民主主義体制とインテリジェンス活動

土屋大洋「民主主義体制とインテリジェンス活動」『治安フォーラム』2015年7月号、64〜67頁。

 連載「インターネットとインテリジェンス」は第20回にして最終回となりました。2013年7月号から続き、途中で飛び飛びになりましたが、2年にわたって続きました。

 編集長はじめ編集部の皆様には大変お世話になりました。ありがとうございました。読者の皆様にも御礼申し上げます。

29th Asia Pacific Forum

 ブリュッセルから帰ってきて、一晩自宅で休んでからシンガポール経由でクアラルンプールへ。途中、機中から富士山が見えた。もうずいぶん雪が溶けている。

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 シンガポールからの乗り換え便が少し遅れてしまってあたふたするが、午後7時にホテルに着き、すぐに着替えて会場へ。午後8時過ぎにマレーシアの首相と王室からのゲストがやってきて、首相が基調講演をする。しかし、会場に入るのに何もセキュリティチェックがなくてびっくりした。首相の基調講演の中身はほとんど覚えていないが、テロなどの脅威がサイバースペースによって増幅されているというフレーズだけ耳に残った。

 演説が終わったのが8時半過ぎでそこからようやく夕食が始まったが、料理がなかなか出て来ない。おまけに生バンドの演奏がうるさくて隣の人とも顔をつきあわせないと話ができない。終わったのは10時過ぎ。やれやれだ。

 翌日と翌々日が第29回Asia Pacific Roundtable(APR)の本番。主宰はISIS Malaysiaというマレーシアでは由緒正しきシンクタンク。ISISなんて今は物騒な名前の代名詞になってしまってかわいそうだ。いわゆるイスラム国と同じく「アイシス」と発音する。今年のAPRは320名の登録があったそうだ。

 初日の最初のセッションはわが同僚の神保謙が登壇(なぜか東京財団の研究員として出ている)。さすがに格好良くこなしている。

 私の出番は初日の最後のセッションだが、これが普通のセッションではなくディベートになっている。司会+4人のディベーターがいて2チームに分かれる。私のパートナーは在クアラルンプール米大使館の駐在武官Forrest Hare。米空軍の人だ。何とも頼もしい。相手側は中国の国際問題研究院(CIIS)で旧友の徐龍第とシンガポールのCENSのCaitriona Heinl。CENSのイベントには何回か呼んでもらったので彼女も知り合いだ。しかし、スライドを使って話せる普通のプレゼンとは違って、話だけで聴衆を説得しなくてはならないディベートは難しい。全くもってしどろもどろで落第点だった。まあ、終わった後にアメリカ、オーストラリア、カナダ、マレーシアなどの人たちがよくやってくれたと言ってくれたので良しとしよう。誉めて励ます文化はありがたい。アメリカの少年野球だと、空振りしても「Almost!」なんて言うくらいだ。

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この写真は神保さん提供。

 2日目は気楽に聞いていた。日本国際問題研究所の野上理事長もEPAのセッションに登壇。活発な質疑応答があった。

 ところが、最後から2番目のセッションで番狂わせ。突然、北朝鮮の軍人らしき人がフロアから発言を始め、質問の振りをしながら手元の紙を長々と読み上げた。議長が質問は何なのかと途中で遮るが、あと1分しゃべらせろと言ってまた延々としゃべり、どうやらASEANが朝鮮半島の問題にも関心を持てと言っているらしい。壇上のパネリストは特に反応せずスルーする。

 ところが、今度は、フロアの別の人が指名されているにもかかわらず、その近くにいた中国の人民解放軍の軍人が、勝手に話し出す。2日間を通じて中国に対する不満がたくさん表明され、特に南シナ海の問題が指摘されたことが気に入らなかったらしい。日本が東京湾を埋め立てているのと同じだなんて言い出すから、私はむかっとくるが、他の聴衆はおとなしい。すると、壇上のパネリストのベトナム人が怒りを込めて反論を始め、中国のせいでどれだけ被害が出ていると思っているのか、中国は国際法に注意を払うべきだと激しく責め立てた。

 予定を大幅にオーバーしてセッションは終了。壇上にいたベトナム人は壇を降りたらそのまま中国軍人のところまでさっと歩き、握手を求めた。求められたほうは苦り切った顔をして握手するが、二人は会話をせずに別れていった。

 最後のセッションは別の意味でおもしろい人が出てきた。過激派がさらに過激になっていることを論じるセッションだったが、「私は元過激派だった。バリのテロリストたちの友達だった」というインドネシアの若者が、自分がどうやって過激派になったかと話し始めたのだ。彼はイギリスに留学したときはウィリアム王子と同室になったこともあるという。彼はインドネシアの寄宿制の学校に入っている間に感化されて過激派になった。しかし、深刻なものではなく、気軽なものだったとユーモアを交えて話す。友人の一人は、お母さんが学校に来て涙を流してやめてくれと訴えたのでテロをやめたともいう。軽妙な話にすっかり魅了されてしまった。彼のような友達が過激派にいると乗せられてしまう人もいるのではないか。

 観光のための時間は全然なかったが、あまり興味を引かれないセッションの間に抜け出して、モノレールに乗り、繁華街の有名な店でバクテー(肉骨茶)を食べられたので満足だった。元々は中国人クーリーたちのための安い食事として広まったようで、肉をそぎ落とした後の骨を煮込んだものだが、現代ではたっぷり肉が付いた骨が入っている。お茶で煮込んでいるので、漢方のスープような感じだがおいしい。店に着くまでにすでに汗をかいていたが、オープンエアの店で熱々のスープをいただくとすっかり汗だくになった。ホテルに戻ってさっとシャワーを浴びてから会議に戻った。

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 またマレーシアに行くのはずいぶん先になりそうな気がするが、かつてのサイバージャヤなどがどうなっているのか調べてみたい。

 それにしても、私は東アジア、東南アジア、南アジアの情勢が全く頭に入っていないことを再確認した。帰りの飛行機の中では、機内で読もうと思って持ってきていた日本国際問題研究所の報告書「主要国の対中認識・政策の分析」を読む。話題の中心は中国だが、会議の中で出てきた話題が盛り込まれていて、そういうことだったのかとようやく分かったことがたくさんあって有益だった。