ブログの移行

このブログは今までいろいろなところを転々としてきました。Movable Typeを使ったり、ココログを使ったり、直前までははてなダイアリーを使っていたのですが、2019年1月末でサービス停止とのことなので、WordPressをSFCのドメインの下で使うことにしました。

文章の移行はスムーズにできるのですが、写真の移行と内部リンクのつなぎ直しはとても面倒でした。右下に見えている「最近のコメント」はリンクのつなぎ直しの結果、最新のものではなくなっていますが、お許しください。

1000件近くのエントリーを見てみると(このエントリーが999件目のようです)、何を書いたか忘れているものもありますし、頻繁に書いていた時期もあったことが分かりますが、最近は著作物の告知だけになっています。以前は旅行記みたいなのも多かったのですが、書く余裕がなくなっています。ライフログとはいかないまでも研究ログとしてもっと使っていきたいとは思っています。

TwitterやFacebookのようなソーシャルメディアのほうが気軽なのでしょうけど、その場のノリと勢いでツイートしたりフィードしたりすると後悔することも多いですし、他の人の投稿を見続ける余裕もないので、暇ができたときに独り言として使うブログのほうが私には合っているように思います。

ε304の「ε(イプシロン)」はSFCの建物の名前です。私の研究室が304号室なので、こういう名前になっています。

タイトルの背景になっている写真(そのうち変わると思いますが)はサンタモニカの海です。空にゴミのように見えているものは、ロサンゼルス空港に離着陸する飛行機です。

久しぶりに落ちた

 先週、ワシントンDCでイベントに出てきた。なぜ自分が呼ばれたのかよく分からず、一度は断ったのだけど、主催者からどうしてもといわれ、前日まで何を話せば良いのか決められないまま現地入り。イベント前日の晩に事情を知る方から説明を受けて、ちょっと理解が進み、話す内容を決める。日本関連のイベントにもかかわらず、日本人の顔をした日本からの参加者は私だけで、これまであまり日本とは関係のなかった登壇者が半分。彼らは日本に行ったことすらなかったのではないか。それでもへえっと思う話もいくつかあった。

 その晩はワシントンDC三田会の総会があって、初めて三田会の会合に出る。ひょっとして最後に若き血を唱うのかと思ったらそれはなかった。旧知の皆さんが何人かおり、初めて会う方々もおもしろい。SFCの卒業生も何人かいて、延々4時間続く楽しい会だった。終わった後、同門・同期のYさんに、ワシントンで一番古いレストランOld Ebbitt Grillに連れて行ってもらい、牡蠣をいただく。夜の12時まで飲んでいたら、地下鉄も終わってしまい、ホテルまで歩いて帰る。14年前に住んでいた頃と比べてワシントンの治安がずいぶん良くなった。

 最近、英語ベースの仕事が増えてきて、いろいろなところに呼んでもらえるようになっている。これからいくつか参加する予定のカンファレンスもあるし、共著本(分担執筆)3冊が出る予定になっている。英語の本は出版されるのにとても時間がかかるので、いずれもいつになるのか分からないけれど、誘ってもらえるのはありがたいことだ。近々創刊される英語のサイバーセキュリティ関連の雑誌の編集顧問チームに入れという依頼もあった。

 帰国してから数日間、メールボックスに入ったまま、見るのが億劫だったメールがあった。差出人には見覚えがあり、英語で書いた原稿についての連絡であることは容易に想像がついた。そのまま原稿が通るとは思えないので、どう考えても修正の依頼だろう。しばらく前に書いた原稿を読み直すのは面倒だ。頭をそちらに戻すのに時間がかかるからだ。日本語の原稿だとまだ戻るのが早いのだが、英語の原稿はもっと時間がかかる。新学期の準備で忙しいときで、メールを開くのが億劫で、他のメールの処理が終わってからにしようと後回しにしていた。

 ようやく週末になって落ち着き、メールを開いてみる。驚いたことに、不採用通知だった。うーむ。原稿送付段階では、編集者はかなり喜んでいて、「読んで感銘を受けた」とまで書いてきた。しかし、編集者の後ろにいる査読者たちはそう思わなかったようで、ほとんど何の説明もないまま、不採用にするとのこと。修正要求でもないし、食い下がる気力と時間もないので、検討してくれてありがとうとだけ返信。

 カンファレンスやイベントで話すぐらいなら、その場ののりで切り抜けられるとしても、英語で書き物をして、査読を切り抜ける実力は、まだ私には足りないのだろう。共著本の原稿は、編者とかなりやりとりするから、求められているものを書くことができるが、投稿原稿はそうもいかない。

 依頼された仕事だけをこなしていると、たいていは好意的に受けとめてくれるので勘違いしてしまうことが多い。日本語でも英語でも、講演した後に「ちょっとひどかったね」と言われることはまずない。本当はひどいと思っていても、礼儀上そうは言わないだろう。今回の一件は、反省の材料として受けとめ、原稿はボツにしよう。

