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2010年03月09日

地形的な建築と情報空間の接点


[大西麻貴+百田有希]《夢の中の洞窟》

地形的な建築とクラウドな情報空間がつながっている様子はこんなイメージかも。と現美でDAWNの設営をしに行って、ふと思ったのだった。

入江経一 x 中西泰人 :地形的な建築へ, 新建築, Vol.76, No.5, pp.222-225, 新建築社 (2001).

いま読んでもまったく意義を失っていない。というか、こうした姿カタチをまだ実現できていないだけなのかも。

2010年03月08日

ハイブリッドデザインとマルチスケールデザイン

先週の土曜日、3月6日に街と暮らしのハイブリッドデザインコンテストの最終審査会が行われました。

最優秀賞、優秀賞、特別賞、いずれも良い意味で審査員の予想を超えて、さまざまな視点のハイブリッドデザインのかたちを見せてくれたと思いました。入賞されたみなさん、どうもおめでとうございます。応募していただいた皆様にも感謝したいと思います。

5/15(土)に受賞者のみなさんの再プレゼンを通したシンポジウムが開かれる予定です。とても楽しみにしています。

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2009年11月27日

アーキテクチャの向かう先は?学習と創造?

創造するアーキテクチャの、地盤、大地、河・川、花というメタファーの続きを。

農業が主産業の時代には治水は王様や殿様の事業だった。江戸時代には高速な物流インフラとして運河が巡らされた。
 river.addSubPath();
 river.changePath();
オブジェクト指向的な表現であれば、こう書けるだろうか。

都市工学は、こうした作業を近代的に行うものであった、と言えるかもしれない。
 new Land();
 new Town();
 land.addVerticalLand();  // 高層ビル
 land.addHorizontalLand(); // 鉄道や道路による都市の拡張
のために。

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鉛筆とTwitterとアイデアキャンプ

Twitterで世界は変わる/変わらない、といった話をさまざまなところで小耳にはさむ。

いろいろな所で紹介している、片岡義男「何を買ったの文房具。」のあとがきに、とても好きな一節がある。

あとがき

どの文房具もそれぞれに所定の機能を持っている。そしてその機能は、可能なかぎり多くの人にとって、可能なかぎりたやすく発揮させることができるよう、もっとも単純でありつつ同時にもっとも確実な作動の構造へと、転換されている。生産や創造からどんなに遠くとも、どれほど間接的であろうとも、文房具を使うあらゆる人に対して、生産や創造への関与が期待されている。人間の文明を人間が担いつつ前進させていく過程への期待が託された様子を、すべての文房具の造形に見てとることができる。文房具は人間の文明を肯定している。肯定するだけではなく、肯定に支えられた前進や展開、拡大、開拓などを、全面的に期待もしている。

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コンテンツとアーキテクチャの生態系

前提の話をどこから持ってくると良いのか分からないのだが、ORFのセッション「創造するアーキテクチャ2(濱野智史、江渡浩一郎、木原民雄、中西泰人)」で濱野さんに、コンテンツ派、アーキテクチャ派という言葉を教えてもらう。
動画はこちらに。

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2009年08月19日

マルチインフォマティクス

マルチスケールメディアを実現するためには、情報システムと都市・建築など、複数の領域の知識が必要となる。

そうした複数の領域の知識を使った並行的な設計プロセスをモデル化しようとしているのだが、それをマルチインフォマティクスと呼んでみている。

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2009年08月05日

重層し連係するメディア

先日、とあるオフィスに見学に伺った。そこでの興味深かった話が、リモートでデジタルを使って働くことと、集まってオフィスで働くことの使い分け方についての意識だった。

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2009年07月01日

話すにも練習がいる

平田オリザ, 北川達夫 ニッポンには対話がない 三省堂
を読んだ。

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2009年04月26日

ニューバビロンとアイデアキャンプ

文房具をつかって自分たちで環境を整えながら創造的な活動をオフィスだけでなく街や野外でも行おう、というアイデアキャンプ。

1957年に結成された芸術/建築/都市グループであるシチュアシオニスト・インターナショナル(SI)のメンバーであったコンスタント・ニーベンホイスによる“ニューバビロン”を参照することもできるだろう。

