グリーン・ブロードバンド

情報通信機器の省エネルギー問題というのを今年のテーマの一つとしてきた。国際社会経済研究所と中国の現代国際関係研究院との共同研究に参加して中国の人たちとも議論してきた。世界中でブロードバンドが普及すれば、24時間サーバーがエネルギーを食いつぶし、すごい熱を発散する。サーバー・ルームを冷やすためにエアコンが酷使される。特に中国でインターネットが普及するとそのインパクトは大きい。

そう思って細々と研究していたら、あれよあれよという間に世の中が動き出した(もっと早く研究しておけば良かった)。6月にはIntelやGoogleらがClimate Savers Computing Initiativeを立ち上げた。

11月にGoogleは、「石炭燃料より安い再生可能エネルギー」を開発するためのイニシアチブとして「RE<C」を立ち上げた。REとは再生可能エネルギー(Renewable Energy)のことであり、Cの化石燃料を上回るようにするという。

ヨーロッパからも「Saving the Climate @ the Speed of Light(PDFファイル)」という報告書が出ている。欧州委員会のINFSOが出しているパンフレット(PDFファイル)もある。

日本でも総務省が9月から「地球温暖化問題への対応に向けたICT政策に関する研究会」を始めた。

今月はCOP13の合意があって、米国も国連の枠組みに戻ってきた。

そして、「グリーン・ブロードバンド」と題するプロジェクトがカナダのCANARIEから始まっており、米欧のメーリング・リストで盛んに議論されるようになってきている。CANARIEはしばらく前にコミュニティ・ベースの光ネットワーク構築を盛んに行っていたが、その中心人物の一人、ビル・セントアーノーがグリーン・ブロードバンドを推進しようとしている。

彼のブログでパブリック・ドメインのPPTファイルが公開されていたので、それをざっと翻訳した(よく分からないネットワーク用語も入っているので誤訳はご容赦を)。

地球温暖化を低減するための次世代インターネット(PPTファイル)」by Bill St. Arnaud

元の英語のファイルはこちら(PPTファイル)。

「グリーン・ブロードバンド」は来年のキーワードになるだろうか。上述のプロジェクトについては1月25日に日中共同セミナーで発表する予定。

子供たちに明日はない

教育批判をしたいわけではない。12月21日の日経夕刊一面左上の「今どきキッズ」という特集記事で、子供たちの放課後が習い事などで忙しくなってスケジュール帳を持ち歩くようになっているという話が紹介されている。それは大変だなあと思う一方で、千葉大学の明石要一教授の言葉が印象に残る。「本来、明日を忘れて夢中で遊ぶのが子供の特権」だという指摘だ。

確かに子供は明日のことを考えなくて良い。夏休みが終わるなんてこと考えずに私は遊びまくっていた。大人になるってことは、明日のこと、その先のことを考えるようになるということなんだろう。学生を見ていても、子供っぽいところが残っている学生は、翌日の授業や一週間後の課題のことを忘れて残留(SFC用語で学校に泊まること)している(いや、先が見通せなかったから残留しているというべきか)。

年内の授業が終わって解放感を感じるのは、明日の授業の準備をしなくちゃという重しがなくなったからだ。深夜まで読みたい本を読み続けて、多少寝坊しても問題なくなった。これは実にうれしい。

ところで、レバノンの知り合いから憤怒のメールが届いている。9月のザルツブルグ・グローバル・セミナーで会ったとき、レバノンの大統領になると言っていたが、冗談だと思っていた。しかし、彼からセミナーの参加者みんなにメールが届くようになり、まったく興味の無かったレバノン情勢に興味を持つようになってきている。Googleニュースで「レバノン」と検索してもらえば分かるように、大統領選挙がメチャクチャになっている。

彼自身の名前はニュースに全然出てこないので、たぶん泡沫候補なんではないかと思う。しかし、NYタイムズのニコラス・クリストフが支持を表明しているぐらいだから、全く注目されていないわけでもない。レバノンの子供たちは明日を考えているのだろうか。