地域研究者と酒

 久しぶりの韓国・ソウル。今回は国民大学校とのシンポジウム。私はコメンテーターなので、それほどの準備はいらない。

 こうしたシンポジウムでの意見交換は、それはそれでおもしろいが、本音の議論は懇親会の席で行われると言っても過言ではない。

 しかし、アジア、特に韓国と中国の懇親会はすさまじい。韓国では爆弾酒がどんどん出てくる。

 今回、私はいろいろな役が解けて解放感があったせいか、隣の中国の先生のあおりがすごかったせいか、久しぶりにひどく酔ってしまい、ひとりだけ一次会で退散。同僚たちは二次会、三次会へと繰り出したらしい。

 私はつくづく地域研究者ではなくて良かったと思う。毎回こんな飲み会が続いていたら、必ず体調に異変を来しただろう。隣に座った中国人の先生は、韓国に留学していたそうだが、そのときには少ない時で週に4回、多いときは6回の飲み会があったそうだ。

 私が自分の研究で海外に行くときには、飲み会に行く回数はぐっと少ないし、行ったとしても手酌で飲みたいだけ飲めば良い。無理強いされることはない。

 アジアでは、どれだけ一緒に酒を飲んだか、どれだけ一緒に羽目を外したかが問われるところがある。その思い出が信頼となる。

 しかし、私には無理だ。それを改めて実感した夜だった。

 学部生の頃、ロシア研究のゼミに入ろうと思ったことがあったが、そこに入っていたら、体力が続かなくて、私は研究者にはなっていなかっただろう。

斜め移動

 中根千枝が『タテ社会の人間関係』を書いたのは1967年。ずいぶん経った。

 日本社会ではタテの関係が重要、「ヨソ」より「ウチ」が重要といわれてなるほどなあと昔は思った。

 もちろん、今でも通じるところがあるのだろうけど、でも世の中はずいぶん変わったなあとも思う。フラット化とか中抜きなんていわれるようになり、上と下だけ見ていれば通じる社会ではなくなった。

 若い人たちはどんどん横に移動するし、斜めにも移動し始めている。若い人だけでもない。例えば、いろいろな仕事をしていた人たちが大学院で勉強しようとしたり、大学の教員になろうとしたりする。

 素直に大学院生になろうとする人はまだ良いのだけど、社会的経験があるから自分にも授業ぐらいできる、大学教授なんて簡単だと思っている人はけっこういる。

 思い切って一般化すると、実業界や政界、官界で著名な人でも、大学教員としてのネームバリューが通用するのは3年ぐらい。3、4年も経つと学生はどんどん入れ替わってしまうから、あるときに一世を風靡した人でも新入生にはネームバリューが通用しない。高校生の狭い世界の中では大人が有名にはなりにくい。芸能人のほうが圧倒的な存在感を持っている。

 また、実業界や政界、官界で生きてきた人は、組織に支えてもらってきた部分を軽視している。学者は基本的に個人商店で、自分ひとりでやるか、チームを自分の力で構成しないといけない。大学の外で活躍してきた人たちは、プレゼンの資料も部下に作ってもらっていた人が多い。突然一人で放り出されて、コピーをとってくれる人もいないという事実に唖然とする。

 自分の手柄話を学生がおもしろがってくれるのもせいぜい3年だ。下手をすれば1年で飽きられる。SFCの場合だと1年間で少なくとも四つの講義を担当しないといけない(ゼミなどを除く)。それぞれ90分の講義を14回やる。そうすると、90分の講義を56回(14×4)やらなくてはいけないわけだ。いくら講演で引っ張りだこだった人でも56個分のネタを持っている人はまずいないだろう。90分話し続けられる手柄話を56個持っていたらたいしたものだ。

 必然的に、大学教員は他人から学ばなくてはならない。論文や本に書いてあること、学会で聞いたことなどを自分なりに咀嚼して学生に伝えなくてはならない。常に学び続けなくてはいけない。部下に資料を作ってもらっていた人には到底つとまらない。大学教員になりたいという相談をよく受けるけれども、大学院で学ぶ訓練を受けていないとけっこうきついのだ。

 さらにやっかいなのは、専門家として生きるのが面倒な時代になっているということだ。単なる知識はインターネットにも転がっているし、電子ジャーナルをひけば専門論文も手に入る。誰でもが専門家を気取れる時代だし、ちょっとでも専門家が間違えればすぐにあげ足をとられる。批判するほうは匿名の陰に隠れて言いたい放題でもある。自分で論文を書いたり、本を書いたりして反論するというアカデミックな作法に乗っ取った批判は展開されない。