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2009年04月02日

拡張現実感と拡張した心に対応する現実

Augmented Realityの訳である拡張現実感。画像処理や無線タグを用いてアノテーション等を五感に提示する技術と言える。

その一方で、拡張した心(extended mind)という考え方がある。

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2009年03月17日

経験のフィールド

昨日のXDのシンポジウムでは加藤文俊さん・藤田修平さんと「経験xフィールド」というお題で話した。

フィールドへ 出かけ、
フィールドで 動く、
フィールドを デザインする

という説明で、これまでの研究内容を話す。

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2009年03月02日

多義性・網と網をつなぐ点

さまざまなメディアが編集されたある網から別の網に移動する契機を提供するには、
 結節点に多義性を持たせる
 線が重なりあった面をつくる
といったやり方があるだろう。

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点と線のまま?

都市を編集するのだとしたら、編み物なのか織物なのか。その編む密度によって網と布の違いのように、面として機能が違ってくる。

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編む前の道具

ソフト・ハードを混在させながらマルチスケールで都市を編集する。その前の段階で、素材を作ったり集めたりする作業が発生する。最初からある素材をみつけたり、編むための素材をつくったり。

そのため作業や道具にも名前をあてはめてみるとどうなるだろう?編む前だから紡ぐのかもしれないけど、アトリビュートリスティングしてみる。

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マルチスケールメディアにおける接続性と持続性

マッシュアップ的に都市を編集する+それをアジャイル的に実践*実験のサイクルを回していく。インフラとして大規模なシステムが稼働していて、そのプラットフォーム上で連動するライトなアプリケーションやメディアや空間達をつくる。

時間的経過の中で空間をバージョンアップしていくための仕組み。

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2009年02月25日

都市を編むための道具

City Compilerはハードな都市にソフトなアーキテクチャを編み込むための開発環境:道具である。

(現在の日本の)都市は計画するものではなくなり編集するものへと変わりつつある、という認識を持っておられる方々の書籍としては、
 大野 秀敏, JA 63, TOKYO2050 fiber city 縮小する東京のための都市戦略, 新建築社(2007)
 小林 重敬, 都市計画はどう変わるか, 学芸出版社(2008)
などがある。

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ワークショップと個と組織と

アイデアキャンプでは複数の人間でアイデアを出していくんです、という説明をすると、個人の才能は要らないということですか?とか、自分はデザイナーとしての資質もあるからワークショップなんて興味ないな、いったことを言われる場合がある。

個か組織か。

サッカーのお題として常に語られる話題である。そんな話題がちょうど本屋に並んでいるNumberで語られている。

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2009年02月12日

POST-OFFICEとアイデアキャンプの関係

IDEA CAMP(アイデアキャンプ)はPOST-OFFICEで考えていたことを実践してるんです、なんて説明をするのだけれど、

久保田晃弘 消えゆくコンピュータ 岩波書店

「形(フォーム)と空間(スペース)」から、「過程(プロセス)と場(フィールド)」へと、デザインのベースがシフトしている。その代表がインターネットである。

この文にあるような違いがあるかもしれない。

そして、ワークショップって何?という本を今書いているという西村佳哲さんによれば、「ワークショップが、工場(ファクトリー)でも教室でもなく文字通り「工房」であり、お互いを活かし合ってなにかをつくり出す試みの場」であると。

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2009年02月09日

建築や都市における(オランダ)構造主義

一般に構造主義といえばクロード・レヴィ・ストロースによって有名になった概念であり、その後にギー・ドゥボールに流れてゆくような現代思想のイデオロギーとして捉えられることもある。
先のエントリーで丹下健三氏が構造主義ということばを使っているが、イデオロギーではなく方法論としての構造主義であると言っていいだろう。

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プロセスプランニングと海市展

先のエントリーに書いた、東工大の世界文明センターで行われた「アーキテクチャと思考の場所」という講演会では磯崎新氏が登壇されていた。http://www.cswc.jp/lecture/lecture.php?id=60

磯崎さんの展覧会であり自分もお手伝いをしたICCのオープニング展覧会「海市」。展示はほとんどカオスだった。参加した建築家も鑑賞者もきっと理解していなかったに違いないのだが、展覧会の意図はこう説明されている。

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2009年02月04日

考える・つくる・つかう の分断と回復

インターナショナル・デザイン・シンポジウム 2009 Creative Synergy -デザインの相乗効果- でのLiving Worldの西村佳哲さんのお話をちょっと復習。


「考える・つくる・つかう」というデザインor設計に必要なサイクル。

農耕化(分業化・効率化)にともなって、考える・つくる | つかう のあたりに分断が。都市国家の成立や産業革命・工業化の進歩にともない、考える | つくる | つかう に分断がおき、もともとは円環的なサイクルであったものが、単線的なシークエンスになりしかも分断されている。

分断され単線的な状態はファクトリー的であり、そこではディレクターやマネージャーが求められた。円環的なサイクルはワークショップ的であり、そこではミディエイターやファシリテーターが求められるだろう。この人たちの資質はなんだろう?

