エズラ・F・ヴォーゲル(広中和歌子、木本彰子訳)『Japan as No.1—アメリカへの教訓—』ティービーエス・ブリタニカ、1979年。
第8章 福祉——すべての人の権利としての生活保障(214〜236ページ)
やはり福祉と雇用は一体なんだなあ。雇用があれば、福祉への負担は軽減される。好景気を維持することが重要。
土屋大洋のブログ
エズラ・F・ヴォーゲル(広中和歌子、木本彰子訳)『Japan as No.1—アメリカへの教訓—』ティービーエス・ブリタニカ、1979年。
第8章 福祉——すべての人の権利としての生活保障(214〜236ページ)
やはり福祉と雇用は一体なんだなあ。雇用があれば、福祉への負担は軽減される。好景気を維持することが重要。
エズラ・F・ヴォーゲル(広中和歌子、木本彰子訳)『Japan as No.1—アメリカへの教訓—』ティービーエス・ブリタニカ、1979年。
第7章 教育——質の高さと機会均等(189〜213ページ)
予想通り、大学生は勉強してないと書いてある。外国人は日本の大学に留学するのではなく、小学校〜高校に留学したほうが良いかもしれない。日本語も学べるし、学力は上がり、日本人のコミュニティの中で居場所を見つけられるだろう。
エズラ・F・ヴォーゲル(広中和歌子、木本彰子訳)『Japan as No.1—アメリカへの教訓—』ティービーエス・ブリタニカ、1979年。
第6章 大企業——社員の一体感と業績(160〜188ページ)
月末までの仕事でアップアップだったけど、ようやく少し余裕が出てきた。
この大企業の話も、今では考えにくいな。おもしろいのは、日本の大企業の成功は「日本民族のなかに流れている神秘的な集団的忠誠心などによるのではなく、この組織が個人に帰属意識と自尊心を与え、働く人々に、自分の将来は企業が成功することによってこそ保証されるという自覚を与えているからである」という点。なぜこういう組織が維持できなくなったのだろう。経済のパイ全体が小さくなったからなんだろうか。
ラウル・ペドロゾ(高山裕司、石井浩一訳)「至近距離での遭遇—インペッカブル事件—」『海幹校戦略研究』第1巻1号増刊、2011年8月、35〜46ページ。
同じくインペッカブル事件を国際法的な観点から分析し、中国の主張には無理があるとしている。
季国興「『インペッカブル事件』の合法性」『海幹校戦略研究』第1巻1号増刊、2011年8月、28〜34ページ。
同じ雑誌(広報パンフレット)の中に掲載されている中国側の主張。中国は、米国海軍音響観測艦「インペッカブル(USNS Impeccable)」の排他的経済水域内でのインテリジェンス活動は、平和目的ではないから国連海洋法条約の規定に違反するという主張をしている。
そうだとすると、日本の領海内に潜水艦を潜らせてインテリジェンス活動をしている中国は何なんだろうね。
ピーター・A・ダットン(吉川尚徳訳)「中国の視点から見た南シナ海の管轄権」『海幹校戦略研究』第1巻1号増刊、2011年8月、19〜27ページ。
南シナ海は中国の主権が及ぶ海域であると中国は主張している。しかし、筆者はその四つの論拠がいずれも脆弱であると指摘している。
どうやら、中国は国連海洋法条約の規定を無視して、排他的経済水域にも安全保障上の主権が及ぶと解釈しているようだ。それはあまりにもムチャクチャだろう。
ところでこの『海幹校戦略研究』の海幹校とは海上自衛隊幹部候補生学校のことで、『海幹校戦略研究』は一見するとその紀要のように見える。しかし、ISBNが振られていなくて市販されてはいない。関係者に聞いたところ、これは広報用パンフレットなのだそうだ。新手の広報だ。
エズラ・F・ヴォーゲル(広中和歌子、木本彰子訳)『Japan as No.1—アメリカへの教訓—』ティービーエス・ブリタニカ、1979年。
第5章 政治——総合利益と公正な分配(122〜159ページ)
日本は共同体の団結が強く、フェア・プレイよりもフェア・シェアが重視される。