 ひとりの人間が一つの組織に埋もれず、いろいろな帽子をかぶりながら自己実現を図れる時代になったのはとても良いことだし、情報社会とは機会開発者の時代だと増田米二は言っている。斜め移動も大いにするべきだろう。ただし、それほど簡単ではないだろうなとも思う。

 私は教育者としてはまったく不出来なので、ときどき他にできる仕事はないかと妄想にふけるときがある。しかし、どれもあまり実現性を伴わない。実現性はないものの、そうした妄想にふけることができるようになっただけでも良い社会かもしれない。

初めてのハワイ

 実はハワイには行ったことがなかった。そんな軟派なところに行けるかという思いもあったし、用事もなかった。

 ところが、共同研究の一環として、毎年ホノルルで開かれているPTC(Pacific Telecommunications Council)に行かせてもらえることになった。授業を休講にしてしまって学生には申し訳なかったけれども、太平洋島嶼国のデジタル・デバイドが最近のテーマの一つで、その関係者がたくさん集まる会議だ。それと関連して、海底ケーブルのこともいろいろ調べていて、そっちの話もたくさんある。

 PTCは何十年も前から毎年ハワイで1月に開かれている。もともとは国際料金精算の交渉をする場だったらしいが、最近はパケット通信全盛になってしまい、そんな交渉はほとんど行われず、今は業界の最新情報を交換する場になっているようだ。学者よりもビジネスマンが多いところを見ると、毎年経費で行ける休暇先ということで続いているのかもしれない。

 学者中心の学会とは違って、基調講演なんかもリラックスした雰囲気。悪くいえばグダグダ。パワポもハンドアウトもなく、壇上でソファに座って座談するみたいなセッションが多い。しかし、学者が仕切っているパネルは、学会風になっている。

 期待していたほど、太平洋島嶼国の話は出てこなかったが、海底ケーブルのほうはいろいろおもしろい話が出てきて来た甲斐があった。北極海に海底ケーブルを通そうというプロジェクトもおもしろい。1980年代からいくつも同じようなプロジェクトが浮かんでは消えていったらしいが、また新たにやろうとしているところがある。そういえば、同僚の村井さんもその話をしていた

 人工衛星のほうも気になってセッションにいくつか出てみたが、こっちはそんなにイノベーションの徴候をつかめなかった。

 日本の総務省から審議官も来ていて、規制のパネルと震災のパネルに出ていた。研究者も何人か発表している。しかし、日本企業はスポンサーになっていなくて、ちょっとプレゼンスが足りない感じ。

 最終日の表彰式を兼ねたランチが終わると、同僚とともに、ハワイ大学へ。TIPG(Telecommunications Information Policy Group)というプロジェクトを主催するノーマン・オカムラ教授にインタビューする。太平洋島嶼国の光海底ケーブル敷設問題はあまりにも政治的で、国際政治学者としてはおもしろすぎる。これはしばらく追いかけたいテーマだ。恥ずかしながら、TIPGのウェブに写真が載っている(パーマリンクがないのでそのうち消えると思う)。写真を撮ったとき、同僚はすでに空港に向かうタクシーに乗ってしまっていたので私しか写っていない。

 私はもう一泊あったので、インタビューの後はハワイ大学の図書館で資料を漁る。1900年頃にどうやってハワイが海底ケーブルを敷設したか分かる資料が残っている。しかし、17時で書庫が閉まってしまい、すべてをコピーできず。またハワイに来る理由ができてしまった。

 大学からバスに乗ってホテルへ戻ろうとするが、どこで降りたら良いのか分からず、ワイキキの繁華街まで連れて行かれてしまった。夕暮れの中をブラブラ歩く。みんな楽しそうに騒いでいる。

 ホテルに戻り、日本から持ってきたプリンタをたくさん回して論文と資料を印刷し、翌日の機内では9時間半のフライトの中、7時間ひたすら読みまくった。エコノミーの3席を占領できたのでとても集中できた。来年も行けるといいなあ。予算があるかなあ。休講にするとひんしゅくかなあ。

大阪と広島

 年末から年明けはひたすら修論と卒論の対応に追われていたが、ようやく少し時間に余裕が出てきた。今年は年賀状は途中で挫折し、ちゃんと出せなかった。いただいたのに返せなかったのも多い。ごめんなさい。

 1月6日に久しぶりに大阪に行った。大阪に行ったのは2007年が最後だったんじゃないだろうか。よく覚えていない。

 帰省中の学生と昼御飯にネギ焼きなるものを食べ、研究会で司会をし、懇親会に行った。道頓堀の脇にある割と良い料理屋でハチャメチャないたずらをする先生たちの姿に腹を抱えて笑った。懇親会が終わって店を出て、近所のお店をフラフラと見ているうちに、気がついたみんなタクシーに乗って二次会会場に行ってしまった。