そして、円環的なサイクルを個人の中だけでなくグループの中でサイクルが広がっていくスパイラルにするために、重要なことってなんだろう?

といった内容でした。

そうしたサイクルを廻しやすくする道具や環境の提案が「POST-OFFICE」だったり「IDEA CAMP」だったり。

1月の連休に行われた西村さんがファシリテーターをつとめたワークショップにも参加させていただいた。「自分の仕事」を考える3日間

個人的には「半農半X」にはっ!とした気づきがあった。
あわせてまた勉強になりました、どうもありがとうございます。>西村さん

こんにちは世界

Hello, World.

CやJavaを習う時に、最初の例題の多くがHello Worldである。
まずは
 printf("Hello, World\n");
 System.out.println("Hello, World!");
などと打ち込んでみてくださいと言われ、最初に打ち込むコードだ。なぜこの例題なのか、プログラミングを初めて勉強する人は必ず頭にひっかかることだろう。質問してみても、「まぁお約束だから!」という答えが返ってきて、ふーんと思い、if文やfor文の例に進む。

Wikipediaによると「ブライアン・カーニハンとデニス・リッチーによる著書「プログラミング言語C」(The C Programming Language) の影響であるとも言われている(ただし、同書では "hello, world" とすべて小文字で感嘆符もない。また歴史的にはカーニハンの前著「A Tutorial Introduction to the Language B」(1973) が初出とされる。」とある。http://ja.wikipedia.org/wiki/Hello_world

こんにちは世界。

実は深いことなんじゃないか。そう思ってみる。
昨年にアーバンコンピューティングシンポジウムで「都市とアートのつながり」というお題で話をさせていただいた。
アルスエレクトロニカ2008で展示されていた空間的な作品と都市的な作品を幾つか紹介して、3つの分類をした。

1) いまの世界を拡張するもの
 ・仮設的な空間を設える
 ・デジタルな情報をオーバーレイする
 ・その場所に意味を加える

2) いまの世界の見方を変えるもの
 ・あるの場所の意味を伝え直す
 ・蓄積された意味を異なる文脈に置く

3) 新しい世界を構築するもの
 ・意味を蓄積させていく
 ・汎用的なシステムがその場所固有の意味を徐々に帯びていく

「プログラムを書く」という行為は必ずこのどれかに当てはまるのだと思うと、「こんにちは世界」ということばが、今から新しい世界を自分は切り開くのだという意志を軽くでも自分で宣言しているようにも思える。

まぁ誤読かも(w)。

2009年02月03日

都市の構造に「衝撃を与える」

東京計画 - 1960はメガストラクチャーが実現可能になり自動車が交通システムの主役になろうとする時代に提案された、新しい都市の構造であった。
東京湾を横断するメガストラクチャーに目が行きがちであるが、これまでの古い東京を活かしながらも拡張するように四谷から銀座を経て東京湾へと伸びる交通網が提案されていた。

丹下健三先生の偉大な功績のひとつに広島平和記念公園および広島平和記念館がある。

中谷礼仁氏による「場所と空間 先行形態論」の七節「都市の転用」の中で、広島平和記念公園および広島平和記念館が「都市転用のプロセスを、社会的計画として推進し、成功した希有な例」として紹介されている。

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2009年02月02日

City MashUp

先日のシンポジウムにて、博報堂の田村さんと岩嵜さん・Open Aの馬場さん・関心空間の前田さん・Living Worldの西村さんとお話させていただいた。
インターナショナル・デザイン・シンポジウム 2009 Creative Synergy -デザインの相乗効果-

その時に、馬場さんが編集長をやっていた『A』のNo.8とNo.9でやった特集 東京計画2000 #1, #2での馬場さんの巻頭言をちょっと紹介した。
http://www.open-a.co.jp/avol1vol13/

