書評:ローラ・デナルディス『インターネットガバナンス』

土屋大洋「この一冊 インターネットガバナンス ローラ・デナルディス著 管理の課題、多様な視点から解説」『日本経済新聞』2015年11月15日。

日曜日の日経書評欄に『インターネットガバナンス』の書評を載せてもらう。原稿はロンドンに行く前に書き、ロンドン滞在中に最終のゲラ確認を行った。

最初は気づいていなかったが、後で著者のローラ・デナルディスには会ったことがあることを思い出した。2009年2月、ボストン滞在中にイェールでのセミナー発表に呼んでくれたのだ。雪嵐が来ていて、イェール滞在はゆっくりできず、デナルディスとも挨拶程度で終わってしまったので、彼女は私のことは覚えていないだろう。今は同プロジェクトのAffiliated Fellowになっているようだ。

書評そのものには十分に書き切れなかったが、第9章の「インターネットガバナンスの暗黒技法」は今の私の関心からしてかなりおもしろい。政治に翻弄されるインターネットの自由を垣間見ることができる。

ロンドンからの帰国便ではおもしろい映画がなかったので、ベン・マッキンタイアー(小林朋則訳)『キム・フィルビー』(中央公論新社、2015年)を読み始めた。眠ってしまったのでまだ半分しか読めていないが、おもしろい。なぜ彼が「キム」と呼ばれるのか理解できないでいたが、父親が付けたニックネームのようだ。

イギリス社会は魅力的だが、当時の社会的風潮と教育システムが、フィルビーのような複雑な人格を作り出してしまったかと思うと考えさせられるものがある。たくさんのイギリス人と話してきた後でこの本を読むと味わい深い。

そうそう、ロンドンでは『SPECTRE』が公開されていたが、観る時間がなかった。イギリスでこそ観たかった。残念だ。

ワシントン、ボストン

 12月4日、NさんとワシントンDCへ。到着日はワシントン在住のMさんと、もうひとりのNさんの4人で会食。韓国とアメリカのインテリジェンスについてお話をうかがう。韓国では機密性を第一に考えたが、アメリカではスピードを重視するようになっているというお話が印象的だった。

 翌5日は朝から4件のアポをこなす。すべてサイバーセキュリティに関して。

 びっくりするような新しい話はなかったが、フォローアップできてよかった。夜はイタリアン・レストランで賑やかに。同行のNさんとはここでお別れ。

 6日は午前の便でボストンへ。ワシントンDCのナショナル空港は大好きだ。めずらしく窓際の席に座ったので、滑走路上から外を見ると、ワシントン・モニュメント、ジェファーソン・メモリアル、議事堂が見渡せる。離陸してペンタゴンとアーリントン墓地を横目に見ながらぐっと旋回すると、飛行機はアーリントンの上空で上昇していく。2001年7月から1年間住んでいたアパートが見えた。とてもなつかしい。

 機内では本を読んでいた。窓からふと外を見ると、なんとニューヨークのマンハッタン! まるでミニチュアのようにマンハッタンが見渡せた。これからナショナル空港からボストンへ飛ぶときは、窓際Aの座席に座ることにしよう。

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 ボストンでは3日間にわたってハーバードのバークマン・センターが主催するシンポジウムに参加。シンポジウムといっても非公開。世界各国のインターネットと社会に関する研究をやっている研究所の研究者たちが50名ほど集まる。慶應SFCからは両学部長が参加予定だったが、学部の行事のため、私が代理で参加。他にフォスター先生とマラッケ先生、それに学部生のO君が参加。

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 なぜかやたらとドイツからの参加者が多かった。アジアは、慶應SFCチームの他に、シンガポールやインドから数人。韓国からも来るはずだったが、仁川空港の雪のための飛行機が飛ばなかったらしい。3日間、いろいろ議論して、次のステップをみんなで考える。

 会議終了10分前に失礼して、ボストンのローガン空港へ。セキュリティ・チェックでMITメディアラボの研究者とばったり鉢合わせる。彼もバークマン・センターの会議に参加していたが、ワシントンDCでの会議に行くとのこと。共通の知り合いがいたので、話がはずむ。1月に東京に来るらしいので、会えたら会おうといって分かれる。

 ワシントンDC行きの便も窓側に座ったが、あいにく天気が悪く、ずっと雲海だった。それはそれで良い。

 ワシントンDCに到着してからYさんに電話。少し遅れるとのことなので、ナショナル空港で買い物。車でピックアップしてもらい、タイ料理を食べに行く。ワシントンで外国人研究者が生き抜く方策を教えていただいた。とても大変だ。

 空港近くのホテルまで送っていただき、そこで1泊。帰国前までにやらなくてはいけない宿題をなんとか片付け、メールで送る。間に合った。

 ワシントンDCから東京への便は満席。ワシントンDCでいただいた論文を読み、映画を1本見て、残りの時間は割とよく眠れた。

ネットワーク・ヘゲモニー—「帝国」の情報戦略—

 約3年半ぶりに単著の新著が出ました。今朝印刷所から出てきて、早速昼過ぎに受け取りました。

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土屋大洋『ネットワーク・ヘゲモニー—「帝国」の情報戦略—』NTT出版、2011年2月17日、本体3400円+税、ISBN978-4-7571-0303-0

 ちょっと値段は高めですが、200ページ未満ですから、それほど苦もなく読めると思います。

 アメリカのMITにいる間に出したかったのですが、想定外の出来事が続いて間に合わず、帰国後もいろいろなことに忙殺されて遅れてしまいました。ともかくも出すことができて、MIT行きを支援してくださったみなさんに恩返しができました。ありがとうございました。まずは、アメリカ行きを押してくださった小島朋之先生のお墓参りに行ってこようと思います。

アメリカ後の世界

ファリード・ザカリア(楡井浩一訳)『アメリカ後の世界』(徳間書店、2008年)。

昨年、MITの本屋でThe Post American Worldというタイトルを見て気になっていた。翻訳が出ているのに気がついて読み始めたらあっという間に読めた。ジャーナリストの本なので注もほとんどなく、エピソードがたくさん入っていておもしろい。