 酔っ払って気が大きくなっているので、迷子も良いかと地下鉄に乗り、宿に向かう。どの線に乗れば良いのかいまいち分からないのだが、目の前に来た電車に飛び乗った。車内の表示を見て、どこで降りるのかなあと考えていて、次の駅に着いたら、脇の席に座っていた女性二人組が「信じらんなーい」と話しているので何かと思ったら、女性専用列車に乗っていた。

 慌てて飛び降りて、ホームのベンチで次の電車を待っていたら、某常任理事から電話がかかってきて、何やっているのかと叱られた。そのまま次の電車に乗って来いというので梅田に着いたが、迎えに来てくださった方と巡り会えず(よほど酔っ払っていたのかなあ)、ひとまずホテルにチェックインして鍵をもらったところで、迎えの方が来てくださった。

 それじゃということで二次会会場に向かうが、それが別のホテルの高層階のバーだった。エレベータを待つ間、女性と二人でホテルのエレベータに乗るところを誰かに目撃されてツイッターで書かれたらまずいんじゃないかという変な恐怖感に襲われた。二次会の席でそんな話をしたら、確かに今時どこにカメラがあるか分からないから本当に怖いという話になった。ついでに、酔っ払って歌い踊る某国立大学の先生の姿をビデオに収めた。これをフェイスブックに載せるかどうか迷う。

 翌朝、早起きするはずがさすがにできず、それでもベッドから這い出して広島へ。前から一度行かなくてはと思っていたところへお邪魔する。そこでちょっと長居をしすぎて、昼御飯の約束に遅れてしまうが、前の職場の元同僚に本場の広島風お好み焼きをごちそうになる。大阪とはやっぱり違うね。

 つかの間の再会だし、他に広島では何も見られなかったが、夕方までには東京に戻らなくては行けなかったので新幹線に乗る。広島から品川まで丸々4時間もある。車内でもひたすら修論と卒論を読んでいた。

 駆け足だったけど、おもしろい2日間の小旅行だった。

年末年始は時間がない。

 年末年始は家にいても仕事のための時間がほとんど取れない。何とかならないのかなあ。

 卒論、修論、博論を計20本ぐらい読まないといけないのだけど、今日読めたのは2本だけ。たぶん、一発OKの人はいないから、今月半ばまではずっと読み続けるんだろうな。

 元旦の読売新聞1面でコメントを取り上げてくださったのだけど、反応があったのは某国大使館だけ。そんなもんなのかな。正月っぽい話題ではなかったからね。

電子メール

 電子メールに費やす時間が本当にばかばかしくなってきたので、メーリングリストや情報提供メールの類をどんどん購読解消している。

 ここ数年、そうしたものは読めない状態が続いていたから、この先受信し続けていても意味はない。

 メールサーバへの負荷を減らすためにも、必要最低限のものしか来ないようにして、アクセスする頻度も減らそう。

 ついでに、長々と書くのもやめて、相手には悪いけれども、ごく簡単な返信で許してもらおう。

 その分、必要な研究や教育、大学運営、家庭にちゃんと時間をとれるように努力しよう。

あの頃は良かった

 CENS-GFF Workshop on “The Geostrategic Implications of Cyberspace”にお招きいただき、シンガポールに来ました。久しぶりのシンガポール、噂に聞いていたビルの上の船が見えました。

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 初日の第2パネルで私はプレゼンテーション。第1パネルがいまいち停滞気味だったので、その間にスライドを作り直しておもしろく修正。相変わらずへたくそな英語ですが、笑いはたくさんとれました。次のIBMの人もエキサイトして話していたのでおもしろいパネルになりました。

 私のプレゼンテーションの中で、日本ではインテリジェンスが弱いままで、サイバーセキュリティを担当しているNISC(内閣情報セキュリティセンター)とインテリジェンスを担当している内閣情報調査室(内調)の間に距離があると発言したところ、終わった後のランチタイムに当のNISCと内調の人が挨拶に来てびっくり。

 ブレイクアウトセッションの後、第3パネルでは司会を仰せつかりました。3人のパネリストは、弁護士、法学教授、米国務省の役人で、それぞれ難しい法律用語を使い、米国法や国際法を引用するので何を言っているのかよく分かりませんでしたが、質問もたくさん出て無事に終了したので、良かったとしましょう。

 最後は夕食会。ホテル内のレストランでバイキング(英語ではバフェーと言いますね)。小さめだけどロブスター食べ放題、オイスター食べ放題、カニ足食べ放題。すばらしい。

 隣に座ったCentre of Excellence for National Security(CENS)の代表代理のBilveer Singh先生は日本の温泉好きと聞いてびっくり。その頭で温泉に入るときはどうするのでしょうと聞こうかと思ったけど、やめておきました。