(No.8 巻頭言より一部抜粋)

東京も日本も、そして建築も都市もずいぶん変わった。
僕らの世代はメガストラクチャーを東京湾につくることを、時代からは求められてはいない。求められているのは60年代のように、壮大な構想を描くことではなく、例えば、ささやかでも実効性のあること。

成長だけではなく、維持に対応できるもの。
リアルで等身大のスケールを持ったもの。
減ってゆく人口に対応したもの。
ヘビーではなくライトなもの…。

その動きは、東京のさまざまな場所で、さまざまなかたちで、既に始まっている。
現代の都市計画は、ちょっと前の概念では、とてもそう呼べないようなものも含まれる。
例えばそれは、ネットワークのなかで進められている。
小さな家具のなかにも潜んでいる。
かたちさえ、もたないかもしれない。

今までとまったく違う方法論や、クライアントや、メディアによる、現代には現代なりのやりかたの都市計画があるはずだ。

これらの行為やプロジェクトを編集することが、現代の都市計画なのではないか、そういう仮説から、この特集は始まった。

今まで、この言葉はいくつかの場所で紹介してきたが、ふと「City MashUp」とでも呼べるのではないかと思った。ヘビーでメガなシステムではなくて、既存のさまざまなスケールの要素を組み合わせてできあがるシステム。メインフレームのような都市計画とWebアプリケーションのような都市計画の違い。

シンポジウムの中では、馬場さんは
・デザイン領域を再定義すること
・すでにある都市を使うこと
・新しいサイトを探すこと
を自分のデザインの方法として説明。場所の価値を発見して、新たな要素と組み合わせ編集することで新たな価値を生み出す。MashUpもやや流行り終えた言葉かもしれないけれど、ソフトウェアの概念を実空間へと輸出するものとしてはCity CompilerやCity Debuggingの仲間としたい。

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2008年12月14日

オノマトペとコンテクストアウェアネス

かつて作ったNarrative Handというメディアアート作品は”つぶす”という動作の速度によって流れる映像がさまざまに変わるというものだ。おなじつぶすにしても「そっと」と「ぎゅっと」、それぞれにやどる感情はまったく別のもののはず。そして、形容詞と形容動詞を使ってインタフェースを考えたい、といったことをデザイン言語2.0という本の中で書いた。

動きを表すには動詞が用いられるが、同じ動きを表現するにも、英語は動詞の種類が多いらしい。日本語は動詞の種類が少ない代わりに擬音語が多いそうだ。福田収一 デザイン工学 p. 78から引用した例を。
叩く:clap, strike, slap, hit, beat, pat, knock
焼く:roast, grill, toast, broil, bake

センシングした状況をコンピュータ内の状態やコマンドに変換するにあたって、オノマトペをひさしぶりに色々と探ってみようと思ったのだが、その時に穂村弘さんの絵本も購入。先のエントリーにある「万葉人の技術」を買ったのは、オノマトペ→穂村さん→万葉集という流れから。

めくってびっくり短歌絵本〈2〉サキサキ オノマトペの短歌 (めくってびっくり短歌絵本 (2)) で最初に紹介されていた短歌は北原白秋。

 君かへす朝の敷石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ

なんとも美しい情景とその表現。


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2008年12月02日

メディアとしてのメディアアート

アーバンコンピューティングシンポジウムで、森脇裕之さん・森山さん・江渡浩一郎さん・前田邦宏さん・安藤さんのお話を伺った。

光をテーマに色々な活動を行ってきたこと(小林幸子さんの衣装や柏の葉駅で行われたテレイヨ・グラフィー)に続き、大阪の千里で行われている「未来の学校」やニューキャッスルに遠征した「東京ピクニッククラブ」などの紹介があった。


森脇さんのお話の中ではっとしたのは、メディアアートは、新しいテクノロジーを使ったアートだと思われているだろう( http://ja.wikipedia.org/wiki/メディアアート)けれど、メディアアートはデジタルかアナログか・最新技術か枯れた技術かは問わずにメディアとして機能するアートであるべきなのではないか?ということだった。

人と人・人と場所をつなげて、地球や国や都市や街や村の中で機能不全に陥っている場所を活性化する役割があるものをメディアアートと呼ぶべきではないか?、ということだろうか。とても共感できる。

