国際通信史料館

 先日、栃木県小山市にあるKDDIの国際通信史料館を見せてもらった。一般公開されているが、予約が必要。

昨年、長崎まで海底ケーブル関係の史料を見に行ったが、その際に国際海底電線小ヶ倉陸揚庫は中を見ることができなかった。実はその中身は長崎の博物館とこの小山にある国際通信史料館に分けられ、展示されていることが分かった。今回、KDDI総研と慶應メディアコミュニケーション研究所の菅谷実教授のご厚意で見せてもらえることになった。

史料館の建物は昭和5年(1930年)のものだそうで、80年以上経っているが、現在は史料館以外の目的では使われていない。もともとは国際電信電話(KDD)の短波無線の送信所として使われていたそうだ。太平洋戦争中、米軍もこの施設の場所をよく知っていて爆撃せず、GHQが来てからすぐに再利用されたとのこと。

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史料館には海底ケーブルの歴史を示す史料とともに、小ヶ倉陸揚庫を復元したものもある。内部には24時間対応できるようにベッドなどもあったそうだ。へえーっと思ったのは上海と長崎の間に引かれた日本最初の海底ケーブルを切り取ったもの。家に置いておきたいという気にはならないが、よく残っているものだと驚いた。

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他にもインテルサット(人工衛星)の実機も置いてあった。予備機で打ち上げられなかったものだ。

説明の話の中でおもしろかったのは、日本の海底ケーブルはデンマークの大北電信との間の不平等契約によって牛耳られてしまったので、短波無線が出て来ると、海底ケーブルから脱却するために短波無線に入れ込んだという指摘。日本は大北電信にやられたが、その大北電信も裏ではイギリスとロシアの影響下にあったという話もある。当時の世界の海底ケーブルはイギリスに支配されていたので、それから脱却するために無線が多用されたとすれば、つじつまが合う。この話は収穫だった。

史料館の内部は1時間しか見られなかったので、また是非行きたい。丸一日つぶして見ておきたい。