エズラ・F・ヴォーゲル(広中和歌子、木本彰子訳)『Japan as No.1—アメリカへの教訓—』ティービーエス・ブリタニカ、1979年。
第4章 政府——実力に基づく指導と民間の自主性(79〜121ページ)
エリート官僚が幸せだった時代の話。
もうこんな時代は来ないんだろうなあ。
エズラ・F・ヴォーゲル(広中和歌子、木本彰子訳)『Japan as No.1—アメリカへの教訓—』ティービーエス・ブリタニカ、1979年。
第3章 知識——集団としての知識追求(47〜78ページ)
この第3章の記述はおもしろいなあ。日本人がどうやって知識を集めているか。そして、それを元にコンセンサスを作っているか。知識と組織のあり方は日本では直結している。
常々、なんで日本ではこんなに翻訳本が多いのか、なんでこんなにわれわれは海外調査をしているのかが気になっていた。進んでいる国から学ぶのは当然だと思っているけれど、それにしても好き。閉鎖的で内向きだといわれているけど、海外を見てくる、海外から学ぶのはとても好き。私自身も、アウトプットのために海外に行くのと、インプットのために行くのとを比較すれば、後者が多い。
ヴォーゲルがこの本を書いた頃に比べれば、米国も海外に学ぼうとしている。先日も日本の通信政策を調査に来た人のインタビューを受けた。でも日本からアメリカに調査に行く人のほうが圧倒的に多いだろうなあ。
中尾克彦「米国における安全保障情報等に関する人的保全制度(1)—セキュリティクリアランス制度を中心として—」『警察学論集』第60巻4号、2007年、104〜143ページ。
詳しいのはいいが、とにかく長い。
エズラ・F・ヴォーゲル(広中和歌子、木本彰子訳)『Japan as No.1—アメリカへの教訓—』ティービーエス・ブリタニカ、1979年。
第1章 アメリカの「鏡」(19〜25ページ)
第2章 日本の奇跡(26〜43ページ)
これも明日の大学院の授業の課題文献。今回は第2章まで。
ずっと前に読んだはずなのに、全然覚えていない。読んでないのかなあ。
こんな時代もあったんだねえと思うと同時に、今の中国とも重なる部分がある。
また、日本や韓国がアメリカと経済摩擦でさんざんやり合った後に出てきた中国は、いちいちアメリカとそうした交渉をしなくて済んでいるというのも感じる。特定の品目について米中経済交渉が行われて、中国側が輸出自主規制をしたなんて話は聞かない。中国は日韓の遺産をうまく使っているな。
2008年〜09年にボストンに滞在したとき、ヴォーゲル先生は「ヴォーゲル塾」というのを主宰していて、日本の若手官僚たちを鍛えておられた。私は参加できなかったけど、一度ご自宅にお邪魔してお話をうかがうことができた。しかし、その日はずっと面会の予定が続いていて、相変わらず精力的に活動されているのに驚いた。
また、中国語を勉強されていて、中国語で講演されていたのも印象的だった。
日本の大学の先生は年取ると新しいことに挑戦するのをやめてしまう人が多いし、退職したら何もしなくなってしまうこともあるけど、本当に終身のテニュアを持っている先生たちは、いつまでも元気にやっている。
松本清張「内閣調査室論」『松本清張全集31』文藝春秋、1973年、483〜498ページ。
明日の授業の課題文献の一つ。毎年読むたびにいろいろ考える。現代まで尾を引きずる日本のインテリジェンスの問題。
A Naval Officer Specializing in Information Ops, “Stuxnet: It’s a Real Threat, but Not Something We Should Shovel Money at,” Foreign Policy <http://ricks.foreignpolicy.com/posts/2011/04/25/stuxnet_its_a_real_threat_but_not_something_we_should_shovel_money_at> April 25, 2011.