 反対の隣に座ったのはイギリスのエネルギーの研究者。福島の原発の話などをしているとき、「思い出してごらんよ。2000年は良かったよね。世界は平和で、経済も好調だった。その後の世界がこんなことになるなんて思わなかったよねえ」と言われて、その通りだなあと感傷的になりました。

 2000年、30歳の私は研究者として駆け出しで、デジタル・デバイドなんかをやりながら、初めての本を出す努力をし、アメリカにでも行ってみるかと準備をしていました。サイバーセキュリティもインテリジェンスも研究テーマにはなっていなくて、インターネットがこれほど安全保障につながるとも思っていませんでした。地震も津波も原発問題もない、平和な時代でした。失われて初めて実感するものですね。

ORF 2010

 九十九里浜から帰った翌日とその翌日はSFCの研究イベントORF。もうかなりこの頃になると疲れている。

 初日の22日はG-SECのプロジェクトの中間報告のためのセッション。みんな「話すことがない」とかいいながら話まくりで、全然議論の時間がとれず。ちょっと残念だったが、それぞれの話はかなりおもしろかった。

 G-SECでご一緒している法学部の田村次朗先生のセッションものぞく。交渉学はかなりおもしろいかもしれない。関連本をネットで注文。

 二日目は朝から「メディアと民主主義」のセッション。堀先生の熱い思いで実現。もうちょっと話したかったが、元気がないのと、お二人のゲストの話を優先させたほうが良いと思い控えめに。壇上で腕組みをするなと後で身内に怒られた。反省。

 学生の発表を少し見て早めに帰宅。何せ翌日からは台湾行きなのだ。

山家さんの連載「バングラデシュより」

 ワシントンDCで知り合いになり、拙著『ネット・ポリティックス』にも登場してくださった山家さんは、今はバングラデシュで仕事をしておられる。その苦闘ぶりをネットで公開されているのでリンク。

http://tsuko46.org/top/series/yamage/no1/top.html

http://tsuko46.org/top/series/yamage/no2/top.html

http://tsuko46.org/top/series/yamage/no3/top.html

大変そうでもあり、楽しそうでもある。

自炊してみる

食事のことではなく、本のこと。

本の背表紙を裁断し、スキャナーにかけて自分で電子化してしまうことを「自炊系」というらしい。

SFCだと玉村さんが有名。『整理HACKS!』でも紹介されていた。

そんな馬鹿なことをするもんかと思っていたが、スペース問題が深刻。片付かない研究室をどうにかするためには何らかの方法でため込んだものを捨てるしかない。

いきなり捨てろといわれるとプレッシャーが高いが、スキャンしてとっておけるならまあなんとかという気がする。そういう気持ちで候補の本や雑誌をテーブルの上に並べるとけっこうな数になる。

まずは、いらないというより、いつもパソコンに入れておきたいと思う本を選び、裁断機で背表紙をざっくり落とす。すばらしい切れ味で爽快感すらある。それを、少し前から使っているScanSnapで一気に読み込む。

ばんばん裁断はできるのだが、ScanSnapにつないでいるパソコンの性能がいまいちで、本一冊や雑誌一冊を読み込もうとするとメモリが不安定になるようだ。馬力のあるものに変えたほうが良さそう。

思ったほど一気には進まないことがわかったが、やり方は簡単だ。年度末までにはテーブルの上を一掃したい。研究室が片付いたら自宅を片付ける。とにかくすべてをシンプルに。

論文書き

マクドナルドで本を読んでいた。相変わらず付箋を本にベタベタ貼っていた。一息ついたのでラップトップを広げたところ、近くに座っていた女性が「3分いいですか」と声をかけてきた。

げげ、いきなり宗教の勧誘かと身構える。女性は、「この本に付いている付箋の色に意味はあるんですか」と聞いてきた。色に全然意味はないのだが、よく聞かれる質問だ。本から目をそらさずに付箋を付けるので、いちいち色など気にしてはいない。たまたま手に付いたものを貼り付けているだけだ。

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どうやら女性は修士論文を書いているらしく、どうやって論文を書いたらいいのか分からないらしい。正月からマックで付箋のベタベタ付いた本を読み、ラップトップを広げるのは大学院生だと思って声をかけてきたという(まだ若く見えるのか)。

いろいろ質問を受けた後、「指導教官から指導を受けるコツを教えてください」といわれた。指導教官からまず文献を読めといわれたが、何をどう読んでいいのかも分からず、困っているようだ。

「指導教官は男性ですか」と聞いてみると、やはりそうだった。レナード・サックス『男の子の脳、女の子の脳―こんなにちがう見え方、聞こえ方、学び方―』という本を読んで分かったのだが、先生と学生(生徒)の男女の組み合わせはけっこう難しいらしい。男性の先生は基本的に丁寧なアドバイスを与えたがらず、学生の自主的な取り組みに任せようとする。男子学生ならそれで良いが、女子学生は先生から突き放されたように感じるらしい。