コンテンツ政策学会へ向けて

前のエントリーにあるとおり、コンテンツ政策研究会の総会があった。三部構成のうち、第三部は「コンテンツ学会の設立に向けて」というものだった。その場でも発言したけれども、十分に言いたいことが言えなかったので、ここにメモしておきたい。

■コンテンツ学とは

コンテンツ学とは何なのかという議論が出ていた。いったいどの学問分野に立脚するのかという議論もあった。しかし、これはあまり議論しても意味がない。新しい学問を作るために学会を作るのだから、既存の学問との接点を気にしすぎるのは良くないと思う。

コンテンツ学は、吉田民人や公文俊平が言うところの設計学であり、これまでの学問がやってきた認識学ではない(注)。「いったいどうなっているのか」を研究するのが認識学であり、「いったいどうやるのか」というのが設計学だ。昔ながらの言葉で言えば、理学と工学に近い。理学と工学は一緒になって理工学(部)になっているが、本来は別物だ。法学や経済学、政治学なども理学的な要素が強い。それに対して、どうやったら新しい概念、政策、組織、そしてコンテンツを作れるかというのが工学である。そして、工学は単なる応用研究ではなく、現場から見えてくる新しい知見もある(そちらのほうがおもしろいことも多い)。

別の言葉で言えば、分析学と総合学の違いである。1990年に慶應は総合政策学部を作った。「総合政策学」とは何なのかと17年も議論してきたわけだが、その中身は設計学であり、実践学であるという合意がほぼ固まった。出来事や対象物をバラバラにしてその構造や仕組みを明らかにしようとするのが分析学であり、いったんバラバラにしたものを組み立て直す、もっと新しくするのが総合学である。分析学がどちらかというと過去志向であるのに対し、総合学はどちらかというと未来志向であるといってもいいだろう。

コンテンツ学もそういう意味では、設計学であり、既存の認識学・分析学の視点からそれを評価しようと考えるのには無理がある。だから、新しい評価軸を作らなくてはいけない。

学問であるためには、一般的に体系と方法が必要である。コンテンツ学の体系は徐々に作っていけば良い。その体系が確立すれば、科研費の新しい項目としても追加されるし、図書館の分類表にも追加してもらえるだろう。そして、認識学・分析学のための手法は「どうなっているのか」を明らかにするための手法であり、設計学・総合学のための手法は「どうやるのか」を明らかにするための手法である。

そうすると、コンテンツ学における手法とは、コンテンツをどうやって作るかという手法である。コンテンツにはニュース番組や映画、アニメ、漫画、ブログ、音楽などさまざまなコンテンツがどうやって作られるのかを明らかにすることだろう。もしコンテンツ学部ができたとすれば、アニメ学科やウェブ学科ができても良い。映画の作り方に一定のノウハウがあるとすれば、それを体系的に(つまり効率的に)学べるようになれば良い。それを法学や政治学の視点から評価し直すというのはナンセンスだろう(ただし、分析学と総合学をブリッジするということは当然必要だ)。

■学会にするということ

学会にするということには手放しでは賛成できない。学会というのは一般にイメージされているよりも楽しくないし、運営が大変である。現在のコンテンツ政策研究会は非常にフレキシブルであり、誰でも参加できるようになっている。しかし、学会にして日本学術会議に正式に認めてもらうには、会則を定め、会長を選び、学会誌を作らなければならない(情報社会学会の設立でも同じことをやった)。そのためのコストは馬鹿にならない。

時間的なコストだけでなく、金銭的なコストをカバーするためには学会費を集めなくてはならない。学会誌を出すためには金銭的なコストがどうしても必要である。情報社会学会は入会金だけをとり、年会費をとっていないが、この方式で運営を続けるのは大変である(情報社会学会はイベントごとに参加費を集めている)。

「学会」という名前が付き、会費を集めることになると、敬遠する人が出てくるだろう。ビジネスマンはコンテンツの分野を研究するならまだしも、学術的な議論をしたいわけではないだろうし、お金まで払いたいとは思わないかもしれない。学生にとっても敷居が高くなるだろう。しかし、コンテンツ学には若い世代のクリエーターたちの参加が不可欠だ。その人たちが参加するインセンティブをうまく設計しないと空論だけになる。コンテンツを作る手法を見いだすためなのだから、クリエーターがいなければ意味が無い。