また江渡さんとのセッションでは、ネット内で完結したシステムのほうに関心がある江渡さんと、ネットと都市とが混ざり合っているシステムに関心がある自分、というコントラストが浮き上がってきたことはとても興味深かった。

仮想か現実か・デジタルかアナログか・最新技術か枯れた技術かに関係なく、何をどう組み合わせるとどういう効果があるだろうか?ということに個人的な興味があるのだけれど、その源泉はどこにあるのだろうか。
いぜんとある航空工学科出身の情報システムの先生に、機械工学科卒のやつはとにかく動けばいいと思っていてシステムの思想や原理に対する関心が低いんだよな、と言われたことがあるのだけれど、関係があるような無いような。

2008年10月20日

City DebuggingとCity Bending

リノベーションと言わずにCity BendingやSpace Bendingと言ってみるとどうだろう。

City Compilerを使った発想・設計・開発プロセスをCity Debuggingと名付けてみたが、City Bendingと言ってみると越境しやすくなるかもしれない。

ちなみにサーキット・ベンディング Circuit Bendingは、電気回路や電子回路の入った楽器やおもちゃを改造して、また別のものにしてしまう行為。

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2008年10月03日

都市と農村

とある座談会にて、コミュニケーションには都市性と農村性があって、そのバランスや配置関係の共通認識がずれ始めているのでは?というコメントをした。(都市と農村は二元的な概念としてのものであって、コミュニケーションの多元性を簡単に切り分けられるものでもないので、思考の整理として)

その後ぼんやりといろいろと考えているのだが、インターネットが登場した当初は「グローバル・ヴィレッジ」が地球上に登場するのだと言われていた。また一方で、農村にいても都市にいるギャップを埋めることができる・逆手にとることができる、などとも言われていた。そして昨今のWeb2.0への変容。リアルな都市では、グローバル性と没場所性が浸透したと世界都市へと近づいているようにも思う。
wikipedia 世界都市

実空間の都市にも歴史があるように、情報空間もこれからもさまざまな歴史を経ていくだろうし、今後はそれらが絡み合ってゆくことになるのだろう。

まだぼんやりとしか考えられていないが、とりあえずメモ。

2008年09月30日

心ある機械たち

横浜のBankART1929で「心ある機械たち」展が行われている。


「心ある機械たち」
場所 BankART 1929 Yokohama+ぴおシティB2ギャラリー
期間 9月13日[土]‐11月30日[日]※11.2は設備点検の為休館10:00‐19:00
[参加作家]
田中信太郎+中原浩大+ヤノベケンジ+今村源+高橋啓祐+牛島達治+中村哲也+Anneke Pettican & Spencer Roberts+磯崎道佳+川瀬浩介+木村崇人+栗原元+高橋永二郎、他

横浜トリエンナーレの盛況ぶりと比較すると、訪れている人の数は少ないだろうけれど、鉄や石のマテリアル・工業製品が持つ緻密さの魅力を改めて感じる作品たち。

自動で動いているものに魂や生命を感じる/感じてしまう/感じようとする自分という人間を不思議に思う時間を導いてくれる。

2008年08月14日

《CAVEの共同[形]成》 ConFIGURING the CAVE

ずいぶんとむかしになってしまったんだ、つながりで。
ジェフリー・ショーの《CAVEの共同[形]成》。
http://www.ntticc.or.jp/About/Collection/Icc/CAVE/statement_j.html

没入型ディスプレイであるCAVEが一般に公開されていたのは、当時ICCだけであった。3Dメガネをかけて入る四畳半ほどの部屋。そこに現れる3DCGの空間は、まるで無限に広がっているようでもあり、またCGが自分の身体を突き抜けていく様子は、とても驚きの体験であった。
CGのインタフェースとして空間の真ん中に置かれていたのは、身長で言うと150cmぐらいの木製の人形:パペットだった。素材はたしかチェリーだったかと思う。手触りはさらっとしていてかつ、ぎっしりと硬い。パペットの身体の向きや手足や首の関節を曲げると、CGがさまざまに移り変わってゆく。


観客はCAVEの中に4、5人入り、ICCのお姉さんがその人形をぐりぐりと動かしている傍で映像を体験する。最初に見た時は、単にCAVEってすげぇと思ったけれども、なぜ人形が置いてあるのかインタフェースが人形であるのか理解できなかった。
最初はむしろ「ふーん」という類いの感想。