結局3分以上話し込んだが、最後に、「ばんばん投稿論文を書いているんですか」と聞かれた。そうしたいけどできないなあと内心思いつつ、「教える側に回ってしまったので、もうあまりしてませんね」というと、「私の指導もしてもらえませんか」とのこと。それはさすがにね。

彼女にアドバイスをしたのは、たくさん論文を読むということ。論文を読んだことが無い人は論文を書けない。bookishな学生が今は多いから、本のような論文を書こうとする。しかし、論文と本は別のもの。論文が書けても本が書けない人、本が書けても論文が書けない人もいる。

公文俊平先生によれば、村上泰亮先生は、社会科学者は論文よりも本を書けというポリシーだったそうだけど、それは論文を書く能力があった上での話だと思う。日本の学会誌には見るべき論文が多くないということがあるかもしれないけど、海外の学者はちゃんと論文を書いている。売れっ子の学者が本を出す場合、たいていは最初に論争を呼ぶような論文を書いていて、それをふくらませて本にしている。フランシス・フクヤマとかサミュエル・ハンチントンもそう。

たいていのコンセプトや発見は、論文の長さがあれば示すことができる。これから研究者になろうとする人は、まずは論文を書くべきだと思う。そのためにはたくさん読まないと。

ついでに言うと、ネイティブでない私が多大な時間をかけて英語の本を読むよりも、エッセンスの詰まった学術論文をしっかり読むほうが、その著者の言いたいことが短時間で分かるかもしれない。話題の本はほとんどが翻訳されるから、少し待てば日本語でも読める。だから、英語のジャーナルに継続的に目を通すほうが大事なんだろうな。すでに誰かが読んで評判になっている翻訳書を読むよりも、自分で原著論文の目利きができるほうが研究者としては有能だろう。

ちなみに読んでいたのは、マーク・ブキャナン(阪本芳久訳)『人は原子、世界は物理法則で動く―社会物理学で読み解く人間行動―』(白揚社、2009年)。『歴史の方程式』とか『複雑な世界、単純な法則』なんかを書いた人。この本も英語で読むと時間がかかりそう。

リデザイン

もう一度、昨年を振り返ると、「やめる、ことわる、さぼる」のに躊躇がなくなってしまうというネガティブな年だった。

頼まれた仕事は基本的に断らない方針でやってきたけれども、それがついに破綻して、長々とお断りのメールを書くことができるようになった。

しかし、そういうのの連続は後ろめたさを堆積させてしまい、仕事全般、生活全般に愚痴ばっかり。ノリがどんどん悪くなる。未処理のメールがどんどんたまり、「ごめんなさい」と「お願いします」というメールを毎朝書き続ける。

今年はとにかくこの状況を立て直す。無理な仕事は受けないようにするとしても、今までのやり方を一新する。帰国してから11ヶ月もたつのに研究室の中の片付けができていない。これはいくらなんでもどうかしている。

周りを見れば、もっと忙しくても楽々と仕事している人もいる。

小山龍介『整理HACKS!—1分でスッキリする整理のコツと習慣 』によれば、「整理」とは英語で「デザイン」というそうだ。いいねえ。

今年はデザインし直すという意味で「リデザイン」。研究も生活もリデザイン。新しいことを試すのに躊躇するまい。

電子ブックリーダー

日付が変わってしまった。元旦には何か書いておこうと思い、「昨年の総括と今年の抱負」というのを書いて、数分だけ公開したのだけど、さすがに怒られそうな内容だと思って削除した(でもRSSリーダではちょっと流れてしまったみたい)。

それはそれとして全然別の話。amazonのkindleをここしばらく使っている。周囲では評判が良いのだけど、私はどうもなじめない。そもそも私は本に付箋を付けたり、書き込んだりしておくタイプなので、kindleではそれがやりにくい。もちろん、下線を引いたり、注釈を付ける機能はあるのだけど、あのキーボードで入力するのは面倒。

3Gのネットワークを使って瞬時にダウンロードできたり、価格が安かったり、スペースを節約できたり、検索機能があったりといろいろ良いところがあるのは十分理解できたけど、後々に論文に引用しようと思って読んでいる本には使いにくい。小説なんかを読み流すには良いのかなあ。

まだ試していないのだけど、自分の手元にあるPDFデータも読み込み可能なようなので、自分の英語スピーチ原稿があれば、それを機械が読み上げてくれるはず。うまくいけば練習に役立つかもしれない。スタンダードな発音は教えてくれるはず。これは便利(まあ、でも他のソフトでもできないわけではない)。

気になるのは、まず、私にとっては画面がやや暗く感じるのに明るさの調整ができないこと。確かに明るい屋外でもはっきり見えるのは優れているが、屋内ではちょっと見えにくい。それと、古い本が手に入らないこともつらい。研究として使うときには古い本を参照できることがどうしても必要。今のところ図書館の代わりには使えない。これから過去の本にも守備範囲が広がるのかなあ。