著者はインド生まれのアメリカ人で、彼の目から見るアメリカ、中国、インドは新鮮だ。アメリカ人はアメリカの民主主義や政治が世界最高だと思っているけど、インド人から見ると「インドと同じくらい混乱している」ように見えるらしい。確かにそうかもしれない。アメリカ人が自信をなくしている経済は逆に世界最高だといっている。

インドは中国の成功から限定的にしか学べないという。インドは民主主義であり、中国ほど指導者が力を発揮できないからだ。中国では18ヵ月で町を更地にできるけど、インドではできない。インドでは経済成長が進むと与党が選挙に負けてしまうという不思議なことも起きる。

この本の仮説は、アメリカが衰退しているのではなく、「その他の国」が猛烈に台頭してきているので、「アメリカ後の世界」がやってくるというものだ。これはジョセフ・ナイが最初にソフトパワー論を展開した時のロジックと似ている。アメリカが弱くなったんじゃない。アメリカの援助で日本やヨーロッパが復興し、アジアが台頭してきたというわけだ。

常々感じていたことをそのまま言ってくれたのは以下のところ。

 英語の世界的広がりを例にとろう。英語の共通言語化はアメリカにとって喜ばしい出来事だった。なぜなら、海外での旅行とビジネスが格段にやりやすくなるからだ。

 しかし、これは他国の人々にとっては、ふたつの市場と文化を理解し、ふたつの市場と文化にアクセスする好機だった。彼らは英語に加えて北京語やヒンディー後やポルトガル語を話せる。彼らはアメリカ市場に加えて地元の中国市場やインド市場やブラジル市場に浸透できる(これらの国々では、現在でも非英語市場の規模が最も大きい)。対称的に、アメリカ人はひとつの海でしか泳げない。他国に進出するために能力を磨いてこなかったつけと言っていいだろう。(271ページ)

狂ったモクバ工科大学

やたらと忙しかった3週間が終わった。先週末、無事ICPCも終わった。

先週の金曜日、イアン・コンドリーの脚本によるライブ・アクション・アニメ「狂ったモクバ工科大学」を北千住の芸大で見てきた。

初めて北千住で下車したが、その昭和っぷりに驚く。西口を降りて芸大方向に続く飲み屋街が、映画のセットかと思えるほど賑やかかつレトロで、芸大の学生はなんて幸せなんだろうとうらやましくなる。

人が集まるのかと心配していた「狂ったモクバ工科大学」だが、フタを開けてみると満席立ち見で、仮設の客席が倒壊するんじゃないかという盛況ぶり。ホストをされていた毛利先生も驚かれていた(毛利先生はMITにいらして講演されたのでちょっと存じ上げている)。私の席の周りはアメリカ人の留学生らしき人がいっぱいで、アメリカに戻ってきた感じが一瞬したが、彼女たちが持っている携帯電話がキンキラに装飾した日本のケータイだった。

監督のトーマス・デフランツと脚本のイアンが踊りながら挨拶して舞台は始まる(何だかダンス漫才みたいだった)。その後、大音響とともにロボットの登場。セーラームーン風のキャラやサムライ風のキャラ、ヲタクなんて名前のキャラも出てきて、ICN(Infinite Channel Network)というメディア会社の陰謀と戦うというのがストーリーだと分かってくる。「動物化するポストモダン症候群」なんてのが出てきたり、鉄腕アトムからマジンガーゼット、ガンダム、エヴァンゲリオンへと続くアニメ史が織り交ぜられていたりして、イアンのアニメ研究が織り交ぜられている。

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途中休憩を挟んで45分。呆然としているうちに終わり、最後に出演者たちとの質疑応答。「モクバ工科大学のモクバって何なの?」って質問が出る。略称が「MIT」になるようにMで始まる言葉を選んだのだけど、ガンダムに出てくるホワイトベースが「モクバ」と呼ばれているところからとったという。そういえばそうだった。私はガンプラを一所懸命作った世代だけど、もう忘れたよ。そもそも何でロボットなのかというと、女の子にもてたくてロボットの着ぐるみを作ってしまった学生がいて、彼が授業やイベントにそれを着て現れたのがきっけかなのだそうだ(しかし、本当にもてるんだろうか)。

駅へ帰るためにまた飲み屋街を歩きながら内容を思い起こすと、確かにいろいろ織り交ぜてあって、案外よくできたストーリーだったと思う。たぶん、字幕を出すために台詞が固定されていて、アドリブが使えないのが窮屈そうだったけど、演劇を見るのは久しぶりで楽しめた。スタッフのTシャツには「ワールド・ツアー」って書いてあったが、フランスあたりでやると受けるのかもしれない。出演者には良い思い出になっただろうなあ。こんなの成功させてしまうなんてトムもイアンもえらいよ。

「狂ったモクバ工科大学」と『日本のヒップホップ』

MITの友人のイアン・コンドリーからイベント告知のお知らせをもらった。MITから学生が来て「ライブアクションアニメ」を披露する。イアンの本の翻訳も完成したので、その関連イベントもある。「モクバ工科大学」というのはMITのもじりなのだろう。

イアンに直接メールするのが面倒な方は私にメールください。

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マサチューセッツ工科大学の助教授イアン・コンドリーです。どうもお世話様です。

東京で行うアニメパフォーマンスイベント (5月29日、30日)とジャパニーズヒップホッップのパネルディスカション (6月6日)の告知をさせてください。

また私の本、『日本のヒップホップ』の日本語版が出版されましたので、ご案内いたします。

http://www.nttpub.co.jp/search/books/detail/100001949

MIT Dance Theater Ensemble presents:

“LIVE ACTION ANIME 2009: MADNESS AT MOKUBA”

マサチューセッツ工科大学ダンスシアターアンサンブルの演劇

「ライブアクションアニメ09年:狂ったモクバ工科大学」

場所:東京芸術大学北千住キャンパス第七ホール

足立区千住1-25-1

JR・地下鉄等北千住駅下車徒歩5分

http://www.geidai.ac.jp/access/senju.html

日時:5月29(金) 5月30日(土)@ 19:00

入場料無料

問い合わせ電話:050-5525-2751(担当:毛利嘉孝)