ICCのオープニング展「海市」やICCビエンナーレの作品「Buy One Get One」のプログラミングを担当していたこともあり、ICCの石川さんからCAVEを使って何かやってみませんか?と新たな機会をいただいた。

電通大からリモートログインしたりICCの机をお借りしながら、CAVEライブラリの入ったSGIでプログラミングをしていた。
パペットの関節にはセンサーが入っていて、関節部分の接触が悪いのかケーブルが切れているのか、けっこう調子が悪くなっていた。自分のプログラムを動かしてみる時やパペットを修理に出す時など、石川さんと一緒にパペットを抱きかかえながら何度も支柱から外したものだった。

#このパペットが、とにかく重い。

なんでこんなに重いのか。なんでこの肌触りの木で作ったんだろう。そう思っていた。プラスチックやFRPで軽く作れば関節に負担はかからないだろうし、パペットはスケッチの練習で使うポージングの人形と同じデザインだったからもっと小さく作っても良いだろうに…。

プログラミングはまずはシミュレーターで動かすのだが、マウスとキーボードで操作をするし19インチモニタの中で動作しているので、身体を動かすこともないし、中を動き回ることも出来ない。まずはGLUTライクなCAVEライブラリを習得しながら、どんなことをやろうかと試行錯誤をしていた。

そしてある程度シミュレータでプログラムが動くようになり、CAVEでのテストをした。それはとても違和感のある経験だった。シミュレータで動かすのと、空間の中に入ってのとでは、まったくの別の経験だったのだ。それは自分にとって、以降とても重要な経験となる。

自分のプログラムではアイコンとして機能する2次元平面の絵を空間の中に浮かせていたのだが、その絵の大きさや高さが身体とどういう関係にあるのか?によって、同じ絵のはずなのに別の意味を帯びたような気がしたのだった。
何センチ相当の大きさで胸の高さぐらいに並んでいると頭の中では考えたつもりでシミュレータ上で作っていたのだが、実際に身体性を伴う空間の中では、胸の高さ・腰の高さ・膝の高さ・足の高さに同じアイコンを並べてみると、それぞれ意味が違うように感じたのだった。もちろん縮尺のかかった模型と実際の建築の違いに相当するのかもしれないが、それだけでは無いような気がした。

その時にはっと気づいたのだった。
《CAVEの共同[形]成》は『空間と身体と意味の関係』を問うているのだと。

パペットは人と近しい大きさと重さで肌触りも温かくなければならなかったのだと。ただ3DCGをぐりぐりと動かすためにパペットを使っているのではないということを。CGもリアルな映像ではなく抽象的な概念が多かったが、概念や意味を操作するインタフェースは身体であるのだ、ということを。

空間の移動と身体の動作と言葉の意味の関係。

そうした問題意識は、後の自分の作品である「Narrative Hand」「時空間ポエマー」「記憶の告白 - reflexivereading」へとつながっているように思う。


その後にドイツに行く機会があったので、学芸員の後々田さんに紹介してもらい、ZKMのジェフリー・ショーを訪ねた。ZKMのカフェで2人。正直なところ、ジェフリー・ショーは最初はかなりめんどくさそうだった。まぁどんな奴かも知らない日本人と初めて話すのだし、どこからどう見てもただの学生にしか見えなかっただろうし。
しかし、自分がICCのCAVEでプログラミングをしたこと、あなたのパペットを担いで外すという経験を通してなぜあの大きさであの重さにしたのかが分かりました、とたどたどしい英語で伝えた時、急にジェフリー・ショーの反応が変わった。そして、レジブル・シティの自転車で身体を使って移動することの意味とパペットの関連は、筋肉へのフィードバックなんだと思っていると話すと、ジェフリー・ショーも饒舌に語りはじめ、ZKMの奥の奥まで案内してくれたのだった。

楽しくオモシロいインタラクティブ・アートではなく、何かの問いをともなうメディア・アートを作りたい。いまでもそう思っているのは、パペットの意味に気づいたあの時の、静かでいて激しい興奮を、忘れることはできないからかもしれない。