しかし、もうちょっとつきあってみよう。本のデジタル化は必然の流れだ。誰が一番読みやすいシステムやデバイスを作るかだ。

もう一つ、噂されているアップルのタブレット(iSlate?)も気になる。kindleは開発途上のにおいがぷんぷんする割に、ユーザーが機能拡張する余地が全然ない。コンテンツを入れ替えるだけ。たぶんアップルのタブレットは、iPhoneのアプリをそのまま使えるようにするだろうから、かなり拡張性があるだろうし、WiFiその他にも対応するだろう。期待してるぞ、アップル。

地下世界

ニューヨークの通りを歩いていて地下に続く扉が開いているたびに、ニューヨークの地下世界をのぞいてみたいなあと思っていた。たぶん、『ルパン三世 バビロンの黄金伝説』の影響じゃないかと思う。

そんな好奇心を満たしてくれる番組を飛行機の中でやっていた。おもしろかった。禁酒法時代に酒蔵を隠していたバーとか、チャイナタウンのギャングの脱走路とか、最初の地下鉄プロジェクトの遺構とか、マンハッタンを防衛するための砦の地下通路とか。

Cities of the Underworld hosted by Don Wildman – History.com

しかし、日本からだとオンラインの動画が見られないのかなあ。今のところうまく再生できない。インターネットの世界でこういう制限は早くなくしてもらいたい。

地下世界

ニューヨークの通りを歩いていて地下に続く扉が開いているたびに、ニューヨークの地下世界をのぞいてみたいなあと思っていた。たぶん、『ルパン三世 バビロンの黄金伝説』の影響じゃないかと思う。

そんな好奇心を満たしてくれる番組を飛行機の中でやっていた。おもしろかった。禁酒法時代に酒蔵を隠していたバーとか、チャイナタウンのギャングの脱走路とか、最初の地下鉄プロジェクトの遺構とか、マンハッタンを防衛するための砦の地下通路とか。

Cities of the Underworld hosted by Don Wildman – History.com

しかし、日本からだとオンラインの動画が見られないのかなあ。今のところうまく再生できない。インターネットの世界でこういう制限は早くなくしてもらいたい。

締切は不安を打ち消すためのクスリ

夏休みは積み残しの課題をこなしている。もういくつか片付けた。残りは二つ。複数の課題が同じ締切に設定されていたので、一夜漬けの仕事はできる状態にない。前倒しで片付けなくてはいけない。

しかし、やりたい仕事から手を付けると、そっちが楽しくて時間を使ってしまい、やりたくない仕事は締切間際にどうしようもない状態になる。やりたくない仕事に早く着手するしかない。このハードルがとても高い。

そのハードルを乗り越えていったんやり始めると頭が動き出す。とうていその課題が終わるはずがない細切れ時間で良いから、その課題について頭を動かすと、他のことをしている時間にも無意識のうちに整理が進む気がする。やってみると自分が思うほど時間がかからないということもある。そうやって締切より前に課題を提出する。

そこで思うのは、締切は不安を打ち消すためのクスリだということ。

たぶん、締切ギリギリに課題を出すほうが達成感は大きい。「やれることはやった」という気分になるからだ。締切よりずっと前に課題を提出すると、「まだやれたのではないか、見落としがあるのではないか」という気になる。不安になる。

早く出すのと、ギリギリに出すのと、どちらのクオリティが良いのかは場合による。しかし、締切ギリギリに仕上げるのは妙な高揚感をもたらすので、締切がないと仕事ができないという状態に陥る。

着実に仕事をこなしていくには、たぶん、締切中毒から抜け出さないといけない。

ところが、締切というクスリが全く効かない人も世の中にはいる。二つタイプがあって、(1)締切が大事という感覚のない人、(2)締切を破る恐れよりも自分の仕事のクオリティに対する不安が強すぎる人。いずれにせよ、クスリの効かない人と仕事をすると自分が損した気分になる。友達関係までやめる必要はないけど、仕事は一緒にしないほうが良い。

第1感

 ゴールデンウィークが終わってからようやく調子が出てきたなあと思っていたら、その分、忙しくなってきて、もう息切れ気味になっている。

 週末になって気分転換がしたくなり、読んでいなかったマルコム・グラッドウェルの『ティッピング・ポイント(The Tipping Point)』と『第1感(blink)』を続けて読む。アメリカにいるとき、『Outliers』がベストセラーになっていて(翻訳のタイトルは『天才!』らしい。注文したけどまだ届いていない)、audible.comからダウンロードした朗読版を聞いていた。『Outliers』のおかげで『ティッピング・ポイント』も『第1感』もアメリカの本屋で平積みになっていたので、読みたいなあと思っていた。