「ライブアクションアニメ」とは、MITの学生がアクターで、僕がシナリオを書いた、現実とアニメの世界をリミックスしたパフォーマンスです。監督はMITの教授のThomas DeFrantz。ダンスや台詞、コスプレが入り混じった、ユニークで実験的なプロジェクトです。巨大ロボット、死神、浪人、ゲームヲタなどのようなキャラクターが総出演。主人公はジャパニーズスクールガールの制服を着てるアメリカ人。舞台は虚構のアメリカのモクバ工科大学。全部で1時間弱のミステリーです。台詞は英語ですが、日本語の字幕が付きます。老人から子供までが楽しめるダンス演劇です。土曜日のパフォーマンスの後、芸大で懇親パーティーも予定しています。

入場料は無料です。予約は不要ですが、席の予約をしたい方は僕にメールをお願いします。金曜日か土曜日か希望曜日、人数をメールでご指定ください。mailto: condry at mit.edu

早稲田大学

6月6日@18:00〜20:00

パネルディスカション

「日本のヒップホップ:文化グロバリゼションの<現場>」コンドリー(著)(2009、NTT出版)についての対談

私が英語で書いた本「Hip-Hop Japan: Rap and the Paths of Cultural Globalization” (2006, Duke University Press)の日本語版が出ました。

http://www.nttpub.co.jp/search/books/detail/100001949

パネルディスカションに出演者:

イアン・コンドリー MIT大学(著)

田中東子 早稲田大学(訳)

山本敦久 上智大学(訳)

磯部涼 (ヒップホップライター)

梅原大 / UMEDY (Miss Mondayのプロデューサーや元ラッパー)

上野俊哉 和光大学(監訳)

アフターパーティーは下北沢Heavenで22:00〜朝まで。イアンのDJデビューもあるかも。

宜しくおねがいいたします。

では、

イアン

二つの世界を生きる

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もうすぐ私のMITでの研究期間が終わり、帰国しなくてはならない。名残惜しい気もする反面、とっとと帰ってしまいたい気もする。

とっとと帰ってしまいたい気にさせるのは、研究環境としては日本にいてもアメリカにいてもあまり大差ないということを実感したからだろう。無論、ケンブリッジにはMITやハーバードがあって、連日のようにおもしろい講演会が開かれていて、知的な刺激に溢れている。ちょっと電車や飛行機に乗ればニューヨークやワシントンにも行ける。

しかし、そうした情報へのアクセスも、インターネットとジェット機の時代にはそれほどありがたみのあるものでも無くなってきている気がする。

東京からボストンまでは15時間飛行機に乗らなくてはいけないとはいえ、一昔前よりは短縮されているし(直行便が欲しい!)、航空運賃もずっと安くなっている。何より、大きなカンファレンスなどはネット中継・録画があり、論文のほとんどはオンラインのデータベースにほとんど載っていて、本もオンライン注文すればすぐに日本にも届くし、デジタル化される本も増えている。ダウンロードして聴くオーディオ・ブックも便利だ。

福澤諭吉やアレクシス・ド・トクヴィルがアメリカを訪れたときには、すべてのものが新鮮だった。今回、アメリカに来る前に、いろいろな人のアメリカ滞在記を読んだが、山崎正和や江藤淳、藤原正彦がアメリカに来た時代とも大きく異なっている。彼らの時代には3泊5日で一時帰国するなんてことは考えられなかっただろう。この一年近くの間、毎月、友人・知人・家族が来てくれた。気軽に太平洋を越える時代になっている。

不満に感じたのは、日本の学術情報へのアクセスが難しいことだ。日本の学会誌に論文を書いたのだが、既存研究のカバーが足りないという査読コメントがあった。英語文献は簡単に手にはいるが、日本語文献はなかなか手に入らない。

アメリカ人の研究者の中には外国語がよくできる人もいるが、たいていは英語だけで生活している。しかし、私のように外国人としてアメリカに来ている人は、程度の差こそあれ、アメリカ生活に適応するのに苦労している。それを通じて実感したのは、私たちは二つの世界を生きているのだということだ。英語の世界ともう一つの世界。この二つを複眼的に見られることは、実は大きなアドバンテージである。

ケンブリッジは研究都市としては世界でトップクラスだ。しかし、元気さという点では劣る。ここに一年も住むと、アジアの元気さがなつかしい。不況に苦しんできた日本でさえ、ずっと元気なような気がする。大不況下、アメリカは元気を失いつつある。そろそろアジアに帰って元気になりたい。

そういうわけで、しばらく休みに入ります。メールの返信も遅れると思います。日本の携帯も解約してあるので、以前の番号は使えません。あしからずご了承ください。

ホームズの言葉

だいぶ春めいた陽気になってきた。

気分転換に屋外のベンチに座って『シャーロック・ホームズの冒険』を日本の文庫本で読んでいた。すると、白人の中年男性が近づいてきて、「英語分かる?」と聞いてきた。「分かるよ」と答えると、「今読んでいるのは中国語?」という。「日本語だよ。」「日本語も縦に読むの?」「そうだよ。」「ジョークを聞いたんだけどさ。英語は左から右へと横に読むでしょ。だからアメリカ人はいつもノー、ノー、ノー。中国人は縦に読むからいつもイエス、イエス、イエス。」「ははは、おもしろいね。」彼は突然きびすを返して無表情のまま行ってしまった。

いったい何だったのだろう。ジョークの実験台にされたのだろうか。ノーなのに何でもイエスと答えてしまうのは中国人より日本人ではないだろうか。

シャーロック・ホームズは小学生の頃に何度も読んだはずなのだけど、全然内容を覚えていないので楽しめる。初版の訳が昭和28年(1953年)のせいだろうけど、ホームズがコカイン常習者になっているのがおもしろい。翻訳には賞味期限があるというが、今ならどうやって訳すのだろう。ロンドンのアヘン窟の話も出てくるなど、時代背景がずいぶん違う。

『シャーロック・ホームズの冒険』の中の「ボヘミアの醜聞」におもしろいホームズの言葉がある。

資料もないのに、ああだこうだと理論的な説明をつけようとするのは、大きな間違いだよ。人は事実に合う理論的な説明を求めようとしないで、理論的な説明に合うように、事実のほうを知らず知らずに曲げがちになる。