論文と呼べるような内容と分量ではないけれど。
著者は「米海軍で情報戦に携わるオフィサー」ということになっている。
近年のサイバーセキュリティの盛り上がりはメディアと防衛産業が人工的に作り出しているものだという。
この手の話はアメリカで話しているとたまに聞く。例として出されているのは元国家情報長官(DNI)のマイケル・マッコネルで、今はブーズ・アレン・アンド・ハミルトンの副社長をしている。ブーズ・アレン・アンド・ハミルトンは防衛系のコンサルティング会社として知られていて、サイバーセキュリティのハイプ(誇大広告)で大もうけしているといわれている。
スタックスネットなどの重要インフラに対する攻撃は実際の脅威だが、それ以外はちょっと頭を冷やせというのが論旨。
10月7日に情報セキュリティ政策会議が開かれた。「何を今頃」という声が聞かれたし、新聞の報道でも情報セキュリティ政策会議やその事務局に当たる内閣官房情報セキュリティセンター(NISC)の対応は不十分だという指摘もあった。
私も当事者の一人(情報セキュリティ政策会議の構成員)だし、二つの新聞の取材を受けた側でもあるので、責任の一端を担っている。確かに、取材では、政策会議やNISCに問題ないと言ったわけではない。
しかし、私が指摘したのは以下の三点。
(1)自民党時代と比べて民主党政権はこの問題にあまり関心を持っていない。少なくとも政策会議の開催頻度や時間設定は減ってしまっている。私が参加するようになってからは、政策会議が開かれるたびに議長である官房長官が代わっており、毎回議論をやり直さないといけない。
(2)総理大臣決定だけで設置されているNISCは他の官庁と比べて基盤がどうしても弱くなり、人材も生え抜きではなく出向組でできているので、強力なリーダーシップを発揮できるわけではない。
(3)各国のサイバーセキュリティ対策は、インテリジェンス機関(諜報機関、情報機関)が主導している。日本ではインテリジェンス活動が広く認知されているわけでもなく、政府・民間に覆い被さるセキュリティ・クリアランス(保秘制度)も整っていない。そのため、海外の政府との情報交換・共有がしにくい。
この三点が組み合わさると、どうしても政策会議とNISCにできることは限られてくる。特に、(3)について取り上げてくれた報道はたぶんなかったと思う。
それでも、2005年からこれまで二十数回開催されてきている分けだし、政策会議とNISCは粛々とやるべきことをやってきている。三菱重工の報道があって慌てて対策を打ち出したわけではない。来るべきものが来たというだけだ。その三菱重工への攻撃も、これまでのものと特別違っているわけではなく、いろいろな企業に行われてきているものの一部に過ぎない。例えば、経済産業省が7月にとりまとめた「サイバーセキュリティと経済」研究会の中間とりまとめにはそれなりに詳しく書かれている。
ジャーナリズムの機能は権力のチェックであるから、政府のやることにそれなりに厳しくなるのは分かる。しかし、これまでやってきたことに対する公平な評価があったかどうかという点ではやや不満だ。特に、クルクルと代わる政権側の陣容と、2年ごとのサイクルで代わる官僚側に比べて、政策会議の民間構成員はそれほど入れ替わりが激しくなく、安定している。そこがある程度の継続性を担保している。
ともあれ、情報セキュリティ政策会議とNISCの認知が高まったことは良かったとしよう。これから何をするかが問われることになるだろう。
梅棹忠夫「情報産業論」梅棹忠夫『情報の文明学』中央公論新社、1988年、27〜52ページ。
もともとは『放送朝日』および『中央公論』の載せられた先駆的論文。
御本人によれば授業はひどいものだったらしいが、文章は分かりやすい。
松尾守之「情報が歴史を変える 第118回望星講座」『無限』1993年1月25日。
7月に東海大学の望星講座で講演させていただいた。その際、東海大学創設者である松前重義が海底ケーブルに大きく貢献したという話になり、何か資料はないかと聞いてみたところ、松尾守之東海大学工学部教授が講演されたときの講演録があるはずということで、わざわざ探して送ってくださった。
松前は無装荷ケーブルを発明し、1932年に吉田正および篠原登と共著で「長距離電話回線として無装荷ケーブルを用ひたる実験」という論文を発表しているそうだ。1939年に実用化され、東京〜奉天間の3000キロに無装荷ケーブルの長距離電話が開通、ヨーロッパまで延長することを構想していたが、第二次世界大戦で実現しなかったようだ。
Daniel Miller, “Secret army of 200 homegrown suicide bombers ‘plotting to attack Britain,'” Mail Online, October 9, 2011, available at <http://www.dailymail.co.uk/news/article-2047069/200-suicide-bombers-planning-attacks-living-Britain-intelligence-chiefs-warn.html> (access October 13, 2011).
ロンドン・オリンピックを狙って英国内に2000人の過激派がいて、200人の国産自爆テロリストがいるというのだが、本当かいな。狙われるのはスポーツ・イベント会場ではなく、地下鉄駅などだという。
大庭三枝、山影進「アジア・太平洋地域主義における重層的構造の形成と変容」『国際問題』第415号、1994年10月、2〜29ページ。
こうしてみると、アジア・太平洋地域にもさまざまな国際機関・機構があるものだ。
岡久慶「英国の対国際テロリズム戦略:CONTEST」『外国の立法』第241号、2009年9月、198〜226ページ。
英国の対テロ戦略についての解説。戦略的コミュニケーションという点でも興味深い。これは2009年版のCONTESTの解説だが、サイバーテロはまだ脅威ではないと書いてあるのもおもしろい。その後大きく転換している。
田村浩一「法規命令と行政命令」大阪市立大学法学会編『法学雑誌』第11巻3・4号、1965年、116〜143ページ。
かなり古い、日本国憲法下における行政命令を法規命令と対置させて論じている。
大統領制の下で発せられる米国の行政命令とは位置づけが違うようだ。