念のために言うと、コンテンツ学会に反対ではない。ただし、学会にすることのデメリットも少なからずあるので、うまく設計しないといけない。金正勲さんが言っていたように、志ある人が集まって作らなければいけないだろう(コンテンツ政策研究会とパラレルに動かすことも一案だと思う)。世の中にある学会の数だけ親分がいる。親分職を作るための学会設立はいけない。コンテンツの研究が既存の学会で認められないという主張も十分に理解できる。私も自分の研究を既存の学会で認めてもらうのにはとても苦労した(いまだに認められていないかもしれない)。しかし、だからといって内輪の学会を作ればいいということにもならないと思う。緩く開かれた、おもしろい学会にしたい。楽しいコンテンツについて研究する学会がおもしろくないのはしゃれにならない。

一言だけおわびを言えば、私もコンテンツ政策研究会の幹事の一人であり、学会化に向けた動きが進んでいることは知っていたのだから、今さらこんなことをいうのはフェアではないかもしれない。ごめんなさい。しかし、強く意識はしていなかった。前のエントリーにあるとおり、「学会になってしまうらしい」というのが正直な認識だった。今回、パネル・ディスカッションを聞いて、ようやく頭が反応した(その点、集まって議論するということはやはり重要だ)。このメモが建設的な議論につながればと思う。

注:公文俊平「一般認識学試論」『KEIO SFC JOURNAL』第7巻1号、2007年、8〜27頁。吉田民人「理論的・一般的な<新しい学術体系試論>」『新しい学術の体系—社会のための学術と文理の融合—』日本学術会議、2003年。

コンテンツ政策研究会総会

毎年秋はいつの間にか終わってしまう。今年もあっという間に終わってしまった。湘南台からSFCへと続く道の黄色い銀杏もすぐに散り始めた。それもどうやら30億シーズンぶりに秋がキャンセルされてしまったからのようだ。もう戻ってこないかもしれないという。実に寂しい。

といっている間に12月になっていて、毎年恒例のコンテンツ政策研究会の総会がある。学会になってしまうらしい。

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2007年コンテンツ政策研究会総会 -コンテンツ学とコンテンツ学会の構築に向けて-

日時:12月21日(金)16時30分〜19時
会場:慶應義塾大学三田キャンパス北館ホール
http://www.keio.ac.jp/access/mita.html

■第1部「総会:2007年コンテンツ政策」
コーディネーター:
 中村伊知哉(慶應義塾大学DMC機構教授/国際IT財団専務理事)
 小野打恵(ヒューマンメディア代表取締役社長)

■第2部「コンテンツ学の課題」
パネリスト:
 高橋光輝(デジタルハリウッド大学)
 佐々木尚孝(愛知産業大学造形学部デザイン学科教授)
 山口浩(駒沢大学グローバルメディアスタディーズ学部准教授)
 木村誠(長野大学企業情報学部准教授)
コーディネーター:
 福冨忠和(専修大学ネットワーク情報学部教授)

■第3部「コンテンツ学会の設立に向けて」
パネリスト:
 田川義博(マルチメディア振興センター専務理事)
 中村伊知哉(慶應義塾大学DMC機構教授/国際IT財団専務理事)
 小野打恵(ヒューマンメディア代表取締役社長)
 境真良(早稲田大学大学院国際情報通信研究科客員准教授)
コーディネーター:
 金正勲(慶應義塾大学DMC機構准教授)

■懇親会
 19時30分より2時間程度、立食、フリードリンク
 会場:三田82ALE HOUSE http://www.pub-82.com/page033.html
 参加費:社会人5000円、学生3000円を予定

■参加申込
「ご氏名」「ご所属」「懇親会参加の有無」をご記入の上、
contents@ifit.or.jpまでメールにてご連絡ください。