この部分、ある先生の博士論文の冒頭に引用されていた。自戒も込めてメモしておこう。

日本サイズ

USエアウェイズが1月にハドソン川で事故を起こしたせいか、ボストン=ニューヨーク(ラガーディア)間のUSエアウェイズのシャトル便が激安(1万1010円)だったので、今回はアムトラックではなく飛行機でニューヨークに行った。

ボストンからの便で隣に座ったのはコミュニティ・カレッジで先生をしているというおばあちゃんとその孫娘。私が首にヘッドホンを付けていたので、「あなたは話がしたくないと見えるわね。おまけにそんな書類の束を抱えちゃって」なんて言われてしまう。「これからニューヨークで学会発表があって……」なんて雑談をしているうちに、短いフライトなのでニューヨークに着陸してしまう。最後に、「学会発表は必ずうまくいくわよ。ボストンで最後の時間を楽しんで、日本に帰ったら良いことがまた待っているわよ」なんて言ってくれた。

こちらはあんまり気の利いたことは言えないが、昔ながらの良いアメリカ人がまだいるなあと久しぶりに感じた。気さくで親切で楽天的なアメリカ人をあまり見なくなった気がする。テロと戦争はアメリカを変えてしまったのだろうか。あるいは競争社会と不況のせいか。

翌日の帰りの便。早く帰りたい用事があったので16時にパネルが終わってからタクシーに飛び乗り、ラガーディア空港に向かうが、さすがに17時のフライトに前倒しでは乗れなかった。19時の予約だったが、18時のフライトには乗ることができた。

離陸まで少し時間があり、小腹が空いたのでフードコートへ。しかし、たいしておいしそうなものはない。アメリカに来てから一度もマクドナルドには行ってないので、ハンバーガーでも食べるかという気になった。私の博士論文はマクドナルドで書いた。昔は大変お世話になっていた(カロリーの高いものは食べずに爽健美茶やアイスティーばかり飲んでいた)。

今回は、一番安かったのでビックマックセットを注文(他のメニューは知らないものばかり)。たいして味は変わらないなあと思いつつ、学会でもらったコメントを思い出しながらぼーっともぐもぐ食べていた。ふと、あれっと思う。ポテトの量が少ない。

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写真のポテトはだいぶ食べてしまった後なので実際少ないのだが、もともとの量が少ない。確か、2001年にワシントンのマクドナルドで食べたときは、食べきれないほどのポテトが付いてきて、アメリカ人は食い過ぎだと思った。このときの1年間、負けてなるものかとアメリカでの食事を残さず食べていたら激太りして後悔した。今回はセーブしている。

しかし、目の前にあるポテトは日本のMサイズとおそらく変わらないだろう。これは不況のせいなんだろうか。あるいは『デブの帝国』で批判されたせいなのだろうか。

不況のせいでアメリカで日本が見直されている。過去20年近く、日本が不況の間にどんな政策をとってきたかが議論されているからだ。もちろん、すばらしいというわけではなく、反面教師的なところもあって、無駄な公共事業をやってもダメという引き合いにも使われている。

過去20年近く、アメリカには言われっぱなしだったのだから、ここは日本側からいろいろ言ってもいいのではないか。ま、喜んで聞いてくれるわけではないだろうけど、無駄をなくして適度なサイズにしなさいというのは良いアドバイスだと思う。

1年ぶりに教壇に

先週、友人とともにボストンのジャズ・カフェへ。ここに来るのは2回目。ジャズといってもファンク・ジャズとかいう分類らしくて、激しいジャズである。諸事情あって控えていたアルコールを再開。音楽のせいか、アルコールのせいか、何だか頭の中がしびれる。

演奏しているミュージシャンの一人は日本人だった。私のテーブルには他に3人アメリカ人がいたのだが、全員日本語がペラペラで、そのミュージシャンがテーブルの脇を通り過ぎたとき、いきなり全員から日本語で話しかけられて面食らっていたのが愉快だった。バークリー音楽院で勉強しているという。

翌日、MITの「日本のポピュラー・カルチャー」という授業で話をする。担当のイアン・コンドリー准教授が日本に来たとき、私の授業で話してくれたこともあり、アメリカの教壇に初めて立つことになった。授業自体が1年ぶりである。といっても少人数のゼミ形式の授業なので楽しみながら話すことができて良かった。普段接しているアメリカの大学院生は一癖ある人が多いが、学部生は素直な子が多い。議論で相手を負かそうという雰囲気でもなく、率直に自分の意見を述べている。ほんのわずかな時間だったが、良い経験だった。

授業が終わった後、女子学生二人が雑誌を見てキャーキャー言っている。ジャニーズの写真満載の日本語の雑誌だった。ほとんど読めないらしいが、少しは分かるらしい。ジャニーズに慶応出身の子がいるんだよと言ったら「知ってる!」と言っていた。たいしたもんだ。

写真は12月のMIT。ここ数日とても暖かかったので雪はほとんど溶けた。道路脇にかちんこちんになった固まりが残っているだけ。摂氏11度まで気温が上がった日、半ズボンで地下鉄に乗っている人がいてあきれた。さすがに寒そうだった。

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JFKライブラリー

週末は暖かかった。日曜日は摂氏8度まで上がり、年末から固まっていた雪がだいぶ溶けた。

ずっと行きたくて行けなかったジョン・F・ケネディ・ライブラリーへ。ボストン湾に突き出た州立マサチューセッツ大学のキャンパス内にある。

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ケネディ時代の研究はしていないので、アーカイブには行かず、ミュージアムの展示だけを見る(ここのアーカイブはアポが必要な上に、親切ではないと聞いたことがある)。

ケネディはいろいろなエピソードが知られているし、キューバ危機は国際政治を学ぶ者には必知事項なので、あまり新しい収穫はないが、それなりに楽しい。

大統領就任式のビデオを、オバマと比べながら見ると、ケネディは国際的な視点を持っており、世界の人々に語りかけているのが印象的だった。オバマは現下の情勢からアメリカ国内の話にフォーカスせざるを得ない。

有名なテレビ討論会のビデオも流されている。ニクソンの顔色が悪かったという話だが、白黒画像なので、顔色云々はどうかと思う。ニクソンの人相が悪いといわれればそうだが、若さというか、はつらつとしたところが無かったのだろう。