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2008年08月13日

http://graffitiresearch.com/とSRL

都市や公共空間のハッキングとも言えるようなプロジェクトを推し進めているN.Y.のアーティストグループ。記録映像やダウンロード可能なソフトウェアが公開されている。

CETでも街中でプロジェクションしたり音鳴らしたりするイベントが行われていたけど、警察や町内会との調整がけっこう必要。graffitiresearchのL.A.S.E.R. Tagのように遠くの場所からやると逃げやすい(?)のだろうか。

ふとSRLを思い出した。http://www.srl.org/
代々木公園でのICCのイベントは1999年。ずいぶんとむかしになってしまったんだ。

2008年08月04日

模型づくり:デバッギングとモデリング

模型はツールとして、もしくはメディア(表現体)として、
・シミュレーション
・コミュニケーション
・プレゼンテーション
と幾つかの目的がある。
何のために模型をつくるか?によってスケールや材料やつくり方が異なってくる。

建築模型においては、模型の前後に付く言葉として
・配置模型・概観模型(外部を見せる)/間取り模型・インテリア模型(内部を見せる)/軸組模型(構造を見せる) ref. 宮元健次 初めての建築模型 学芸出版社
・スタディ模型/コンセプト模型/完成模型 ref. 宮本 佳明 ケンチク模型。宮本流 彰国社
などがある。

・シミュレーション :Plan Do Checkのサイクルを回すため
・コミュニケーション:自分自身と or 他者との理解を進めるため

模型は単なるミニチュアではなく、何かを思考するために何かを捨象した『モデル』である。
そう考えると、プロトタイピングとしての模型は
・シミュレーション :デバッグ
・コミュニケーション:モデリング
との類似性が高いように思う。

プロトタイピングから最終形につながるプロセスとしては、デジタルなモノは連続的だが、アナログなモノは非連続な箇所があると言えるだろうか。
プロダクトやソフトウェアにおけるプロトタイピングやモデリングの前後に付く言葉は、今後に調査したい。

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2008年07月22日

テレマティックアート

「映像や音、テキストなどのデータを送信するために電話回線や衛星通信といったテレコミュニケーション・テクノロジーをメディアとして用いる試みは、1970年代に始まり,テレコミュニケーションアートとも呼ばれ、いわゆるメディアアートとはやや出発点の異なるものであった。複数の地点をリアルタイムに結んで行われるライブ性、双方向性を基本とするものだが、こうしたプロジェクトは、その性質上、限られた期間の中で行われたものが多い。当初のデータの伝送、とくに映像の伝達には非常に時間がかかり、動画は数秒に1枚というスロースキャン(低速度走査)によるヴィデオ映像が限界であった。これにコンピュータを組み合わせることによって作られるようになったものが「テレマティックアート」名付けられるようになる。こうしたプロジェクトの中では時間=空間の関係、コミュニケーションにおけるインタラクティビティの問題、そしてネットワークによる協同性など非常に重要なテーマが検討されている。」

白井雅人, 森公一, 砥綿正之, 泊博雅, メディアアートの教科書, pp.35-36, フィルムアート社(2008)

メタ・メディア

「このような高度に情報化されたメディア社会に潜む問題を顕在化させ批評する装置、すなわちメタ・メディアとしてのメディアアートは、美的表現へと向かうメディアアートとは異なるもう一つの可能性であり、今後さらに重要な役割を担うことになるだろう。」

白井雅人, 森公一, 砥綿正之, 泊博雅, メディアアートの教科書, pp.8-9, フィルムアート社(2008)

2008年06月22日

マルチスケールメディア

『マルチスケールメディア』ということばを考えてみる。

研究内容を説明する時になかなかうまく説明できなかったのだけれど、さまざまなスケールのアナログ/デジタルなメディアが連携している様子をこのことばで説明できるような気がする。

物理や生物の世界では、「マルチスケールシミュレーション」や「マルチスケール/マルチフィジックス」といった、ある研究領域を指すことばがある。それをメディアに当てはめたように解釈してもらえれば良いなと。


メディアがまたがるスケールには、手・身体・部屋・建物・都市・地球・スケールレスがあると考え、
マルチスケールメディア    :ひとつのメディアが複数のスケールにまたがって機能しそれらが連携しているもの
マルチスケール・マルチメディア:いくつのメディアが複数のスケールにまたがって機能しそれらが連携しているもの
とまずは定義してみる。

クロスメディアにも近いとも思うが、スケールという空間的な要素を重視していることが、より伝わりやすいことばなのではないだろうか。