 『ティッピング・ポイント』のtipとは傾くこと。物事が一気に傾くところがティッピング・ポイント。創発(emergence)の概念と似ている(たぶん同じだ)。バラバシやワッツが紹介するネットワーク理論の考え方も入っている。インフルエンザが騒がれている今の時期に読むとちょっとおもしろい。きっとコネクターと呼ばれるばらまき屋がウイルスを広めているのだろう。潜伏期間があることを考えると、コネクターが飛行機に乗って世界中を飛び回るのを止めるのは不可能だ。

 『第1感』の最初に出てくるクーロス像と愛情ラボのエピソードはどこかで読んだ気がした。書いてありそうな本を30分ほどあさってみたが見つからない。どこだったかなあと考えたら、ある講演会で紹介されていたのだった。講演会の資料をひっくり返したら書いてあった。私の第1感はいまいち切れが悪い。しかし、「なんとなく」が第1感では重要だ。第1感のアイデアはスロウィッキーの『「みんなの意見」は案外正しい』に近いが、『第1感』では専門家の能力により力点が置かれている。

 同じようなアイデアが創発して、大きな流れを作り出している気がする。インターネットが出てこなければこれだけネットワークへの注目は高まらなかったかもしれないが、ネットワークの概念はインターネットにとどまらない。

 次は何を読もうかと思いながらスケジュール表をちらっと見ると、これから2週間はメチャクチャ忙しそうだ。業績につながらない締切が少なくとも6つある。授業もある。ICPCもある。第1感じゃなくても危険なことが分かる。

日本サイズ

USエアウェイズが1月にハドソン川で事故を起こしたせいか、ボストン=ニューヨーク(ラガーディア)間のUSエアウェイズのシャトル便が激安(1万1010円)だったので、今回はアムトラックではなく飛行機でニューヨークに行った。

ボストンからの便で隣に座ったのはコミュニティ・カレッジで先生をしているというおばあちゃんとその孫娘。私が首にヘッドホンを付けていたので、「あなたは話がしたくないと見えるわね。おまけにそんな書類の束を抱えちゃって」なんて言われてしまう。「これからニューヨークで学会発表があって……」なんて雑談をしているうちに、短いフライトなのでニューヨークに着陸してしまう。最後に、「学会発表は必ずうまくいくわよ。ボストンで最後の時間を楽しんで、日本に帰ったら良いことがまた待っているわよ」なんて言ってくれた。

こちらはあんまり気の利いたことは言えないが、昔ながらの良いアメリカ人がまだいるなあと久しぶりに感じた。気さくで親切で楽天的なアメリカ人をあまり見なくなった気がする。テロと戦争はアメリカを変えてしまったのだろうか。あるいは競争社会と不況のせいか。

翌日の帰りの便。早く帰りたい用事があったので16時にパネルが終わってからタクシーに飛び乗り、ラガーディア空港に向かうが、さすがに17時のフライトに前倒しでは乗れなかった。19時の予約だったが、18時のフライトには乗ることができた。

離陸まで少し時間があり、小腹が空いたのでフードコートへ。しかし、たいしておいしそうなものはない。アメリカに来てから一度もマクドナルドには行ってないので、ハンバーガーでも食べるかという気になった。私の博士論文はマクドナルドで書いた。昔は大変お世話になっていた(カロリーの高いものは食べずに爽健美茶やアイスティーばかり飲んでいた)。

今回は、一番安かったのでビックマックセットを注文(他のメニューは知らないものばかり)。たいして味は変わらないなあと思いつつ、学会でもらったコメントを思い出しながらぼーっともぐもぐ食べていた。ふと、あれっと思う。ポテトの量が少ない。

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写真のポテトはだいぶ食べてしまった後なので実際少ないのだが、もともとの量が少ない。確か、2001年にワシントンのマクドナルドで食べたときは、食べきれないほどのポテトが付いてきて、アメリカ人は食い過ぎだと思った。このときの1年間、負けてなるものかとアメリカでの食事を残さず食べていたら激太りして後悔した。今回はセーブしている。

しかし、目の前にあるポテトは日本のMサイズとおそらく変わらないだろう。これは不況のせいなんだろうか。あるいは『デブの帝国』で批判されたせいなのだろうか。

不況のせいでアメリカで日本が見直されている。過去20年近く、日本が不況の間にどんな政策をとってきたかが議論されているからだ。もちろん、すばらしいというわけではなく、反面教師的なところもあって、無駄な公共事業をやってもダメという引き合いにも使われている。

過去20年近く、アメリカには言われっぱなしだったのだから、ここは日本側からいろいろ言ってもいいのではないか。ま、喜んで聞いてくれるわけではないだろうけど、無駄をなくして適度なサイズにしなさいというのは良いアドバイスだと思う。