ライブラリーの中にあるカフェから海を挟んで見えるボストンの景色が良い。ヨット好きだったケネディにふさわしいロケーションだ。こんな景色を見ながら読書ができれば幸せだ。

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大統領就任式

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大統領就任式はMITの研究所の会議室で、同僚たちとランチをとりながら見た。午前11時からCNNのネット・ストリーミングをプロジェクターで投影し、隣に音声を切ったテレビでFOXの中継を見る。ネット・ストリーミングはテレビより35〜40秒ほど遅れていて、LIVEと出ているのに何か変な感じだ。

11時45分ぐらいにCNNのストリーミングがかなり乱れた。世界中から一気にアクセスが増えたのだと思う。しかし、その後はかなり安定していて、見事なものだった。MITの回線が太いことも良かったのだろう。MITではキャンパス内の5カ所ぐらいの大きな部屋で中継していたらしい。個人的に見ていた人もいるだろうし、よくCNNのサーバーはパンクしなかったものだ。

就任式を通しで見るのは初めてで、かなりおもしろかった。元大統領や現職大統領、その他の要職にある人、家族たちが順番に呼ばれて登場する。座っているだけで良いブッシュ大統領は余裕綽々だ。チェイニー副大統領が車椅子に乗っているのは知らなかった。オバマの娘二人が登場したとき、研究所の黒人女性スタッフは「かわいらしい〜!」と実にうれしそうだった。

最初の笑いが起きたのは、オバマが登場するときに「Barack H. Obama」と呼ばれたため。「フセイン」というミドルネームを使うかどうかに注目していたのだが、「妥協したんだね」とみんなにやにやしていた。

次の笑いは、オバマが宣誓の言葉を言いよどんでしまったとき。彼でもさすがに緊張するんだなあ。

スピーチそのものは、それほどインプレッシブではなかったように思う。研究所のみんなも、あれ、終わったのという反応で、拍手もなかった。

演説の後の国歌斉唱では、元CENTCOMの司令官ウィリアム・J・ファロンがすっくと立ち上がり、半分ぐらいの人が立ち上がって一緒に歌う。しかし、さすがリベラルなケンブリッジ。立ち上がらない人もけっこういる。

日本のニュースで見ると大統領の宣誓と演説ぐらいしか見られないが、副大統領の宣誓や、アレサ・フランクリンの歌など、いろいろおもしろいものも見られた。なんと言っても詰めかけた群衆がすごい。オバマの姿は全く見られなかった人も多かったはずだが、あれだけの人が集まるのは大変なことだ。銅像や木によじ登っている人も多い。

パレードが始まる前、少しハーバード・スクエアを歩いてみたが特に何もなく、地下鉄に乗るとき政治集会のビラをもらったぐらいだった。レストランではいろいろサービスをやっていたらしい。リーガル・シーフーズではメインの料理を頼むと第44代大統領にちなんで名物のクラム・チャウダーが44セントだったとか。

帰宅してパレードを見ると、装甲車のような車からオバマ夫妻が出てきて、ペンシルベニア・アベニューを手を振りながら歩き出した。このときが一番感動的だった。シークレット・サービスは嫌がっただろうが、オバマ夫妻の覚悟が伝わってきた。

本当はワシントンで見てみたかったが、テレビで通しで見られただけでも良かった。アメリカに新しい時代が来た。日本の首相がいちいちこんなイベントやったらお金が続かないし、人も集まらないかもしれない。任期が決まっている大統領制だからこそできることだ。

クリスマス

アメリカではクリスマスはほとんどの仕事が休みになる。レストランもほぼ全部休みになり、日本のようにクリスマス・ディナーや忘年会で盛り上がることはない。ほとんど人も出歩かず、道路もすいている。一つの宗教に基づく休日は政教分離に反するのではないかと思うが、とにかくほとんどの人が仕事をしない。サンクスギビングは友人・知人を呼んでパーティーという人が多いが、クリスマスは家族水入らずというところが多いような気がする。クリスマス・イブはラストミニッツの買い物客がいるが、クリスマスになると街はとても静かだ。

CVSという薬局兼雑貨屋は開いているというので、デジカメの写真を印刷しに行った。隣にあるダンキン・ドーナッツも開いていて、かなり人が入っていた。他に行くところがないのだろう。CVSにはキヨスク端末が置かれていて、自分でデジカメの写真を印刷できる。これまでも何回かやっていて問題なかったので、今回も大丈夫だろうと踏んでいた。CVSの店内も、いつもよりも人が入っている気がする。やはり他に行くところがないのだから、案外かき入れ時かもしれない。

キヨスクはいつも通りの様子だったので、タッチスクリーン式の画面で写真と枚数を指定して、印刷の注文を出した。普通なら1分以内に写真が出てくる。しかし、今回は出てこない。画面を見ると、小さなエラーマークが出ているので、クリックすると、「インクリボンがない」と出ている。近くにいた店員に、「インクリボンがないと出ているのだけど、直してもらえますか」と聞いた。

「それ、今日は動いてないから。」でたでた、アメリカ的対応である。「機械は動いているし、注文しちゃったよ。」「担当者がいないから。」これもアメリカ的。「じゃあ、どうやってキャンセルするの。」「ワン・セカンド」といってその人は店の裏へと消えていく。しかし、待てど暮らせど帰ってこない。これもアメリカ的。

仕方ないので、別の人をつかまえて同じことの繰り返し。その彼は店の裏へと消える代わりに、「チッ」と舌打ちをした後、カギを取り出してキヨスクを開け、リボンの交換を始める。これもアメリカ的。こちらも黙って作業させる。すると、先ほど店の裏へ消えた男が、着替えて何知らぬ顔で帰っていく。これもまたアメリカ的。

作業を終えた男はばたんとキヨスクを閉めてあっちへ行ってしまう。写真がバラバラと出てくる。時間はかかったが目的は達したのでよしとしよう。クリスマスに仕事している彼らも楽しくはないのだろう。

今日の教訓:アメリカのクリスマスは家でおとなしくしているべし。

こんなことがあってから家に帰って、トーマス・フリードマンのクリスマス・イブのコラムを読むと、「アメリカをリブートせよ」と言っている。アメリカには才能ある人が集まっているけど、インフラストラクチャもサービスも全然ダメじゃないかと言っている。その通りだと叫びたくなる。

CVSのキヨスクと同じで、便利なものを設置したのは良いものの、ちゃんとメンテナンスが行われないで放置されている社会インフラストラクチャが多すぎる。道路や電車、空港、建物、みんなそうだ。古いものが良いとされるのはイギリスに任せておいた方が良い。歴史の長さが違うのだから。アメリカは金ピカで新しい方が似合う。アメリカは疲れてしまっている気がしてならない。

そして、サービスも悪すぎる。ワシントンDCに住んでいる人は、ボストンの店員がにこやかだと驚く。確かにそうだ。しかし、ボストンでもCVSの店員のようなのはゴロゴロいる。チップをもらえるレストランやホテルの従業員だけがきびきび動く。

先日の東京のシンポジウムでこうした点を批判したら、私は日本での生活にスポイルされているというコメントを頂戴した。日本のクオリティは確かに高すぎるかもしれない。しかし、アメリカが期待よりもただ低いのだと思う。アジアの都市では(暑いのと人が多いのをのぞけば)もっと快適に過ごすことができる。

アメリカは世界一の国だとアメリカ人は言うが、必ずしもそうだとは思えない。フリードマンが別のコラムで書いているとおり、もうアメリカと中国の差はぼけてきている。自慢の資本主義も政府の助力がないとダメになってしまった。他国の産業が政府に保護されているのを批判していたのだから、アメリカの自動車会社をアメリカ政府が救済するのは筋が通らない。エンロンのような不正会計があったと思ったら、マドフ・ファンドのようなネズミ講が社会的信用のある人によっておおっぴらに行われていた。

アメリカは本当にリブートすべきだと思う。よれよれになった社会をさっぱりと新調して欲しい。オバマ大統領就任まであと1カ月足らず。期待しすぎてはいけないと思いつつ、期待してしまう。

とここまで書いて、ブログに上げるのが面倒で放置していた。そして、クリスマス明けに近所のスーパーで買い物。翌日、大学時代の友人夫婦が自宅に来るので準備を開始したところ、買ったはずの品物が見あたらない。レシートを確認すると確かに支払っている。このスーパーでは商品を店員が袋に入れてくれるのだが、入れ忘れたようだ。リターン(返品)はありだとしても、入ってなかった(と客が主張する)商品はどうなるのだろう。

このまま泣き寝入りも悔しいので、レシートを持ち、スーパーに戻った。入っていなかった商品を手に取り、カスタマー・サービスへ。「こんにちは。」「こんにちは。どうされましたか。」「昨日、ここで買い物をして、この商品の支払いをしたのですが、家に帰ったら袋にこの商品が入っていませんでした。」「ああ、そうですか。今日はこれからまたお買い物ですか。」「いいえ、今日はもう買い物はありません。」「それでは、どうぞ。」と出口を指さされた。

ううむ。こちらの言い分を100%聞いてくれたのはありがたいが、いいんだろうか。レシートすら確認しようとしなかった。アメリカ経済が本当に心配になる。

ついに来た

昼前にMITの副学長からメール。12時で全員仕事を切り上げ帰宅するようにとのこと。午後になると雪嵐が来るというのだ。慌てて食料品の買い出しに行くと、すでに同じように買い出しに来ている人で溢れている。

買い物が終わって帰宅する途中、ちらほらと雪が舞い始める。道のところどころで除雪車が待機している。帰宅してしばらくすると本降りになった。アパートの窓から除雪車の動きを見ていると楽しい。夜半まで降った後、翌朝はアパートの窓から見る限りカチンカチンに凍っているようだ。ついに本格的な雪の季節が来た。週末で良かった。

写真がぼけているのは降っている雪のせい。

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観光気分の東京

12月5日に慶應の三田キャンパスで開かれたシンポジウムに参加するため、一時帰国。3月24日に渡米して以来なので、約8ヵ月ぶりの日本である。成田空港に着くと、まず暑いと思った。だいたいボストンの最高気温が東京の最低気温ぐらいなので仕方ない。成田エクスプレスに乗って品川に着くと、人が多い。歩けない。こんなところを毎日平気で歩いていたのかと思うと不思議だ。

シンポジウムの最中は時差ぼけで眠ってしまうのではないかと思ったが、思いの外、目は覚めていて楽しめた。翌日、オバマ次期大統領がインフラストラクチャへの大規模投資を発表して、我が意を得たりという気分だった。ブロードバンドへの投資も本腰を入れるようだ。

インフラやサービスのレベルを日本を規準にして考えてはいけないのは分かっているが、世界一の先進国だという割にはアメリカはあまりにもお粗末で嘆きたくなる。配達ものが本当にひどくて、指定した日に届かないのは当たり前というのはどうかしていると思う(だったら最初から指定させるべきではないだろう)。パネルの中でアメリカのコンビニの悪口を言ったが、要は物流インフラとそれを支える情報インフラがしっかりしていないので、新鮮な食品をコンビニの店頭に並べるということができない(例えばShintaroさんのブログを参照)。おそらく同じ理由で新鮮な魚がスーパーに並ぶということもない。電車はおんぼろでうるさく、一定の間隔で運行できないので、固まってきたと思ったらずっと来なくなったりもする。飛行機は国際スタンダードでそれなりに定時の運行ができるのだから、電車だってやればできるはずだ。

シンポジウム翌日の土曜日は朝からいくつかの用事を片付ける。春に亡くなった小島朋之前学部長の墓参にようやく行けたのも良かった。いろいろなめぐり合わせで葬儀にも偲ぶ会にも出られなかったので、やっとという思いだ。一緒に行ってくれた同僚の清水唯一朗さんとカツ丼セットを食べられたのも良かった。本物のカツ丼だった。

夜はICPCの合宿へ。さすがに時差ぼけが出てきて、夜通しの議論にはつきあえず残念だったが、議論は大いに盛り上がっていて良かった。この合宿で使った日本橋のホテルは、びっくりするほど狭い部屋のビジネス・ホテルなのだが、大きな風呂があるのはうれしかった。久しぶりに首まで湯につかることができた。やはり外国には長く住めない。私には風呂が必要だ。温泉に行きたい!

驚いたのはこのホテルには外国人旅行者がたくさん泊まっていて、白人の若い女性三人がぞろぞろと浴衣で歩いていたり、夜中に修学旅行生のように廊下で騒いでいたりしたこと。観光地としての東京の人気は上がっているのかなと思う。

翌朝、日本橋の小舟町から東京駅まで歩く。江戸橋の横を通り、日本橋を渡り、永代通りをゆっくり歩いた。日曜日の朝なので人通りは少なく、すがすがしい。振り返るとコレド日本橋に朝日が反射していてきれいだった。今回はホテルに3泊したが、観光気分で東京を見ると予想以上に楽しいなと思い直した。

ボストンはアメリカのスタンダードで言えば都会だけど、東京は桁違いに大きくて、人と文化がぎっしり詰まっている。東京は住むには通勤などが大変だけど、観光客として訪れるにはとても楽しいところなんだろう。東京駅で土産物屋が開くのを待っていたら、友人のNさんに見つかった。こんなにたくさん人がいるのに不思議なものだ。

あっという間に一時帰国は終わり、シカゴまで飛ぶと雪が積もっていた。ここでオバマ次期大統領は政権構想を練っている。さらにボストンまで飛ぶ。この日は雪が降ったそうだがまだここでは積もっていない。

と、ここまで一週間以上前に書いたのだが、ボストンに戻ってきてからあわただしく、そのままにしておいたら、今朝雪が積もった。いよいよ冬が本格化する。

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サンクスギビング

だいぶ前の話になるが、11月27日はサンクスギビングデーだった。この日の夜はMITで所属する研究所の所長宅に招いていただいた。実に広々としたリビングがあり、25人ぐらいのゲストが来ていたが、まだ余裕がある。日本研究者だけあって壁には浮世絵や日露戦争時のめずらしい漫画地図など、興味深いものが飾ってある。奥さまはプロの料理人ということもあって、たくさんの料理本も並んでいる。日本語の料理本も多い。

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アメリカの大学の先生の給料は平均するとそんなに高くないらしいが(日本のほうが高いという話も聞いたことがある)、こんな広々として居心地の良い家に住めるなんてうらやましい。まあ、実際にアメリカに住むとなると考え込んでしまうが、こんな家を日本で建てられたらさぞかし快適だろう。

サンクスギビングの主役ターキー(七面鳥)の丸焼きは時間をかけて作った自家製で、大きなものが二羽出てきた。マッシュポテトなど伝統料理も並んで壮観である。サンクスギビングの料理は、アメリカ料理らしくなく、手間暇かけて作られるので実においしい。

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ゲストも多様で、博士課程の日本人学生や中国人留学生、教授がメンターになっているバングラデシュからのエンジニアの学部生、MITジャパン・プログラムのスタッフ、イタリア人家族、その他、多様なグループから来ており、賑やかで実に楽しかった。皆で持ち寄ったデザートもおいしい。かなりカロリーオーバーだった気がする。

この多様なゲストと楽しい時間を過ごしながら、アメリカという国のダイナミズムを思う。ここにいる外国人のほとんどにとってサンクスギビングなんて関係ないのだが、こうした機会に集まり、いろいろな情報交換をして、ネットワークを広げていく。自宅(そして自国)をこれだけ開けっぴろげにして懐深く入れてしまう。外国人もいつの間にかアメリカ的生活様式を身につけ、アメリカ人になっていく。ここにいる何割かの人はアメリカに残り、グリーン・カードを手に入れ、帰化していくのだろう。

安楽椅子の学者はもう無理

「安楽椅子の○○学者」という言い方がある。安楽椅子の人類学者など、主にフィールドに出て行くことが想定されている学問分野で、フィールドリサーチをしない学者のことを揶揄していうことが多い。

梅田望夫さんはあえてネットだけで生きる決意をして、アメリカ国内では飛行機に乗らないとどこかで書いていた気がする。すごい実験だと思う一方で、一次資料へのアクセスが不可欠な学者にとっては難しいといわざるをえない。ネットで得た資料だけで論文を書いたら(まだ?)あまり評価されないだろう。

実際、今どきの学者はフィールドワークなしで研究することはできないように思う。文学や音楽であっても、著者や音楽家の背景を知るためにその人たちが生きたところへ行ってみることは理解を大きく促進する。アメリカ文学を研究している人がアメリカへ行ったことがないということが、昔はあったらしいが、今では考えにくい。

私自身も旅は嫌いではないので、機会があれば足を伸ばす。現場を見たり、当事者に話を聞いたり、現物の資料を見ることで得られることは実に大きい。カンファレンスやシンポジウムで聴衆の反応を共有しながら話し手の言葉を追いかけるのもやはり意味がある。私は国際政治学が主たる研究ドメインなので、世界の現場を見ないで国際政治の授業をするのはやはりどこか物足りない気がする。

しかし、来週に迫ったシンポジウムのために一時帰国するのはけっこうしんどい。アメリカでやらなくてはいけないことが山積みなので、総計20分程度しか話をする機会のないパネリストの一人として、往復30時間かけて一時帰国するのは少しやりきれない。シンポジウムでおもしろい話が聞けて、満足できれば良いなと思う。

他にも、ちょうど週末に、情報通信政策研究会議(ICPC)が開かれる(情報通信政策は私の研究のサブドメインだ)。今回、私はアメリカにいるのであまりお手伝いができておらず、その週末もどうしても外せない用事があるのでフル参加は無理だが、顔を出そうと思う。旧知のみなさん、新しい参加者のみなさんと議論できれば、無理して帰る意義も増すだろう(どなたでも参加できますので、申し込みの上、ご参加ください)。時間をもらえれば、夜のBOFでは、アメリカ大統領選挙とネットについて話そうと思う。

しかし、副次的に楽しみにしているのはおいしいものが食べられること。無論、アメリカにもおいしいものがある。ステーキはやはりアメリカのほうがおいしい。ボストンならロブスターをはじめとするシーフードだろう。しかし、もう飽きた。日本のおいしいものが食べたい。

先日、ボストンの日本料理屋に入ってカツ丼を食べた。カツ丼ではなかった。どんぶりの底には大量のご飯が詰め込まれ、その上に、普通のトンカツが乗っかっている。さらにその上に、卵とタマネギをあえたものが乗っかっている。カツ丼の良さはトンカツにだし汁がしみるようにさっと煮込んであるところだろう。料理人に説教してやろうかと思ったが、本物を食べたことがない人には分かるまい。

本物や現場、現物、当事者を知るためには自分が動かなくてはいけない。

今日はサンクスギビングデーだ。外に出ている人が本当に少ない。日本の正月のようだ。今晩は研究所の所長の自宅にお招きをいただいている。本物のサンクスギビングデーを見てこよう。

科学政策とオバマ政権

連日、最低気温が摂氏で氷点下になっている。木々の葉はすっかり落ちた。雪はまだ降らず、空は真っ青で快晴になっていることが多い。

科学政策とオバマ政権:新大統領へのアドバイス」と題する講演会がMITで開かれた。メインのスピーカーはMITスクール・オブ・サイエンスの学部長Marc Kastnerで、司会は名誉教授のEugene Skolnikoffである。

スコルニコフは、私がMITで所属している研究所の何代か前の所長で、私は『国際政治と科学技術』(NTT出版、1995年)という本の翻訳に大学院生のときにかかわった(残念ながら絶版で、出版社のホームページからも消えている)。今まで会ったことはなかったが、すごい年寄りで、よく分からない英語を話す人というイメージがあった。実際は、まだかくしゃくとしていて、英語も分かりやすい。英語が分かりにくいというイメージは彼の文章のせいだろう。残念ながらスコルニコフは司会なので少ししか話さなかったが、実際に会うことができたのはうれしかった。

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スコルニコフは、アイゼンハワー(共和党)、ケネディ(民主党)、カーター(民主党)の各大統領の下で科学技術政策に関わってきた。オバマ政権で返り咲くことは年齢的に見てもないが、新大統領にアドバイスしようと思えばできる立場なのかもしれない。

メインスピーカーの話はやや物足りなかった。時間が短かったせいもあるだろうが、質疑応答では、核兵器はどうするのか、なぜ宇宙には触れないのか、といった質問も出た。情報通信技術への言及もない。主たる関心はエネルギーとライフ・サイエンスのようだった。確かにエネルギーは大統領選挙の争点だったし、MITも力を入れているので分からなくもないが、もっと広範に議論しても良かっただろう。

ヴァネヴァー・ブッシュ以来、MITは政府の研究開発において積極的な役割を果たしてきた。現在のブッシュ政権(ヴァネヴァー・ブッシュとジョージ・ブッシュは何の関係もないと思う)はヒトゲノムなどには関心を持っていたが(しかし、宗教的なしがらみもあった)、一般的には科学技術政策への関心は薄かったように思う。オバマ政権ができることで、少なくとも情報通信政策の関係者たちは大いに沸き立っている。昨今の経済悪化で、大学の収入も悪くなると予測されている。大学もヘッジファンドなどに大金を預けているからだ。MITにとっても、オバマ政権の動向は、研究資金源がどうなるかという点で関心があるに違いない。

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質疑応答の中でもうひとつ、へえっと思ったのは、予算配分の偏り。過去10年ぐらいを見ると、ライフ・サイエンスに突出して予算が割り当てられていたが、それもピークを越え、最近は落ちてきている。そのため、オーバードクターの増加問題はどうしたらいいのかと詰め寄る学生らしき人がいた。講演者の答えは、意訳すれば、研究バブルに踊らされるなということだったように思う。特定の分野がもてはやされても、学部・大学院と時間が経ち、トレーニングが終わる頃にポストが残っているとは限らないということだ。その通りだが、それだけの見通しを持って大学院に行ける人も多くはないだろう。

最後の授業

ボストンの書店に行くと『Last Lecture』という小さな本が並んでいる。前から何となく気になっていたのだが、その内容がYouTubeに載っているのに気がついた。同じ職業の身としてはたくさんのことを考えさせられる。

(ビデオは全部で9本)

彼と私は10歳しか違わない。私に残された時間があと10年だとすれば何をすべきだろう。私の子供の頃からの夢は何だったのだろう。いくつかはすでに実現し、もちろん不可能だと分かったものもある。あいにく、大学の教員になることは子供の頃の夢ではなかった。忘れていた夢を思い出して、できることは実現していかなければ。ひとまず、来年はアフリカに行く。

この人も(子供の頃からの?)夢を実現したのだろう。歯並びの悪い携帯電話のセールスマンがオペラを歌うというが、審査員たちは全く期待していない。彼らの顔がみるみる変わるのが実に愉快だ。

新聞が消えた日

大統領選挙の翌日、朝寝坊して昼過ぎに地下鉄に乗り込んだ。いつもより車内がきれいだ。何が違うのかと考えると、いつもは散乱しているフリーペーパーが見あたらない。ボストンにはmetroというフリーペーパーがあり、電車の中ではみんなそれを読んでいる。今日は大統領選挙の記念にみんな持ち帰っているらしい。

駅の売店の新聞もすっからかんになっている。セブンイレブンやCVS(ファーマシー)の新聞売り場は一部も残っていない。通りに置いてあるコイン販売機の新聞も空っぽだ。NYタイムズもボストン・グローブもUSAトゥデイもない。ハーバード・スクエアの大きな新聞販売店ならあるかと思ったが、ここも選挙結果について報じた新聞はすべてない。完全に出遅れてしまった。

おまけに駅に置いてある新聞紙リサイクル用のゴミ袋までからっぽだ。半透明の袋なので、外から中身がうかがえるのだが、何も入っていないものが多い。

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これだけデジタルが発達しているといっても、記念に残る紙の新聞の需要は意外に大きかった。こんなことは滅多にないだろうが、オバマ当選のインパクトは、ケンブリッジでは甚大だったのだ。昨日のテレビによるとNYのタイムズ・スクエアやカリフォルニアのバークレーでは夜中まで若い人たちが騒いでいたそうだ。きっとハーバード・スクエアでも同じだっただろう。